「爪を切りたくない……」
「ほう」

両手両足をこたつにこれでもかと突っ込んで背中を丸めたまま沈痛な面持ちで呟いたルークを、向かいに座って本を読んでいたアッシュがちらりと見つめた。というより、睨み付けた。

「昨日から爪が伸びてきてうぜえだの何だのうるせえくせに、何を言い出しやがる。己の爪ごときに愛着と頭でも沸きやがったのか屑が」
「ちっげーし!何気にひどいし!そうじゃなくて、俺のこの姿みて分かんない?」

分かんない?と聞かれても、正面にいるのはいつも通りの情けない面した半身なのでアッシュは軽く首を横に振る。ルークは立っていれば偉そうに胸を反らしていただろう顔で笑った。

「正解は、こたつから手を出すことが寒くて嫌、だからでした!」
「死ぬほどくだらねえ!」
「いって!脛を蹴るな脛を!」

アッシュに蹴られて伸ばしていた足を慌てて引き寄せるルーク。ここで反撃に転じれば今冬何度目か分からないこたつ下の戦争が巻き起こる事になるのは分かっているので、大人しく唇を尖らせるだけだった。

「だってさあ、俺は出来れば今こたつの外に出ている部分を頭まで全部丸ごと潜り込ませたいとすら思ってるんだぞ?でもそうするとアッシュが、」
「摘まみ出す」
「だろ?だから我慢してるんだよ俺は!その上こたつの中にある手を両方出して爪切りなんて、耐えられねえだろ!」
「知るか!耐えろ!」
「やだ!」

テーブルに顎を乗せ、不満げに頬を膨らませるルークを見て、アッシュは何かを連想した。そうだ、餅だ。あの膨らんだ柔らかそうな頬を見ていると餅を思い出す。もう正月は過ぎたが、いつ食べても餅は美味いものだ。年が明けて何度かすでに食べているがまだ飽きない。しょうゆやきなこやはたまた雑煮やしるこの餅を次々と思い出していれば、目の前の餅も何だか美味そうに見えてくる。柔くかぶりついたら一体、どんな味がするのか……。
アッシュは本を閉じ、額に手を当てて重い溜息を吐いた。ルークから見れば今までのやり取りに呆れて溜息を吐かれたと思われるだろう。

「な、何だよ」
「……頭が沸いているのは俺の方だったか」
「は?」
「おい手を出せ、さっさとしねえと全身をこたつから蹴り出すぞ」
「ええっそんな横暴な!」

抗議の声をあげながらとりあえず差し出されたルークの左手を、アッシュの右手が容赦なく掴む。幸いこのこたつは小さ目なので、よく足のぶつかり合いが起こる代わりに、手を伸ばせば苦も無く相手に届く。突然のアッシュの行動に何だ何だと目を見張らせたルークの目前に掲げられたのは……爪切りだった。

「んっ?」
「動くなよ。動いたらお前の鼻をこいつで摘まんでやる」
「うわ痛っそれは絶対痛いからやめてくれ……って、おおっ!」

乱暴につかんだ割には存外柔らかい力で引き寄せ、アッシュはルークの爪を切り始めた。いつの間にか下にティッシュも敷かれて万全な体制だ。アッシュの真剣な目と、ルークの感動した目が、両者の重なった手をじっと見つめる。

「え?何で?いや嬉しいけど、何で?!」
「こうやって爪を切ってやれば、お前は片手ずつ出すだけで良いだろうが」
「えーそうだけど何で?俺を甘やかしてくれるの何で?」

どこか嬉しそうに当然の疑問を口にするルークに、少しだけ黙ったアッシュは黙々と爪切りを働かせながら、ぼそりと零す。

「……餅が食いたくなった」
「へっ?」
「おら、もう片方出せ、早く終わらせて俺は餅を食うんだ。二個食う」
「えーいいな!アッシュ俺も俺も!俺も二個!」

ばたばたと狭いこたつの中でばたつく足の脛を蹴って黙らせながら、アッシュはルークを見た。爪を切ってもらえてにまにまと嬉しそうにはにかみ朱に染まったその頬は……やっぱり、今まで食べてきたどんな餅よりも。




   こたつと爪切り


14/01/11