片手で持つには少し辛いほどの分厚さのある本を読み終えて、アッシュは一息入れて空を見上げた。先輩から試験前に読んでおいた方が良いと教えてもらった分はこれで全て読み終えた。後来週ある試験は何があったかと、少し疲れた頭で考える。
学校の端にあるこの小さな森は風も良く通り、日陰には事欠かない上にあまり生徒も訪れないアッシュのお気に入りの場所だった。騒がしい場所が嫌いで人とあまり喋る事のないアッシュにとっては、このように静かな穴場スポットを見つけ出すのが死活問題である。ここなら試験勉強にも思う存分集中する事が出来る。この一般社会とはかけ離れた場所にある魔法学校でもまた、アッシュは一人だった。
そういえば、箒での飛行試験があったんだったな、と真っ青に晴れ渡った空を見て思い出す。と言ってもアッシュはこの授業でもそれなりに良い成績を出している。特別復習する必要はないが、一応練習くらいはしておくか……。そうやって考えていた、その時だった。

「……ぁぁあああ!とっ止まれよおーっ!」
「ああ?」

頭上から、誰かの叫び声が聞こえる。怪訝に思って真上を見上げるアッシュの視線の先に、木の先端に盛大に引っ掛かって箒から放り出される何者かの姿が映り込む。明るい赤の髪にハッと気づいた瞬間、体が動いていた。

「うわああっ!?」
「ぐっ!」

落ちてきた体を、必死に受け止める。自分とほとんど同じ体重をとっさに支えきれるはずも無く、アッシュはそのまま受け止めた誰かと一緒に地面にひっくり返っていた。森の中、転がる二人の隣にひょろひょろと箒が落ちてきて、ぱたりと倒れる。アッシュは誰かさんの下敷きになったまま、それを見ていた。

「いっつつ……あー、また失敗だよ、何で俺の箒はこんなに言う事聞かないかなあ……今度の試験までもう日もねえっつーのに。……あれ、ていうか俺、何で無傷なんだ?確か木に引っかかって結構な高さから落ちたような……」
「ほーう、無傷か、そりゃあよかったな……この俺が無駄に体を張った甲斐があったというものだ……」
「ん?え?……うおお?!お前は、アッシュ?!何でどうして俺の下にお前がいるんだよ!」
「耳元でうるせえ声を上げるな、屑が!どうでもいいから早くどけ!」

アッシュが下から睨めば、誰かさんは慌てて退いた。そのまま手を差し出されるが、アッシュは無視してそのまま立ち上がる。体についた草の葉を払いながら、再び相手を睨み付けた。

「それで、落ちこぼれがどうして空から降ってきたか説明してくれるか、ルーク」
「おっ落ちこぼれってゆーなよ!ほ、ほんのちょっと他の人より魔法を覚えるのが遅いだけだし!」

即座に反論する、赤い髪のアッシュよりさらに明るい赤を持つ魔法学校のクラスメイト、ルーク。しかし図星なのかアッシュを下敷きにした後ろめたさからか、その声に勢いはあまり無い。脇に落ちていた己の箒を拾い上げて、ちらっとアッシュを見てくる。

「でも、まあ、助けてくれてありがとう。正直助かった……また保健室にやっかいになる所だったし」
「……また?」
「あっ!い、いや、三日前同じように箒から落ちた訳じゃないから!その一週間前にも落ちてて先生に呆れられてる訳じゃねーから!」

自分で墓穴を掘るルークに、アッシュは重い溜息を吐く。そもそも授業中も何度も落ちている姿を見ているので、弁解の必要もないほど分かりきっている事だ。どうしてこいつはこんなに箒に乗るのが下手なのかと、傍から見ていたあの時も呆れたものだ。
アッシュが呆れている間に、勝手に気を持ち直したルークが今度はこちらに興味を持ったらしい。不思議そうに手元を覗き込んでくる。

「んで、アッシュはここで何してたんだ?その本読んでたのか?」
「俺の勝手だろうが」
「うわ、こんな分厚い本読んでんの?相変わらず真面目だなー……俺なら三分で眠くなること請け合いだぜ」
「触んな!そもそもこれも試験の範囲内だ、忘れたとは言わせねえぞ!」
「えっマジで?!聞いてねーし!も、もしかして居眠りしてたこの間言ってた……?」

目の前でルークの表情は面白いようにくるくると変わる。不思議そうな顔から嫌そうに顔をしかめ、今は顔色を青くして視線を彷徨わせている。これだから何度も先生に注意され、他の生徒からも馬鹿にされるのだ。アッシュは最早呆れ果てて溜息さえ出ない。

「てめえは何のために魔法学校にきやがったんだ……」
「そりゃあ、立派な魔法使いになるためにだな!」
「その立派な魔法使いになるための努力が見えねえがな?」
「むがー!んな訳ねえし!そ、そりゃ居眠りは悪いなーって思うけど!今だって苦手な箒を克服しようと思って練習中だったんだよ!」
「努力しておいてあの体たらくか……」
「言うなよー!俺だって気にしてんのに!」

むすくれたルークの膨れた頬を、無性に突いてしまいたくなる。そんな衝動は抑え込んで、アッシュはルークをじろりと見まわした。

「そんな調子で、今度の試験はパス出来んのか?」
「うう……分かんねえけど、練習するしかねえじゃん。アッシュはそういや得意だったよな、昨日も一度も落ちずにあんなに早く空飛んでたし……」

じっと、何かを訴えるようにルークが見つめてくる。この太陽の光に照らされる森の色と同じような輝く新緑色の瞳で見つめられると、アッシュのどこかが音を立てて跳ねる。そんな内心を悟られないように咳払いをして、睨み返した。

「何が言いたい」
「そのー……コツとか、教えてもらえたらなー、と思って……」
「コツだあ?んなの自分で見つけるもんだろうが」
「それが出来ないから言ってんの!なあ頼むよアッシュー!俺に箒の上手な乗り方教えてくれよ!」

この通り!と両手を合わせて頭を下げてくるルーク。アッシュはこれ見よがしに仕方ねえなあと重い重い溜息を吐いてから、たっぷり沈黙の時間を作り、しぶしぶと口を開く。

「……俺は人に教えるのは上手くねえが、それでも良いんだな?」
「!良い!良いに決まってんだろ!やったー!ありがとうアッシュ!」

万歳と両手を上げて、ルークは全身で喜びを露わにした。そんなルークを見つめながら、アッシュの内心も同じように荒れ狂っている事など、おそらく伝わる事は無いだろう。
この、無愛想で誰も自ら近寄ろうとしない堅物な男にも、屈託なく近寄ってきては笑いかけてくる変わり者のルーク。そんな彼が、落ちこぼれとか笑われながらも陰ながら毎日、本人なりに努力しているのだと、アッシュは知っている。
入学式、顔を合わせた時から、密かにその姿を、目で追っていたから。

「……そうと決まれば、さっさとやるぞ。まずは俺が飛んでみせるからお前はそれを見て……」
「あっ!それならアッシュの後ろに乗せてくれよ!その方がコツをつかみやすい気がする!」
「?!」

魔法学校の端っこで始まった二人きりの勉強会。それがこれからも何だかんだと続いてやがて、学校内で有名な赤毛の二人組に成長するのは、まだまだ未来のお話。





   魔法使い見習いたち


14/07/21