世界を駆け回る旅の途中、露天風呂というものを発見した。発見したのはシロで、ノッたのがルーク。「赤毛水入らずで入ってらっしゃい」と暴れるガイを押さえつけながら意味不明な言葉をのたまったのはジェイドだった。そういう訳で、シロとクロ、ルークとアッシュは4人で露天風呂へと入ることとなったのだった。
「何故わざわざ全員で入らなきゃならねえんだ……」
ぐったりとした表情で呟くアッシュの言葉に、クロは心の中で同意しておいた。幸い場所は人里離れた森の奥である。何故こんな奥まった場所にあった露天風呂を発見出来たのかは脇のほうに置いておいて。
それよりクロは気になっている事がある。風呂に入るとなった途端に準備をしてくると言って数分後何かがたっぷり詰まった袋を抱えて戻ってきたシロの事だ。ただ風呂に入るだけだというのにあの袋は何なのだろうか。中身がひたすら気になるが、何となく聞けずにいる。
「よーし!さっそく入るぞー!」
「おう!」
妙に張り切っているシロとルークはさっそく服をぽんぽん脱ぎ始めた。周りに自分達以外誰もいないのは確かだが、もうちょっと恥じらいを持って欲しいと思うのは仕方の無い事だろう。成り行きを見守っていたアッシュもしぶしぶといった様子で二人に習ったのを見て、クロも大きなため息をついて、諦める事にした。
が。
「おい待て」
「は?何だよクロ」
さてさっそく露天風呂に入ろうかという所でクロから待ったの声が掛かった。実際足をつけそうになっていたシロが怪訝な表情で振り返る。その手には、先ほど持ってきた袋、が空の状態で握られていた。
「その有様は何だ」
「有様、って何のことだよ」
「とぼけるな!その水面に浮かんでいる無数の黄色い物体は何だと聞いている!」
全裸(腰にタオル付き)仁王立ちの状態でズビッとクロが指差した先には、今から入るべき露天風呂がある。しかしその湯船の水面には、さっきまでは存在しなかった物体がたくさんプカプカ浮いていたのだ。その様子を、濡れないように長い髪を纏めたルークが目を輝かせながら眺めている。
「すげーっ!風呂にはアヒルを入れるもんなんだな!俺知らなかった!」
「ああ、多ければ多いほどいいんだぜ。こんな事もあろうかと一杯買っててよかっ」
「買うな!あと変な知識刷り込むな!屑がっ!」
「あだっ!」
偉そうに胸をそらしたシロの頭をすかさず叩く。天然の露天風呂は、今やシロの手により黄色いアヒルのおもちゃが水面を埋めつくほど浮かんでいるアヒル風呂となってしまっていた。どこからこんな量のアヒルを調達したのだろうか。
「くだらねえもんを……まさか最近グミ買うのをケチっていたのは、このためだと言うんじゃねえだろうな」
「さ、さあーどうだろうなー」
「このっド屑が!」
「い、いいじゃんか俺の分だけで買ったんだぞ!あと屋敷から持ってきた分」
「屋敷にまで溜め込んでいやがったのか!」
屋敷、と聞いて急激に嫌な予感がしたクロは、ふとアッシュを見た。よく集めたなあという呆れた目で風呂を眺めているが、それだけである。膨らむ嫌な予感と疑問をこめた視線を送れば、気付いたアッシュが当然のような表情で言う。
「量は異常だが、別にアヒルが入っている状況はおかしくないだろ」
「おかしいわ屑がっ!どういう教育を受けやがった!」
「な、何故俺まで叩く!」
すっかりシロに感化されてるアッシュにクロが衝動を抑えきれずに殴りかかる。おそらく幼少からシロがアヒルを浮かべた風呂にでも入れていたのだろう。全ての元凶はクロの視線が逸れた間にルークと一緒にちゃっかり風呂の中へと飛び込んでいた。
「うわっあちっ!でも気持ちいい!」
「お前らも早く入れよ!」
「くっ、誰のせいだと……」
怒りはまだ収まらないが、こんな所でカリカリしてても仕方が無い。とりあえずアヒルの事は文字通りに水に流す事にして、湯船へと足をつける。確かに熱い。が、入れないほどではない。それよりアヒルが気になる。
「俺、ロテンブロに入ったのは初めてだ」
アヒルを2,3個握り締めながらルークが呟く。天然のものなんて数えるほどしか無さそうだが、人工のものであったらそれなりにあるものだ。しかしバチカルの屋敷には無かった。ルークが今まで入れるはずはなかったのだ。シロがとっさに口を噤んでしまっている間に、アッシュが手の中にアヒルをルークに向けて握りつぶした。
このアヒルたち、どうやら口に穴が開いていて、プチ水鉄砲になっているらしい。アヒルの口から発射されたお湯はルークの顔面に見事に当たった。
「ぶはっ!ななっ何すんだよアッシュ!」
「俺だってこんなアヒルまみれの風呂に入るのは初めてだ。同じようなもんだろ」
「へ?あ……。うん、そうだよな」
こくりと頷いたルークは、手にしたアヒルを交互に眺めて徐々に口の端を吊り上げていった。その場にいた全員が「来る!」と感じ取った次の瞬間、ルークの両手に握り締められていたアヒルたちが一斉に水を放射した。狙いは、もちろんアッシュだ。
「うぼほっ!こ、こら!目を狙うなルーク!」
「アッシュだって狙っただろー!お返しだお返しー!」
「俺は口を狙ったんだ!目に水が入ったらシパシパして見えにくくなるだろうが!」
「口だってお湯飲み込んじゃって咽るだろ!待ちやがれー!」
かくしてアヒルによる水掛け合戦が速やかに開始された。幸いこの露天風呂は人間二人がバシャバシャ暴れまわる事が出来るほど広かったので、慌ててシロとクロが隅の方に寄ればほぼ被害を被る事はない。邪魔者のいなくなった露天風呂という名のフィールドで、ルークとアッシュは人目も憚らずに戦いを繰り広げる。
「あいつら……!他に誰もいないからって風呂の中であんなに暴れやがって」
「本当はお前も混ざりたいんじゃないのか」
「ばっバッカ!俺もう成人してるんだからな!んな訳ねえだろ!」
まるで図星を突かれた様に顔を赤らめて怒鳴り返してくるシロに、中身はまだ成人してないだろうと反論しようとして、やめておいた。これ以上煽ればこちらも水掛け合戦に参加する羽目になってしまう。とりあえず水しぶきが飛んでこないような場所にズルズルと移動して、二人で一息ついた。
天然の湯が、とても温かい。
「……俺も、こんな風呂に入ったの、「こっち」で初めてだったかも」
とうとうアヒルを鷲づかみ直接投げつけ始めた水掛けもといアヒル合戦を眺めながら、吐息と共にシロがそっと吐き出した。それを横目で眺めて、目の前に垂れてくる前髪をうっとおしそうにかき上げながらクロも口を開いた。
「俺だって初めてだ」
「へ?」
「こんなにやかましくてうざってえ風呂は今まで経験した事もない」
言いながら本当に心底うざそうにその辺に浮いているアヒルを小突いてやる。その脇をバッシャバッシャと音を立てながらアッシュとルークが通り過ぎた。双方あられもない姿だという事を忘れ去っているに違いない。
それらを口を開けて眺めたシロは、間抜け面を晒してどうしたとクロにおでこを小突かれて我に返った後、自然と肩を震わせていた。
「だよな、そうだよな。皆初めてなんだよな」
「?何だ、当たり前の事を」
「そう、当たり前だからおかしいんだ!」
しまいには声を上げて笑い出したシロを、しかしクロは笑うことはなかった。口元に薄く(本当に薄く)微笑みを浮かべてただシロの頭に触れてみせただけだ。それだけでもシロは幸せそうにまた笑って、軽くもたれ掛かってくる。湯によって温まった素肌の肩が触れ合った。
白い湯気に包まれて、静かで暖かな空間に二人で身を寄せ合う。その中でクロとシロの視線が自然と交わった、その瞬間。
「うわっ危ねえ!」
「ば、馬鹿!そこで避けるな!」
バッシャーン!
頭の上から大量の湯とアヒルが降ってきた。とっさにシロの肩を抱いて庇うように身を乗り出したクロは、視界が開けてから固まるルークとアッシュの姿を見つけた。どうやらヒートアップしてアヒルから直接風呂の湯を掛け合っていたらしい。もちろんアヒルと一緒に。頭に降ってきたアヒルがちょっぴり痛い。
思わずつきそうになった呆れたため息は、腕の中からシロが急に立ち上がったことによって中断された。その手には先ほど降ってきたアヒルたちが握られている。
「お前らー!よくもぶっ掛けてくれやがったな!」
「うわっシロの参戦だ!逃げろアッシュ!」
「逃げるな食らえー!」
「ほ、本気で投げて来るなっ!洒落にならねえスピードだぞ!」
アヒルを振り回し投げつけながら逃げるルークとアッシュを追って飛び出すシロ。それをクロは呆れた目で眺めたが、その耳元が明らかに湯の温度とは違う熱を持って赤くなっているのを発見して、先ほどの自分達の体勢を思い出した。なるほど、互いに裸なのもあってあの恥ずかしがり屋は極度の密着に耐え切れなくなったらしい。
抜け出す口実のアヒルだらけの水掛け合戦参加に満更でもなく楽しそうなシロの様子を見て、改めてクロはため息をついた。それはさっきのように呆れたものではなかった。
人はどうやら、幸せすぎてもため息が出るものらしい。
天然アヒル風呂の効能:幸せ
08/09/27
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