「……っていう感じで、願い事を書いた紙を笹に吊るせばいいんだ」
「それが、たなばた?」
「そう!ホドで行われていた行事だってさ。俺もガイに聞いた事があるだけで、やったことはないんだけどな」
「そっかあ、ねがいごとがかなうなんて、すげえなー!」


今日はちょうど七夕という日なのだと、ルークに軽く教えてもらったシロは瞳を輝かせている。この様子だと、忘れてしまっているのではなくて実際にシロは今初めて七夕というものを教わったのかもしれない。ルークは密かに、自分の中に残るシロの記憶をさらってみるが、そういう細かな記憶は思い出せそうになかった。当たり前だ、自分の記憶でさえすべてを正確に思い出せることなどないのだから。
首を振って思考の波から抜け出すと、シロは目の前の絵本に釘付けになっていた。ガイから貰った絵本だった。この間会った時、もうすぐ七夕だな、何だそれ、という会話から手渡されたものだ。シロとクロにでも読んでやってくれ、とガイは気前のいい笑顔で言ってくれた。有難くもらって今、さっそく読んで聞かせてやった所である。
ちなみにクロはすでにルークでさえ読んでいると眠くなりそうな難しい本を愛読するレベルなので、絵本は見ずに横で大人しく別な本を読んでいる。それはそれでちょっと寂しい。


「なあなあ、ねがいごとって、おりひめとひこぼしがかなえてくれるのか?」
「えっ?さ、さあ、どうなんだろうな……その辺の事は書いてないけど……。ふ、普通にお星さまが叶えてくれるんじゃないか?」
「そっかー、おりひめとひこぼしは二人で会うのにいそがしいもんなー」


納得したらしいシロはこくこくと頷いた後、急に何故か悲しそうな顔を見せる。今の話のどこに悲しくなる要素があったのか。ルークは慌ててシロの顔を覗き込んだ。


「ど、どうしたシロ、腹でも痛いのか?」
「おりひめとひこぼしって、かわいそうだよな……」
「可哀想?」
「だって、一年に一度しか会えないんだろ?雨がふってたら会えないし……けっこんしてるのに会えないのはかわいそうだ」


どうやら織姫と彦星の事を想って悲しんでいるようだ。なんて純粋なんだと心の中で感動しながら、ルークは織姫と彦星ではなく、別な二人の顔を思い浮かべていた。目の前で平和そうに本を読んでいる小さな子ども、シロとクロ。二人はかつて年単位で離れ離れになっていたのだ、しかも互いの生死不明な状態で。シロの記憶も持っているルークにはそちらの方が辛くて悲しい事のように思えた。


「ほんと、二人ともすごいよ……俺だったらアッシュとずっと離れなきゃならないってだけで悲しすぎて、何にもできなくなりそうなのに」
「んー?なんのはなし?」
「……いや、何でもないよ」


この世界に新たな生を受けて10歳前後となってしまった二人にはまだその時の記憶は戻っていない。徐々にだが、時が経つにつれて戻ってきているようではあるが、それが完全に戻るのかどうかはローレライでさえもはっきりとは分からないと言う。この記憶が戻った方がいいのか、それとも戻らないままの方がいいのか、ルークには判断がつかないが。
何にせよシロがこれほどまでに悲しむのは、そういうかつての記憶が無意識にそうさせているのかもしれない。何と声をかけていいか迷っていると、今までずっと自分の持つ本に目を落としていたクロがふいに顔を上げてきた。やっぱり、本に集中している振りをしながらちゃっかりこちらの会話を聞いていたようだ。


「……別に、それほど可哀想でもないだろ」
「えーっかわいそうだろ!一年に一度だぞ!」
「一年に一度会えるだけでもいいだろ。……もう二度と、ずっと会えない事の方が、悲しい」


そっと伏せられたクロの瞳は、言葉通りの悲しみに彩られていた。とうとうたまらなくなったルークは、二人を引き寄せて両手で抱きしめていた。


「ふわっ?!ルーク?」
「い、いきなりなんだっ離せ」


シロはきょとんと、クロは慌てるそぶりを見せるが、二人とも無理に抜け出そうとはしない。こうしてくっついているだけで、温かく幸せな気持ちになれることをルークは知っている。全部目の前の子どもがかつて教えてくれたことだ。しばらく思う存分二人をぎゅうぎゅう抱きしめたルークは、良いことを思いついたようににっこりと笑った。


「よし!短冊書こう!」
「たんざく?」
「さっき言っただろ?願い事を紙に書いて笹に吊るすって。その紙の事だよ。さっ夜になる前に飾らなきゃな!」
「だがルーク、笹はあるのか?」


クロに尋ねられて、立ち上がったルークはしかしそのまま固まってしまった。そうだった、肝心の笹がこの屋敷には無い。短冊は適当な紙を使えばそれで済むが、飾る笹が無ければ何にもならない。せっかく湧き上がってきたやる気が、急速に縮んでいくのを感じる。
その時、外に何者かの気配がした。ここはルークとシロとクロ、そしてもう一人の四人部屋である。もし近づいてくるのが騎士やメイドだとしたらもっと足音を立てぬように静かに歩き、ドアノブに手をかける前にノックをするだろう。つまりはまるで帰ってきたことを知らせるように足音を隠さず、何も遠慮なくドアノブに手をかけた外の人物は、ここにはいないもう一人の住民としか考えられない。そもそも己の奥底で繋がっているルークには屋敷内に帰ってきたところですでにその片割れの存在に気づいていた。ので、相手がドアを開けると同時に詰め寄っていた。


「お帰りアッシュ!さっそくで何だけど今すぐ笹を手に入れに行こう!って、ああっ?!」
「ただい……は?笹?」


いきなり目の前に現れたルークに、部屋に一歩足を踏み入れたアッシュは挨拶も途中で途切れさせて目を見開く。そしてそのまま、自分の持っているものを見た。ルークも同じように目を丸くしてそれを見る。公爵に頼まれて少し長めの公務に出ていたアッシュが土産に持ち帰ってきたものがそこにあった。今しがた、ルークが心から求めていたもの、青々とした細長い葉を茂らせる、立派な一本の笹だったのだ。


「う、うわあ、アッシュ……いくらなんでも用意すんの早すぎ……何?まさか預言?」
「おっおい何故引く?!俺は公務で行ったグランコクマでガイの奴に会ったときに渡されたこれを持ち帰ってきただけだ!引かれる筋合いはない!そもそも引くな、この偶然に喜べ!」
「いやあ、あまりにベストタイミングすぎて……。でもそうだよな、すげえ喜ばしい偶然!アッシュありがとう!」
「……ふ、ふん、まあな」


あまりの出迎えに憤慨するアッシュだったが、ルークが抱き着いて感謝を述べると機嫌はコロッと直った。いつもの事である。シロがにこにこと、クロが呆れた目で眺める中、ルークが今から笹を使いたい旨をアッシュに話し、それじゃあさっそくと準備に入った。中庭のちょうどいいところにアッシュが笹を飾り、その間にルークが適当な長方形の紙を用意して、シロとクロを呼ぶ。


「ほら、これに願い事を書くんだぞ。アッシュが持ってきてくれたあの笹に吊るしてやるから」
「これにかけばねがいごとかなうのか?」
「そうそう!シロ、まさか字が書けない訳ないよなー?」
「むっ!バカにすんなよ!かけるっつーの!」


ルークにけしかけられて、シロは勢いよく書きはじめる。その隣でもクロが渋々といった様子で筆を手に取った。ルークのこのテンションでは、いくら断っても何か書くまで許さないだろう事は明白だったからだ。さっさと何事かを書いたクロの手元を、戻ってきたアッシュが覗き込んでくる。


「もう書いたのか、早いな」
「えっクロ本当か?どれどれ」


反対側から顔をのぞかせてきたルークと二人で見下ろした短冊には、子どもらしからぬ几帳面な文字でこう記されていた。


『アッシュがムカつく』


「って願い事でも何でもねえただの悪口じゃねえかこのチビクロがー!」
「チビとか言うな、だからムカつくんだよ屑が」
「子どもが屑とか使うなといつも言ってるだろ!年相応の言葉を使え!」
「っだから、子ども扱いするな!」


ああ、まあ始まった。アッシュとクロの取っ組み合いを、ルークは生暖かい目で見守る。昔散々子ども扱いされていた事を根に持っているらしいアッシュは何かとクロを弄りたがり、それに時にクールに、たまに熱くなってクロが対抗する構図は毎日のように繰り広げられているのだった。クロがもし元の大人のままであったらアッシュのちょっかいなど適当にあしらっていただろうが、幼いとやはりそこまでの余裕が無いらしい。クロがどこかムキになっている姿を見るたびに、年相応の可愛らしさを感じられて、ルークは密かに嬉しく思っている。口に出すときっと本人が拗ねるので言わないが。
二人の揉み合いに気を取られているすきに、一生懸命短冊に向き合っていたシロがルークの袖を引っ張ってきた。


「ルーク!できた!」
「おっ!シロも出来たかー!どれどれ?どんな願い事を書いたんだ?」


満面の笑みではいと差し出されたその紙を手に取って、ルークはそれを読んだ。


『せかいじゅうのひとがしあわせになりますように』


「……っシローっ!」
「んー?なに、なに?」
「そんな事書かなくていーんだよっ些細なことでもいいからただ自分のための願い事をだなあ……!それにその願いならお前らがとっくの昔に自分で叶えてるし……ああもう何で記憶ないくせにお前はそうなんだよシロー!」
「むー?」


ルークに力いっぱい抱きしめられている今の状況がよく分からないシロはただきょとんと首をかしげる。シロの記憶をほぼ持っているルークにとっては胸いっぱい頭いっぱいでたまらない気分であった。文字は力いっぱいヨレヨレでどこをどう見ても子どものそれなのに、書いている内容は懸命に背伸びをして、しかし子どもらしくない大人びたようなものに感じてしまう。ルークは溢れ出す衝動そのままにシロを抱きしめた後、「苦しい離せー」と暴れはじめたシロからようやく離れる。そうして幼いまあるい瞳を見つめて、にこりと笑った。


「よしシロ、これも吊ろう。これも吊るけど、もう一つ書こう!今度はお前自身に関係する願い事でな」
「おれじしん?」
「そう!せっかくの七夕なのに世界平和だけ願うなんてつまんねーよ。もっとこう、何をしたいとか何が欲しいとか、そういったの書いてみな」
「んーわかった!」
「クロもこれ吊っていいからもう一個書こうな!ほら、もう一枚」
「ちっ、仕方ねえ……」
「おいルーク!それは吊るな!願い事でも何でもねえだろうが!」
「はいはいアッシュも一枚書くぞー。俺も書くからさ」


結局、全員で並んで短冊を書くこととなる。書く、とは言ったが、ルークは紙を前にして悩んでしまう。願い事なんてそういえば特に考えてはいなかった。ただ、七夕を通してシロとクロを楽しませたかっただけだ。片手を頭においていろいろ考えてはみるが、細々としたどうでもいい小さな日常の願い(寝坊しないとかチキン食いたいとか)ぐらいしか思い浮かばず、夜空の星にわざわざ願いたいことなんて出てこない。
その理由をルークは分かっていた。空に願うほど手にいれたかったものは、もうすでにここにあるからだ。たくさん苦しい思いをしながら、もう駄目だと思ったこともあったけど、手を引き引かれてみんなでここまで辿り着くことが出来た。幸せは自分たちの力で手に入れた、これ以上何を願うというのだろう。
ルークがそっと顔を上げて隣を見ると、ちょうどアッシュと目があった。それだけで、互いに考えていたことはすぐにわかる。反対側を見下ろせば、顔を合わせていたシロとクロもこちらを見つめてきた。やっぱり、こっちもわかってしまう。皆で顔を突き合わせて、思わず笑った。
これが、完全同位体同士の成せるものなのか、ただ単にみんな揃って気が合うだけなのか。定かではないが。
どうやら皆、同じ願い事を書いていたらしい。




「さーて、短冊も飾ったし、もうちょい飾り付けするかー」
「ああ、折り紙とやらもガイに借りてきた。この紙切れで飾りを作るらしいんだが……どうやるんだ」
「あー確か折り紙の折り方っつー本を母上が持っていたような」
「おれしってる!あの木のてっぺんにおほしさまをつけるんだろ!」
「屑、それはクリスマスだ」
「くずってゆーな!おほしさまがねがいごとかなえてくれるなら、てっぺんにかざってもいーだろっ!」
「あはは、それいいなー。いっそクリスマスツリーの飾り持ってきちゃうか?おーいラムダスー」
「こら、楽しようとするなルーク。今日は七夕なんだから、七夕に則った飾りをつけなきゃ意味ねえだろうが」
「そうだ、ルーク。こういう事はきちんと形式に沿って行わなければ行事とは言えない」
「ううっくそー、こういう時だけアッシュとクロの息が合うんだよな……。分かった、分かったよ、作りますぅー」
「唇を尖らせるな可愛い。……はっ!いっいや今のは何でもねえ!」
「クロー、たなばたのかざりってどーやってつくるんだー?」
「仕方ねえな、教えてやるからこっちへ来い」
「うん!えへへー」


賑やかな四人の赤毛を見守るように、もうすぐ暮れはじめる空の下。体をしならせる笹の葉の中で、ほとんど同じ願い事が書いてある四つの色鮮やかな短冊が、賑やかに揺れている。
その中の一つ、自分の短冊を見上げて、シロは幸せそうに笑った。


『クロとルークとアッシュとおれがずーっといっしょにいられますように!』





   星に願いを、もうひとつ

13/07/10