爽やかな朝の日差しの中、目覚めた人々が穏やかに挨拶を交わす時間帯、その中に突如現れた足音という名の騒音は、慌てたように1つの部屋の前まで屋敷内を駆け抜けた後、扉を破壊しかねる勢いでブチ開けその勢いで叫んだ。
「おい!俺に料理を教えやがれ!」
「ああ?」
起き抜けに怒鳴られ超不機嫌なクロは、反射的に相手を射殺すように睨みつけた。そこには一瞬怯みながらも、まるで戦闘態勢に入っているかのような雰囲気を漂わせているアッシュが立っていた。そこでクロは鈍く回転し始めた頭でアッシュの言葉をようやく理解する。
「……料理、だと?」
しかし内容はいまいち理解できなかった。
そして数十分後、クロは何故かエプロンを着せられて調理場に立っていた。隣では同じくエプロンを身にまとってよし!と気合を入れるアッシュがいる。一体どうしてこんな事に。ちなみにエプロンがお揃いなのは仕方が無いのだ、シロもルークも同じエプロンなのだから。
「準備は整った、さっそく教えろ」
「その前に一発殴らせろ」
「ぐはっ?!い、いきなり何しやがる!」
クロに唐突に殴られたアッシュは猛烈な勢いで抗議をしてくる。が、それはクロだって同じだ。いきなり何エプロン着せて調理場に連れてきやがる。
「説明しろ、何故俺に料理の教えを乞うんだ」
アッシュは育て?のシロのせいで料理があまり上手くない。だがだからといってクロに教わらなくても立派な教育のお陰でルークだって料理は上手いのだ。教えてもらうならルークの方がアッシュだっていいだろうに。そういう思いをこめて睨みつければ、アッシュはしぶしぶ口を開いてきた。目が泳いでいる。
「今回だけはルークに教えてもらう訳にはいかねえんだよ」
「だから何故だ」
「……今日はホワイトデーらしいじゃねえか」
アッシュの言葉に、クロは一瞬時を止めて納得した。ああ、そういえば今日はそんな日だった。バレンタインデーにチョコを貰ったものがお返しにプレゼントを贈る、そんな日だ。だから朝からメイドや兵たちがそわそわしていたのだ。
思い返せば確かに一ヶ月前、アッシュはルークにチョコを貰っていた(もちろんクロも貰った)。そのお返しを作るからこそ返す本人に教えてもらう訳にはいかない、という事だろう。王女ナタリアの次に料理音痴のシロに教えてもらえるわけも無く、残ったのはクロだけだったのだ。
「ちょうどいいからお前もお返しを作ればいいだろ」
「……ルークはともかく、俺はバレンタインに送った側なんだがな……」
クロは遠い目でどこかを見つめた。ことごとく調理に失敗してへこみまくるシロのためにチョコを作ってやったのはクロだった。期待はこれっぽっちもしていないが、返す返さないとなるとクロは今日は返される側だ。だがまあ、その後本体を美味しく頂いたので以下略。その分返すのも悪くないだろう。
「ちっ……仕方ねえ。一体何を作るつもりだ」
「無難にマーボーカレーで考えている」
クロが料理時には邪魔になる長い髪を1つに縛って腹をくくった事を確認したアッシュは内心胸を撫で下ろしながら料理の本を手に取った。これなら失敗する確率も低いだろう。お菓子も考えたのだが、神託の盾騎士団時代に生きるために料理を身につけたクロがそんな繊細なものを作れるか分からなかったし何より似合わないため却下した。
「材料はすでに揃えた。やるぞ!」
「おお」
微妙なテンションのまま、2人は肩を並べて料理へと取り掛かったのだった。
シロが何故かいつもと違って人気の無い廊下を歩いていると、前方にとても怪しい背中を見つけた。しゃがみ込んである部屋を覗き込んでいる。覗き込む部屋が何の変哲も無い調理場だという事を確認して、シロはその朱色の長い髪がかかる背中に話しかけていた。
「おーい、んなところでなにやってんだルーク?」
「あっシロ!ちょっと来て見てみろよ、世にも珍しいものが見れるぜ!」
嬉々とした顔で振り返ったルークはシロに手招きする。興味をそそられたシロも結局同じようにしゃがみ込んで、そっと中の様子を伺った。そこにいたのは今日も料理を頑張って作るコックさんたち……ではなく、見覚えのある並んだ2つの後姿。それを確認したシロは驚愕に目を見開いた。
「あ、あれは……クロとアッシュ?!」
「な?珍しいだろ?あの2人が並んでしかも何か料理作ってるんだぞあれ」
ルークの言葉にシロはこくこくと頷いた。ものすごく珍しい光景だった。普段なるべく目を合わさないでいるらしい2人が今日は何故かあんなに仲良さげ(?)に料理しているのだ。しかもよほど集中しているのか、覗き込むこちらに気付く様子も無い。
「一体何が起こったんだ……」
「カレーか何か作ってるみたいだけど……」
「何か、聞きづらいしなあ」
シロはこの辺りに人気が無い理由をようやく知った。おそらく人払いがしてあったのだ(そういえばここに来る前見張りの兵があわただしく何かを探していたような気がする。人払い区域に侵入したルークを探していたのかもしれない)。そこにノコノコと「何してるんだ?」と尋ねにいく事が出来るはずも無く。
シロとルークはこっそりとその後姿を見守る事しかできなかったのだった。
「……おい」
お鍋の中身をぐつぐつと煮込ませていたアッシュは、隣で具を包丁で切り刻むクロに声をかけた。慣れた手つきで手元を動かしながらクロは声だけで答える。
「何だ」
「1つ聞いておきたい事があるんだが」
アッシュの質問にあまりいい思い出の無いクロだったが、仕方なく視線で先を促した。料理上の質問であるかもしれないし、そうでないかもしれない。自分はまったく全然違うと自負しているが、アッシュは絶対天然が入っている、とクロはシロやルーク辺りに聞いたら「いや絶対お前も天然だ」と言われるようなことを思っている。
アッシュはイライラするほど何かに躊躇ってから、ようやく口を開いた。
「お前らはよく人には言えないような暗転ものをやっているみたいだが」
「………悪かったな……」
「ハジメテはいつなんだ?」
「ブッ」
グサッ
思わぬ問いに吹き出したクロは同時に手元を狂わせてしまった。誰が料理中にこんな質問がくると思うか。聞いてるこっちが痛くなるような音にぎょっとして振り向いたアッシュは、クロの手元を見てさらに驚いた。めちゃくちゃ手を切ってらっしゃる!
「ぎゃーっ何してんだてめえ!それでも剣士か!」
「っっ!!う、うるせえ!手元狂わせるような質問したのはどこのどいつだ!」
「お前らが所構わずいちゃいちゃいちゃいちゃしてやがるから気になってただけだ!それよりそれどうにかしろ!」
「ちっ、俺としたことが……!」
予想外の出血とかさっきの質問を引き摺ってたりとかして2人は平常では有り得ないぐらい動揺していた。止血できるようなものはないかとクロが辺りを見回している間に、アッシュは昔同じように自分が怪我をした時どうしていたか必死に思い出していた。思い出すんだ、あのシロと共に乗り越えた辛き任務の日々を……。
そんなアッシュの脳裏に、ある1つの方法が思い浮かんだ。これだ!
「おいその手を貸せ!」
「?!何を……っ?!」
急に切った手を取られて声を上げたクロはそのまま固まった。奪い取られた指にアッシュがあろうことか食らいついてきたせいだ。過去の自分に怪我した指を舐め取られる日が来るなんて、誰も思わないだろう。実際目の前で起こっているのだが。
流れ出る血をあらかた吸い終わったアッシュはすぐにそこら辺の布巾を手に取り素早く指に巻きつけた。ぎゅっと力いっぱい縛り付けて、ふうっと安堵の息を漏らす。
「よし!」
「よし!じゃねえぇぇぇー!」
「ぶっは?!」
クロは思わず渾身の力をこめて殴りつけていた。最初の拳は手加減をしていたが今のクロには力を抜く事も出来なかった。部屋の端までぶっ飛ばされたアッシュは呆然としかし怒りの篭った目で睨みつけてくる。
「っつー……一度ならず二度まで何しやがる……!」
「それはこっちの台詞だ!貴様今自分がやった事を分かってるのか!」
珍しくクロが余裕の無い表情で怒鳴りつければ、はて、と考え込んだアッシュはようやく自分が大変な事をしてしまったと気がついた。人間必死だと何も見えなくなるらしい。アッシュは顔色を赤くしたり青くしたり忙しそうだ。
「ち、違う!俺はそんなつもりじゃ!」
「そんなつもりとはどんなつもりだ?!」
「昔から怪我したらシロのやつがこうやって止血してくれてたからつい癖で出ちまっただけだ!」
シロが。その言葉にクロの脳内は驚くほど静まった。ほほうなるほど、あいつのせいか……。
とそこへ、思いがけない声が傍から上がった。
「えーっずるいずるい!そんな方法あるなんて俺知らなかった!何で教えてくれなかったんだよ!」
廊下でハラハラしながら見守っていたルークだった。耐え切れずに出てきてしまったらしい。その後ろに「やばい」と顔に書いてあるシロの姿を見つけて、クロの目が細くなった。シロはびくりと反応する。
「ほーう……」
「あ、あは、あははは……」
静かに下がる室内の温度。それに気付かず駆け込んできたルークは倒れこむアッシュに「大丈夫か?」と声をかけながらもずるいを連発する。
「なあ何で教えてくれなかったんだよクロー」
「俺はその方法とやらを知らなかったからな……」
「ちっ違うぞ!だって俺もガイから教わって癖になってただけなんだからな!」
自分から墓穴を掘っている事に気付かずに慌ててシロが声を上げる。自分の中をいろんな衝動が駆け巡るのを自覚しながら、とりあえずクロは今はそれを抑えたのだった。後で覚えてやがれ、とシロに視線で送るのを忘れずに。
その後、結局4人でマーボーカレーを完成させてあんまりホワイトデーの意味にはならず、後日アッシュはルークにたっぷりと甘いものを奢ってあげたらしい。クロはシロの体で以下略。
ちなみに、何もしていないはずなのに滅多打ちにされたガイが後日地面に転がっていたとかいないとか。
ホワイトデーは鮮血の味
07/03/16
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