「アーッシュー!」
「っ意味も無く引っ付いてくるな!俺はもうガキじゃねえんだぞ!」
「だって俺にとってはいくつになってもアッシュは可愛い弟のようなもんだしさあ」
「ふざけんな!離せー!」


ああ、またやっている。クロは少々うんざりとしたため息をついた。場所はとある町のある宿の一室。ゆったりとしたソファに腰を降ろしゆっくりと本を読んでいた彼の目の前では今、二人の赤毛がなにやらじゃれあっているところだった。世界的に希少価値の高い赤毛もここには3人、いや4人いるのだが、とりあえず目の前でくっついているのは2人である。くっついているのは自分のレプリカ。くっつかれているのは(一応)過去の自分。何という不思議な空間だろうか。広げた本越しにページを捲る事も忘れてじっと見つめる。
アッシュとシロがこうやってじゃれあうのはそんなに珍しい事ではない。構いたがりのシロがたまにべったりひっついて甘やかして、口では嫌がりながらもアッシュもそれをまんざらでは無い様子で受け止めるのだ。その光景はどちらかと言えばとても仲の良い兄弟が戯れるものだったが、何故かクロは気に入らなかった。


「ほーらうなじ、うなじ」
「ぎゃあ!シロってめえどこ触ってやがる!」
「髪短いとここ触られる事あるんだよなあ、くすぐったいよなあ」
「自分がやられた事あるからって俺にするな!やり返すぞ!」
「うわっ俺そこ駄目!ごめんっごめんってばアッシュー!」


ペタペタうなじ触れ大会まで始まってしまった。掲げていた本もすでに膝の上に落ちた状態だ。どこから沸いて出て来るんだと思うほどのイライラを持て余しながらクロが内心思いっきり舌打ちをしていると、バタンと部屋の入口が音を立てて開かれた。


「あーっ皆してここにいたのかよ!俺だけ除け者なんてずりい!」


勢いよく飛び込んできたのはルークだった。俺も混ぜろーっと何の気兼ねも無しにシロとアッシュへ突っ込んでいくルークを、クロはどこか羨望の眼差しで見つめていた。今までの空気とかそういったものをまったく気にする事も無く自分の正直な気持ちのまま突入できて、なおかつそれを受け入れてもらえるルークの素直さがいっそ羨ましい。絶対に真似出来ないルークの特技だった。
とうっと突撃して2人の上にいったん折り重なったルークは、ふとこちらを見つめるクロに気がついた。真っ直ぐな視線に見つめられて一瞬クロがドキリとしている間にルークは何を思ったかトコトコとクロの傍までやってきて、キッと2人を振り返った。その顔は何故だか怒っているようだ。


「こらっ!アッシュもシロも駄目だろ!2人だけで遊んでちゃ!」
「は?」
「クロがこんなに寂しそうじゃねーかっ!」


よしよしと宥めるように頭を撫でて来るルークの腕と言葉にクロは思わず吹き出していた。同時にシロも吹き出して、アッシュはあまりの言葉にポカンとしている。


「るっルーク!何言い出すんだよ!」
「だって見ろよ、しおりを挟む余裕も無いまま本落としたりしてるし」


膝の上に落ちていた本を拾われて手渡される。それを思わず無言でクロは受け取るしかなかった。そう言えば確かにしおりを挟んでいないままいつの間にか本を手放していた。ルークはゆっくり頭を撫でる手を止めないままやれやれとため息をついてみせる。その仕草がどこか気に障ったのだろう、シロが若干ムッとしたようだ。


「こんな寂しそうにしてるクロの様子が分からねえかなあ、シロもまだまだだな」
「なっ!……だ、だって、クロってその、ひっつくの嫌いそうだし」


シロは視線を背けながら言い訳の様にぼそぼそと呟いた。するとルークは心底不思議そうな顔で瞳を瞬かせてから、座り込んで呼吸を整えているアッシュを指し示す。


「アッシュも一見嫌がってるじゃん」
「え?」


シロも同じように不思議そうな顔でアッシュを見て、ルークとクロを見た。こうやって同じ表情で向き合うと、本当に寸分違わぬ同じ顔なのだと再確認する事ができる。もしかしたら呆然と見守るしかないアッシュと自分の顔も今同じような表情を浮かべているのかもしれないと思い当たって、クロは嫌そうに顔をしかめた。何となく嫌なのだ。


「だってアッシュのは嫌よ嫌よも好きのうちーって奴だろ?」
「ちっ違う!」
「いや、そうだけどさー」
「違うと言ってるだろ!」


頷き合うルークとシロに顔を赤らめながら慌ててアッシュが反論するが華麗に無視される事となった。強く生きろ、とクロが内心思ってしまったのは仕方が無い事だった。


「それがクロも同じなんだって、どーしてわからねえのかなあ」


ルークの深い深いため息に、シロが口を紡ぐ。非常に驚いた表情でルークを見つめて、クロを見た。まるで初めてそんな意見を聞いたとでも言うように目を見開いている。内容はともかく、元は同一人物のようなものなのだからそんなに意外な事だろうかとクロは僅かに首をかしげた。その間にようやくクロから離れたルークは、未だに座り込んだままのアッシュの傍に寄り立ち上がるのを手伝ってやりながら、言った。


「まあクロもなかなか口に出さないしおあいこおあいこ。ってな訳で、俺たち部屋に帰るなー」
「は?」
「相手と仲良くなるためには相手の事を知らねばならない、って言ったのクロだもんな!お互い素直にぶつかり合ってこそ本当の姿を知る事が出来る!」
「いや、まあ……確かに言った、ような気がしないでもない、が」


屋敷で家庭教師をしていた時にそんな事をルークに言っていたような気がする。何せ同じ時間にもう会う事は無いだろうと思っていた相方が生きていたなんて知らなかったから、とにかくルークには後悔して欲しく無いと自分の体験を元に色んな事を教えてきたのだ。それをちゃんと聞いてきた良い子のルークは邪気の無い笑顔で、ずるずるとアッシュを引き摺っていく。


「2人でちゃんと話し合うんだぞ。そんじゃ、おやすみー」
「おっおいルークせめて襟首引っ張るのは止めろ!首が絞まるんだよ……!」


もがくアッシュを連れてひとつ手を振ってみせたルークは、そのままドアを閉めて部屋から出て行ってしまった。残されたのは立ち尽くすシロとソファに座りっぱなしのクロ、2人きりだ。元々2人部屋でクロとシロ、アッシュとルークで部屋をとっていたので何の問題も無いのだが、いきなりこんな形で放り出されると何やら気まずい。立ったままオロオロと視線を彷徨わせるシロを見て、クロも覚悟を決める事にした。


「……おい」
「ひゃっ!な、何?」


異様に緊張した様子のシロがクロの言葉にびくりと跳ねる。ソファから立ち上がったクロは、逃げようかどうしようか迷っている様子のシロへゆっくりと近づいた。


「さっきの、てめえはどうしてそう思い込んでやがるんだ」
「え?何が?」
「……っだから……」


今更口に出すのが気恥ずかしくて一瞬言葉に詰まるクロだったが、やっぱり思い直して再び口を開けた。先ほどのルークの言葉を思い出す。あれをルークに教えたのは、実際にクロが後悔をしたからだ。自分のレプリカだから、声に出さずとも思いを伝える手段はあるから、知る必要が無いから、と碌に相手の事を見ようとしなかった過去の自分に、クロは確かに後悔したのだ。ここで伝える事を諦めてしまえば、後悔した過去の自分と同じだ。あんな思いをするのは、もう嫌だった。


「……ひ、ひっつくのが、嫌い、だと」


視線を逸らしながらもやっと搾り出したクロの顔を、シロはあっけに取られた表情で見つめてきた。その顔にますます恥ずかしさを自覚させられて、僅かに見上げる頭に軽く拳を落とす。


「あいたっ!だ、だってお前俺が近づくだけであんな嫌な顔してたじゃないか」


殴られた事に反応するのも忘れた様子だった。それぐらいシロは動揺しているようだ。近づくだけで嫌な顔、とはいつしただろうかと思考を巡らせるクロだったが、すぐに思い当たる。「前の世界」での事だろう。おそらくあの頃から芽生えていた筈の気持ちに気付く事無く、余裕の無かった自分はどれほどの強い視線で睨みつけていたのだろうか。クロは軽い絶望に眩暈を覚えた。少しは大人になれたと思っていたのに、半身を前にするだけで憎まれ口しか叩けない己の口が心底憎らしかった。そのせいで、再会してからそれなりに時が経った未だに遠慮されていたなんて。


「……じゃ、ない」
「へ?」


あまりにも小さな声に聞き取れずにシロは首をかしげる。クロは何とか凍りつく口を動かして、喉から声を絞り出した。


「今は……そんなに、嫌じゃない」


目を合わせられずにこれ以上逸らせないという程視線を限界に逸らしながらの言葉だった。辺りの時間がしばらく止まる。かすかに隣の部屋から仲良くはしゃぐ声が聞こえてくるが、それもどこか遠い世界から響いてくる音だった。
あまりの居た堪れなさにとうとうクロが口を開こうとした時。立ち尽くす体にそっと、正面から控えめに腕が回されてきたのだ。


「……!」
「ほ、本当か?……これでも、嫌じゃないか?」
「……ああ」


頷くと背中に回された腕に僅かに力が込められた。眼下には温かな朱色の頭が、顔を見られないようになのか俯いたまま肩に押し付けられているのが見える。ちらりと見えた耳は通常より赤かった。おそらく自分もそうなっているのだろうと思った。
今までも何度か抱き締めた事はある。しかしこうやって改めて、真正面から抱き合うのは初めての事だった。ぴったりとくっつく体に腕を回せば驚いたように跳ねるが、逃げる事はなかった。一度抱き締めてしまえば、もうその手は離れようとはしない。こんなに求めていたのか、と自分でもびっくりだ。


「……温かいな」


ほう、と息を吐きながらシロが当たり前のことを言う。しかし今までの自分達はそんな当たり前の事も認識出来ないままでいたのだ。今まで味わえなかった分想いを込めて腕に力を入れれば、抱き締めてくる腕にも力が込められてくる。それが愛しかった。
一回自覚してしまえば蓋が外れてしまったかのように怒涛の勢いで愛しさは溢れ出す。その衝動のまま、クロは抱き締めたシロを抱え上げてポイっとベッドの上へ放り出していた。放り出されたシロは大人しくベッドの上に転がるしかない。


「うわっ?!ななっ何だよいきな……り?!」


起き上がろうとして起き上がれずにシロが固まる。頭上に一回り大きいクロが覆いかぶさってくれば下から退かす事なんてほとんど不可能だ。そろりと視線を上に向けて、そこに至極真剣な瞳を見つけて、若干うろたえる。


「え、えーと、あの、クロさん?この状況って、何?」
「うるせえ黙ってろ屑。……いくら過去の俺と言えどあんなにベタベタベタベタくっつきやがって」
「今その恨み言?!いやっ待てよ!何すんだよクローっ!」


心なしか目を据わらせながらあろう事か服に手をかけてくるクロにシロはギョッとして暴れ出そうとした。しかし振りかぶった腕はすぐに掴み取られてしまう。


「何だ」
「何だ、じゃねえよ!俺まだ心の準備というかそーいうのの知識はあんまり無いというか!」
「心当たりはあるんじゃねえか。それだけで十分だ、そのまま転がってろ」
「もっ問答無用かよ!ぎゃーっ待ってってばー!」


混乱に暴れまくるシロの頭がふいに鷲づかみで固定された。ハッと目を見開けば、そこには変わらず真剣な、それでいてどこか切羽詰ったような必死な翡翠の瞳があった。こんなクロの表情は今まで見たことが無い。シロはうっかり見とれていた。


「……もう俺にも止められねえんだ、頼む……ルーク」


取られたままの手の甲に触れるだけのキスをされて、シロは反対の手で目の上を覆った。歯を噛み締めていなければ、とっさにどんな言葉を吐いていたか分からなかった。クロがじっと見つめてくる中、唇の隙間からシロは何とか言葉をひねり出す。ずるい、と。


「こんな時だけ、名前呼ぶなんて……お前、俺がこれに弱いって分かっててわざと言ってるだろ」
「さあな。呼びたい時に呼ぶだけだ」
「それが反則なんだって言ってんだよ……くそー……」


悔しそうに呻いたのを最後に、シロはとうとう体から力を抜いた。それを見て無意識にほっと安心するように息をつくクロがどこと無く可愛いなあとか思えて、己も大概末期症状出てるよな、といささか現実逃避気味に考える。色んな事を諦めて、シロは目の前の頭に腕を伸ばして、ぎゅっと抱き締めるのだった。


「えーと……お手柔らかにオネガイシマス」
「知らねえな」
「……っ!!」





   もうひとつの初めての日






翌日、話し合いはどうだった?と笑顔でルークに尋ねられてどこかダルそうにしながらもこれ以上無いほど赤面するシロと、昨日は何やってたんだと今はまだ行われていた行為に気付けていないが何かを察しているアッシュにじっとりと睨まれそっと視線を外すクロの様子が見られたという。









07/11/18





 

キリ番「350000」日生柊さんから、「「ホワイトデーは鮮血の味」でのアッシュの質問の答え」リクエストでした。
アッシュの質問↓
「お前らはよく人には言えないような暗転ものをやっているみたいだが」
「ハジメテはいつなんだ?」

書きながら恥ずか死するかと思った。