「ルークッ!俺にチョコレートの作り方を教えてくれーっ!」
季節外れ過ぎる台風のような勢いでやってきたシロに、ルークは驚きのあまり手に持っていた本を落としていた。パタンと閉じてしまった本は、もうどのページを読んでいたのか分からなくなってしまった。
「あーっせっかく今いい所だったのに!驚かすなよシロ!」
「本なんて後でまた読み直せばいいだろ!こっちは大変なんだ!」
「そーいう問題じゃねえ!やっとアビスシルバーの正体が分かりかけた所だったんだぞ!」
「あ、それアビスレッドの兄だから。そんなことより俺の話を聞いてくれよ!」
「えええええアビスレッドの兄だったのかよおおお!」
怒涛の勢いでネタバレされたルークはショックを受けたが、自分でも薄々そうなんじゃ無いかと思っていたのですぐに立ち直ることが出来た。それよりも今はこのうるさい未来の自分(一応)の話に付き合ってやらなければならない。
「それで、何だって?」
「だから、俺にチョコレートの作り方教えてくれよ!」
「はあ?何で今更……まさか、バレンタインのために?」
尋ねれば、決死の表情でシロは頷いた。ルークは考え込むように天井を見た。ルークに教えを乞うのは分かる、何故ならルークのほうが料理が上手いからだ。歳の差なんて関係ない事実だった。だから分かる。しかしそれでもルークはシロに問いただしたい事があった。
「バレンタインって、いつもクロが作ってシロにあげてたんじゃないのか?何で今年になって……」
「だ、だって……アッシュが」
「アッシュ?」
何故そこでアッシュの名前が出てくるのだろう。ルークが首を傾げていれば、シロは思い切って口を開いた。
「アッシュがこっそり教えてくれたんだ、ルークからチョコを貰うアッシュを見てたクロが何か羨ましそうだったって!」
「あー、うん、そうだな」
それはルークもアッシュから聞いた事がある。アッシュ曰く「あの視線はうっとおしくてたまらん」のだそうだ。そんなに羨ましかったのだろうかクロ。最早シロの料理音痴は治らないものとして諦めているものとばかり思っていたが、諦め切れていなかったらしい。
なので今年こそはと、シロがとうとう立ち上がったという訳か。
「俺だって日常的な料理だったら昔作ってたから人が食えるもん作れるんだぜ?でもお菓子ってまったく作る機会ないだろ、だから作れないんだ!頼むルーク!俺に人が食えるようなお菓子の作り方を教えてくれ!」
「まあ今年も自分で作るつもりだったから、別にいいんだけど……」
必死に頼み込んでくるシロに、もちろん断る気は無かったルークが、しかし最後にひとつだけ尋ねる。
「何で、今?」
ちなみに今日は、バレンタインが一週間も先に控える日である。
「俺レベルの実力だと今からでも練習しておいた方が良いと思って!ナタリアなんか一ヶ月前から特訓してたし!」
「マジかよ!いやそれでも不安は残るけど……」
「だからほら!行こうルーク!今すぐ行こう!すでに厨房の一角は借りておいたから!」
「え、ちょっと、まっ待てよシロー!」
ガッシと手を掴んだシロにずるずると引きずられながら、ルークはひたすら嫌な予感がしていた。先に本人が言っていたように普通の料理は普通に出来上がるシロ。しかし作り慣れないものだったり妙な気合を入れたりすると何故か壊滅的な料理といえない何かが出来てしまうのだ。いつも。
今回は作り慣れないチョコレート。しかもシロは無茶苦茶張り切っている。一週間という期間が何故か短く感じるルークであった。
その日からシロとルークのチョコレート大特訓が始まった。正直、溶かして固めるだけなら(それでも何度か失敗したが)すぐに出来た。しかしせっかく作るのならばと、もう一段階上を目指したのだ。チョコレートを使うお菓子で、何か簡単で美味しいもの。2人はお菓子の本とにらめっこしつつ厨房の片隅をどんどん腐海に沈めていった。最初は嘆き悲しんでいた料理長も最後は見ない事にしたのか一貫して無視を決め込んでいた。おかげで2人は思う存分チョコレートのお菓子を模索する事が出来た。
「ああ駄目だ!まただ!何度やってもクッキーがただの炭になる!」
「もう粉々に砕いて灰クッキーならぬアッシュクッキーとして渡しちまおうかな……」
「シローっ諦めるなよ!まだいけるって!ほら今度はこっち作ってみようぜ!今度は上手くいくって、な!」
己の実力に絶望し落ち込むシロを、ルークは必死に励ました。何てったって同じ人間なのだ、ルークに出来てシロに出来ないなんて事は、無いはずなのだ。多分。
それにルークはシロに絶対チョコレート作りを成功してほしかった。愛しの人からチョコをほしがるクロが不憫だからというのもあったが、何よりシロを喜ばせたかったのだ。
ルークが美味しくなあれと必死こいて作ったチョコレートを、アッシュは(ツンデレなので憎まれ口は叩くが)とても喜んでくれる。とても美味しいと褒めてくれる。笑ってくれる。その嬉しさを知っているからだった。相手の笑顔を見るだけで満たされた心地になる、あの素晴らしい気持ちを、シロにも味あわせてやりたい。そうルークは思っていた。だからこそ諦めてほしくなかったのだ。
「さっ次いくぞ次!もたもたしてたら間に合わなくなるぞ!」
折しも今日はバレンタインの前日であった。がっくりと膝を突くシロを引っ張り上げながら、ルークは諦めていなかった。そんなルークを見て、シロも頭を振りながら立ち上がる。
「そうだな……よし、頑張るぞ!」
「その調子その調子!」
目を合わせて笑い合った二人は、再び甘ったるい匂い漂う厨房へと向き合った。目指すは、人が何とか死なずに食べられるようなチョコレートのお菓子だ。
「……そこで何をしている」
読みかけの本を片手に中庭を歩いていたアッシュは異様なものを見た。気配を完全に断った状態で中庭の隅から屋敷の中を伺う人影であった。クロだ。
思わず声をかければ、軽く視線がよこされる。
「本を読みながら歩いていると落とし穴にでも嵌るぞ」
「ねえよ。それに今こいつはいい所なんだ、アビスシルバーの正体がちょうど明かされようとしている所で……」
「アビスシルバーはイビルマンに洗脳されたアビスレッドの兄だ」
「何いいいいいアビスレッドの兄だとおおおお!」
いきなり脈絡も無くネタバレをされたアッシュはショックを受けたが、自分でも薄々そうなんじゃ無いかと思っていたのですぐに立ち直ることが出来た。それより今は目の前のこの人物が気になる。何故屋敷内で気配を断つ必要があるのだろうか。
「答えろ、そこで何をしているんだ」
「………」
「そんなに答えにくい事なのか、……ん?」
アッシュは、気まずそうなクロの視線を辿った。その目が写す屋敷の部屋は、アッシュが記憶する限り、普段はあまり出入りしない場所、厨房である。そこでアッシュは納得がいった。
「まさか、ずっと見ているのか。……一週間前からずっと」
「………」
アッシュの問いにクロは無言で答えた。相手は一応自分と同じ生き物だ、否定する時は声を上げる事をアッシュは知っている。それ故に分かってしまった、無言は肯定であると。
厨房の一角は一週間前から貸切状態であった。シロとルークがずっとそこに篭って甘ったるい匂いを屋敷中に漂わせているためだった。そしてアッシュと、そこにいるクロは絶対に入ってくるな近づくなときつく言われていた。その理由はこのチョコの匂いで嫌でも分かっていた。
「お前……そんなに暇なのか」
「喧嘩買ってる暇はねえんだ消えろ」
「売ってねえよ!心配なのは分かるがそこでただ突っ立って見てても何もならねえだろうが、そんなにいてもたってもいられねえなら声かけて止めさせるか突入して横で見とけ!」
アッシュの言葉は限りなく正論であった。最近中庭でこいつの姿をよく見るなとは思っていたがまさかずっとシロとルークの奮闘する様子を見守っていたとは、さすがのアッシュも度肝を抜いた。そしてものすごくまどろっこしいと思った。わざわざ気配を消して何もせずにハラハラ見ておくぐらいなら、行動を起こしたほうが数倍マシだとアッシュは考えたのだ。
しかしクロはしばらく口を閉ざした後、アッシュを横目で見てきただけであった。その場から動く気はまったくなさそうだ。しかも何か血迷ったことを言ってくる。
「俺は別に心配はしてない」
「はあ?!現在進行形で見守ってるくせに何言ってやがる!」
「では言い方を変える、俺はあいつが心配でここで見ている訳じゃねえ」
アッシュには同じ意味に聞こえた。しかし言われてよく見てみれば、確かに厨房を見つめるクロの表情は別にハラハラしたものでもイライラしたものでもない。どちらかといえば安らぎというか、いっそどこか幸せそうにも見えたのだ。とりあえず、とても機嫌が良さそうだった。だからなのか、アッシュが無言で疑問符を頭の上に浮かべていれば、クロはゆっくりと話し出した。
「知っているか。あいつは最初バレンタインという日が何なのかさえ知らなかった」
「ああ……とにかく沢山チョコが貰えるめでたい日としか思ってなかったらしいな」
アッシュの言葉にクロは無言で頷いた。シロ本人から聞いた話だった。旅に出るまでずっとそうとしか思っていなかったらしい。ある意味間違ってはいない。
「だからこそ、自分からチョコを誰かにやるなんて発想が、あいつには無かったんだ」
「まあ男だからな、普通はそうかもしれんが……まさかルークがバレンタインにやたらとチョコを作って配りまくるのはお前がそうやって教育して」
「しかしあいつの無駄に気が回らないのはいつもの事だから俺はもうずっと前に諦めていたどうせ作っても下手糞だから苦い不味い思いをしない分こっちの方がマシだと言い聞かせてな」
早口に捲くし立てるクロのせいでアッシュの言葉は途中で途切れてしまった。まさか図星か、図星なのか。だがその教育の恩恵を絶大に受けているアッシュはそこから問い詰めようとはしなかった。
「それで?期待してなかったバレンタインが今年も間近に迫っているが?」
「ああ。誰が告げ口をしたのか知らねえが、今年はどうやら頑張っているらしい」
「一週間前からな」
アッシュはだんだんと分かってきた。この男がここで何もせずにただ立っているだけの理由が。悲鳴を上げたり肩を落としたりそれでも頑張る厨房の中の光景を、どこか幸福そうに見つめているその理由が。
「だから俺はここでそれを見ている。それだけだ」
「っは。あーそうかよ。邪魔して悪かったな」
最後まで一歩も動かなかったクロに背を向け、アッシュは足早にその場から歩き出した。これ以上ここにいたら、チョコを食べる前に胸焼けを起こしそうだったのだ。クロの話にそのまま付き合っていれば十中八九、惚気られていた事だろう。そんなものに付き合う気が起きなかった。
何の事はない。クロは嬉しかったのだ、とてつもなく。シロが自分にチョコを渡すために、自分のために頭を悩ませ時間をかけて頑張る姿を、一週間ずっと眺めても飽き足りないぐらいに。ただそれだけの事であった。
聞かなきゃ良かったと中庭から去るアッシュは、心の中でひとつだけ思った。
ああはなるまい。
「はいアッシュ、バレンタインのチョコレート!今年も俺頑張ったんだからな!」
「ああ。……ずっと手こずっていたみたいだが、ちゃんとしたものが出来上がったのか?」
「失礼だなー!た、確かにちょっと言葉にならないものが沢山出来上がったけど!シロも俺もすっげー頑張ったんだぜ!それに作ったものは二人とも違うものだから、俺の方はお墨付きだって!」
「冗談だろうが。……お、お前の腕は疑っていないからな。今年も……ありがとう」
「アッシュ……!へへ、どういたしまして!」
「それにしてもシロは大丈夫かな」
「大丈夫だろう。……例え中身が成功作でも失敗作でも、な」
「?」
もうひとつのチョコレート
「は、ハッピーバレンタイーン!」
「寄越せ」
「まっまだ何も言ってないだろ!」
「寄越せ」
「……はい」
「………」
「い、言っとくけどあんまり期待するなよ、そりゃ俺すごくすごく頑張ったけどさ、ルークだってものすごく協力してくれたんだけどさ!」
「安心しろ、最初から期待はしてなかった」
「改めてそう言われるのもムカつくんだけど!」
「期待、してなかったんだよ……」
「……?クロ?どうした?や、やっぱり苦すぎたか?炭の味がしたか?……俺、やっぱりちゃんとしたチョコ買ってく……うわっ?!」
「おい、知ってるか」
「いいいいきなり何なんだよ!くっ苦しっ……んんっ?!」
「……ずっと期待せずに、それでもどこかで期待していたものが手に入ったら……」
「その時の喜びは何倍にもなるんだよ」
10/02/15
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