2対の翡翠の瞳が見つめ合っていた。否、睨み合っていた。鋭い視線を突きつけあう2人は微動だにしない。その姿は傍から見ればまさに鏡であった。髪の色も長さも少しずつ違う、着ている服も違う、顔の造形は同じでも内にある表情が違う。それでも同じ眼差しと対照的にその手に持たれた木刀がそう見せるのだ。やがてどちらかの足元からジャリと砂を踏みしめる音が響く。それが合図だった。
2本の木刀は中央で激しい音を立てながら激突した。瞬間に力負けした髪の長い方が飛びずさり、それを髪の短い方が追う。地面を踏みしめ迎え撃った髪の長い方は打ち負けた反動を利用してくるりと1回転して見せた。空中に、ふわりと光を孕んだ焔色の髪の残像が浮かぶ。それを払いのける様に右手を振った髪の短い方は、すぐさま低く身を屈めた。頭上を木刀が通り過ぎるのを確認したと同時に、目の前に勢いよく膝が現れたので慌てて横へと飛びのく。回転ついでに膝蹴りを繰り出した髪の長い方は間一髪で相手に避けられて舌を打った。柄が悪い、と注意する言葉を喉の奥に押し込めて、髪の短い方は前方に手をかざした。同じように髪の長い方も手をかざす。視線が合うだけで、互いに何をしようとしているのか、手に取るように分かった。
掌に収束していく第七音素の光。もちろん相手に直接叩きつける訳ではなく、互いに光をぶつけ合い相殺するつもりで2人は同時に叫んだ。


「「いくぞ!超振ど……」」
「何やってんだお前らー!」
「「ぎゃあっ!」」


光が爆発する一歩手前、2人が戦っていたファブレ邸の中庭にとてもいい音が2つ響いた。頭を拳骨で殴りつける音だった。あまりの痛みに光を拡散させて地面でのた打ち回る髪の長い方と髪の短い方……ルークとアッシュは、涙を耐えた目でそろりと頭上を見上げた。そこに立っていたのは、恐ろしい形相をして握り拳を作る、シロだった。


「し、シロ……」
「いっいきなり何しやがる……!」
「それはこっちの台詞だっ!稽古に何2人して超振動なんかぶっ放してるんだよ!危ないだろ!」


シロが怒りながら拳を振り上げるので、頭の痛みから立ち直った2人は思わずその場に正座をして項垂れた。うん、確かにやりすぎた。いくら互いにヒートアップしていたとしても。


「ひとつでも間違えれば大変な事になってたんだぞ!分かってるのか?!」
「ご、ごめんなさい……」
「だが普段から多少なりとも超振動の訓練をしていなければいざという時に制御が」
「屁理屈は聞きたくありません!」
「はい……」
「まったくあんたたちにはハラハラさせられっぱなしなんだから!」


いつの間にか怒るお母さんと怒られる息子達の図になっている事に気付いているのはそっと様子を見守る兵やメイドたちだけであった。思わずお母さん口調になってるぞシロ、とつっこめる者はこの中にいない。
ぷりぷり怒るシロがようやく治まってきた頃、どこからか様子を見ていたのか、ちょうどいいタイミングでクロが現れた。


「随分と派手な稽古をしていたな」
「?!クロ見てたのか?!何で止めなかったんだよ!」
「お前も少し落ち着け。確かに不用意な事をしたと思うが、あれは上手く制御されていた。お前と違ってな」
「うぐっ」


シロが悔しそうに言葉に詰まる。それを見てルークとアッシュは顔を見合わせながらほっと息をついた。ようやくお叱り現場から解放されそうだ。油断しているとちらと咎めるようにクロが見下ろしてきたので、2人は慌てて背筋を伸ばした。しかし幸いにもそれ以上何か言われる事はなかった。




「お前達、さっきはごめんな。俺も言いすぎた」


それから少し後の事。稽古で使った木刀の手入れをしているルークとアッシュの元に大分大人しくなったシロがしゅんとしながらやってきた。あの後クロと色々話をしたのかもしれない。ルークとアッシュは慌ててシロの元に駆け寄った。


「やっ!あれは俺たちが悪かったし!ちょっと羽目外しすぎちゃってさ……なっアッシュ!」
「ああ、その通りだ。お前が謝ることじゃねえだろ、シロ」
「いや……俺もちょっと……過敏になっちゃってさ」


たははと頭をかくシロの笑顔に影がさしている様に見えたので、2人は怪訝な表情でその顔を覗き込んだ。それに気付いたシロは、少し躊躇いながらも口を開く。


「もちろんそれなりに加減して打ち合ってたのは分かってるんだ。だけど……お前らの稽古する姿みてたら、な」
「俺とアッシュの?何で?」


純粋に疑問に思ったルークが尋ねると、シロは少し俯いた後さっとこちらに背を向けて歩き出してしまった。明るい声だけが質問に答える。


「クロと昔打ち合った事、少し思い出しちゃったんだ、それだけ!」


その表情は、見えなかった。






頭上で見守るように優しい光を降り注がせていたお日様も沈み、柔らかく輝く月の独壇場となった夜空の下。屋敷内をまるでコソ泥のようにひっそりこっそりと移動する2つの影があった。


「おい、本当の本当にするつもりなのか」
「何だよ、出来るって言ったのはアッシュだろ」
「出来るとは言ったが今日やれとは言ってないだろ!」


若干もめながらもそれでもどこかへ忍び足で向かっているのは紛れも無くルークとアッシュだった。見張りの兵に気付かれぬように最大限に声を落とし気配を消し、その上で小突き合いながら2人がたどり着いたのは、屋敷の奥の奥にある1つの部屋の前だった。ちなみに2人の寝室ではない。別な2人の寝室だった。


「だって気になるだろ?あの時のシロのあの顔!」
「ま、まあ気になるは気になるが……」


ルークの言葉にアッシュは詰まる。だって気になっているのは事実なのだ。ずっと昔から気になっていた。時々うなされている、シロの過去に一体何があったのか。ろくなものじゃなかったと2人で口を揃えるぐらいのクロとの関係とは、どんなものだったのか。それを確かめるために2人は寝床を抜け出してここに来たのだ。
先陣を切ったルークがそっとドアを開けて体を滑り込ませる。すぐにアッシュも中へと入って静かにドアを閉めた。音は一切鳴らなかった。どこでそんな侵入スキルを揃って入手したのかは謎だ。
目の前にダブルベッドが1つおいてあった。あいつら一緒のベッドで寝てるのかとアッシュは初めて知った。ベッドに横たわって眠っていたのはシロ1人だった。当たり前だ、クロがいない時を狙って侵入したのだから。クロがいればいくら気配を殺したって瞬く間に気付かれていただろう。

音も無くシロの傍へと寄ったアッシュがルークの手を握った。片方の手にはシーツからはみ出していたシロの手を掴む。好奇心でキラキラと輝くルークの瞳を、アッシュは真剣な目で見つめた。


「いいか、今から同調フォンスロットを使ってシロの夢の中に入る。少しはなにか分かるかもしれねえ」
「おうっ!」
「お前はただ俺についてくればいい。下手に何か考えるなよ、連れて行けなくなるからな」
「分かった!」


頷きあった2人はゆっくりと目を閉じた。ルークは自分の頭の中に伸ばされた温かな手の存在を感じ取って、ただ無心にその手を掴んだ。もちろん頭の中で、だ。するとぐいっとどこかに引っ張られる感触がして、次に感じた不思議な心地に、自分の意識がシロの夢の中に入り込んだ事を知った。

気付けばルークはアッシュと並んで立っていた。手は繋いだままだ、これを離せばすぐにルークは元の自分の場所へ戻ってしまうだろう。ルークがアッシュの横顔を見ると、アッシュはひたすら前方へ目をやっていた。ルークもつられて前を見る。その時初めて、周りに雨が降っている事に気がついた。

雨の中、大きな大きな戦艦が見えた。その下にはどこかの兵がひしめき合っている。どうやら、退却の準備をしているようだ。夢の中だからか、その姿はぼんやりとしか見えない。
戦艦の反対側には見慣れた町の様子が見えた。天高く聳え立つように成り立っている町はこの世にひとつしかない、自分達が今住んでるバチカルに他ならなかった。バチカルから抜け出してきたところなのだろうと、事情も知らないのにルークは思った。
事情?誰の?


「あれを見ろ」


おもむろにアッシュが指差した。正面だった。そこにぼんやりと曖昧な背景に溶け込む事無く鮮明に映し出された人影があった。対となった2つの人影だった。その光景をどこかで見たような気がしたルークはすぐに思い出す。ああ、昼間の自分達そっくりではないか。
そこには髪の長い「ルーク」と、髪の長い「アッシュ」が、離れた場所に立っていた。ルークは息を呑んだ。アッシュも黙ったままそれを見ていた。
やがて「ルーク」が雨の中剣を抜きながら駆け出した。


「イオンをかえせええぇぇぇ!」


その言葉に、「アッシュ」の背後にいる緑色がイオンなのだと知った。「アッシュ」は背を向けていたが、剣を抜きながら振り返る。と同時に、「ルーク」の剣を受け止めた。ギリギリと嫌な音が打ちつけられた剣と剣の間から漏れ聞こえる。どちらも当たり前に真剣だった。「ルーク」の顔が、目の前の顔に驚愕の色に染まる。心の底から信じられないものを見る目だった。対する「アッシュ」のその目は……紛れも無い憎悪に彩られていた。


「お前かっ!」


「アッシュ」が剣を弾く。飛びずさった「ルーク」と「アッシュ」は、間合いを取って睨みあった。いや、睨んでいるのは「アッシュ」で、「ルーク」は呆然と目の前の「アッシュ」を見つめている。最早戦う意思も無いようだった。それほどまでの衝撃が「ルーク」を襲っていた。

これが、シロとクロの、初めてまともに顔を合わせた時なのか。

ルークはただ黙って傍らの手をぎゅっと握った。すると相手も握り返してくれた。言葉はやはり出なかった。ただ、「ルーク」の真っ青な顔色。「アッシュ」の殺気が篭った目。それだけが頭の中を駆け巡る。

次の瞬間、映像がキュルキュルと巻き取られるように目の前の光景が変わった。めまぐるしく移り行く周りを見ることはできない。ただ言葉だけが二人のまわりを飛び交った。



『とことん屑だな!出来損ない!』

『俺は悪くねぇっ!俺は悪くねぇっ!俺は……』

『おまえは俺の劣化複写人間だ。ただのレプリカなんだよ!』

『う……嘘だ……!嘘だ嘘だ嘘だっ!』

『俺だって認めたくねぇよ!こんな屑が俺のレプリカなんてな!』


『俺、やっぱり、あいつのレプリカなんだな……』


『……よくいつまでも寝ていられるな。そのうち脳が溶けるんじゃないか?』

『……おまえはそのうち口が曲がるんじゃねーの』


『これ以上俺に面倒をかけるな。役立たずのレプリカが!』

『そんな言い方しなくたっていいだろ!』


『アッシュ!待てよ!おまえを死なせる訳には…いや、死なせたくないんだ!!』

『もう、これしか方法がねぇんだ!』

『だったら……だったら俺が!俺が代わりに消える!』

『俺だって、死にたいわけじゃねぇ。……死ぬしかないんだよ』

『もう、決めたんだ。怖いけど……だけど……決めたんだ』


『……死にたくない。死にたくない!死にたくない!』

『どこまでも手のかかるレプリカだっ!』

『……ありがとう……アッシュ……』


『俺が馬鹿だった。もしかしたら……こんなレプリカ野朗でも協力すれば奴を倒す力になるかもしれねぇって』

『おまえが認めようと認めまいと関係ない。俺はおまえの付属品でも代替え品でもない!』


『エルドラントに来い!匠を倒すのは弟子の役目だ。どちらが本当の弟子なのかあの場所で決着をつける』


『どちらが本物の『ルーク』なのか 存在をかけた勝負だ』

『どっちも本物だろ。俺とおまえは違うんだ!』

『そのへらず口、二度と利けないようにしてやるぜ。行くぞ!劣化レプリカ!』


『ここは俺がくい止める!早く行け!』

『……約束しろ!必ず生き残るって!』

『うるせぇっ!約束してやるからとっとと行け!』


『聞こえるか、レプリカ……』



『ちょっと……てこずったな……。あとは……頼む…………』






「お前ら、何をしている!」

「「!!」」


バチリと、まるで急に目を覚ましたような感覚にルークとアッシュは揃って一瞬今の状況の把握が出来なかった。辺りを見回して、今いる場所がファブレ邸のクロとシロの寝室の事、今までシロの夢の中?に潜り込んでいた事、そして誰かの怒鳴り声によって呼び戻された事、を思い出した。
怒鳴り声……。


「ひいっ!クロ?!いつの間に!」
「それはこっちの台詞だ……。夜中に部屋に忍び込んで一体何をやっていた」


ベッドの脇に座り込む2人の背後には、仁王立ちのクロがうっすらと怒りを露わにしながらこちらを見下ろしていた。ルークは素で、アッシュは心の中で恐怖にすくみ上がる。やばいバレた。クロは2人がシロと手を繋いでじっとしていた所を見て、早々と感づいたらしい。怒りを耐えながら呆れ半分で額を覆う。


「……お前たちが何を見たのかは知らんが、全部忘れろ」
「「!!」」
「あれはお前たちには関係の無いものだ」


分かったらさっさと出て行け。そして寝ろ。
クロは半ば強制的に2人を部屋から追い出すと、バタンとドアを閉めてしまった。目の前にすっかり夜の更けた空が広がる。しかししばらく、ルークとアッシュはその場から動けそうに無かった。さっき見て、聞いたものが、ぐるぐると渦巻いて身動きも取れなかった。


「アッシュ……さっき頭の中に流れたの、覚えてるか?」
「いや……あまりにも膨大な量だったからか、ほとんど覚えてはいないな」
「俺も。でもさ……」


ルークは俯いてぎゅっと手を再び握り締めた。成り行きで2人はまだ手を繋いだままだったようだ。その事実に今更気がついて、しかし離す気も起こらなかったアッシュも同じように力を入れた。そのぬくもりを、確かめるように。


「俺たちは、幸せだな」


オリジナルとレプリカでも、ほとんど憎み合う事などなく、こうやって手を繋ぐ事によって1番安堵出来る事を知ることが出来た。心も体も痛いだけの殺気を飛ばしあう事無く、相手を信じ切った稽古をする事が出来る。それが幸せだと思った。心から安心した。アッシュと斬り合うだなんて、絶対にしたくないとルークは思った。それはアッシュも同じだった。


「そうだな。俺たちは……幸せだ」


だけれど彼らが幸せではないとは思わない。その道のりがいくら険しかろうと、今のあの2人は心から幸せそうな笑顔で笑うことが出来る。それだけが救いだった。本当に良かったと、思った。
ルークとアッシュの2人は、ドアにもたれ掛かりながらしばらく肩を寄せ合って座り込んでいた。背中のドアの向こう側の赤毛の2人の幸せを願いながら、ただ静かに寄り添っていた。





ちびっこ2人を部屋から追い出したクロは、ゆっくりとベッドに腰掛けた。そこにはあんなに耳元で大騒ぎしたというのにまったく起きる様子の無いシロが眠っている。クロはしばらくその寝顔を眺めると、そっと瞑ったままの目元に指を持っていった。柔らかく触れてみれば、指が僅かに濡れる。


「………」


クロには、シロが何の夢を見ているのか分かっていた。回線を繋ぐまでもなかった。その表情で分かった。もし、あのアクゼリュスや他の命を奪う悪夢を見ていたら、もっと苦しみに歪んでいるはずだ。声にならない謝罪を繰り返しているはずだ。シロは静かに涙を流す。眉だけを悲しみに寄せながら、ただハラハラと雫を零すのだ。何かを惜しむように。悔やむように。
外部から身を守るように、胎児のように丸くなったシロの手を握り締めると、涙に濡れた翡翠がゆっくりとクロを見た。まだ半分夢の中にいるのか、視線が虚ろに彷徨う。


「あ、しゅ……?」
「ああ。俺はここにいる」


はっきりとした声でそう語りかけて、顔を近づけてやる。シロの焦点がやっと合った。新緑色の瞳いっぱいにクロを映し、ようやくシロは笑った。


「よかった」


安心しきった声で呟いたシロは、自分の頬に触れる掌に擦り寄った。その様子を愛しげに見守るクロは、まだ涙の溜まる目尻に唇を寄せながら眠りを誘うように囁く。


「眠れ、ルーク。まだ夜は更けてない」
「アッシュは……?ここにいる?」
「ずっといるから」
「そ、か……」


再び目を瞑ったシロはそのまま寝息を立て始めた。しかしクロの手が外される事は無い。もう過去に囚われぬように、今現在自分がここにいる事を夢の中の相手に知らせるように、ただその手に、頭に、顔に触れていく。

どうか愛しい半身に暖かな夢を。幸せな今を。確かな未来を。

ただ願いを込めながらクロはシロの傍に寄り添う。最初で最後のあのときの約束を守ってやれなかった分、願った事を己が叶えてやれるように、誰に告げる事無く心の中で新たに自分に約束しながら。

長い夜は、もうすぐ終わりを見せようとしていた。





   もうひとつの約束

07/03/27





 





オバカウンターですが脅威の30万打いかせて頂いたありがたすぎる記念フリー小説です。
アンケートでどんなものがいいのか募ったにも関わらずもう結多数決で決定させて頂きました。
このシリーズを愛してくださってありがとうございます。どうぞご自由にお持ち帰りください。