六男も見た






あーあ、失敗したなあ。
トド松はこっそりと憂鬱な溜息を吐いた。もちろん一緒のテーブルに座っている女の子たちには見えないように、だ。しかし前に一人、横に一人、斜めに一人、計三人の女友達は、揃ってお喋りに夢中になっているようなので、気を付けなくてもきっとばれなかっただろう。その事に喜べばいいのか嘆けばいいのか、トド松はまた一つ息を吐いた。
目の前のグラスに半分ほど入っているカクテルをちびりと飲んで、周りに視線を投げる。トド松が女の子たちと座るテーブルの一番近くにあるカウンター席はまだ空いているが、それでもガヤガヤとした店内は小さな居酒屋なだけあって非常に騒がしい。あの席に誰か座れば互いの声が普通に聞こえてしまうのではないだろうか。プライバシーを何も配慮していない昔からある居酒屋だった。飲み会行こうよーと女の子に誘われて、まさかこんな場所に案内されるとは思わなかった。完全にトド松の誤算である。もっとこう、オシャレで、雰囲気のある、上品なお店かなーと胸を躍らせていたのに、女の子もこういう場所で飲むんだなあとやや現実逃避気味に考える。まあ確かにこんな風に、ぎゃーぎゃー元彼なんかの愚痴を大声で喚くにはちょうどいいぐらいなのかもしれない。
つまりは女子会だった。色気も何もない、ただただ愚痴や不満を話して聞いて慰め合う女同士のアレである。そこにトド松は呼ばれてしまった。ああつまり、少なくとも恋愛対象の男としては見られていないという事じゃないか。ちょっぴり期待していた分、トド松の落胆は大きかった。普段からちょっと女の子に話を合わせ過ぎたのかもしれない。トド松くんって優しいし気が合うけど、男としては見れないんだよねーとは、人生で何回か女の子に言われた台詞である。もちろんまったく嬉しくない。女子会なんかに呼ばれるぐらい仲良くしてもらえていても、これでは何の意味も無いのだから。もう可愛い子に自分には全く関係の無い彼氏の相談なんてされたくないのである。童貞をこじらせている5人の兄たちには分かり得ない悩みだろう。恨まれて嫉妬されるだけなので絶対に言わないが。

「ね！こういう男、トド松くん的にはどう思うー？」
「えっ？！あ、ご、ごめん、僕ちょっとトイレに行ってくるね」

話を聞いていなかった。慌てて気分転換もかねてトド松は席を立った。
期待が外れすぎて気分が乗らない。しかしここで悩みを聞いて親身になって男らしさを出せば、好感度が上がってちょっとは望みがつながるかもしれない。洗面台の鏡を見て、よーしと頬を軽く叩いて、トド松は気合を入れ直した。スマホをちょいと取り出して、連絡も何も無い事を確認してから騒々しい店内へと戻る。今日は友達と飲んでくるから夕飯はいらないよ、とだけ言って家を出てきた。女の子が相手だなんて言えば、飢えた兄弟たちにどんな妨害をされる事か。探るようなメッセージも何も入っていないという事は疑われていないって事だと、安堵しながらトイレを出たのである。
だからトド松は、さっきまで誰も座っていなかったはずのカウンター席に見慣れた姿を見つけて、思わず大声を上げて飛び上がってしまいそうになるほど驚いたのだ。

（は……？えっ……？！お、おそ松兄さんにカラ松兄さん……？！）

そろりそろりと音を立てずに移動して、何とか自分の席に戻りながらそちらを凝視する。幸い気付かれていないようだが、確かにあの赤い背中と青い背中はうちの長男と次男のものだ。お帰りーと声を掛けてくれる友達にも適当に答えながら、トド松は一人震えた。どうしてあの二人がここにいるのだろう。偶然か。今しがた座ったばかりな様子の二人は、背後に末弟が座っている事にも気づかずにメニューを覗いている。とりあえずほっとした。おそ松もカラ松もこちらに背を向けて座っているし、このまま大人しくしていればやり過ごせるかもしれない。

「すんませーん、とりあえずビール２つね」
「あ、あとからあげと手羽先、串焼の盛り合わせと馬刺しと、豚キムチとそれにチャーハンも」

注文するおそ松とカラ松の声が聞こえる。で、でたー、次男のしょっぱなからの肉肉肉攻撃だー。ちゃっかりごはんまで頼んでるー。肉食系肉ことカラ松はいつも飲むより食べる事を優先するタイプだ。ぐだぐだひたすら酒を飲み続ける長男とは対照的だった。そんな注文風景が日常的すぎて、トド松は思わずこっそり笑ってしまった。
それにしても、珍しい二人組である。トド松は適当に女の子たちに相槌を打ちながら、ちらちらと兄たちを盗み見た。六つ子全員で飲みに出る事はよくあれど、誰かと二人で並んで飲み屋に入るのはトド松もあまりしない事だった。しかもそれが長兄二人とは。確かに6人で飲む時はよく並んで座っているようにも思う。しかし二人が仲良く喋っていた記憶がトド松にはあまりない。陽気なおそ松は飲み出すとどこに座っていようが誰彼かまわず話しかけるし、その対象はよく受け答えするチョロ松やトド松が多かった。十四松とも馬鹿騒ぎするし、一松とも一緒に悪乗りしている事が多い。しかし、うん、カラ松と並んでいる時は、何だかしみじみと静かに飲んでいる印象があった。カラ松自身がもくもくと食べて飲むタイプだったから、合わせてるんだろうなあと思っていた。そんな相手とおそ松が二人で飲みに出るなんて、と、トド松には意外だったのだ。
そうこうしている内に二人の元にビールが運ばれてきた。料理はまだだが、ジョッキを手に持って顔を見合わせている。

「さーて、そんじゃ第……第何回だっけ？カラ松お前覚えてる？」
「フッ、数多に輝く星ほど語り合ったミッドナイト・ミーティングを俺は頭で覚えちゃいない……ここ、ハートに全て刻み込んでいるからな」
「やっぱ覚えてねえか。あー、ま、いっか。第ほにゃらら回松野家お兄ちゃん会をはじめまーす。おつかれー」
「おつかれー」

いえーい。カチンとジョッキ同士が鳴らされるその光景を、トド松は目を瞬かせながら見つめた。松野家お兄ちゃん会？初耳の単語である。というかやっぱりここから二人の会話は丸聞こえだった。生まれた頃からの聞き慣れすぎた声だったから尚更だった。視線をテーブルの上に戻しても、長男と次男の声はよく聞こえた。

「っかー！うめー！やっぱ一日お仕事頑張った後のビールは格別だよなー」
「へえ、知らなかったな、いつの間に仕事をしていたんだ？」
「何言ってんの、してるだろ毎日。長男として我が家の安全と平穏とその他色々を守るために一日ニートと言う名のお仕事、頑張ってるだろ？」
「なるほどな、それなら俺も次男として一日任務を完遂してきた立派なニートと言う名の戦士という訳だ」
「そーいう事そーいう事。いやー俺達えらいなー！マジお疲れ！」

いえーい。空になったジョッキと半分ほど減ったジョッキが再び空中で打ち鳴らされる。何だこのクズども。トド松も人の事はあまり言えないニートだが、この開き直っている長兄たちに比べたら人としてマシのように思えてきた。二人でどんな事を話すのかと思っていれば、こんなアホな事を語り合う仲だったとは。
そう、トド松は気になっていた。おそ松とカラ松が二人で一体どんな会話をするのか、そういえばあまり見た事ないなと思っていたのだ。きっかけは先日、チョロ松におそるおそる話題をふられたあの時だ。

『ねえトド松、お前、上二人だけの会話って聞いたことある？』

そうやって切り出した時のチョロ松の表情は、今まで見た事が無いぐらいのしかめっ面だった。困惑と驚愕と嫉妬と憧れととにかく色んな感情を胸の内でごった混ぜにしながら、それを表に出さないように耐えているような、そんな複雑すぎる表情だった。そう尋ねられたトド松は、以前釣り堀で見かけた二人の事を話してやった。思えばそれが今の所、トド松が長兄二人だけの場面を目撃した最初で最後の場面だった。本日また増えてしまった訳だが。
カラ松が天然すぎる悩みを打ち明け、おそ松が根本的解決には至らない答えを返したあの場面。思わずつっこんでしまったために二人だけの会話はすぐに終わってろくに聞かなかったが、やっぱりこんなくだらない会話しかしていないじゃないか。トド松は過去のチョロ松に向けて呆れた溜息を吐いた。何でもチョロ松は、兄二人だけの会話を聞いて大層衝撃を受けたらしい。どんな内容だったかは詳しく聞かなかったが、今は聞かなくてよかったと思える。一体チョロ松はこのアホ二人の何にそんなに驚いたのだろうか。
カクテルをちびりと飲んで、届き始めた料理を美味い美味いと言いながらつつき始める横顔二つを盗み見る。顔を突き合わせる長男と次男は、チョロ松の言葉のせいか確かに、いつもの彼らとはどこか違う雰囲気を纏っている、様な気がしないでもない。しかしそれは本当に些細な違和感で、きっと気のせいだろうと思った。珍しい二人だけの姿に、脳が錯覚しているだけなのだ。きっとそうだ。

「そういえば今日、トド松も夕飯がいらないと言って出ていったな」

つらつらと考えている所で不意に己の名前が出てきて、トド松は掴んでいたグラスを危うく落としてしまいそうになった。はっと二人の背中を見ても、こちらを振り返ってはいない。気付かれた訳じゃなく、本当に偶然トド松の話題が出ただけのようだ。いつの間にか料理もぞくぞく届きながら、早速二杯目のビールを受け取りつつおそ松がカラ松に答えている。

「あー、そーだったね。なあ、どう思う？」
「ふっ、そんなの、分かりきった事だ」
「「女だな」」
（？！？！？！）

落ち着くために口に含んだカクテルを、動揺のために気管に詰まらせる。げほごほと咽るトド松を女の子たちが心配してくれたが、内心ではそれ所じゃなかった。
え、誰にも言ってないのに、何で知ってるの兄さんたち！

「だよなー！あんだけウキウキしながら夕飯いらないからねーって、それ分かりやすすぎんよー！」
「だが、合コンほど気合を入れていた風ではなかった。そうだな……女友達との飲み会、とか。ビンゴォ？」
「ビンゴォ！多分そう、絶対そう。行動力はあるけど、あいつ反応がやっぱり童貞なんだよなー」

ケラケラ笑う赤い背中も、くつくつ笑う青い背中も、いつまで経ってもこちらを向かない。もしかして奴らはすでにトド松に気付いていて、それでワザとああやって話しているのではないかと気が気じゃなかった。もしからかっているだけなら、そろそろ振り返って悪い笑顔を見せてもいいはず。しかしおそ松もカラ松も、酒を飲み肉を食い楽しげに話すだけで周りを気にしようともしない。じゃあ本当に、今のはただの予想で言っていたのだろうか。うわ、怖っ。予想と言うよりほぼ確信したような口ぶりだったのが、余計にトド松を震え上がらせた。
そんなにウキウキとした態度を出していたつもりはトド松的には無い。どうしてバレてしまったのかと、内心で頭を抱えるしかなかった。

「どうするよ？トド松が女の子に囲まれてデレデレしている場面にでも出くわしたら」

チャーハンをかき込みながらのおそ松の言葉に、からあげを飲み込んだカラ松が少し考え込む。不穏な沈黙だとトド松は思った。そうして見合わされた長兄二人の表情は、ここから上手く見えなかったにも関わらず……ぞぞっと背筋を何かが這い上がってくるような、ニヤついた笑みだった。

「さーて、どの作戦で行こうか。トッティの本性積極的にバラしていこうぜコースか、僕たちトドまちゅのお兄ちゃんなんでちゅコースか……」
「ぶはっ！前に話したやつまーだ覚えてたの！いや俺もだけど！特に最後のやつ……ぶふっ、言い出した俺が言うのも何だけど、えげつねえよなー」
「己の恥を捨ててでも女の子とトド松をドン引きさせるお前の心意気には、本当に感心させられるぜ……あ、でも今日は黄ばんだパンツ持ってきてない」
「っかー、そうだった残念！パンツ無いと作戦が完璧にこなせないじゃーん、今日は却下だな」

え、え、ええーっ何その作戦、何そのパンツの重要性！あのおそ松兄さんが自分でえげつないとか言うその内容何なのホント怖い！そもそも前に話したやつってどういう事、前にも僕を妨害するための作戦を話し合ってたって事？お兄ちゃん会ってそういう事？！クズっ！！クズ松兄さん！！弟を貶めるためだけに開かれるドクズ松兄さん会！！実の兄がそこまでクズだったとは思わなかったよ！いやごめんやっぱ思ってた、おそ松兄さんもカラ松兄さんもクズだって知ってた。だって僕初めてじゃないもん、前も似たような事でめちゃくちゃにされたもん！う゛うっトッティのトラウマがっ……！もう、絶っっ対に見つかってやるもんか！！
汗をダラダラ流しながらトド松は心に誓った。そのためならばこの花園からの撤退も辞さない。どうせ女の子たち皆、今もトド松を意識する事なく女同士の話題で盛り上がっている。そうと決まれば、話が途切れた時を見計らって一足早く帰る旨を小声で伝えてから素早く……

「……早くトド松も、似合いの良い子が見つかればいいんだがな」

焦る頭の中にその時、ぽつんと落ちてきた次男の落ち着いた声に、トド松は思わず動きを止めていた。それは初めて聞くような、兄の「兄らしい」声だった。
三杯目のビールを傾けながら、おそ松がカラ松に笑いかける。横目で見つめるその顔もまた、「兄」のものだった。

「あいつが見栄張らずに嘘もつかずにいれば割とすぐ見つかる気もすんだけどなあ。すーぐ背伸びしようとすんだもん、我らが末っ子ときたら」
「身の丈に合っていない人を選んでも、破滅は目に見えている……だからそうなる前に、俺達が動くだけだ。そうだな、おそ松」
「そうそう。……弟が他人から傷つけられんの黙って見てるなんて、お兄ちゃんとして絶対出来ねえし」
「同じ歳の六つ子であっても、可愛い弟の身も心も守ってやるのは、兄としての義務だ」

しみじみと語り合う、兄二人の背中。トド松は隠れる事も忘れて、じっと見つめてしまっていた。もちろんツッコミ所はある。いやだからといってあんなえげつない妨害やる正当な理由にはならないからね、とか、身の丈に合ってないとか失礼な僕だって相手はちゃんと選ぶよ、とか、他人は駄目でも兄が弟を傷つけるのはいいんかい、とか、きっとツッコミだしたらきりがない。それでもトド松が、ぎゅっと唇をかみしめて俯いたのは、目の前の表情も声も、この上なく「愛」が溢れていたからだ。
愛、だなんて。この歳にもなって、普段は喧嘩ばかりしている男兄弟からそんなものを感じるなんて。しかもそれがまったく嫌じゃないだなんて。トド松は顔から火が出るほど恥ずかしかった。兄たちはそんな恥ずかしい駄々漏れの愛を、何の臆面も無く幸せそうに語らっているのである。いくらこの場がガヤガヤ喧しい居酒屋内であっても、現に背後のトド松には嫌でも聞こえているぐらいなのに。何て恥ずかしい人たちなんだろうと、顔を覆うしかないじゃないか。トッティ酔っちゃった？とからかう女の子にさえ満足に答えられない。
残念ながらこの顔の火照りの大部分は、お酒によるものではない。

「ましてトド松は六つ子の末弟、一番下……俺達でちゃんと、守ってやらなければな」

もうやめてー、とその末弟が背後で悶えている事など露知らず、カラ松が気取って手の中のグラスをカランと揺らしている。いつの間にかその手に持っているものがビールではなく茶色い液体になっていた。氷を鳴らしながら優しい瞳で弟を想うその横顔に、おそ松が静かに語りかける。

「……カラ松」
「ん？」

振り返ったカラ松の目の前で、おそ松は。食べ終えた手羽先の骨を一つ持って、口元に押し当てる。ちょうどへの字になるように手羽先の骨を掲げたまま、真剣な顔が力強い声で言った。

「チョロ松」

沈黙が落ちた。後ろでただ聞いているだけのトド松も固まった。……え、まさか、それチョロ松兄さんの物真似のつもりなのこの長男？しかもこんな唐突に？
正面から突然これを受けたカラ松の衝撃は一体どれほどのものだろうか。目を見開くトド松の前で、ぷるぷる肩を震わせたカラ松は。

「……っぶふぅーっ！」

吹き出したーーーっ！！
嘘でしょ、今のがウケた？！

「ふっふっ不意打ちっやっやめてくれっおそ松っふ、ふふククク」
「カラ松」
「んぶふうっ！！」
「ええー……」

思わず声を上げていたトド松だったが、幸い二人には聞こえていなかったようだ。おそ松は両手に一本ずつ手羽先の骨を持って目の上に当てて、カラ松の凛々しい眉毛を表現しているようだ。完全に酔っぱらいの所業である。カラ松はまたも吹き出して、テーブルに突っ伏して小刻みに震えている。今のそんなに面白かったかなあ？あまりの笑いように、真面目な顔を作っていたおそ松もおかしそうに笑いだした。

「カラ松お前、笑いすぎだろー！」
「だ、だって、おそ松がくそ真面目な顔で、くそつまらないモノマネしてくるから、ックク……！」
「くそくそ言うな！じゃーお前くそ面白いモノマネ出来んのかよ、やってみろよ！」

胸を反らして、さあ来いと待ち構えるおそ松。何とか笑いを収めてカラ松は顎に手を当て、しばし考え込む。長くは掛からなかった。おそ松がネギまを摘まんでいる間に決めたらしいカラ松が、一度自分の顔を手で覆う。すぐに、いないいないばあの要領でぱっと顔を見せてきた。その表情は。

「ハイハイハイハハーイ！オレ、十四松！」
「ん゛ん゛んぐふうううっ！！」

恐ろしいほどクオリティの高い狂気を孕んだ笑顔がそこにあった。おそ松はごつんと音が鳴るほどの勢いでテーブルに突っ伏す。一応公共の場という事で声は抑えたようだが、ばたばたと耐えられないように足を動かしてしまえば騒々しい事に変わりは無い。

「っひーひー！お前、十四松はずるいだろ！つーか似すぎだろ！」
「元演劇部を舐めちゃいけないぜブラザー、フッ」
「ひいいーやめてぇー！十四松の顔のままカラ松出してくんのマジやめてぇー！腹筋壊れるぅー！」

おそ松がお腹を抱えて苦しそうに笑っている。見事に焦点が合っていない目をキリッと整えてから、カラ松もつられるように笑った。成人男性が赤ら顔でゲラゲラ笑う姿は言ってしまえば大層滑稽なものだったが、周りのほぼ全員が酔っぱらっている店内では特に目立つことも無い。
ひとしきり笑った後、対抗意識が出てきたらしい負けず嫌いな長男が、フンと胸を張った。

「顔真似なら俺、めちゃくちゃ自信あるし！カラ松なんかに負けねえし！」
「おーおーそれじゃあやってみろよおそ松、俺を爆笑の渦に叩き込んでみせろよ」

ニヤニヤ笑うカラ松が馬刺しの残りを全部口に放り込む。ちょっと待って、と椅子の上で後ろを向いたおそ松は、しばらく顔の調整をするように俯いた。一体何が飛び出してくるんだ。すっかり兄たちにばかり注目してしまっているトド松も、固唾を飲んで見守った。
やがて、よしっと威勢の良い声が上がる。店員にもう一皿からあげを頼んでいたカラ松も、姿勢を正しておそ松へ向き直る。カラ松と、そしてこっそりトド松が注目する中、おそ松は勢いをつけて振り返った。

「はい、トッティー☆」
「？！？！っっっ！！―――！！！っっっ―――！！！！」

最早カラ松は声も出せずに笑った。喉を傷めそうなほどヒューヒュー鳴らして、おそ松の肩をバシバシ叩いている。トド松もある意味声を出せなかった。口元が引くついているのが分かる。あーなるほどーそうきたかー。以前散々ネタにされた、かつてスタバァでトド松が耐え切れずに浮かべた憤怒の表情、それをおそ松は再現してみせていたのだった。自分で言うのも何だけど、よく真似できたな、あれ。

「――っっはあ、はあ……！お、おそ松、お前、天才、笑いの天才……！」
「えーほんとー？トッティマジ嬉しいー」
「ぶほあっ！そ、そのまま、しゃべ、喋んな、っんんくくふふふ」

どうやらツボに入ったらしいカラ松が、俯きながら必死に笑いを収めようとして、そして収められない。ぱっと元の顔に戻ってニヤついたおそ松が、今のどうやったんだとトド松があっけにとられている内に勢いよく両手を挙げた。その手にはいつの間にか、焼き鳥の串が握られている。

「次！真・チョロ松の真似ー！」
「はあ、はあ……っは？」
「ニャンニャンニャンニャーン！アメショ！ペルシャ！ミケ！マンチカン！スコ！シャム！ロシアンニャーン！」
「っっっあはははははは！！」

突然始まったオタ芸に、カラ松がとうとう声を上げて笑う。正直トド松も吹き出した。姿はどうにもならなくても、サイリウムに見立てた串を振り回すおそ松は、家で時々一人でDVDを見ながら練習している三男のオタ芸を完全にコピーしたものだった。何だそのクオリティの高さは、最初のくそみたいな物真似は何だったんだ。

「チョロ松！チョロ松がいる！っははははは！」
「ニャーちゃーん！超絶可愛いよニャーちゃああああん！」
「やめっもうやめっはは、あはははははっ！！はは、っくそ、やるなおそ松っ……！」

あ、カラ松兄さんの負けず嫌いスイッチも入った。トド松は悟った。笑いすぎて痛む腹を押さえながら瞳を輝かせた次男が、これから一体どんな物真似を見せようとするかも、全て。だって今までの流れを見れば、残されたレパートリーはあと一人しかいないのだ。それをおそ松も感づいたようで、チョロ松のどうやってそこまで観察したんだってレベルに完璧だった物真似を収め、不敵な笑みでカラ松と向き合った。視線を合わせただけで、互いに今から何をするか伝え合ったらしい。
おそ松の手がカラ松の頭を、カラ松の手がおそ松の頭を、同時にぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。自分の頭は自分の手で掻き混ぜりゃいいじゃんと遠いところでトド松が考えている間に、準備は出来た。一瞬のうちに赤い背中と青い背中はぐったりと力無く丸まる。うつろに細めた瞳が交差し、無気力な声が、二重に放たれた。

「「……ひょっとして猫、飼ってない？」」

一瞬落ちる沈黙。訪れた静寂はしかし、すぐに二人分の大爆笑で掻き消された。

「ははは！ははははは！なに？！なんで今台詞まで被ったの？！カラ松お前合わせたの？！」
「いくら俺でも、今のタイミングで合わせられる訳ないだろ！っははははは！」
「何コレー！こええー！六つ子の神秘こえええええー！！だっははははは！」
「だってほら、っくく、一松と言ったらほら、っはははは！」
「あはははは！分かる！！ははは！だよなー！！」

あーあ。トド松は呆れた目でバシバシ叩き合いながら笑う兄たちを見つめた。二人そろって笑いのるつぼに入ってしまったようで、すでに周りはすっかり見えなくなってしまっているようだった。さすがにここまで騒ぎまくれば、ちょくちょく視線が客や店員から集まってしまう。同じテーブルの女の子たちも、ちらちらと視線を向けているようだった。ああ、何て恥ずかしい兄たちなんだろうか。トド松は頭を抱えたくなった。
しかし。

「はーっ、はーっ……あー、笑った笑った……！カラ松ぅ、お前の一松の真似、完璧すぎねえ？本人の前でやってきてみろよ、多分半殺し以上の目に合うぞ」
「ぜえ、ぜえ……それは褒められているのか？まだ死にたくないからやらない。それにおそ松も、表情も声の出し方も完全に一松だったじゃないか」
「えーそお？お前のが姿勢とか目つきとかそっくりだった気もするけど。十四松も含めてさ、お前ほんと兄弟の事よく見てるよな、カラ松。ガチで感心するわ」
「それこそおそ松だって、トッティもチョロ松も怖いぐらい似てたぜ。あそこまで習得するのにどれだけ弟たちを観察していたんだ」
「んーまあ、そりゃあ、ねえ？」
「ああ、そうだな」

肩で息をしていたおそ松とカラ松は、頭を上げて、顔を見合わせて、同じように得意げな笑顔で、にかっと笑った。

「「俺たち、お兄ちゃんだからな！」」

複雑な理由などいらない、弟たちの真似がこれほどまでに上手いのは、六つ子として、兄として当然の事なのだと。当たり前のように、酔っぱらった長兄二人は嬉しそうに笑った。
そんな二人をトド松は、ただただ無言で見つめていた。

（……ああ、もう）

脳裏にチョロ松の何とも言えない表情が思い浮かぶ。これか。なるほど、これだったのか。言葉には表す事が出来ない、兄たちだけの会話、空気。これを目撃してしまえば、あんな表情になる訳だ。己の胸元を、トド松はきゅっと握りしめた。
最初に目にした時からずっと付きまとっていた微かな違和感の正体に、やっと気付いた。構え構えと日々うるさく絡んできながらも、決して兄という立場を崩さない長男。痛い言動で周囲から強めに当たられても、兄だからとかっこつけて受け流す次男。そんな、弟たちにとっては見知った関係が、この二人の間には、きっと無い。多分、限りなく同列に近い、末っ子のトド松には到底入っていけないような世界が、おそ松とカラ松の二人だけに存在しているのだ。
そんなの。

（ずるいよね、二人だけなんて）

トド松は良く分かっていた。その世界はトド松が触れていいようなものではない。そもそも眺めて知覚する事は出来ても、触れる事など出来ないものなのだ。それでもトド松は、きゃらきゃらと華やかな女の子の声が飛ぶテーブル席から、思い切って立ちあがっていた。

「あれ、トド松くん？」
「ごめん皆、ちょっと急用が出来ちゃって、今日は僕この辺で失礼するよ。また今度一緒に飲もうね」

割り勘分のお金をテーブルに置く。女の子たちは突然のトド松の行動に首を傾げながらも、分かったバイバイと手を振ってくれた。ちょっと愚痴や文句が多いけれど、トド松と友達として交流してくれる可愛い子たちだ。まったく脈無しでもない、と思う。しかしトド松には今、女の子たちの中身のない会話にひたすら相槌を打つだけの仕事よりも、もっともっと重要な出来事が待っていたのだった。
可愛らしい女の子たちよりも遥かに死ぬほど中身のないやり取りでひたすらゲラゲラ笑い転げている兄たちに、ツッコミをしにいかなければならないのだ。

「おそ松兄さん！カラ松兄さん！二人だけで何そんな盛り上がってんの、もー！とことん恥ずかしい人たちなんだから！」

そうやって「弟」が声をかければ、兄たちだけの世界は終わる。向けられた柔らかな二人分の視線はどこまでも「兄」のもの。それでもトド松は寂しがり屋の末っ子として、長兄たちに甘えずにはいられなかった。

「あれ、トド松じゃねーか、こんなとこで何してんのー？もしかして、お兄ちゃんが恋しくなって追いかけてきちゃったとか？末っ子ちゃんかーわいー」
「フッ、そうか。可哀想に、愛に飢えた寂しがり屋のリトルブラザー。さあおいで、俺の燃え滾る愛の炎で温めてやろう」
「あーもう、二人そろって、いつもの数十倍ムカつくっ！」
「「何で？！」」

驚愕する長男と次男の間に無理矢理椅子を持って来て、どすんと座った末っ子は。これ食うかこれ飲むかと甘やかしてくる兄たちの腕に、いくら羨ましくてもこのポジションは離れられないなあと、こっそり甘く笑うのだった。