植木鉢と愛の観察日記
  記入者:松野カラ松









1日目

訳あって今日から植木鉢の観察日記をつけることになった。デカパンからの実験依頼だ。
今日、昼飯を食べに外へ出た所に偶然会い、奢ってもらった礼に引き受けることになった。
何でもこの植木鉢には特別な植物の種が埋まっているらしい。
俺は一人暮らしで、日中は仕事でろくに世話も出来ないからと断りかけたんだが、デカパンにどうしてもと押し付けられてしまった。世話は簡単だし、花を咲かせるまでこうして簡単な日記を付けてくれるだけでいいから、と。
デカパンには昔から何かと世話になっている。ここで断り続ける俺ではないぜ。
無事に花を咲かせたら報酬を出す、と言われて目がくらんだわけではない。決してない。

何の変哲もない植木鉢は片手でも持てるような小さなものだ。
一日一回水をやり、声を聴かせてやればいいだけだそうだ。
俺は今まで植物を育てた事はないが(一度だけ、とんでもない花の世話をした事はあったか)、これだけでいいものなのだろうか。
この植物は成長が非常に早く、上手くいけば三日と経たずに芽を出すはず、らしい。
まだ何も出ていない茶色い土に水をかけてみた。量がよく分からない。

そういえば、何という植物なのか聞くのを忘れていたな。


2日目

まだ芽は出ない。
声を聴かせてやれ、という事だったので、ラジオを傍に置いてつけっぱなしで出かけてみた。
これで一日中たっぷり声を聴かせられるだろう。


3日目

まだ芽は出ない。
水をやりすぎている訳ではないよな?


4日目

まだ芽は出ない。
おかしい、すぐに芽が出てくるはずなのに。


5日目

まだ芽が出ていなかったので、さすがに心配になってデカパンに電話をしてみた。
どうやら声は生身のものを聴かせなければだめらしい。
この植物は本当に特別で(またどんな種類なのか聞くのを忘れていた)人の愛情を敏感に感じ取って成長するものなんだとか。
ラジオ作戦は失敗だったか……。
まだ間に合うだろうかと、さっき声をかけてみた。
と言っても植物に何を語りかければいいのか分からなかったので、ひたすら挨拶をしてみた。
おはようからおやすみまで、思いつく限りの挨拶をかけてみた。
……こんなのでいいんだろうか。


6日目

まだ芽は出ない……が、中央の土が盛り上がっているような気がしないでもない。
今日は各国のアイラブユーを知っている限り羅列してみた。昔逆ナン待ちをしている際、どんな女性に声をかけられてもいいように特訓をした事があったんだが、それが今になって役に立つとは。
……役に立っているんだよな?これでいいんだよな?



7日目

出た!
芽が!出た!
声をかけ始めてから本当に早かった。
小さな小さな新緑の芽が植木鉢の土から顔を覗かせているのを、帰宅して見つけた時の俺の心境といったら。
思わず部屋の中で小躍りしてしまったのはここだけの秘密だ。
あんなにうんともすんとも言わなかった芽が、俺の声を聴いた途端に出てくるなんて。
今日は興奮で鉢植えへめちゃくちゃに語りかけてしまったが、何を話したのかはすでに忘れてしまった。
この調子ですくすくと育ってくれたらいい。


8日目

芽が昨日より成長している気がする。良い調子だ。
今日は手元にあった本を数ページ朗読してみた。少し前に職場の同期に借りた流行りの恋愛小説で、読む機会を失っていたからこれを機に毎日読み聞かせてみようと思う。


9日目

どうかしあわせになってくれ

 ※このページだけ何かに濡れたようにぐしゃぐしゃで、文字もよれまくっている。


10日目

昨日は取り乱してしまった。実は、毎日少しずつ読むはずだった小説を一気読みしてしまった。
読み聞かせのために始めたから、最後の方なんて号泣しながら叫ぶように声を出して読んでしまった。恥ずかしい。お隣さんから苦情が来ませんように。
たまには恋愛小説というものもいいものだ……悪魔と人間の種族を越えた愛……感動した……。
昨日頑張ったせいか芽が大分伸びてきている。どこまで伸びていくのだろう。


11日目

片方が元気よく大きい葉、もう片方が小さく丸い葉。
愛らしい双葉が生える植木鉢を眺めているだけで最近は心が癒される。
今までは一人暮らしだったのもあってろくにしていなかった挨拶を、いつの間にか植木鉢に向かって欠かさずするようになっていた。
おはよう、いってきます、ただいま、おやすみ。
懐かしい。以前は当たり前のように毎日交わしていたはずなのに。


12日目

植木鉢の芽は相変わらず芽のままで、今の所蕾をつける様子はない。
デカパンは、花が咲くまでは個体差がある、と言っていたが。


13日目

今日は会社で失敗して散々叱られてしまった。つくづく俺は物覚えが悪い。
ついつい植木鉢に弱音を愚痴ってしまったが、これが悪い影響を与えないといい。
どうしてだろうか、あの双葉を見ていると、時折無性に縋り付きたくなる時があるんだ。


14日目

昨夜は懐かしい夢を見た。昨日愚痴をこぼしたからだろうか。俺も大概女々しい男だ。
今更あいつに慰められる夢なんて。俺があいつを置いてきてしまったのに。

気分を変えて、今日は植木鉢に歌を聴かせた。久しぶりにギターを持ちだした。隣の人が深夜バイトの日でよかった。
昔、トド松に教えて貰った事がある。植物にクラシックを聴かせるとよく育つとか何とか。
俺の歌声もブランクがあるとはいえ歴代のクラシックの魅力に匹敵するほどの美声なはずだ。これで一気に花が開くかもしれない……己の才能が怖い。


15日目

芽が昨日より萎れている気がする。何故だ。何故なんだ。何が悪かったんだ。
とりあえず謝り倒したが、このまま枯れたらどうしよう。


16日目

芽は元気を取り戻したように見える。よかった。本当に良かった。
念のために今日も謝っておいた。
そういえば相変わらず蕾は出ないが、芽の根元が何だか盛り上がっている気がする。怖くて引っ張れないが、まさか実が出来ている訳じゃないよな。
普通実って、花が咲いた後だろう?


17日目

やっぱり芽の下に黒くて丸い何かが見える。土の中に一体何が埋まっているというんだ。
土の中に花が咲くわけがないし。
そもそもこんな小さな芽の状態で、実がつくものなのだろうか。分からないことだらけだ。


18日目

黒くて丸い何かがさらに盛り上がってきている。芽は明らかにその何かから生えているようだ。
こんな小さな植木鉢に潜るサイズではあるが……俺にはそれが、どことなく、人の頭にも見えるような気がするんだ……。


19日目


おそまつが

生えた


20日目

めっちゃこっち見てる
どうしようどうしようどうしよう


21日目

ようやく冷静に日記を書けるまで落ち着く事が出来たので、今日までの事をまとめようと思う。
一昨日の事だ。
植木鉢からおそ松が生えた。
改めて文章にしてみると頭がおかしい事を言っているように見えるが、本当だ。
約3週間、俺が世話をし続けた双葉を頭に生やした小さな植木鉢サイズのおそ松が、土の中から顔を覗かせて帰宅した俺を出迎えた。
人というものは、驚きが限界を突破すると逆に声が出ないものなんだな。
そいつはどこをどう見てもおそ松だった。他の兄弟では決してない。赤いパーカーを着ていたというのもあるが、俺達六つ子が兄弟の顔を間違える訳がない。多分な。
特におそ松は。俺にとって。
まあ、なんだ、とにかくおそ松でなくとも人が生えるなんておかしすぎる。聞いてない。
一晩何もしゃべらずただじっと俺を見てくるミニおそ松に怯えながら過ごし、昨日ようやくデカパンに連絡した。
人が生えたとだけ伝えた。何となく、おそ松が生えたとは言い出せなかった。デカパンも詳しくは聞いてこなかった。
デカパンが言うには、人が生えてくるのは仕様だと。順調に育っている証拠だからこのまま花が咲くまでよろしく頼むと。そういう事だった。
そういう大事なことは言っておいてほしかった。心から。
しかし何故姿がおそ松なんだ。先日見た夢が影響しているとか……いやまさか。

世話の仕方は今までと同じでいいらしいんだが……頭から水をかけてやるのが何だか可哀想になる。さすがに。


22日目

ミニおそ松は部屋にいる俺をただひたすら見つめてくるが、一言も喋らない。表情もあまり変わらない。
それが少々不気味だ。
こんなに静かなおそ松を今まで見たことがあっただろうか?
まあ、こいつは本物のおそ松ではない訳だが。
水をかけてやると嬉しそうに体を震わせるし、頭の上の双葉もぴこぴこ動くから(どういう原理で動いているんだ)感情が無いわけじゃないと思うんだけどな。


23日目

ミニおそ松が喋った。
ここ数日、あまりの驚きに声をかけるのを忘れていた事を、今日ようやく思い出した。
そもそも、今まではただの植物に独り言を呟いていた状態だったのに、見た目が完全におそ松なこいつに何を話しかければいいのか、さっぱり分からなかったんだ。
つくづく、何故おそ松だったんだろう。他の兄弟たちだったなら、俺はもうちょっと冷静でいられたのに。
仕事から帰ってきた瞬間それを思い出したので、俺は試しにただいまと言ってみた。
するとミニおそ松の反応は顕著だった。
俺の声にハッと目を見開いたかと思うと、植木鉢の淵から身を乗り出して、小さな手の平を俺へ向かって精一杯伸ばしながら、「おかえり」と言ってくれたんだ。
記憶の中のおそ松の声よりも、少し高く感じられたのは、やはりこのミニマムサイズだからだろうか。
俺はここでようやく気付いた。ミニおそ松が俺をずっと見ていたのは、俺が話しかけてくるのを待っていたからなんだ、と。
ただずっとずっと、俺を待っていたんだ。

胸がいっぱいになって、俺は風呂場で少し泣いた。(秘密だぞ)


24日目

ミニおそ松ミニおそ松、と呼ぶのも面倒だしややこしいので、何か呼び名を考えている。
試しに今日はジュニアと呼んでみる。
ジュニアは今の所、自由に喋れるわけではないらしい。挨拶にはきちんと正しい返事をしてくれるが、その他の言葉は主に俺のおうむ返しだ。
毎日ずっと挨拶を繰り返していたから、挨拶だけは覚えてくれていたという事だろうか。
俺が育てている、という実感がわく。いや実際に育てているんだがな。
植物に必要か不要かは定かではないが、これから色んな言葉を覚えさせてやりたいと思う。
……植物で、いいんだよな?


25日目

ジュニアはあまりしっくりこなかったので、プラントはどうだろうか。安直だろうか。
プラントは今日も植木鉢の中から俺の言葉をおうむ返ししている。
独り言にも反応するので、時々びっくりする。
風呂場で無意識に歌っていた鼻歌を覚えて目の前でふんふん歌い始めた時は驚きを前に感動した。
プラント、お前は世界を取れるかもしれない……今度尾崎を教えてやろう。


26日目

プラントもピンとこないな。パインはどうだろう。可愛くないか?英語で松を意味するんだ。
本日俺が目の前でギターを片手に尾崎を何度歌っても、パインは尾崎を歌おうとしなかった。
何故だ、何故なんだ……昨日はあんなに上手に歌ってくれていたじゃないか。
諦めきれなくて、久しぶりに自作した歌を歌ってみたら、どこからかボキボキと何かが折れる音が聞こえてきた気がする。
あれはなんだったんだろう。
ところでパインの双葉がさっきより若干萎れている気がする。何故だ……?


27日目

先日から呼び名を色々と検討してきたが、とうとう決定しなければならない日が来た。
というか、決定せざるを得なかった。
今まで様々な呼び名を、この日記に書いていない分も含めて呼びかけてきたんだが。
植木鉢の中にいる顔がどうしたっておそ松なので、
「おそ……ジュニア」
とか、
「おそ……プラント」
とか、とにかく「おそ松」と言いかけてしまう事が多くあった。
きっとそのせいだろう。
自分の名前をすっかり「おそ」だと思ってしまったらしく、何を呼びかけても「おそ、おそ」と自分の事を指さして言うようになってしまった。
しかも俺が「おそ」と呼ぶと、双葉がぱたぱた動く。
他の名前じゃ反応しないのに、「おそ」だととても良く動く。
もうこんなの、決定するしかないだろう?
という訳で、この植木鉢の中のミニおそ松の名前は今日から「おそ」だ。

ただでさえおそ松なのに、名前までおそ……。
俺は大丈夫だろうか。


28日目

おそは今日も元気に俺の言葉を真似る。
最近は言葉を覚えてきて、会話みたいな事も出来るようになった。
成長が目覚ましい。
しかし、だからこそ、おそという名前に改まったのも相まって、余計に気になる。
やぱり植物だからだろうか……おそはずっと無表情だ。
少しぐらい、笑ってくれてもいいのに。


29日目

おそと一緒にテレビを見ていると、言葉を覚えたからか反応する事が増えてきた。
テレビの中の観客と一緒に俺が思わず拍手をすると、おそも真似して拍手をしたりな。
小さい手で一生懸命叩く姿はとても微笑ましい。
しかもまず俺が始めないとおそもしない。テレビというより俺を真似ているんだろうな。
実に健気で愛らしいじゃないか。
表情はやっぱり無いままなんだが。

……俺を真似る、か。


30日目

おそがわらった
かわいい


31日目

かわいい


32日目

おそがかわいい


33日目

今日もかわいい


34日目

やばい、ここ数日笑うおそを眺めてから幸せに寝る生活を続けたせいでまともに日記を書いていない。
だっておそが可愛い。


35日目

いい加減にしよう。このままじゃ報酬がもらえない。
最近の詳細を書こう。
そう、おそが笑ったんだ。
何日前か忘れたが、俺は気が付いたんだ。
俺の言葉ばかり真似をするおそ。
いつだって俺の顔をじっと見つめてくるおそ。
無表情なおそ。
俺は、どれぐらいの間、笑っていなかっただろうか、と。

結論から言えば、俺が笑えばおそも笑った。
俺は意識していなかったんだが、随分と長い間笑っていなかったらしい。
おかげで一番最初の笑顔は非常に引きつったぎこちないものになってしまって、おそを怖がらせてしまった。
俺の顔を見た瞬間ひゅっと双葉を縮こませて震えはじめたおその姿なんてもう二度と見たくない。
鏡の前で一時間ぐらい笑う練習をしてから、おその前で笑顔を見せてみた。
思えばあんなに真剣に鏡を眺めたのは実家以来かもしれない。
おそは俺の笑顔をじっと見つめると、じわじわと表情を変えた。
それはまるで春の訪れとともに可憐な花が咲き開くような。
俺の久しぶりの笑顔なんかよりも何倍も明るく瑞々しい笑顔がそこにあった。
ああ
思い出してまたあの笑顔が見たくなった。
今日はここで終わる。おそを見てくる。


36日目

昨日の続きを、と思ったが、大体はもう書いてしまったな。
笑ってくれたおそは可愛い。以上だ。
ここ数日はそればっかりしか覚えていない。
笑顔を覚えたおそは、俺が傍にいると基本的にずっとにこにこしているようになった。
可愛い。
俺がつられて笑えば、おそも嬉しそうにもっと笑う。
可愛い。
おかげで双葉がぴこぴこ動く時は、嬉しい時の事が多いのに気が付いた。
可愛いな。


37日目

おそは頭の上の双葉を除けばどこをどう見ても小さな人間なのだが、その正体は植物なのだと時折強く実感する事がある。
水をやる時なんかまさにそうだ。
最近おそは「ごはん」という言葉を覚えたので、いつも決まった時間にごはんごはんと俺に水を催促するようになった。
水をかけてやるときゃっきゃと喜ぶ。おその毎日のご飯はこれだけだ。
今日ためしにご飯粒をあげてみたんだが、不思議そうに見つめた後一口齧って、すぐに吐き出してしまった。
美味しいものを食べさせてやりたいと思ったんだが……残念だ。


38日目

今まで水道水をそのままおそにかけていたんだが、今日はミネラルウォーターをあげてみた。
ただ体に掛かるだけの水でも、少しでも美味しく感じてくれたらいい。
おそはいつもと同じように双葉をふるふるさせて喜んでいる。
水が違うことを話してみても、きょとんと首を傾げるだけだ。
うーん可愛い。
違う、あんまり違いを感じてはいないようだ。意味がなかっただろうか。


39日目

調べたら植物にミネラルウォーターをあげ続けるのはおススメしないらしい。
おその様子も変わらないし、水道水に戻す事にする。
様子と言えば、この観察日記は花が咲いたらゴール、という事だったはずだが。
おそのどこから咲くんだろう。やっぱり頭か?
頭に可憐な花を咲かせるおそ……めちゃくちゃ可愛いに違いない。


40日目

職場でも、最近表情が明るくなったと言われる事が多くなった。
確実におそのおかげだろう。
今まで俺は、逃げるように仕事にばかり打ち込んでいたから。
おそは今日もニコニコで「おかえり!」と俺を出迎えて、癒してくれた。
ありがとう、と声をかけると首を傾げて瞳を瞬かせた。
そうだな。ありがとうもちゃんと教えてやらなきゃな。


41日目

本日おそがテレビを指さして「おそも!おそも!」としきりに訴えてきた。
テレビの内容は、小学生が鉢植えの世話をしているシーン。
植木鉢の中の土には、それぞれ生徒たちの名前が書かれたネームが刺さっていた。
……もしかして、あれが欲しいんだろうか?


42日目

おそが水以外を欲しがるのは珍しいので、昨日の訴えは早急に叶えてやりたい。
という事で、さっそくホームセンターにいってネームプレートを買ってきた。
本当は値段も高めの凝ったものにしたかったんだが、テレビに映っていたのはシンプルな白いものだ。
思った通り、おそは安くて複数売りの白いネームプレートをいたく気に入った様子だった。
俺が「おそ」と名前を書いて刺してやれば、両手を挙げて大喜びだ。
今もずっとご機嫌に鼻歌を歌っている。
これっぽっちでこれほどまでに喜ばれるとは。
愛しさで心臓発作を起こしそうになる経験はこれが初めてだ。


43日目

おそが昨日から自分の名前が書いたネームプレートばかり見ている。
時々「お、そ」と読み上げてはにやにやしている。
そんなに嬉しいか。
喜ぶ姿は可愛いが、そろそろ俺の方を見て欲しい。
寂しい。


44日目


びっくりした
びっくりした
おそが俺の名前を呼んだ
「からまつ」って言った
思えばこれが初めてだ。
びっくりした。


45日目

俺の驚いた顔がよほど面白かったか、おそが今度は昨日から「からまつ」の連呼だ。
意外と性根が悪いなおそ?どこかの誰かさんを余計に彷彿とさせるぜ。
しかし俺の名前を覚えさせてはいないんだがな。何故知っているのだろう。不思議だ。
嬉しそうに俺の名を呼ぶおそが可愛くない訳がない。
しかし
名前を呼ばれて改めて分かる
おその声はやはり、あいつに似ている


46日目

おそが今日急に「ぱちんこ!」と言い出した。
俺はそんな言葉教えてないぞ!最近まったく行ってないし!
テレビでも見て覚えただろうか。ギャンブルはいけない。
おそにはもっと健全に育ってほしいんだが。


47日目

最近気温がめっきり高くなってきた。
おその水やりはこのまま一日一回でいいんだろうか。
特に日中が心配だ。今度デカパンに聞いてみよう。


48日目

今日はおその元気がない。ぐったりと土の上にうずくまっている。
どうやら日中、日の光に当たりすぎてしまったらしい。
おそは植木鉢の上からは動けない。俺のせいだ。
デカパンに連絡したら、とりあえず水を多めにやって様子を見ろと言う。
いつもよりゆっくり水をかけてやると、薄目を開けたおそが俺を見て微笑んだ。
まるで俺に心配をかけさせまいとしているようだ。
おそ。何でお前は。
そうやって似なくていいところまで、あいつに似てしまったんだ。


49日目

おそが心配で会社を休んだ。
有給が溜まっていたからちょうどいい。
するとお昼頃、デカパンから速達で荷物が届いた。
中身は栄養剤。普通の植物ではないおそのために特別に作ったものらしい。
おそは栄養剤の容器の先を口に含むと、ちゅーちゅー吸い始めた。
すると、みるみるうちに生気を取り戻した。
ああ神よ!デカパンよ!感謝します!
すっかり元気になったおそは今俺の目の前で足をぱたぱたさせながら俺の手元を覗きこんでいる。
文字が読めるのかは分からないが、俺の顔を見てはにへにへ笑っている。
可愛い。
よかった。
本当に良かった。


50日目

おそは元気になったが念のために今日も仕事を休んだ。
俺が心配している事を察しているのか、今日のおそはやけに元気よく喋る。
気を遣ってくれているんだ。
昔から鈍い鈍いと言われる俺だが、こういう事は分かる。
おそ、だからこそよく分かる。
落ち着けるためにそっと頭を指先で撫でてみたんだが、おそは途端に動きを止めた。
そういえば、おそにこうやって直接触れるのは初めてだったか。
素手で触ってよかっただろうか。今更心配になってきた。
あの時は急に静かになったおそを不思議に思って、頬とかお腹とかやたらと触ってしまった。
ほっぺはもちもちしていた。お腹ももちもちしていた。
水をやりすぎているか?
おその顔が若干赤かったのも気になる。明日デカパンに電話してみよう。


51日目

寂しがるおそから身を切られるような思いで離れ、久しぶりに出勤してきた。
そうしたらいつの間にか、俺が実は既婚者で病気の奥さんの看病をするために休んでいた事にされていた。
ち、違う!誰だそんな噂流したの!
確かに会社には、同居人の具合が悪くて云々と慌てて電話を掛けたが!
何を言っても微笑ましそうな目で見られるだけだった。何故だ……俺は未婚の新品なのに……。

ああ、昨日おそに触ってしまった事をデカパンに電話してみた件だが。
おそが嫌がらなければどんどん触ってもいい、とのことだった。
今日も撫でると静かになってもじもじと俯いてしまったんだが、これはどんな反応なんだ。
逃げない分嫌がってはいない、んだよな?


52日目

先日付きっ切りで看病したせいか、俺が離れる事をおそがやたらと寂しがる。
マイリルおそ。寂しがりの双葉ちゃんめ。
そんなうるうるな瞳で見つめられると仕事に行きたくなくなるじゃないか。


53日目

そういえば、おそは本当に植木鉢から出てこられないんだろうか。
ふとそう思った。
自分から出てくる事はないから、てっきりそう思い込んでいた。
別に全身が常に土に埋まっている訳ではないから、少しぐらいなら出てこられるんじゃないか?
と思って、おそをゆっくり持ち上げてみようとしたんだが。
足が地面を離れそうになると、おそが途端にやだやだと双葉を震わせてボロボロ泣き出した。
俺は土下座して謝った。
馬鹿な事を思いつくんじゃなかった。
おそは今もすんすん泣きながら土に潜ってしまっている。
許してくれなかったらどうしよう。
俺も泣きそうだ。


54日目

おそは泣きやんだが、不機嫌そうに頬をぷっくり膨らませている。
可愛い。
いや可愛がってる場合じゃない。
俺は何とか許して貰おうと何度も謝り倒した。
しまいにはそっぽを向くおその気を引こうと頭やほっぺや体を撫で撫でしまくった。
するとおそは赤い顔でぜーぜーしながら「ゆるす、ゆるすから」と言ってくれた!
よかった!セラヴィ!
心なしかおそがへろへろに弱っているように見えるが大丈夫だろうか。
でも双葉は萎れていないしなあ。
むしろ嬉しそうに揺れている気がする……?


55日目

先日から触りまくっているおかげか、おそも触れられる事に慣れてきたようだ。
俺が人差し指を差し出すと、両手でぎゅっと握ってくれるようになった。
そのまま今日は嬉しそうに頬をすりすりと擦り付けてきた。
心臓が辛うじて爆発しなかったことを褒めて欲しい。


56日目

今日はびっくりすることがあった。
母さんから電話が来た。
家を出てから電話も一度もしていなかったので、声を聴くのはおよそ一年ぶり程になる。
チビ太と今日偶然会って番号を教えて貰ったらしい。
まあ口止めもしていなかったし、それはいい。
母さんはいつもの調子で俺の近況を軽く尋ねてくるだけだった。
俺はと言えば、ずいぶんぎこちない返事ばかりしていたように思う。
家に残っているはずの、あいつの様子も一言も聞くことが出来なかったし……。
しかし母さんの動じなさっぷりはいつもながらすごいな。
電話の途中で俺の真似をしたおその「マミー!」という声が聞こえても、
「あら元気そうな声ね、隠し子?」とさらっと言われて俺が慌てたぐらいだ。
二人とも元気でね、と言うだけで結局おその事も詳しく尋ねてこなかったが……
ほ、本気で隠し子だと思ってないよな?違うからなマミー!


57日目

最近ご飯がおいしい。
おそと一緒のテーブルで食べているからだろうか。
おそのご飯は水だけだが、俺が食べている様子をにこにこと見守ってくれている。
それだけで何だか、ただの白米さえも美味しく感じる気がするんだ。


58日目

仕事で大失敗をしてしまった。
俺が植木鉢のすぐそばで顔を伏せて落ち込んでいたら、頭に優しい感触。
おそが植木鉢から身を乗り出して、俺の頭を撫でてくれていた。
俺の手の平に乗るぐらい、あんなに小さい身体をしているのに。
俺の頭を撫でてくれるあの手を、どうしてこうも大きく感じるのだろう。
さっき鏡を見たらぐずぐずの顔で盛大に目が赤くなっていた。恥ずかしい。


59日目

昨日の情けない俺の姿は誰にも言わずに二人だけの秘密にしていてくれ。
と、おそに伝えたら、「おっけー!」と鼻を擦りながら返事をしてくれた。
……おそは可愛いが、何となく、信用できないのは何故だ。


60日目

おそを譲り受けてから約二ヶ月も経つことに気付いた。
いや、まだ二ヶ月しか経っていなかったのか、という思いもする。
ずっと昔からこうして二人で暮らしているような心地だった。
ついでにこの日記を最初から読み直してみたんだが、そういえば花を咲かせる実験だったっけな。
おその双葉は双葉のまま、成長する兆しを見せないが。

正直に言うと、別に花を咲かせなくてもいいと思っている。
このまま花なんて咲かせず、おそがおそのまま俺の傍にいてくれるだけでいい。
そう、思ってしまっている。


61日目

今日の昼、デカパンと久しぶりに鉢合わせた。
まるで昨日の日記の内容を読まれていたかのようなタイミングだ。
当たり前だが、鉢植えの様子はどうだと尋ねられた。
そろそろ花を咲かせてもいい頃合だろう、と。
俺は自分がその場でどうやって誤魔化したか、覚えていない。

無事に花が咲いて実験が終わったら、やはりおそは返さなければならないんだろうか。
そもそも、どうやって花が咲くんだ。花が咲いたらおそはどうなる?
怖くて聞けない。
おそと離れたくない。


62日目

昨日から元気がない俺を、おそは一生懸命励まそうとしてくれる。
その姿に、余計に切なくなってしまう。
おそと逃げる事も一瞬考えたが、特別な植物であるおその健やかな生活のためにデカパンの協力が必要不可欠だ。
ああ、おそ。お前はどうして植物なんだ。


63日目

おそにあまり心配をかけたくなくて、俺も頑張っていつもの調子を出そうとしている。
イタイイタイと何故か爆笑しながら鉢植えの中でころころ転がるおそは可愛い。
俺との生活の中で、たくさんの言葉を覚えて、人間らしい仕草も身につけてきたおそ。
まだ少し舌足らずな声で「からまつ」と呼んでくれるおそ。
俺は。
俺はおそに、誰を見ている。


64日目

職場でも最近注意力が散漫だと注意された。
おそは虚勢を張る俺の内心を見透かすように、心配そうな顔でじっと見つめてくる。
おそ。
ごめんな、おそ。


65日目

これ以上、俺のこの気持ちに蓋をし続ける事が出来ない。
この日記で吐き出してしまおうと思う。

俺はおそ松が好きだ。
愛している。
兄弟として以上に、一人の人間として。
それをずっと隠してきた。
やがて隠しきれなくなって、弟たちの自立に便乗して家を飛び出した。
あのまま傍にいれば、何を口走っていたか分からない。
だから俺は、おそ松から離れた。
寂しがるあいつを置いてきた。
自分勝手な理由で、今も実家に帰る事が出来ない。

俺はおそに、おそ松を重ね見ている。
今まで自分の中で必死に否定してきたが、もう誤魔化しきれない。
おそ自身を愛しく想っているのも本当だ。
でも、おそを見ていると、どうしてもおそ松を思い浮かべてしまうんだ。
日に日におそは、おそ松へと近づいているように思えてしまう。
俺のせいなのか。
諦めきれない俺がおそ松を求めてしまうから、おそは。

俺は一体、どうしたらいいんだ。


66日目

日記に書き出したら少しだけすっきりした。
おそは最近毎日俺の指をせがんで、両腕でぎゅっと抱きしめてくれる。
元気づけてくれているんだろう。
愛おしい。
不純な気持ちを持つ俺をどうか許してくれ。


67日目

毎日悩む俺に、おそが言った。
からまつ、と呼んで、傍に来た俺を見上げて、ふにゃっと笑いながら言った。
「かわらなくていいんだよ」って。
おそ、どうしてその言葉を。


68日目

おそと共に暮らすうちに、嫌でも思い知った事実がある。
やはり俺はどうしたって、この気持ちを忘れる事も捨てる事も出来やしないんだ。


69日目

決めたぞ。
次の休み、俺はおそを連れて実家に帰る。
そしてあいつに、おそ松に会って、俺の想いを余すことなく伝える。
どうせ自分では捨てられないのだから、玉砕覚悟で全てをぶつけようと思う。
そうすれば俺はきっと、前へと進める。
おその事も、純粋な気持ちで世話をすることが出来るようになると思う。
しばらくはさすがに立ち直れないかもしれないけど。
今こうしてここで逃げ続けているよりは、きっとずっと俺らしい。

しかしそうやって決意すると今から緊張してきた。
そうだ、おそに練習に付き合ってもらおう。
最近は競馬新聞が読みたいと駄々をこねるほどのおそ松っぷりだ。
事情を説明して一回、本番のつもりで真剣に告白を、


 ※日記は不自然に途切れている


70日目





71日目





72日目















最後のページ


日記の存在をすっかり忘れていた。
もうデカパンに提出するつもりはないが、けじめとして最終的にどうなったかを書き記しておこうと思う。

結論から言うと、おそはおそ松だった。
正真正銘、俺の兄である松野おそ松だった。

話は、俺が実家を出た日まで遡る。
あの後弟たち全員が自立して家を出る事になり、おそ松一人だけが実家に残ったらしい。
一人になった日からおそ松は目に見えて元気がなくなり、言葉も滅多に発しなくなり、家に閉じこもって、無表情でぼおっと部屋に座り込む日々を過ごしていたそうだ。
この辺はのちに母さんから教えて貰った。
最近ではおそ松は人形のようにまったく動かなくなってしまい、心配した母さんがデカパンに相談したんだという。
おそ松の心が大分弱っている事に気付いたデカパンが思いついたのが、おそ松植木鉢計画だ。
今考えても頭おかしい計画だと思うが、デカパンの薬によっておそ松を植物にしてしまい、誰かに面倒を見てもらって心も体も癒してしまおう、という事だったらしい。
観葉植物は確かに人の心を癒す効果があると聞くが、そういう問題か?物理的すぎないか?
そもそも癒されるのはこの場合、観葉植物を育てる側じゃないか?
結果的に成功したからいいものを、よくこんな計画母さんたちは了承したなと今更思う。
おそ松の様子をまったく知る事無く暮らしていた俺が言えることなど何もないが。

つまりは、俺に偶然を装って実験への協力をお願いしてきたデカパンも、
途中で様子を窺うために何も知らない振りして電話をかけてきた母さんも、
他の弟たちも、みんなグルだったという事だ。

そう、弟たちは今回の事を皆知っていたらしい。
何故なら、植物おそ松を一体誰に託そうかという話になった時、弟たちから満場一致で俺の名が挙がったためだ。
母さんたちは心当たりがあるか、実家から近い順に弟たちに尋ねていって、
つまりは一番遠い所に住んでいたのが俺だったわけだが、
それまでの四人中四人が俺の名前を出したので、俺に預けることになったらしい。

真相を知った時、いっぱい尋ねたいことはあった。
何故皆で俺を指定したんだ。
まさか俺の秘めたるハートが誰に向かっているのか、バレていたのか?
いいやそれより、何故俺にそれを言わなかった?!
他の弟たちには本当の事を話していたのなら、俺にだって最初から話してくれたってよかっただろう!
何も知らない自然体のままの方がおそ松のためにも良いだろうと思ったから、って説明されたが、
本当だろうな?面倒くさかったからとかじゃないよな?

だがまあ、そんな事はもうどうでもいい。
俺が心を配って育てたおそが、おそ松だった。その事実さえ、あればいい。

あの日俺は、本番さながらにおそへと愛の告白をした。
おそ松へ長年募らせた想いを、そうとは知らずに本人へ告げた。

人間を植物に変える、だなんて摩訶不思議なデカパンの発明品が花を咲かせる時。
それは、植物に変化した人間が、真に足りないもの、欲しているものが満たされた時だという。

おそ松に足りなかったもの、それは、


 「カラ松ー、お前さっきから何してんの?もうすぐ夕飯出来上がるけどー?」
 「ああ、ちょっとな。終わったらそっちに行く。今日は焦がしてないよな」
 「馬鹿にすんなっつーの!昨日犯した失敗を繰り返すお兄ちゃんじゃないぜ……アチチッ!」
 「む、無理はしないようにな?」


……まあ、今俺の傍の植木鉢に咲き誇る、情熱と神秘の赤いガーベラの花で全て説明がつくだろう?

あの時の光景は、いつでも鮮明に思い出すことが出来る。
俺の言葉を受けて、土の中から次々と溢れ出た蕾たち。
瞬きをしている内に、俺と同じ大きさへと戻った涙を湛えた顔。
消え入りそうな声で「今の、ホント?」と尋ねてきた、俺の愛しい唯一の兄。
本当に好きなんだ、なんて何も取り繕えなかった俺の言葉に、おれも、と答えてくれたおそ松が、
今でも現実のものだったのか、疑ってしまう時がある。
それぐらい幸せな瞬間だった。
初めてのキスを終えた時にはもう、植木鉢の上は赤い花びらで埋め尽くされていたという訳だ。

この植木鉢の中にはもう、無償の愛を俺にくれていたおそはいない。
しかし、俺はおそがいなくても、もう大丈夫だ。
何故なら今の俺には、本当に欲しかった存在がそばに


 「ねー!かーらーまーつー!まだぁ?」
 「ああすまない、すぐ行く!」


フッ、これ以上は野暮ってものか。
愛するハニーが呼んでいる。日記はこの辺で終わらせようか。
ガーベラは俺が責任もってこれからも育てようと思う。
これはおそ松がくれた、俺の捧げた愛への精一杯の答えだから。

おそ、今まで愛をありがとう。
おそ松、これからも愛している。


松野カラ松




 「おまたせハニー」
 「おせーよダーリン。ほら、今日は自信作なんだけど!」
 「おお美味そうだ!最初と比べて腕を上げたなあ」
 「へへーん、まあ毎日つくってりゃ多少はな!」
 「ありがとう」
 「んぇ?別に、夕飯は俺の当番なんだし礼なんていいって」
 「……ありがとう」
 「だからいいって……って、なーんでお前いきなり泣きそうな顔になってんだよお」
 「愛してる」
 「な、何だよいきなり……お、俺も、だよ」
 「ああ、知っている」

 「植木鉢の中からずっと、貰っていたから」






17/06/22



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