事実は同人よりもカラおそだった。





扉を押し開けて足を踏み入れた馴染みのファミレスは、お昼時を過ぎている事もあって客もまばらであった。やってきた店員に相席である事を伝えてから、ぐるりと席を見渡す。禁煙席の窓際一番奥に探していた後頭部を見つけて、迷わずそちらへと足を運ぶ。ドリンクバーとポテトの盛り合わせが横に退けてある真ん中に本が広げられていたテーブルに辿り着けば、一人でそれを眺めていた顔が持ち上がった。向こうも顔を見る前にこちらの正体に気付いていただろう。視線が合う前に正面の座席に座る。

「チョロリン待った?」
「そんなに待ってねえけどその名前で呼ぶなって言ってんだろチョロ子」
「ごっめーん呼びやすいからつい呼んじゃうんだよね。チョロ松よりよっぽど愛嬌があると思うよ?」
「このアマ……!」

苦虫をかみつぶしたような顔で睨み付ける男、チョロ松に、持ってきた鞄を横に置きながら、チョロ子は悪びれずに笑ってみせた。

チョロ子は腐女子である。男と男のくんずほぐれつを妄想しては涎を垂らして喜ぶあのアレである。そしてチョロ子は妄想するだけに留まらず、いわゆる描き手でもあった。小さい頃から飽く事無く絵を描き続けてきた事もあって、その類稀なる妄想を次々と形にするチョロ子の薄い本はイベントの度に割と売れている。主に創作BL畑で生きている女であった。
若い男と一対一で待ち合わせなんていう甘酸っぱいシチュエーションを今しがた体験したチョロ子であったが、残念ながら彼女に彼氏はいない。先にファミレスでチョロ子を待っていたこの男の名はチョロ松と言って、名前から色々何かと似ているこの二人はオタク仲間という奴だった。出会いも某同人誌即売会だった。同じ趣味同士の男女、別に付き合ってもいいのではないかと思ったりするかもしれないが、チョロ松の事を今までの付き合いの中でそれなりに知っているチョロ子は、この男とだけは付き合う事も結婚も考えたくないなあと思っているし、多分向こうも同じことを考えているだろう。良い友達と良い恋人はかならずしもイコールとはならないのである。チョロ松とチョロ子は、互いに今の関係がベストだと思っている。
閑話休題。
チョロ子は持ってきた鞄から一冊の本を取り出すと、剣呑な瞳で見つめてくるチョロ松の目の前へと差し出した。

「はいチョロリン、この間欲しがってたやつ。ちょうど店頭に置いてあったの見つけたんだけど」
「だからチョロリンは止め……うおおおお!マジで?!これマジかよ!うわあーありがとうございますチョロ子様ぁー!」

表紙を一目見た瞬間、チョロ松が感激の声を上げた。それは彼が好んでいたアニメの同人誌であった。あの作家さんの新刊欲しかったのに売り切れで買えなかったよーちくしょーと目の前の男がめそめそ愚痴っていた姿が記憶に新しい。欲しかった本が買えなかった時の悔しさも無念さもチョロ子には非常によく理解出来たので、見かけたら買っておいてやろう、と思ってはいたのだ。但しそこにあったのは善意だけではない。渡された本に拝み倒すチョロ松を眺めながら、チョロ子はにんまりと微笑んだ。
チョロ松とてこれが無償で貰えるものとは思っていなかったようだ。大事に大事に本をしまい込んでから、興奮を落ち着けた顔でチョロ子へと向き直る。

「……それで?これが今回の報酬って事でいいの?」
「いいよいいよ全然いいわよ、さあ早く話して。年頃の男たちが一つ屋根の下で朝から晩まで愛を育む一部始終を、さあ!」
「普通に家族で一緒の家に住んでるだけの事をいかがわしく言わないでくれるかなあ?!」

さすがのチョロ松も引き気味だが、チョロ子はそんな事一切顧みない。愛用のノートとペンを取り出して、些細なネタでも聞き逃さないよう全神経を耳へと集中させるのみであった。

チョロ子がこうして、わざわざ報酬を用意してまでチョロ松を呼びつけて彼の話をネタ帳に書き記そうとするのには訳がある。チョロ松は何と驚くべきことに、世にも珍しい一卵性の六つ子の中の一人であるらしい。最初にそれを聞いた時は半信半疑だったが、写真を見せられてしまえば納得するしかなかった。あれほど同じ顔が並んでいるのを見たのは初めての事だった。チョロ松と同じ顔があと五人、成人しているくせに誰も家を出る事無く同じ部屋で、特注の同じ布団で寝起きを共にしているという。それをチョロ松から自虐的な笑い話のように聞かされた時、チョロ子の頭の中には祝福のベルが鳴り響いた。これは運命ではないかと思った。もちろんチョロ松個人に対してでは無い。
チョロ子はカップリングによっては地雷持ちではあるが、守備範囲は広めの腐女子であった。そして近親相姦は萌えるポイントの一つであった。つまりは、チョロ松から聞きかじった兄弟の話だけで萌えられる女であったのだ。同じ歳の男兄弟ばかり六人という、二次元であれば腐女子の格好の餌食となりそうな設定がリアルに目の前に転がっている。それを逃す手は無かった。

「期待されてるとこ悪いけど、今回も大した話は無いからね。相変わらず誰も家出ねえし、だらだら毎日を過ごすニートなだけなんだけど」
「いいから。詳しく。些細な事でもいいから。誰と誰がどんな話をしていたのか、どこに行っていたのかだけでもいいから。はやく。詳しく!」
「いつも思うけど物好きだよね腐女子って生き物は……。うーんじゃあ、この間外で一松と十四松が散歩してた所に出くわした話でも……」
「数字キター!!」

チョロ松が淡々と語る兄弟の話を、一言も聞き漏らさないようガリガリと書き写していく。必死なのは、それがチョロ子の新刊のネタになるからだ。チョロ松と出会い、六つ子の話を聞いて、萌えが滾るそのままの勢いで出した本が妙に受けてしまって以来、チョロ子はそれなりな売れっ子BL同人作家となっている。ちなみに、聞いた内容をBL同人誌のネタにする事はちゃんとチョロ松へ許可を貰っているので安心してほしい。他の兄弟はあずかり知らない所だろうが。

「あー、あとこれは、おそ松兄さんとトド松と僕が居間にいた時の話なんだけど」
「ふむふむ!」
「……ねえ、念押しするけど、僕の事は絶対に本にしないでよ。他の兄弟に関しては何にも言わないからさ……」
「あーウンウン分かってる分かってる。安心してよチョロリン」

チョロ松から本のネタにする際の条件を二つ提示されていた。一つは、名前や容姿を変えて絶対に特定されないようにする事。六つ子って時点である程度の知り合いは勘づくんじゃないかなとチョロ子は思っているが、口に出して指摘したことは無い。六つ子だからこそ萌えるし。そして二つ目は、チョロ松自身を本のネタに使わない事だ。兄弟はどれほど腐女子の餌食となっても良いが、見返りを貰いつつ自分の身だけは守るというさすがのクズっぷりである。兄弟全員クズだけど唯一僕だけがまともなんだよね、とドヤ顔で語ってみせていた事だけはある。
兄と弟に散々からかわれた話を悔しそうに話すチョロ松を眺めながら、チョロ子は次にどのネタを本にするか考えていた。今の話、三角関係の末の3Pにしてもいいな、などと最低な事を思いながら。その場合チョロリンは右かな?左かな?兄と弟に攻められるチョロリン……萌えるーぐふふ。心の中でいくらゲスい笑いを浮かべても、表面上は澄ましたままでいる技はとっくの昔に会得済みである。チョロ子にチョロ松の出した条件の二つ目を守るつもりはさらさらなかった。言われた通り名前も容姿も分からないよう変えているし、そもそもチョロ松はチョロ子の本を読んだ事はないのだから分かるはずもない。
チョロ松がどこか疑わしげにこちらを見つめていたので、チョロ子はわざとらしく傍らの鞄をまさぐってみせた。

「あ、疑ってる?そんなに言うならこの間出した新刊読んでみる?この間チョロリンが話してくれた次男君と四男君の話なんだけど、すごく評判良くってー」
「いっいやいい!やめて!さすがに自分の話した内容がホモとして形になっているのを見たら、罪悪感で家に帰れなくなりそうだからっ!」
「特にこの、四男君が素直になれないツンデレ可愛いって人気でね、」
「語るなっつーの!」

うわー一松ごめーん!と虚空に謝るチョロ松に、チョロ子は内心ほっと息をついた。言えない。この新刊に片思いの末横恋慕する役でチョロ松も出ている事なんて、絶対言えない。チョロ松の謝罪に合わせて、チョロ子もごめんねチョロリンと心の中で合掌しておく。
ちなみに今日はもう慣れてしまったようで呼ぶことを止めなくなったこのチョロリンという名前、少し前チョロ松が友人に頼まれてコスプレに無理矢理引き摺られていったときの偽名である。どんなコスプレだったのかと言うと……本人が嫌がっているのと語感で察してほしい。

「はい、納得したなら次!ネタはあればあるほどいいんだから!」
「次って言われても……本当に何もなかったんだよ。いつも通りだったんだって」
「そのいつも通りが尊いって何度も言ってるでしょ!男と!男が!日常的に!同じ空間で!呼吸をしている!それだけでもうホモは成立するのよ!分かった?!」
「分かりたくねえ……」

チョロ松はすでにげっそりとしているが、チョロ子に引く気は無かった。より質の高いネタを集めるためにヒントを出してみる。

「そういえばチョロリンって兄弟皆で毎日銭湯に行ってるんだっけ」
「え?ああ、うん。そうだよ、家だと全員入るのに時間掛かるから。だからって別に何もないよ?金無いからコーヒー牛乳回し飲みしてるってのは前に話したし。金に余裕がある時は帰りにコンビニ寄ってそれぞれ何か買ったりしてるけどね。昨日とか長男次男が一つのアイス分け合うなんてわびしい事していたり、末っ子が引き当てたアイスの当たりを全員で奪い合ったり、それぐらい」
「なるほど」

チョロ松がいつもの事と切り捨てるそれを逃さず書きつける。まだだ、まだきっとオイシイものが眠っている。

「そろそろ暑くなってきたけど、まだみんなで一緒に寝てる?」
「まあね、それも相変わらずかな。あいつら素直に寝てくれないから毎日大変だけどね。大乱闘が巻き起こる事なんてしょっちゅうだし、末弟は相変わらず僕を真夜中のトイレに起こすし、十四松のいびきはうるさいし。たまに夜中、いつの間にかおそ松兄さんとカラ松が抜け出してるのか、朝起きたら僕の周りに弟共が密集している事もあるよ。夜中に二人で何馬鹿な事やってるのか知らないけど、隙間空いたからって僕の方に寄って来る事無くない?」
「うんうんうんうん」

激しくうなずきながらも手は止まらない。いいぞ、いいぞ。

「皆まだニートだったよね?昼間とかみんなで家にいるの?」
「いや、結構ばらばらに出かけてる事多いかな。あーでもこの間は珍しく全員で昼食食べたっけ、カップ麺だったけど。たまに食べると美味しいよね、色んな味食べたくなるよ。上二人みたいにわざわざ別な味同士を食べさせ合うほどじゃないけどさ。一松のやつが途中で残すから食べてやったりはしたかな」
「そうかそうかそうか」

ガリガリガリガリガリガリ。

「えーと、外で兄弟に会う事って多い?」
「そこまでは無いかな……僕の行動範囲は他の兄弟とあまり被らないし。クソ長男がたまに乱入して引っ掻きまわしていくけどな!最近はカラ松のやつと出掛ける事多いから助かってるよ。時々町中でトド松と出くわしたときはどっちも見なかった振りしたりする」
「………」

ぴたり、とチョロ子はその手を止めた。しばらく考え込んで、恐る恐る尋ねる。

「……ねえ、チョロリン」
「なに」
「前も聞いた気がするんだけど……兄弟の中で、本当にカップルはいないんだよね?」
「っはあ?!何言ってんの、男でしかも兄弟だよ?!ある訳ないから!腐女子の妄想をリアルに持ち込まないでくれない?!」

チョロ子の言葉にチョロ松は激しく拒否した。この長くも短くも無い付き合いの中で、チョロ松が嘘をつけない性格である事をチョロ子は良く知っていた。よって、今のドン引きした顔も本心からの表情だろう。チョロ松は全身で、兄弟間にカップルはいないと訴えていた。
それを眺めたチョロ子は、すぐに気を取り直したように手を振ってみせた。腐女子は心の中でどんなに叫ぼうとも、それを表に出さない事など長年の訓練により朝飯前なのだ。

「ごっめんごめん、そうだよねー私ちょっと腐ィルター掛け過ぎちゃってたみたーい!許してチョロリン!」
「ったくもー。もうネタ提供してやらねーからな」
「今度集まる時は橋本にゃーのイラスト描いたげるからさー」
「よっし次はいつにする?またクズ兄弟たちのネタたくさん集めとくからさ!その際はお願いしますよチョロ吉先生!」

この男相変わらずちょろい。ちなみにチョロ吉先生とはチョロ子のペンネームだ。あえて男のような名前を付けるブームの時に名乗って以来長年定着している名前だった。急におだててくる現金なチョロ松に笑ってみせながら、チョロ子の心中にはこっそりと大嵐が吹き荒れていた。




「私の腐ィルターの暴走なのかしら……いやでも……」

そろそろ帰るというチョロ松を見送って、一人席に残ったチョロ子は改めて頼んだケーキセットを前に深く考え込んでいた。腐女子が身に着けている思考のフィルターは人にもよるが、およそ24時間稼働中だ。ただの男友達同士の戯れでさえも腐った妄想へ直結させてしまう無駄に高性能で難儀な代物である。そんな腐ィルター越しに聞いたチョロ松の話に、チョロ子の腐女子としての本能が囁いているのだ。いや囁くってレベルじゃない、大声でわめき倒している。

「やっぱりさ……距離感おかしいのが二人いる気がするのよね……」

話に聞く限り元々あの六つ子は普通の兄弟に比べたら距離感が近すぎる気がするのだが、そこはまあ萌えるし特殊な生まれだから仕方ないよねって納得できる。それを考慮しても、なんかおかしいとチョロ子に思わせる人物が二人いるのである。

「最初は四六時中一緒にいるような感じじゃなかったはずよね……長男と次男」

そう。三男であるチョロ松の兄にあたる、長男と次男だ。先ほどの話でも何かとセットで登場していたが、実はこれは珍しい話では無い。チョロ松の話ではしょっちゅう二人まとめられて登場していたのだが、最近ではそれが顕著だった。六つ子の中でもそれぞれ相性みたいなものがあるらしく、一緒にいる組み合わせは決まっている事も多いのだが、それでも上二人の組み合わせはいちいちチョロ子の琴線に触れるのだ。
今回の話だってそう。一つのアイスを二人でってどういう事だ、元々分ける前提のアイスだったのか普通のアイスを分け合っていたのか確認しておけばよかった。カップめんも当たり前のように分け合っていたし。あと夜中二人で抜け出して何してるの?ナニしてるの?!二人で頻繁にお出かけとかもうデートでしょデートでしかないでしょそうなんでしょ?!
チョロ子の頭の中のチョロ子がめいっぱい叫んでいる。それを表に出さないように必死に俯いた。チョロ子は割と年季の入った腐女子であるが、最早これが腐ィルターを通しているからこその妄想なのかそうではないのか、判別がつかなかった。ホモはノーサンキューなはずのチョロ松がさも当たり前のようにそれを語るのも混乱に拍車をかけている。チョロ松的には距離の近い上二人は有りって事なのだが、それは慣れのせいなのか?慣れて違和感が沸かないぐらい当たり前の光景なのか?そもそもがあの六つ子、イイ歳した男兄弟のくせに仲良すぎなんだよクソが、いいぞもっとやれ。
とりあえず。手を付けていなかったチョコレートケーキを頬張り糖分を吸収しながら、チョロ子は己の思考に決着をつける事とした。多分この結論は個人的な趣味も入るが、チョロ松の客観的な視点から聞く限り、これは。おそらく。

「……次男×長男、ね!」

そう、そこが一番大事。逆の人ごめん、といもしない脳内の逆カプ派に謝る。どっちが受けか攻めかは、チョロ子の場合最初のインスピレーションで決まる。兄受けか……うん、いける。チョロ子はコーヒーを飲み干して頷いた。

「えーと名前は確か、おそ松君とカラ松君だったっけ。つまりは……カラおそか。次の新刊はこれね……」

先ほど鬼のように書き記したネタノートを眺めながら頭の中にプロットを組み立てる。前回が泥沼だったから今回は純愛路線でいこうか。上二人だからこその背徳感を出してもいいかもしれない。にや、と堪えきれない笑いを湛えた時、脇に置いていたスマホがブブッと振動した。メッセージを受信した合図だ。
画面を覗けば、行き遅れ気味仲間な友人たちからこれから遊ばないかというお誘いが入っていた。この時間から集合であれば、夜は居酒屋で女子会という名の男に対する愚痴大会になるだろう。幸か不幸かこれからの予定は何も無いので、付き合ってやるかとばかりにOKスタンプを送る、その前に。
視界の端、窓の向こう側に、気になる色合いを見つけたのだ。

「……え、あれ、チョロリン?」

おもわずチョロ子はそう呟いていた。さっき別れたばかりのはずのチョロ松が、服装まで変えて歩いているのかと思ったのだ。しかしその認識はすぐに改める事となった。いくらチョロ松でも、同時に二人に分裂なんて出来る訳が無いからだ。チョロ子の視線の先、同じ顔が二人、並んで歩いている。話では何度も何度も聞いていたし、写真でだって見た事があったのに、実際にこうして目にするとなかなか信じられないものだ。まさしくあれはチョロ松の兄弟、六つ子の内の二人なのだろう。
やべー六つ子実在した!と妙なテンションでチョロ子は窓の外を歩いていく背中を見つめる。脳みそはすぐに、あの二人が六つ子の誰に当たるかを検索する。チョロ松の話によると六つ子は普段から自分の担当カラーを持っており、よほどの事が無い限り普段からその色を身に着けているという。チョロ松は緑色で、言われてみれば確かに緑のシャツを着ている確率が高かった。それじゃあ、目の前の彼らは。
一人は赤いパーカー。なるほど赤だ。もう一人は残念ながら革ジャンを羽織っていて色を判別する事は出来なかったが、兄弟たちがどんな服装を好んでいるのかも事前にリサーチ済みである。すぐ近くに書き残していたはずだとページを捲れば、あった。革ジャンを好んで着る兄弟が確かに一人いた。彼らの正体はすぐに判明した。
赤い方が長男、革ジャンの方が次男だ。
……長男と、次男?

(か、カラおそだああああ!!)

脳内で叫びながらおもわずチョロ子は立ち上がっていた。その手に握られていたままのスマホに素早く、「ごめん今日は大事な用事があって集まれない」とすかさず入力しながら。




チョロ子は今、人生で最大の集中力を駆使して歩いていた。あの後荷物を引っ掴み急いで会計を済ませファミレスから飛び出したチョロ子は、幸いすぐに目的の二人を視線の先に見つけ出す事が出来た。それからは自分との闘いだった。足音と気配を忍ばせ、しかし目と耳は限りなく前方へ集中させながら、一定の距離を保って同じ背丈の二人を追った。このチャンスを逃す手は無いと思った。何せ、生カラおそである。いや、それはチョロ子の主観によるのだが。
出来うる限りで客観的に見れば、松野家の長男と次男は談笑しながらただ歩いているだけで、傍から見れば仲の良い双子の兄弟にしか見えないだろう。距離を取っているので会話の内容を聞き取る事が出来ないが、それだって他愛の無い何の意図も含まれない兄弟の会話でしかないのだ、多分。それを理解していながらチョロ子は、幸せだった。
同じコマにいるだけでカップル、一言でも会話をすれば結婚、そもそも何の接点が無くとも男が二人存在するだけでホモ。そんな世界に生きている者にとっては、仲良さげに肩を並べて歩いているだけで湯水の如くネタが湧き出るホモの聖域なのである。事実は関係ない。あの二人は多分本当にただの仲良い兄弟でしかないが、重要なのはチョロ子がそこからどれほどのホモを妄想し生み出す事が出来るのか、それだけなのだ。チョロ子の頭の中では目の前の彼らが、すでに紆余曲折を経て告白まで漕ぎつけ禁断の兄弟恋愛真っ只中で親兄弟に関係がばれて修羅場が訪れる所まで話が進んでいる。

「ぐふふ……これは、上巻下巻になるかもしれないわね……」

これからの予定に一人でこっそり笑っていたチョロ子の視界にその時、つんと肩で次男にちょっかいをかける長男の姿が映し出された。何あのスキンシップ可愛い。次男が顔を向けて何事かを尋ねると、ちょいちょいとどこかを指し示している。頷き合った二人は真っ直ぐ歩いていた道を横に逸れた。チョロ子も妄想はひとまず落ち着けて慌てて後を追った。
辿り着いたのはチェーンのコーヒーショップだった。このまま店内で召し上がるらしいと感づいたチョロ子の行動は素早かった。その鬼のような執念に腐った女神がほほ笑んだのかはたまた純粋な偶然か、二人が腰を落ち着けたテラス席のすぐ近くのテーブルに陣取る事が出来たのであった。カモフラージュ用の文庫本を広げて、顔を上げればすぐに横目で二人の様子を見る事が出来る位置に座り、準備は万端だった。さあ、どんな会話でもどんな事でもいい、新刊のネタをちょうだい、生カラおそ(チョロ子目線)!

「んお、これちょっと甘いけど意外とイケるわ!」

すぐに嬉しそうな声が聞こえる。どうやら新作のフラペチーノを頼んだようで、赤いパーカーが機嫌良さそうにストローを咥えていた。赤いパーカー、つまりは長男おそ松だ。答えるのはもちろん向かいに座る革ジャン、次男カラ松である。

「フッ、さすがトッティセレクトだな。クールガイな俺にはその魅惑的なスウィートメルトドリンクは合いそうにないが」

うわあ、これが生カラ松語かあ。チョロ子は噂で聞いていた独特なその話し方にいっそ感動を覚えていた。うんざりした様子だったチョロ松の話によると、彼はこの自分に酔ったような喋り方が最高にかっこいいと思っているらしい。これは創作に反映しなくてもいいかな、ウザいし、と聞き流す事にする。

「えーそんな事ねえよ、ちょっと甘いだけだって。飲んでみろよほら」
「ん」

おそ松がカップを差し出せば、向けられたストローをカラ松が躊躇なく口に咥える。あまりにも自然な動作だったので、あやうくチョロ子は見逃す所だった。
い、いともたやすく行われる関節キスだ!でもこれは男兄弟にはよくある事なのかもしれない!それでも萌える!何だ今の自然な流れはこいつら慣れてやがる!チョロ子はそっとペンを持ちノートを広げた。こんな光景メモし忘れてはいけない。

「あ、美味い」
「だろぉ?」

思わずといった様子で素で呟くカラ松に、何故か得意げに鼻の下を擦ってみせるおそ松。微笑ましい。自分のカフェラテを飲みつつチョロ子は手を動かした。あの鼻を擦る動作可愛いからどこかに入れよう。

「ねーねーお前のも飲ましてー」
「別にいいが、これブラックだぞ」
「一緒に買ったんだから知ってるっつーの。いつもかっこつけてブラックばっか頼みやがって……あ、そしたら俺のと交互に飲んだら甘いのと苦いのでちょうどいいんじゃね?」
「なるほどナイスアイディアだな!」

互いに互いのカップを向け合って、交互に手ずからちゅーちゅー飲ませ合うその光景にチョロ子は現実を疑った。え、いまどきの男兄弟ってお互いにほぼ全てを飲ませ合っちゃうぐらい仲良いものなの?自分の夢、それとも妄想の類なのでは?チョロ子がいくら自分のほっぺを抓ろうが、思った通りちょうどいいなとにこにこ笑顔を見合わせる同じ顔同士は消え去らなかった。なるほどこれは現実らしい。ヤバい。
そう言えばチョロ松の話でもこの二人は食べるもの飲むものを頻繁に分け合っていた。これが彼らの日常なのだ。六つ子の日常なのか、それともこの二人だけの日常なのかは分からなかったが、何故私は松野家に生まれてこなかったのだろうと己の出生を惜しむぐらいはチョロ子の心にクる光景であった。

「そういや今日さあ、チョロ松のやつソワソワと出掛けてったけど何の用事があったんだろうな。いつものレイカ関連っぽくは無かったんだよなー」
「そうだな。……まさか、奇跡のチョロ松ガールと逢引しに行ったんじゃ」
「あーないない。チョロ松に限ってそれはない。まあカラ松ガールよりは可能性あるかもしれないけど」
「えっ」

二人の話はいつの間にかチョロ松の事に移っていた。確かにチョロ子は生物学上はガールに間違いないが、逢引などというものでは決してない。言わばあれは取引だ。互いに互いの欲求を満たすためだけに目的を持って集まるだけだ。まさかその現場で取引されているのが自分たちの個人情報などとはつゆほども知らない兄たちは、呑気に弟の行き先を予想し合っている。

「ああ、あれかな?たまにあいつの隠し場所に混じってる本でも買いにいったのかな」
「本?」
「そう、何か他の本と比べて妙に薄い本でさあ、大体女の子のイラストが表紙に描かれてるんだよ。中身は見てないけど新種のエロ本なんじゃねーの」
「へえ。チョロ松も懲りないな……」

チョロリン、チョロリン。同人誌持ってるのがお兄様にバレてますよ。同人素人なのが助かってその詳しい正体はまだ見抜かれてはいないが。チョロ松に自分の描いた本を渡してなくて良かったと、チョロ子は胸をなでおろした。
その後も話題になるのは大体弟たちの事ばかりで、この兄弟は本当に仲が良いなと萌える前に感心してしまうほどだった。時折チョロ松が意図的に話していなかったであろう大惨事な事態の話題も飛び出してきて、「何それkwsk」と身を乗り出しかけた事が何回もあった。とりあえず今度会った時には、シコ松とやらの事件を詳しく問い質さなければならない。
やがて飲み物もほぼ空になり、ものすごい勢いで書き溜めたノートのページが残り僅かになった事に気付いた頃。飽きもせずに兄弟トークを繰り広げていた二人の元に第三者の声が割り込んできた。

「んで、そこで十四松のやつがさぁ」
「おや、おそ松君!おそ松君じゃないか!」
「は?……ああ、なーんだ、おっちゃんかー!」

傍を通りかかった一人のおっさんが、テラスで駄弁っていたおそ松を見止めて親しげに話しかけてきたのだった。そちらに目を向けたおそ松も手を上げて笑顔で答えている。なんだ知り合いか、と突然の見知らぬおっさんの登場に密かに動揺していたチョロ子はホッと息をつくが、目の前の光景にすぐに目を瞬かせることとなる。
気のせいでなければ。さっきまで長男の話を聞いて笑顔を見せたりかっこつけた返しをしたり楽しんでいた様子だったカラ松が、おっさんが声を掛けてきた途端どことなく不機嫌になったような気がしたのだ。

「……おそ松、その人は?」
「ああ、競馬場で時々会うおっちゃんでさあ、たまーに煮込みおごってもらったりしてんの。おっちゃん今日もお馬さん帰り?」
「いつも通り負けちゃったけどねえ、ハハハ。おそ松君こそ珍しいねこんな所に。そっちは弟君かな?」
「そう、次男のカラ松!何だおっちゃん負けちゃったのかあ、勝ったならまたなんか奢ってもらおうと思ったのにー」
「まったく、おそ松君はおねだり上手だからなあ」

和やかに会話するおそ松とおっさん。あ、まただ。少し離れた所から全体を眺めているチョロ子にはよく分かった。おそ松が楽しそうに喋りおっさんに笑いかける度に、カラ松の形の良い眉がぎゅっと不機嫌そうに寄せられるのだ。心なしかテーブルの上の拳も強く握りしめられているように見えた。その光景をチョロ子はぽかんと見つめていた。
だってあんな顔、まるで。まるで嫉妬しているみたいな表情じゃないか。目の前で現実に浮かべている事実が信じられない。男が男に絡まれて男が浮かべる表情じゃない。あんなの二次元だ。だって薄い本で散々見た。それらのに実際兄が楽しそうな笑い声をあげる度に、ぎりぎりと歯を食いしばる男が目の前にいる。
い、いまどきの兄弟って、兄が知らない男性と仲良さげにしている姿に嫉妬してしまうほど愛が深いんだね。そうやって喜びを通り越して呆然とする己の腐った心に必死に言い聞かせた。
落ち着け落ち着け。現実はノンケ。BLは二次元。

「ああそうだ、おそ松君今夜は空いてる?弟君と一緒でもいいからまた飲みにいかないかい?今日はかみさんが友達と旅行に行ってて留守でねえ」
「えーおっちゃんとー?」
「特別におじさんが奢ってあげるから」
「マジで?!……あー、いや、おっちゃん今日はー……」

話が弾んだことで楽しくなったのか、おっさんが気軽に誘いをかけている。モブはお呼びじゃねえんだよカラおその邪魔すんな帰れおっさん、とチョロ子が心の中で中指を立てていると、ガタンと音を立ててとうとうカラ松が立ち上がった。そのままおそ松のすぐ隣までやってきたかと思うと、身を屈めてその肩に手を回して軽く抱き寄せた。視線は真っ直ぐおっさんへ、冷え冷えと向けられている。

「すみません、今日は俺が兄貴と大事な約束をしていまして。お引き取り願えませんか」

あれこの人余所行きの敬語なんて使えたんだ、と今日僅かな間にカラ松語を散々聞いてきたチョロ子が思うほど、まともでかつ冷淡な言葉だった。見える、声色に含まれた感情の棘が見える。カラ松に抱き寄せられたまま、おそ松がへらりと笑う。

「うん、そういう事だから。ごめんなーおっちゃん。嫁さんが帰ってきてから晩酌の相手してもらってよ」
「……それなら仕方ないねえ、また今度の機会に付き合ってもらうとするよ」

それじゃあ、とおっさんは去って行った。若干小走りだったのは、さすがのおっさんも殺気の込められた視線に気づいたからかもしれない。
少しの間テラスには沈黙が落ちた。他の客はちょうど居なく、あまりの事に頭が真っ白になっていたチョロ子が音を発せられる訳も無い。しばらく静止した後、兄の肩から手を離したカラ松が自分の席に戻った。おそ松が顔を寄せてにやりと笑う。声が潜められていたが、チョロ子にはばっちりと聞こえていた。

「カーラちゅん、どーしたのイライラしちゃって」
「……俺、あのおっさんの事は知らない」
「いや、ほんとに競馬場でたまーに会うぐらいなんだって。何かね、俺が息子に何となく似てるんだって。だから奢ってあげたくなっちゃうんだって前言ってた。そんだけ!マジで!」
「あいつと飲みに行ったことがあるのか……?」
「一回、一回だけな?しかも他の競馬友達と一緒な?んもー機嫌直せってー俺がおっちゃんと何かあるとでも思ってんのー?んな訳ないじゃーん!」

ふてくされたようにぼそぼそと問い詰めてくるカラ松に、おそ松が明るく笑って頭をぐしゃぐしゃに撫でてやっている。チョロ子は己の正気を疑い始めていた。
えっ、今の……えっ?おっさんと何かあるって、ナニが?それを想像してカラ松君はあんなに不機嫌に……えっ?つまりそれは……、
……えっ???

「ったく、お前が異常に心配性なのは知ってるけどさあ、お兄ちゃんを疑うなんてひどいぞぉ」

わざと甘えるような声を出して、おそ松がむくれたカラ松の頬をつんつん突いている。あ、お兄ちゃんって一人称良いな、と固まった思考の中ぼんやり考えていれば、突いていた手がおもむろに降ろされ、テーブルの上で握られていた弟の拳に重なる。余計に潜められる声。きっとここまで集中してチョロ子が聞き耳を立てておかなければ絶対に聞こえていなかった音量。すり、と手の甲を撫でる指が、何か艶めかしい意図を伝えている様に感じた。

「そんなに心配しなくたって、ずっとずーっと前から……俺はお前のものだろ?」

そっと細められた瞳に宿る何かを、残念ながら恋人のいないチョロ子が正確に読み取れるはずも無かったが。……まるで火傷してしまいそうな熱を孕んでいることぐらいは、分かった。分かってしまった。
その熱を正面から受け取ったカラ松が、拳を解いておそ松の手を取る。きゅっと握りしめられた指先には、切実な想いが込められているように見えた。

「おそ松」
「なあに」
「……おそ松」
「ふは、堪え性の無い目しちゃって。……予定前倒しで行っちゃう?」
「すまない、だって、おそ松が、」
「はいはい煽った俺が悪かったですぅー」

二人が立ち上がる。チョロ子は視線が合わないように、あたかもここには誰もいないように思われますようにと必死に気配を消して俯いた。足音が響いて、近くのゴミ箱に飲み終わったカップを捨てている物音がする。その音に隠れるようにぼそぼそとした会話が届いた。

「おそ松、もうあのおっさんには会うなよ」
「えー競馬場行ったらいるんだから会うなってのは無理だよぉ。まあついてくことは無いからさ、約束」
「奢られるのも駄目だ」
「はー?!マジかよもったいねえー!うちの弟マジ我儘なんですけどー」
「……弟じゃ、ない」
「ん?あーそうだね、今のカラ松くんはお兄ちゃんの弟じゃなくってー、―――」

言葉の続きは耳元で囁かれたようで、残念ながらチョロ子には聞き取る事が出来なかった。しかしテラスを去ろうとしていた背中をちらと見てみれば、顔を寄せる赤パーカーと耳まで赤くした革ジャンの姿がそこにあった。

「……だもんな?」
「〜〜っ!!ふ、フッ、この俺を散々煽ってくださりやがって……手加減なんかできないからな、覚悟しておけよ、ハニー?」
「きゃーっケダモノー!もっと優しくしてダーリンっ」

大げさな動きでおそ松がカラ松の腕に飛びついて、そのまま二人はふざけ合った態を装って歩き出す。しかしチョロ子だけは知っている。互いの瞳の奥に灯る、兄弟間では決して燃え上がる事のない情欲の熱の存在を。結局チョロ子は、べたべたくっつき合った二つの背中が雑踏の向こうに消えるまで、その場から動く事さえできないままであった。二人が向かった少し先にホテル街があるなと、辛うじて考えられたぐらいだ。
テーブルの上に置いた大事なネタノートさえ放置して、チョロ子がしばらく虚空を見つめたままあらゆる器官を静止させていると、やがて聞き覚えのある女たちの声が近づいてくる。

「……あら?あれチョロ子じゃない?」
「ホントだ!ちょっとチョロ子、大事が用があるって私たちの誘い断ったくせにこんな所に一人で何してるのよ!」
「……ちょっとチョロ子?ボーっとして一体どうしたの?」

ゆさゆさと肩を揺さぶられる。その拍子にチョロ子は椅子からずり落ちて、ばたんと地面に倒れ込んでしまった。その衝撃で辛うじて堰き止められていた赤い液体が鼻からぶしゃっと噴出される。周りを囲んだ友人たちが明らかに慌てていた。

「ちょ、チョロ子?!あんたどうしたのよ!チョロ子ってば!」
「やだ、何かの病気?!」
「………、……や……」
「チョロ子!なに?何が言いたいの!」

ぷるぷると震える手を宙へ伸ばし、鼻血を垂れさせながらチョロ子は最後の力を振り絞って、ありったけの音量で叫んだ。

「やっっっぱり現実はカラおそだった!!!!!」

私の直感間違ってなかった!!!!
そう叫んで再び倒れ込んでしまったチョロ子に、友人達が「どういう事?!」「今の言葉に何の意味が?!」と必死に揺さぶりながら呼びかける。大丈夫だけど大丈夫じゃないので答える事が出来ないまま、チョロ子は極上の幸福な笑顔で揺さぶられるままだった。

ああチョロリン。あんたには言えないけど、あんたの兄弟には確かに、ラブラブカップルが存在したよ。


その後のチョロ吉先生の、家族に隠れながらもいつの間にか甘い甘い恋人同士となっていた兄たちの様子を弟視点から描いた弟×兄新刊「事実は小説よりも○○なり」は、泣けるし萌えるしリアリティがあって引き込まれるし等とファンに大絶賛で大層話題となった。それがきっかけで、のちの大型同人誌即売会にて一部の界隈に人気な描き手「十姉妹先生」にファンですとスペースに挨拶に来られ、その顔を見てチョロ子の時が再び止まる事となるのだが。
それはまた、別などこかのお話。






16/06/26



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