気付けばルークはどこかの宿屋の一室に立ち尽くしていた。少々古いが手入れの行き届いた簡素な部屋だった。狭く感じるが1人部屋だから仕方が無い。首を巡らせると己の長い髪が視界をちらついて、うっとおしく感じた。前は何とも思わなかったのに妙に気になるのは、やはり普段は「髪が短い」からだろうか。先が朱色から金色に色が抜け落ちている一房を掴んで見つめ、しばらくして飽きたように放り投げた。たとえどこに投げようとも、切らない限りは自分の髪なのだから自分の背中に戻ってくるのだが。
そこでルークは静かな夜の中に不自然な音を聞いた。壊れかけの人形がキシキシ音を立てるような、耳障りで、どこか切ない音だった。ルークが耳を澄ませて聞いてみれば、それはどうやら人の声であるようだった。喉の奥から搾り出すような細くて小さな声だったが、それ故にルークの耳に気になる音として入ってきてしまったのだ。ルークはゆっくりと後ろを振り返った。
目の前にはベッドが1個あった。質素であるがそれなりに柔らかそうなベッドだった。しかしその上に横たわっている人物は、安らかとは程遠い寝顔を毛布の間から覗かせている。ルークは改めて体ごと向き直った。そしてそっと屈み込んで起こさないように静かに近づく。
眠っているはずのその顔は眉を苦しげにひそめ、目をぎゅっと瞑りながら何事かを呟いていた。息を吐き出すようなかすかな声は震えているようであった。明らかに魘されている。目じりに溜まっていた雫が一粒、ぽろりと落ちた。


「……なさい……」


消え入りそうな声を聞き取る事ができた。しかしルークには聞き取らずとも何が呟かれていたか分かっていた。これが毎晩続けられているのだ、分からない方がどうかしている。それでもルークはそれを聞いた。聞かなければいけないと思ったのだ。


「ごめ……な、さい……」


また涙が落ちた。朝になれば本人さえ気付かない悪夢の涙を、ルークはじっと黙ったまま見つめていた。
誰に聞かせるわけでもない謝罪の言葉を、毎晩毎晩零し続ける。夢の中で彼は誰に謝っているのだろう。己が壊してしまった町の人々だろうか。旅の途中でやむ終えず手にかけた人間達だろうか。散々迷惑をかけた(そして今もかけていると思っている)仲間達だろうか。全てを奪ってしまったオリジナルだろうか。それとも……世界の全てに、か。
夜にしか泣けない目の前の顔を眺めて、ルークはきゅっと眉を寄せた。唇をかみ締めて、まるで耐え難い何かを我慢しているような表情になる。

そんなに苦しむ前に皆捨ててしまえばいいのにとルークは思う。彼の背負う中で1番大きな荷物は、まず間違いなくルークだと思っていた。ルークさえ捨ててしまえば、変わることが出来た彼は過去の柵から開放されて自由になる。今ルークを捨ててしまっても誰も彼を責めたりなどしないだろう。だって誰もルークの事なんて覚えていないだろうから。

ルークはそっと手を伸ばして、汗で額に張り付く前髪をそっと払ってやった。そして自分と同じ色の、自分より短い髪の毛を優しく梳いた。その際痛々しく頬を伝う涙も一緒に拭ってやる。柔らかい肌は暖かかった。それだけで何故かルークの方が泣きたくなった。それでも頭を撫でる手を止めることはなかった。

やがて悪夢に魘される表情がだんだんと解かれていった。ルークはほっとした。全てを破壊するしか能の無いこの手でも、人一人を夢の中から助け出す事ぐらいは出来たのだ。薄く開いた口からもう寝息しか聞こえてこないのを確かめて、ルークは立ち上がった。ここにいることはできなかった。捨てられないのなら、自分から出て行くしかない。それしか、自分にはできないのだ。
踵を返したルークの体はしかし、そこから前に進む事ができなかった。さっきまで柔らかい温かな髪の毛を撫でていた手が、もっと暖かなもので包まれている。おそるおそる下に目を向けると、そこには自分の手を掴む自分と同じ手があった。ぱっと振りほどくと今度は長い髪を掴まれる。引っ張られると痛いので、ルークはとうとう動けなくなってしまった。
寝起きのとろんとした、しかしはっきりと意思の光の灯る翡翠の瞳がルークを見ていた。


「どこ行くんだよ」


若干かすれた声が闇夜に満ちる部屋に響く。ルークが何も答えられないでいると、ぐいぐいと髪が引っ張られた。逆らえる訳が無い。あれよあれよという間にルークはベッドの中に引きずり込まれてしまった。


「俺のくせに、俺に黙ってどっかに行こうとするなよな」


引きずり込まれてしまった途端にいっそ熱いほどの体に抱きこまれて、ルークは途方にくれた。こんなにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったらもう逃げ出せないじゃないか。捨てられないじゃないか。仕方なくルークも、目の前の自分と同じ体をぎゅっと抱きしめた。


「お前が全然捨てようとしないから、俺が自ら捨てられようとしてやったってのに」
「やだ」
「んだよ……何でだよ」
「もう、いやだ」


夢うつつのまま、ルークの目の前にいる「ルーク」は呟くように言った。


「俺にまで捨てられるのは、もういやだ」


それはこっちの台詞だ。ルークは心の中ではき捨てた。

結局俺たちは、空っぽで生まれてから何一つ捨てられずにここまで来てしまったらしい。
ルークは憎いのか愛しいのか分からない「自分」を抱きしめ続けた。

だって俺には、「俺」しかないんだ。





   捨てられないものたち

06/08/10