アッシュは近頃とても戸惑っていた。忌まわしい彼のレプリカの事だった。

一方的にこちらからあちらへと繋げる回線(チャネリング、というらしい)は、時たまあちらからこちらに繋がる事がある。そのほとんどが無意識なものだし、俺には関係の無いことだと聞こえてくる声をアッシュは今まで無視していた。それは相手が無意識でいる、つまり眠っている時の夜に多く、何やら嫌な夢の中で悲鳴を押し殺しているような無視のし難い声も時々流れ込んでくるのだが、アッシュは頑張って無視し続けている。ここで反応しては負けだと思っていた。それにあっちは少しも助けを呼ぼうともせず、1人で耐えている。ここで助けてとか言われればそりゃ無視も出来ないだろうから、助けを呼ばないほうが悪い、と無理矢理な言い訳を自分の中で並べ立てていたりする。

しかしアッシュのその頑なな態度が近頃崩れつつある。何故なら、声が二重になって聞こえてき始めたからだ。ローレライの声ではない(もしそうだったら地核まで殴りに行かねばならない)他の誰でもない、1人しか存在しないはずのレプリカの声が、二重に聞こえるのだ。最初は聞き間違いか、回線の調子でも悪いのかとか考えたのだが、どうやら違うようだった。本当に2人分の声が聞こえるのだ。戸惑わない方がおかしい。これは一体どういう事なのだろうかとアッシュは1人頭を抱えていた。レプリカとは面倒事しか起こさない生き物なのか。

そして今夜とうとう、アッシュは原因を突き止める決意をした。再び頭の中に2人分のレプリカの声が聞こえてきた夜の事だった。気になって気になって落ち着いて寝られやしないのだ。寝不足で日中の行動に支障でも出たら目も当てられない。そうなる前にスッパリサッパリこの二重の声の原因を突き止め解決し元の平和な夜を取り戻すのだ。そうアッシュは決意をして、飛び起きたベッドの上で静かに目を閉じた。アッシュの意識を向こう側へ運ぶためだ。頼りないぐらい弱い向こうからの繋がりにこっちから繋ぎなおして、意識を飛ばす。向こうはおそらく眠っているだろうから、アッシュが辿り着くのは夢よりも深い深い場所になるだろう。アッシュは無事に辿り着いた事を感じて、レプリカルークの精神世界に足を踏み入れた。
そこでアッシュが見た光景は、そのまま彼に二重に聞こえる声の正体を教えてくれた。

何てことは無い。ルークが2人いるから声も2つ聞こえたのだ。


「……?!」


アッシュは無言でとにかく驚いた。1人だと思っていたレプリカが実際に目の前に2人いるのだから当然だった。アッシュは見事にその場で固まった。
2人のルークはやはり眠っていた。体を丸めて、互いに引っ付きあって眠っていた。苦しくないかと問いたくなるぐらい互いにぎゅうぎゅう掴み合っている。まるで1つになりそこねたみたいだ、とアッシュは真っ白な頭の中で思った。よく見ると2人のルークは髪の長さが違った。1人は今のうじうじルークのように短い髪で、もう1人は昔の傲慢ルークのように長い髪だった。

ただじっと2人のルークを見つめていたアッシュは、次第に自分の心の中から何かが込み上がってくるのを感じていた。アッシュはそれは怒りだと思った。気になってわざわざ様子を見に来てみれば、何を呑気に2人に分裂しているのだ。俺の貴重な睡眠時間を返せ。そういう単純な怒りだと思った。だから躊躇う事無く声を張り上げた。


「起きろ、この屑共!」


怒鳴ってから、別に2人でもルークはルークなのだから屑「共」はいらなかったかなと思ったが、深いことは気にしない事にした。アッシュの怒鳴り声に、2人のルークは面白いほどビクンと飛び上がり、驚きにアッシュを見つめてきた。


「あ……アッシュ?!」


どうして、と言いたげな顔をしているのは髪の短いルークだった。髪の長いルークは若干寝ぼけた様子だったが、アッシュと聞いて顔色を変えた。それがひどく青い顔に見えたので怪訝に思っていると、髪の短いルークの顔も絶望色に染まっていた。何なんだ、とアッシュは不機嫌に思った。確かにルークの精神世界に不法侵入した事はまあ少し悪いかなと思えるが、それにしたってそのあからさまな反応は無いだろう。不貞腐れるアッシュの眉間には機嫌が悪い事を表す皺が普段よりきつめに寄っており、それを見た髪の短いルークが慌てて転げるようにアッシュの傍へ寄ってきた。


「ご、ごめんアッシュ!」


いきなり謝られたのでアッシュは一瞬キョトンとした(顔には出さなかったが)。回線の事を謝っているのかと思ったが、アッシュがここに来た理由をまだ話していない。回線の事を謝っているのなら回線の声は確信犯という事になる。どうやらそういう様子ではないので、アッシュは無言で先を促した。髪の短いルークが躊躇うように視線を彷徨わせていると、後ろから腹をくくったような顔で近づいてきた髪の長いルークが髪の短いルークの肩を掴んだ。


「おら、もういいだろ。めでたく見つかったんだしよ」
「だっ駄目だって言っただろ!勝手にどっかに行くなって!」


髪の長いルークと髪の短いルークがなにやらもめている。奇妙な光景だとアッシュは思ってやっぱりやめた。他の者から見ればルークとアッシュの言い合いだって同じように見えるだろうから。見つかった、という事は、やはりこいつらは自分に黙ってこっそり分裂していたんだな、とアッシュはどこかずれた方向に怒りを露わにした。
アッシュがこの屑がと怒鳴る前に、髪の長いルークが髪の短いルークに怒鳴った。


「だから俺はもう「ルーク」じゃねえんだっ!いい加減離しやがれ!」


まるで駄々をこねる様な髪の長いルークの言葉に、アッシュのあまり丈夫でない堪忍袋の尾がぶちっと切れた。


「何言いやがるんだこの屑が!貴様は正真正銘劣化レプリカ以外の何者でもないだろうが!」


アッシュの怒鳴り声に、どこかへ逃げ出そうとしていた髪の長いルークも、それに追いすがろうとしていた髪の短いルークも、びっくりした表情でアッシュを見た。アッシュの怒りはまだ収まらない。


「おっ俺はもう「ルーク」じゃねえ!「ルーク」はこいつだけだ、俺は……!」
「馬鹿言うんじゃねえ!そこの卑屈レプリカも貴様もどこをどう見てもレプリカだろうが!」
「だから俺はもうそのレプリカじゃねえんだよ!随分と昔に死んだんだよ、髪を切ってな!」
「そっそれは違うだろ!俺は俺になったけど、お前は……!」
「うるせえんだよ屑が!」


ごちゃごちゃ言う髪の短いルークを押しのけアッシュはごちゃごちゃ言う髪の長いルークの胸倉を掴みあげた。アッシュの中で訳の分からぬ怒りが渦巻いていた。色んな怒りがごっちゃになって1つになってしまった。その中からぽんと出てくる言葉を、アッシュはとにかく叩きつける。


「逃げる気か!」
「っ?!」
「現実から目を逸らして逃げ続けるつもりか!」
「あ、アッシュ……!」
「黙っとけ!いいか、阿呆のように考え無しにほいほい人を信じて馬鹿やらかすような救いようも無いお前も見てるこっちが辛気臭くなるぐらいうっとおしいどうしようもない卑屈馬鹿のこいつも等しく愚図の劣化レプリカだ。いくらてめえが変わろうとしたって過去だけは変わんねえんだよ。それから逃げようだなんて落ちぶれた事をまた口に出してみろ、俺が直接引導を渡してやる。分かったか!」


アッシュは反論をも許さない勢いで言葉を叩きつけた。目の前の髪の長いルークにも、隣の髪の短いルークにも。かなりひどい罵り方をしたような気もしたが、アッシュは謝ろうとは思わなかった。多少は静まったが、まだまだこの怒りは胸のうちで燻っているのだ。そこでアッシュは、何で自分はこんなに怒っているのだろうと心の中で首をかしげた。
しばらくぽかんと呆けていた髪の長いルークが、ぽつりと呟く。


「……いのか……?」
「あ?」
「俺、「ルーク」でいいのか……?」


髪の長いルークは掴まれていた胸倉を気にする事無くアッシュに詰め寄った。その瞳にはひどく必死な光が灯っていた。


「俺は捨てられたんだぞ!俺はいらねえって皆に捨てられたんだぞ!髪切って、今までの「俺」を殺してようやく認められたんだ。それなのに死んだはずの俺はここにいていいのかよ!俺は「ルーク」でいいのかよ!」


アッシュは、何を当たり前の事を、と鼻で笑いながら言った。


「言っただろうが。どれだけ変わろうともお前はお前以外にはなれねえんだよ。認めるのも癪だがお前らまとめて正真正銘「ルーク」だ」


髪の長いルークはアッシュが手を離した後勢いをなくした様子で一歩下がった。そして何かを耐えるように歯を食いしばりながら俯く。それはとても悔しそうな表情だったのだが、何故か嬉しそうに耳が赤かった。髪の長いルークはそのままくそっと呟くと、唐突に光となって消えてしまったので、アッシュはそれはもう驚いた。


「な?!」
「……アッシュ」


アッシュが驚いている間に光の下へと駆けていった髪の短いルークが振り返った。その顔は笑顔だった。アッシュが見たことの無いルークの笑顔だった。


「ありがとう」


アッシュは礼を言われる覚えがまったくなかったので眉を潜めるだけだった。それでも髪の短いルークは嬉しそうに笑って、そっと光を自分の腕の中に閉じ込める。


「俺たちは、一緒に「ルーク」でいいんだな」


その言葉がとても嬉しそうに弾んだものだったので、急に何故だか恥ずかしくなったアッシュは視線を明後日の方向へ飛ばしてぶつぶつ呟いた。


「ま、まだお前自身を認めたわけじゃねえからな」
「ああ、分かってる。俺は、俺たちはまだまだ頑張らないといけない」


頷いて見せたルークが唐突にアッシュに近づいた。まっすぐ向かってくるルークにアッシュはさっきまでの怒りをさっぱり忘れて大きく後ずさる。今までくすぶっていた怒りがいつもの苛立ちや嫌悪から来る怒りとは全然違った事や、怒りを忘れたのではなくいつの間にか無くなっていた事には、まだまだアッシュは気付けない。


「アッシュ」
「な、何だ!」
「もしかして俺の事心配してここまで来てくれた?それだと俺すんげー嬉しいんだけど」


言葉に違わず嬉しそうなルークのその表情に、アッシュが返せたのはたった一言だった。


「うっ自惚れるんじゃぬぇーこの屑がっ!」



顔を赤くしたアッシュに怒鳴られながら、こいつは自分が己のレプリカをどれほど救ったのか自覚していないんだろうなあとルークは思った。今度は1人の人間として認めてもらえるように頑張ろうな、と自分の中にいる自分に語りかけながら。

大丈夫、きっと上手くいく。俺たちを俺たちのまま「ルーク」として認めてくれたのだから。





   そうして俺たちは拾われた

07/01/15






キリ番「220000」蒼野雪華さんから、「捨てられないもの」の続きでアッシュ召還リクエストでした。