まどろみから一瞬浮上したような心地がして目を開けてみると、そこには自分が立っていて心底驚いた。
自分は全身が映る巨大な鏡の前で眠っていたのだろうか。いや違う、これは鏡ではない。何故なら理由はいくつかある。
1つ。左右対称にはなっていない(髪の分け目とか)。
2つ。相手の髪が短い(自分は腰まで伸びた赤毛なのに対し、あっちは首元まで伸びた髪がまるでひよこのように揺れている)。
3つ。その表情(自分はあんな、今にも泣き出しそうな奇妙な笑い方なんて出来ない)。
鏡どころか自分でも無いのではないかと思ったが、すぐに考えを改めた。理屈とか理性とかそんな所で働くものではすでになかった。
目の前に立っている人物は、自分だ。それは間違いなかった。
「なあ」
自分が話しかけてきた。思わず一歩後ずさる。当たり前の事だが、声も同じだった。
「俺はお前が憎くて仕方が無いよ」
ぽつりと零す様に聞こえたその言葉に、怒るより悲しむより何より戸惑っていた。
だって、その声は言葉とは裏腹に……。
「呆れるほど傲慢で、何も知らなくて、騙されて、沢山の人の命を奪って、それすらも認められなくて」
だから憎い。そうやって目の前の自分は言う。笑いながら。泣きながら。
あまりにも情けない表情に顔をしかめる。しかし何も言わなかった。彼の言葉は、まだ終わっていないからだ。
「紛い物の命の癖にここにいて、生きていて、生きていてまだここにいて……それでも、お前は」
とうとう声が震えた。震える言葉はそのまま、懺悔するように滑り落ちた。
「俺なんだ」
いつの間にか自分を見下ろしていた。彼は蹲っていた。何かから逃げるように、しかしその体を無防備に晒して地面に伏せている。その態度がまるでさあ殺してくれといわんばかりなので呆れた。
体まで震えているのに、それでも声はまだ続いていた。
「そして俺は、お前なんだ」
気のせいか。声により悲しみが響いたような気がした。
「……ごめんな」
いきなり謝られてびっくりした。謝られて改めて見ると、その蹲る姿勢がまるで土下座でしているように見えて滑稽だった。
「お前が俺で、ごめんな。こんな俺で、ごめんな。こんなお前で、ごめんな」
もはや何に謝っているのか分からなかった。もしかしたら全てに謝っていて、全てに謝っていないのかもしれない。とにかく訳が分からなくなった。
彼は目の前で繰り返す。ごめんな。ごめんな。俺で、お前で、ごめんな。
心の奥底から湧き上がってきた何かの衝動のまま、蹲る彼の背中に腕を回した。そうすると頭を抱え込むような格好になる。肩は涙で濡れたが、その腕はこちらに伸びてはこなかった。
力の限りぎゅうぎゅうと締め付けながら、初めて口を開く。
「馬鹿だな」
搾り出したような自分の声にあれ、と内心首をかしげた。何でこんな泣きそうな声になってるんだ?
「捨てりゃあいいじゃねーか、全部」
ああそうだ。目の前にいるのは、捨てようとして、結局何も捨てる事が出来ない馬鹿な人間だった。捨ててしまえばその身は軽くなるのだった、確実に。しかもそれは過去という名のいらないものだ。捨てる事など造作も無い。実際、彼は捨てようとしたはずだった。なのに何故ここにいる。
「俺なんて、捨てちまえよ」
1番重くていらない荷物なんて、捨てちまえ。
そうすればお前は空高く飛び上がれるんだから。
「……ごめんな」
しかし彼は繰り返す。その時初めて、彼の腕が己に回された。その驚くほど強い力に目を見張る。一生離さないとでも言わんばかりだ。
「俺、弱虫なんだ。臆病者なんだ」
だからもう1人なんて、嫌なんだ。
「離せと言われても俺には離せないんだ」
例えそれが、己を己の腕で抱きしめる行為だとしても。
「……馬鹿だよな、俺たち」
ぼろりと一粒雫が落ちた。見捨てられた腕で自分を抱きしめる。先のほうへ薄くなる長い髪が、決意と共に撥ねた短い髪へと滴り落ちる。
決して離される事のない腕がそこにあった。
「馬鹿は、俺だ」
さて、その言葉はどちらの声だったか。
捨てられたものは
06/07/03
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