わんこ先輩と猫後輩

ぱた。ぱた。ぱた。
背後から聞こえるその音は、自分の尻尾が動く音だ。だらりと力なく地面に落ちる細長い黒い尻尾が、先っぽだけいじけたように定期的に床を叩いている。
ぱた。ぱた。ぱた。
膝を抱え、頭の上の耳をぺたりと伏せたまま、部屋の隅でリィンはじっと壁を睨み付けていた。
ぱた。ぱた。ぱた。
ぺた、ぺた、ぺた。
ふいに聞こえた別な音は、誰かさんの足音だった。隠そうと思えば綺麗に聞こえなくさせる事が出来る音を、わざとあげてゆっくり歩み寄ってくる。動いていた尻尾が毛を逆立てて止まった。丸まった背中はぴくりとも動かない。
ぺた、ぺた、ぺた。
じっくりこれ見よがしに響いた足音は、リィンのすぐ後ろで止まる。やがてぽんと、伏せた耳の間に大きな手が乗っかった。

「だーれだ？」

楽しげな声が、そうやって聞こえなくてもすでに誰のものかは分かっている。それを知ってて尋ねてくるのがまたムカつく。一度だけイラついたように尻尾をぶんと振り回し、傍らに立っていた足を叩いて元の位置に戻る。返事はしない。

「なあ、壁見てんのそんなに楽しいか？」

楽しい訳が無い事をわざわざ聞いてくる。膝に顎を乗せたまま何も言わずに視線を固定させていると、ックク、という笑い声の後に隣に誰かが座ったのを感じた。誰か、なんて今の声の主以外にいる訳がない。その証拠にふうわりと、覚えのある柔らかな感触がリィンの尻尾に重なった。相手の尻尾だった。

「まだ機嫌なおんねーの？」

隣にどっかりと胡坐をかいた人物が、じっと視線を向けているのが分かった。意地でも振り向かない。重なった尻尾を払いのけても、すぐにふさふさのそれが乗っかってくる。
とうとうのしっと、そっぽを向いた肩に顎を乗せられた。

「なあー、いい加減構えよー」

くん、と鼻を鳴らした相手の甘い声。絆されない絆されない。ふいに伏せた耳の端っこを摘まんで持ち上げられたので、それだけはペシッと手で払いのける。むすっと肩に乗ったままの顔が唇を尖らせたのが分かった。

「ったく、相変わらず強情なやつ」

すっと、肩にかかった重みが退く。すぐそこにあった体温が遠ざかる。

「仕方ねえから、今はまだ一人にしとくわ」

じゃあな、と立ち上がりかけたその腕を、気付けば掴んでいた。退けられそうになった犬の尻尾に、長い猫のそれでくるりと巻き付く。今久しぶりに視線の合った銀色の犬は、耳をきょとんと立ててリィンを見下ろす。
その赤の瞳を見上げながらリィンは、掴んだ腕にそっと力を入れて、震える声で訴えた。

「……もう、怒って、ないから」

だから傍にいてくれ、と。小さな声で呟く黒猫に、クロウはにんまり笑みを浮かべた。それはそれは嬉しそうに笑いながら、しゃがみ込むその体を背後から抱きすくめる。

「しょーがねえなー、寂しがり屋のリィン君にはオレ様がついててやらなきゃなー」
「う、うるさい、調子に乗るな、大体俺を怒らせたのはクロウなんだからな」
「へーへー悪うございました。詫びのしるしにほら、ずっとこうしててやるから」

ぱた。ぱた。ぱた。
今度はリィンの尻尾が苛立ちと寂しさで揺れている音ではない。細長く黒い尻尾を巻きつけたままの銀のふさふさ尻尾が、ご機嫌に揺れている音だ。
後ろから抱きすくめられたリィンは、伏せていた耳を少し持ち上げて、背後の気配にそっと向ける。丸めていた猫背を伸ばし、自分より少し大きな胸元にほんのちょっと寄りかかりながら、巻きつけた尻尾にきゅっと力を込めた。

「……うん」

こくり、と頷いた薄桃色の頬を、嬉しそうな銀の犬がぺろりと舐めた。