「トリック・オア・トリート!」

リィンはその日、お化けに襲われた。そいつは数日間による政府からの要請の旅路からようやく戻って来れて、馴染みの駅やそこから一歩外に出たトリスタの町の風景に癒され、やれやれとため息をついて歩き出そうとしたその目の前に、待ち伏せしていたかのようなタイミングで現れたのだった。何の心構えも準備もしていなかったリィンは思わず固まり、きょとんと瞬きをしてしまう。真っ先に帰ろうとしていた第三学生寮に続く道の上に、全身真っ白なお化けが立ちふさがっていた。
シーツだ、と真っ先にリィンは思った。言わばそいつはシーツのお化けだった。まるで人間が頭からすっぽりとシーツを被っているような全身真っ白なそのお化けは、リィンより背が高い。おまけに意外と隙もない。立ち尽くしていたリィンがさりげなく体重を移動させれば、横をすり抜けさせないようにお化けも身構える。逃がす気はないらしかった。なるほどと頷き、脇に差していた太刀にリィンの右手が伸びると、お化けは慌てて手を振ってみせた。ちなみにシーツの隙間から出てきた手は、鍛えられた普通の人間のものだった。

「待て待て待て、武器を取り出すのは卑怯だろ!今日が何の日か忘れちまったのかお前は!」
「今日?」

首を傾げて、リィンは今日の日付を思い出した。今日は確か、10月31日。秋と冬の狭間のようなこの日に、一般的に知られる行事というものがあったはずだ。それを思い出して、とっさに呟いていた。

「今日はハロウィンか」
「ピンポーン、あったりー」

ぱちんと指を鳴らして祝福してくれたお化けを見つめるリィンの視線から、途端に一気に温度が下がってしまう。

「……それで、そういう恰好をしている訳か」
「んー?ナンノコトカナー?俺は何の変哲もない、シーツお化けだ!でろでろばー!」

驚かせるようにばっと両手を挙げてみせるお化けに、もちろんリィンは驚かない。どこから見ているのか、覗き穴すらないシーツの中から自分を見ている瞳の色を、隠れている鈍く輝く髪の色を、リィンは知っていた。だから驚かない。
リィンが驚かないのを見てちぇーっとつまらなさそうに呟いたお化けは、気を取り直して一番最初の台詞を繰り返してくる。

「で、トリック・オア・トリート、なんだけどよ」
「ああ、そう言えば言っていたな」
「ハロウィンと言えばこれしかねえだろー!……で?」
「……お菓子なんて、持っている訳ないだろう」

リィンは両手を挙げて何も持っていない事をアピールする。今日がハロウィンである事を忘れていたのだから持ち合わせがある訳がないし、普段からお菓子の類を持ち歩くほど甘党でもない。飴玉の一個でも持っていればそれを渡す事が出来たのに、今のリィンは本当に何も持ってはいなかった。対峙したお化けがシーツの向こう側で、にいっと笑ったのが見えないのに分かった。

「知ってた!」

お化けが襲い掛かってくる。どうやらリィンがお菓子を何も持っていない事を確信したうえで襲ってきたらしい。計画的なお化けはこちらに素早く近づいてガシッと肩に腕を回してきた。

「という訳でトリーック!お化けらしくお前に憑りついてやるぜ!」
「……お化けなのに感触があるんだな」
「いてて。そりゃアレだよ、今憑りついたからリィンにだけは触れられるようになったって事でそこは一つ」

巻き付いてきた腕を無感動に抓るリィン。お化けがそう言うならそういう事にしておく。リィンが歩き出せば、肩を抱いていたお化けも当然のようについてきた。

「それで?俺が憑りついている人間様の本日のご予定は?」
「帰ってご飯食べてシャワー浴びて寝るつもりだったんだが」
「ええー?それじゃつまんねえよ、せっかくのハロウィンだぞ?本番はまだこれからだろうがよ」

お化けが片手を広げて指し示したのは、頭上の空。夕暮れがゆっくりと夜の帳を広げている最中で、確かにハロウィンの本番とも言える夜はこれから始まるようなものだった。辺りの気配を探ってみれば、近所の人たちが、主に子供たちがそわそわと準備しているのが感じられる。お化けがリィンを覗き込むようにその真っ白な顔部分を向けてきた。

「トリスタでのハロウィンって結構大きな行事なんだぜ?町中に子供たちが散らばってよ、あちこちでトリック・オア・トリートの大合唱だ。大人たちは菓子をたんまり用意しているし、当然のようにトールズの学生も参加するしな。あんま夜更かしすると教官に怒られちまうけど、大人も子供も賑やかなもんなんだぜ」
「へえ……そうだったのか」

初耳だった。確かに先日、今回の要請からは31日に帰ってこれるかもしれないと告げた時にトリスタの子供たちから「それじゃあハロウィンには間に合うね!」と喜ばれたが、そんな大きなイベントがあるとは。あえてその事を告げなかった彼らはもしかしたらリィンを驚かせるつもりだったのかもしれない。
しかしリィンがこのトリスタに、トールズ士官学院に入ってから今年で二年目である。そんなに盛り上がるハロウィンならば去年も参加しているはずなのに、と疑問に思ったが、すぐに答えは導き出せた。つい前日に忘れる事が出来ない出来事があって、そもそもリィン自身がトリスタから止むを得なく離れていたせいで、去年の10月31日をこの土地で過ごす事が出来なかったのだ。
その元凶を、リィンはじっとりと睨み付けた。

「なるほど、去年は蒼の騎士さんとやらが暴れてくれたおかげで、そのハロウィンに参加する事が出来なかったもんな」
「うっ……そ、ソウデスネ」

つい、と逸らされるお化けの視線。あの騒ぎではそもそもトリスタでのハロウィンイベント自体が行われなかったのではないだろうか。ならばますます、今年のハロウィンは大きな盛り上がりを見せるだろう。内戦から立ち直る最中の、初めてのハロウィンなのだから。
このバツが悪そうなお化けが妙に張り切っているのも、その辺が影響しているのかもしれない。まあもう終わった事だし、と深く突っ込む事はしないでやった。

「……それじゃあ、少しは楽しませてもらおうかな」
「おっ、そうこなくちゃな!そうと決まればうっとおしい荷物はさっさと置いて来ようぜ!」

リィンが少しでも乗り気になったのを見て途端に元気になったお化けが、今度はこちらを引き摺る勢いで歩き始める。まるで子供のようなお化けのその様子に、リィンはくすりと笑顔を漏らした。小さな頃、エリゼと共にユミルの大人たちにお菓子を貰い歩いた事を思い出す。あの頃のように少しだけ、胸の内がドキドキと暖まっている事を自覚せざるを得なかった。





そうして、第三学生寮で軽くシャワーを浴びて疲れと汚れを洗い流し、旅服を脱ぎ捨てたリィンは今、お化けの目の前で仁王立ちしていた。

「それで、これは一体何の真似だ」
「何って、ハロウィンといったら仮装だろ、仮装」

真っ白お化けは事も無げに答える。二人が指しているのは今リィンが身に着けている服の事だ。シャワーから出てきたら何故か用意していた私服が無くなっていて、代わりとばかりに別な服が置いてあったのだった。裸で歩き回る趣味を持たないリィンは仕方なくそれを着るしか無く、着替えてからどすどすと201号室で待っていたお化けの目の前へと現れたという訳だ。お化けはしげしげとリィンの全身を眺めた後、ぐっと親指を立ててみせた。

「似合ってるぜ、魔女っ娘☆」
「無明を斬り裂く戦火のいっと……」
「わー待て!魔女っ娘が太刀なんて持つんじゃねえよ!普通ステッキか箒だろ!」

ほら、と差し出された箒を躊躇なく払い落とす。膝下丈の真っ黒なワンピースと、頭の上に大きな赤いリボン。それが今のリィンの姿だった。いわゆる古典的な魔女姿だ、男だけど。一体どこからこんなものを調達してきたのか、お化けがわざわざリィンに着せるために用意したらしい。もっとふりふりの派手な服じゃなかった事を喜べばいいのか分からない。懲りずに箒を拾い上げたお化けが、感心したような声を出す。

「しっかしお前も律儀だよなあ、服はまだしもちゃんとリボンつけて来るんだから。あれか、お前も意外とノリノリなんじゃね?女装」
「終の太刀・あかつ……」
「だから室内でSクラはやめろって!」

これもまた、お菓子を与えられなかった代償の一環なのかもしれない。リィンは大きくため息を吐いた後、愛用の太刀を置いて諦める事にした。服を探して着替え直すよりも、さっさとこのお化けが満足するまでハロウィンに付き合ってやった方が面倒がないと思ったのだ。力なく箒を受け取ったリィンに、お化けは満足そうに笑っている、ような気がする。相変わらず顔は見えないのに、どうしてこうも鮮やかにあのにやけ顔が思い浮かんでくるのか。
お化けはもう一つリィンに手渡してきた。すでにお菓子がたんまり入った籠だった。リィンは首を傾げた。

「これは、お化けからのトリートか?」
「何でだよ、そもそもお前からトリトア言われてねえのにトリート渡すわけねえだろ」
「略すな。それじゃあ、これは?」
「何だ、お前さんお菓子をあげる側より貰う側の方が良かったのか?」

お化けの言葉に納得した。今からこのお菓子を、お菓子かいたずらかと尋ねてくる子供たちに与えればいい訳だ。キャンディやチョコレート、豊富な焼き菓子もたくさん入った籠を覗き込んでいると、こちらまでわくわくしてくるようだった。

「よくここまで揃えたな……」
「言ったろ、ハロウィンはトリスタで大きな行事になるって。その辺で皆参加できるように配ってんだよ」
「え、これを?それは気前がいいな」
「だよなー、教会なんか大盤振る舞いだったぜ。あっちなみにその衣装もそうやって借りてきたもんだから破かねえようにな」

念を押してくるお化けに、リィンは悟る。これは絶対、ミヒュトのお店から借りてきたものだ、と。そもそもこのトリスタにこんなふざけたものを売る店なんてあそこぐらいしか思い浮かばない。普段からこのお化けもあの店に通っていたからなあと睨み付ければ、お化けは飄々と顔を逸らした。言いたい事は伝わったらしい。
右手に籠、左手に箒、恰好は魔女という完全なるハロウィンスタイルとなったリィンの背中を、お化けは意気揚々と押してきた。

「さ、準備も済んだし外へ繰り出すぞー!早くしねえと日が昇っちまう!」
「夜はこれからなんだから、そんなに急がなくても……うわ、まっ待ってくれ、足元がスース―する……!」

人生初のスカートにおっかなびっくりながら、リィンはお化けに引っ張られて夜の町へと足を踏み出した。
そこは、まるで別世界のようだった。まあるいパンプキンパイを大きな怪物が一口齧ってしまったような濃い色の月がぽかりと浮かぶ空の下、帰ってきたときはお化けに気を取られ過ぎてて気が付かなかったが、至る所にかぼちゃ型のランタンが吊り下げられている。オレンジ色の光が夜の町を妖しく照らし出す中を、普段とは違う衣装をまとった人間たちがぱたぱたと行き交っていた。ハロウィンというものを知らない人が見れば怪物たちのパーティかと腰を抜かしてしまうかもしれない。大人も子供も簡単なものから複雑怪奇なものまで思い思いの仮装をしている。すっかり日が落ちて星空が瞬くトリスタの町は、今夜だけ完璧なハロウィンタウンと化していた。
一瞬あっけに取られたリィンは、すぐにホッと安心した。この中であれば今の自分の恰好も目立たないだろうと思ったからだった。多少浮く事を覚悟していたが、この薄暗い中であればきっと異様に目立つ隣の真っ白シーツお化けの方が目につくだろう。リィンは元気を少し出して隣のお化けを見上げた。

「行こうか」
「おう、お化けらしく怖がらせまくるぜー」

腕を回して張り切っているお化けには悪いが、多分この間抜けな姿を恐がる人間はいないだろう。そんなお化けを引き連れて、リィンは夜のトリスタを眺めながら歩き出した。そうして広場近くで、すぐに子供たちに捕まる。

「あっリィン兄ちゃんだ、トリックオアトリート!」
「本当に帰ってこれたんですね、よかった!」
「ああ、ありがとう。ほら、お望みどおりのお菓子だぞ」

駆け寄ってきたカイとルーディは、リィンの恰好に深く突っ込まないでくれた。自身たちも魔法使いの三角帽子を被り、黒いマントを靡かせていたから気にならなかったのかもしれない。俺もそっちの魔法使いの恰好がよかったな、と思いながら手の平一杯のお菓子を分け与えれば、嬉しそうにお礼を言われる。

「ちぇっ、リィン兄ちゃんならハロウィン忘れてそうだから、いたずら出来ると思ったのにな!」
「やっぱりそういう魂胆だったか。残念だったな」
「あ、リィンさんだ!」
「それ、うちが配ってたお菓子ですね!」

こちらはそれぞれ天使と小悪魔みたいな恰好をしたエミールとティゼルもリィン達を見つけて寄ってきた。どうやらお化けはこのお菓子をブランドン商会からもらってきたらしい。自分のうちのお菓子を貰うなんて残念がらせてしまうかなと思ったが、ティゼルは喜んで受け取ってくれた。
そこでカイたちは、リィンの隣にいる正体不明のお化けに目を付けた。でかくでただ真っ白なだけあって目立つのだ。

「あれ?そっちの人はダレ?」
「ん、俺か?ふっふっふ、何を隠そうこの俺が、泣く子も黙る妖怪イケメンシーツお化けだー恐がれチビッ子ども!」
「怖がらせる気ないだろ……」

ガオーと両手を挙げるお化けはやっぱり少しも怖がられない。正体を見せろ―と子供たちに追いかけられると、長い足であっちこっち逃げ回って決して追いつかせなかった。どうやら今日は、本人曰く妖怪イケメンシーツお化けで通すつもりらしい。
放っておいて先に行こうと少し歩けば、お化けはすぐに後ろにくっついてきた。もう子供たちを撒いて来たようだ。

「もう戻ってきたのか、早いな」
「ふふーん、まあな。まっ今の俺はリィンに憑りつくお化けだからな、憑りつき先とそんなに離れる訳にもいかねえのよ」
「そういうとこ、意外とこだわるんだな……」

いっそ感心していると、次の子供たちにぶち当たる。今日は町をあげてのハロウィンなのもあって、中央の広場には老若男女が詰めかけているようだった。全ての大人からお菓子を巻き上げようと気合を入れる子供たちから、リィンはもちろん隣のお化けも次々と声を掛けられる。

「シーツお化けめ、トリックオアトリート!」
「ぐははは、ばかめー!お化けがガキんちょにいたずらさせる訳ねえだろ!おら、大量のお菓子をくらいやがれ!」
「うわあ、すげー!」

シーツの中から山ほどのキャンディを手品のように出してみせては、子供たちを驚きと喜びに染め上げているお化け。どこにあんなに持っていたんだかと眺めていたリィンも、思わずほっこりと笑顔になれるような光景だった。子供にまでいたずらを仕掛け回る様だったら遠慮なく箒でぶっ叩いてやる予定だったが、どうやら心配は無用だったらしい。
籠の中のお菓子を配り歩いていれば、足は自然とトールズ士官学院へと向いていた。学院自体は門が閉められていたが、第一学生寮と第二学生寮がある分校門前の広場には士官学院生たちが溢れていて、学院祭でも使った衣装を再利用したりわざわざ今日のために取り寄せたものを自慢していたりと、自由に仮装を楽しんでいるようだ。お菓子も最早決まり文句を言う手間さえ惜しんで直接交換し合っている。こちらはこちらで独特な雰囲気のハロウィンパーティが開かれているようだった。

「あれ、リィン君!帰って来てたんだーお疲れー!」

こちらを目ざとく見つけて一番に駆け寄ってきたのは、変わった服を着たミントだった。妖怪とかお化けとかそういう類のものではなく、スリットが入って短い丈で体のラインが良く出るような、お団子頭に良く似合う東方風の衣装だった。多分、髪型に似合うからとハロウィン関係なく選んだのだろう。他の生徒たちも最早コスプレ大会のような装いだった。

「ありがとうミント、お疲れ。……すごい服を着ているな」
「あ、これ?うん、東方のとある民族衣装なんだって、貴族の人が貸してくれたの!おじさんにはみっともないって言われちゃったけど可愛いでしょー。リィン君も可愛い恰好してるね!」
「……俺の姿は見ないでくれると助かる……」
「お、リィンじゃないか、今帰ってき……ブフッ!何だそれ!」
「ふふふ、リィン君もまた面白い事になっているね」

近づいてきた包帯ぐるぐる巻きのアランが吹き出し、ゾンビメイクを施したムンクがおかしそうに見つめてくる。やっぱり子供は誤魔化せても同年代にはつっこまれてしまうようだ。さすがに恥ずかしくなって顔を赤らめていると、隣のお化けが誇らしげに話に入ってきた。

「どうよ、俺が見立てたリィンの魔女っ娘衣装!本当はもっと派手な奴にしたかったんだが、こいつ帰ってくるのが遅かったから他に無くてよー」
「そうだったんだ、もーっ今日帰って来るって言っててくれれば私たちが選んでおいたのにー!」

お化けの説明を聞いてミントが残念そうな声を上げるが、今のこれより派手なものを選ばれるくらいなら言っておかなくて良かったとも思うリィンだった。そもそも今日中に帰ってこれるか予定が不透明だったから旅立つ際声を掛けなかった訳で、学院にも戻った報告は明日伝える手筈になっていたのだった。だから今日は帰って寝るだけだと思って帰ってきたのだが……とんだサプライズハロウィンである。

「シュバルツァー、戻っていたのか」

そこへ声を掛けてきたのは、ドラキュラの衣装をまとったパトリックだった。後ろに控えるかぼちゃ男なセレスタンは甲斐甲斐しくお菓子を配り回っていて、この騒ぎの一端をパトリックが担っている事がよく分かる。ご丁寧に牙まで生やしたその顔に、リィンは笑顔で頷いた。

「パトリック、ただいま。意外と似合ってるな、それ」
「ふん、当然だ。帝国貴族たるもの、己にふさわしい服装を常に心がけておかねばな。今日のために特注して作らせたものなんだ」
「へ、へえ……貴族って変な所にこだわるよな」
「お前も貴族だろうが。……ところで、その恰好」

パトリックはまじまじと、リィンの姿を上から下までじっくりと見つめた。しばらく二人の間に無言の時が流れる。やがて大変難しい顔をしていたパトリックが、少し視線を逸らしてもごもごと口を開く。

「……なんだ……その……に、似合っているぞ、うん。ハロウィンの夜ぐらいは多少弾けても空の女神もお許し下さるだろうしな……」
「パトリック……変に気を遣うのはやめろ、やめてくれ……」

あからさまな「リィンも今日は羽目を外しているのだろう、つっこまないでやらなければ」という義務感溢れる視線は心にくる。このままでは灰色の騎士のストレス解消法は女装などという変な噂が流れかねない危機感に苛まれたリィンは、急いで訂正する事にした。

「違うんだ、これは俺の意思ではないんだ!決してこういう趣味がある訳では無くて!お化けからの呪いの一種というか!」
「呪いとは失礼だな、おい」

心外だとばかりに口を挟むお化けに、パトリックは初めて視線を向けた。途端にぎょっと後ずさる。

「な?!だ、誰だこのお粗末な仮装の主は!」
「お粗末言うんじゃねえよ!同じ自前でも金持ちのパトリック坊ちゃんとは違うんだよ悪いか!」
「坊ちゃんはやめろ!………、はっ?!」

とっさに言い返して、その言い草にシーツの中の正体に感づいたらしい。一瞬固まるパトリックに、お化けは偉そうに胸を張ってみせた。

「何だ、俺の正体が知りたいか?ふっふっふ、情報料をくれたら教えてやらん事もないぜ。同情するなら金をくれ」
「……おい、シュバルツァー」
「はは……まあハロウィンだから。大目に見てやってくれ」

助けを求めるような視線をよこしてきたパトリックに、リィンは柔らかな苦笑を返す。リィンのその顔と、お粗末なシーツお化けとを交互に何度か見比べたパトリックは、やがてため息を吐いた。体中の酸素を絞り出すような長々とした溜息だった。

「そう……だな。……ハロウィンだからな」

辛うじて納得してくれたらしいパトリックに、許されたと悟ったお化けが嬉々として絡んでいく。リィンに最早そんなパトリックを助け出す気は無かった。あのお化けは下手に止めるより好き勝手させていた方が楽なのだ、自分以外に絡んでいる場面では特に。

「なあ、さっきリィンの恰好似合うって言ったよな?言ったよな?どの辺が具体的に似合うか語ろうぜ。俺的にはやっぱりあの赤いリボンが黒髪に映えてイイ感じだと思う訳よ。何ならお前さんの衣装も俺が見繕ってやるか?ばっちり可愛いの選んでやるぜ!」
「や、やめろ!遠慮する!おいシュバルツァー、これがお前のお化けならお前が面倒を見ないか!シュバルツァーッ!」

どうやらこのシーツお化けが苦手らしいパトリックの必死さに、リィンは思わずくすくす笑ってしまった。その後も二年生一年生入り乱れたトールズ士官学院生による野外ハロウィンコスプレパーティは、トリスタの町の方が落ち着き出すまでしばらく賑やかに続いた。





リィンはまだ興奮の残る火照った頬を夜風で冷ましながら、第三学生寮に続く帰路についていた。早々とハロウィンの主役である子供たちは引っ込み、学院生のどんちゃん騒ぎも頃合を見計らった教官たちがお開きにした後のことだった。他の皆は傍の第一、第二学生寮に住んでいるので、こうして静まった町の中を歩いているのはリィンと、その後ろに憑りつくお化けのみだ。煌々と光っていたかぼちゃのランタンはすでに明かりを落とされ、毎日トリスタに訪れる静かな夜が今日は遅れてやってきていた。さっきまでの大騒ぎが嘘のようだ。

「はあ、楽しかったな」

笑みを浮かべて満足げに呟くリィン。その後ろからひょっこりと、シーツを未だ被ったままのお化けが顔を覗かせてくる。

「どうよ、ハロウィンは最高だったろ。帰って寝ずに参加して良かっただろ?」
「ああ、良かったよ。去年は参加できなかったからな、今年は参加できて本当によかった。去年はそれどころじゃなかったからなあ」
「うっ……そりゃ悪かったって」

チクチク刺すようにわざとらしい声をあげると、お化けは拗ねるように身を少し縮こまらせた。恨みがましそうに口にしてみたが、リィンは言うほど根に持ってはいない。あれは、どうしようもない出来事だった。それに今年はちゃんと参加して、楽しい時間を過ごせたのだから言うことは無い。恰好はともかく。
……あえて、未練をあげるとするなら。

「……Z組のみんなとも一緒に、ハロウィンパーティをしてみたかったな」

ぽつりと、誰にも聞こえないように呟いた声は、思っていたより大きく響いた。己に憑りつくお化けにそれが聞こえない訳が無く、ああ、とお化けからも残念そうな声が漏れる。

「だな。ミリアムなんか絶対大騒ぎだったろ。ボクも仮装するーってな」
「似てないな、ミリアムのモノマネ。ああでも、本場のエマの魔女姿は見てみたかったかもな。こんな簡単なものじゃなくてさ」
「おお、いいじゃねーかそれ。フィーはそのまんま猫娘な。ラウラは男装か……いやいや逆に清楚系も普段とのギャップで映えそうだ。アリサは委員長ちゃんと真逆なブリッブリの魔法少女なんてどうよ」
「女の子ばっかり妄想して、怒られるぞ……。うーんそうだな、ユーシスはどんな格好させても似合いそうだ、さっきのパトリックみたいに吸血鬼とか?ガイウスは、オオカミ男とか迫力ありそうだ」
「それ迫力ありすぎるだろ、俺でも多分ビビるぞ。あとは、あー、エリオットは適当に女装させときゃ恐いぐらい似合うだろうし、マキアスは妖怪眼鏡お化けって事で」
「だから、男子になった途端適当になるなって、余計怒られるぞ」
「んで、ラスボスにサラの山姥とくればチビッ子もガチ泣き間違いなし!」
「よし分かった、今度近況報告に手紙送る時にそうやって言ってた事教官にも伝えておく」
「すみませんやめてくださいお願いします」

ぽつんぽつんとゆっくり足を進めながら、他愛もない穏やかな会話を続ける。リィンの心は語りながら一年以上前に飛んでいた。
この道を、一人では無く同じ制服を着た仲間たちと共に毎日歩んでいた、あの頃。将来の事なんて漠然としかまだ考えられなくて、ただこの仲間たちと共に過ごす「今」だけが全てだった。たった二年で卒業して皆それぞれの道を進む事になるのを忘れていた訳では無いけれど、その道はきっとずっと隣り合っていくのだろうと。たとえ離れていくとしても同じ地平線を目指し、心は繋がり合ったまま離れる事はないのだろうと、思っていた。何の根拠も無く、愚直にそうやって信じていた。
あの時は、まさか。
突然、隣を歩いていた道が、途切れていなくなってしまう事があるだなんて。
考えた事も、無かったのだ。

「なあに、これからハロウィンを一緒にする機会なんていくらでも訪れんだろ。今は無理でもお前らまだまだ若いんだしよ」

慰めるようにそんな事を言うお化けを、リィンは足を止めて見つめた。数歩先に歩いたお化けは、そこで立ち止まって振り返ってくる。シーツの向こう側から、あの朱い瞳が静かにリィンを見つめていた。

「そうだな。きっと、皆でハロウィンパーティをする事が出来る日が、来るよな」

リィンはその瞳を見返した。目に見えなくとも脳内に刻み込んだあの赤紫を、縫い止めようとするかのように力を込めて見つめた。

「そうだ、きっと来るさ。今日よりももっと賑やかなハロウィンパーティをいつかしよう。決して誰一人欠ける事無く、Z組全員で」
「……リィ、」
「なあ、妖怪イケメンシーツお化け」

お化けが名を呼ぼうとするのを遮って、リィンは早口で呼びかけた。お化けは口を噤んで先を促してくる。数メートル開いた距離から、リィンは手の平を上に向けて、片手を差し出した。

「トリック・オア・トリート」
「……へっ?」
「そういえば、俺はまだ言っていなかったなと思って。……で?」
「で、って言われても……今まで散々お菓子配りまくった後なんだから、持ってる訳ねえだろ」

お化けはひらひらと手を振ってみせる。手品のように次々と出してみせていたキャンディは底をついていたようだ。もっとも、リィンもそれを見越して言葉をかけていた。

「分かった。それじゃ、いたずらだな」

リィンは止めていた足を動かして、開いていた距離を一気に詰めた。お化けが気圧されて後ずさるその前に目の前まで迫り、逃がさないようにじっと見上げたまま手を伸ばして、お化けを覆うシーツを容赦なく掴む。リィンからお化けに触れてみせたのは、これが初めてだった。
すり抜ける事無くしっかりと手の中に掴まれたシーツを一瞬だけぎゅっと強く握りしめて、一思いに引っ張る。思っていたよりもシーツは抵抗なくするすると抜けていき、中に隠れていたお化けの正体をリィンの目の前で曝け出させた。リィンは現れた本体を、予想していた通りのその姿を凝視した。
突然シーツをはぎ取られて肩を竦めたその身に纏うのは赤。リィンも学院で過ごす間はいつも身に着けている、Z組の赤い制服だった。額の白いバンダナも鈍く夜に輝く銀色の髪もリィンの記憶の中に眠るあの日のまま、ここにある。とっさにぎゅっと瞑っていた瞼が開けば記憶よりも鮮明な紅の瞳がこちらを貫いて、普通記憶って美化するものだろと思わず見惚れたリィンを呆れさせた。
ぱちぱちと瞬きをしてリィンを見下ろした妖怪イケメンシーツお化けの正体、クロウ・アームブラストは、おどけるように笑ってみせた。

「あーあ、お化けの正体を暴きやがって。たちの悪いいたずらだな、リィン」

リィンはその言葉に、笑おうとした。そうだろう、と明るく言い返そうと思っていた。しかしそれがどうしても出来ずに、代わりに出てきた言葉は血を吐くように掠れていた。

「……っどの口が、それを言うんだ!」

拳を握りしめていたはずの腕が、勝手に目の前の体にしがみつく。クロウは危なげなく受け止めてくれた。頬を寄せた肩口も、抱き締めた体も、ぽんぽんと宥めるように背中に触れた手の平も、何もかもが記憶通りのクロウのもので、そしてクロウの温度を伝えては来ない。

「こんないたずら、たちが悪いどころじゃ、ないだろう……!いくらハロウィンだからって、あんな、何もなかったように現れて、声を掛けて来るなんて……!」

今ではリィンがたった一人で暮らしている第三学生寮の前で、最早この世のものでは無い命を抱きしめる。力の入らない拳を振り下ろせば、あの緋き城で致命傷を負った胸元が全て受け止めた。頭の上で笑った気配がする。相変わらず顔を見なくとも、クロウがどんな表情をしているか分かってしまうリィンの濡れた頬を、シーツお化けからずっと覗いていた指が優しく拭った。

「……だってお前、けろっとした顔で俺の事迎えたじゃねえか。気付いた途端泣かれて本気の一発ぐらい貰う事覚悟してたんだがな」

苦笑気味のその言葉に、リィンはすんと鼻を鳴らしてから答えた。

「だって、そういう思われてた通りの反応を見せたら、負けだと思ったんだ」
「ッハハ、さすが」

クロウが本気で感心したような声色で笑う。背中を叩き、頬を撫でていた手が体を包み込む。体温などないはずの腕に抱かれて、それでも温かいと感じるのはリィンの記憶なのか、それとも心がそう錯覚したいだけなのか。そもそも今こうして、触れて抱き締めて目を合わせて声を交わせるその全てが、もしかしたら夢でしかないのかもしれないけれど。
死者が生者に紛れて帰ってくる一年に一度の夜。死んだはずの男に頬を寄せてしばし瞳を閉じたリィンは、やがてゆっくりと赤の瞳を見上げた。

「なあ、クロウ」
「うん?」
「さっき言った事、嘘じゃないから」

ぱちぱちと瞬きするクロウに微笑んで、また一粒流れ落ちた涙を拭う事もせずにリィンは宣言する。逃がしはしないと、まるで何かに挑むように。

「決して誰一人欠ける事無く、Z組全員で。ハロウィンパーティをしよう」

立場的に全員が一度に集まる事は難しいだろう。だが決して不可能ではないからと、リィンはクロウを見つめる。
だって、一番可能性の無かったクラスメイトが、例え幻であったとしても今、ここにいる。

「来年も化けて出て来い、クロウ」

どうして、とか、どうやって、とか、目の前に現れた死んだはずの存在に尋ねるべき事はきっとたくさんある。しかしそれら全てを口にする事無く、リィンはただ未来を懇願した。

「皆がいつ集まれるかなんて、分からないじゃないか。せっかく都合がついて皆が集まれてもお前がいなかったら意味がないだろう、ただでさえ連絡手段が無いんだから。だから、毎年来い。いつ、ハロウィンパーティが開催されても大丈夫なように、俺のところに毎年来い」
「……命令形?」
「お願いします来てくださいと頭を下げれば来てくれるのか?」

睨み付ければ笑顔が返される。ハロウィンの銀髪お化けは、仕方がないとばかりに肩を竦めて、魔女の仮装をしたワガママ子供の頭を撫でた。

「……クク、お化けは気まぐれだから約束は出来ねえけど、ま、後輩驚かすのに飽きるまでは考えてやるよ」

曖昧すぎる返事だったが、クロウの瞳を見つめていたリィンは安心したように頷く。その口調も声色も笑顔も憎らしいほどかつてのいつも通りなのに、瞳の奥に輝く色と、前髪をかき分けて落とされた唇は、心が割れてしまいそうになるぐらい優しいものだった。

「そんじゃあな、リィン。また来年」

まるで毎日顔を合わせているかのような気軽な挨拶で、あっけなくクロウの体は離れていった。楽しそうなその笑顔を網膜に閉じ込めるようにゆっくり目を閉じたリィンが、一秒も満たない時間で瞼を開ければ。そこにはもう、誰もいなかった。始めから何者もそこに存在していなかったような夜の空間が、リィンの目の前に横たわっているだけだ。

「……来年もし現れなかったら、一生恨んでやる」

ハロウィンの怪物も顔負けなどろどろと低い声で呟いた後、リィンは空を見上げた。かぼちゃ色の弓張り月が浮かぶこの夜空はきっと、10月が終わりを迎えた明日の空なのだろう。ハロウィンの夜が終わりを告げた事を、リィンは時計を見ずとも悟った。

「これからのハロウィンも、絶対、お菓子なんか用意してやらない」

決意に満ちた声でそう宣言すると、リィンは第三学生寮の扉を開けて中へと潜り込んだ。取り残されたハロウィン最後の住民がいなくなったトリスタの夜には、真の静寂が訪れる。誰もいなくなった通りの地面にぽつんと落ちた涙の跡がすぐに、まるで泣いた者など誰もいなかったかのように乾いて、消えた。




「トリック・オア・トリート!」

七耀暦1025年、この年のハロウィンから帝国の一部の地域で不思議な出来事が起こるようになった。毎年毎年欠かさず、正体不明のお化けがつけ狙うようにたった一人の前にばかり現れ、ハロウィンお決まりのセリフを吐くのだという。得体の知れないお化けに目をつけられた哀れなそのたった一人の答えもまた、毎年決まっているのだとか。

「お菓子は持っていないよ」

そうして一人は毎年いたずらによってお化けに憑りつかれる。毎年変わる事なく、何度も、何度も。何度も。

「今年は何人集まれるって?」
「二、三人来れないかもしれない。都合つけて何とか来るって皆言ってたけど、どうだろうな。やっぱりこの歳になると全員揃うのは難しいかな」
「そりゃ仕方ねえな、人数も増えてるし、それぞれの立場もあるだろうし?去年はお前が出れなかったしな」
「はは、あれは悔しかったな。まあ、どこかのお化けがせっかくのハロウィンパーティに参加せずに傍にいてくれたおかげで寂しくはなかったけど」
「俺だって参加したかったっての!憑りつき先がボッチだったらそりゃそっちに行かなきゃいけないだろうがよ。その分今年は暴れ回るから覚悟しとけよー」
「程々にしておけよ……何年前だっけ、何回目かの全員揃った時のあの惨劇、後始末が大変だったんだからな」
「へっ、ハロウィンのお化けがハロウィンに本気出さねえでどこで出すってんだよ」

「さあ、今年もハロウィンパーティはじめようぜ、リィン」
「ああ、今年もよろしく、クロウ」

毎年欠かさず行われている、帝国の灰色の英雄と銀髪と紅目のお化けが主催する特別なハロウィンパーティが、今年も始まった。








ハロウィンの夜に





15/10/31


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