魔界は今日も釣り日和



魔界には一人の騎士が存在している。魔の太陽の光に鈍く輝く銀の髪に、灼熱の炎に一滴の黄昏を垂らしたような赤紫の瞳。整った顔と恵まれた体格で、魔王軍の中でも一、二を争う実力者ともなれば女は羨望の眼差しを、男は嫉妬と尊敬の眼差しをそれぞれ注がずにはいられない、とにかく魔界の住人達からの注目の的が彼なのである。皆には誉れ高く「蒼の騎士」と呼ばれていた。魔王軍の中でも限られた者しか就く事の出来ない、魔王の一人息子である皇子の側近という重要な役職について早幾年。今日も蒼の騎士、クロウは、己の主人から仰せつかった崇高な任務を忠実に完遂させるために、魔王城から外へ出ている所だった。
場所は……近くに流れる、川のほとり。穏やかに流れる水面を見つめて、その場に座り込んでいたクロウは。

「今日は何匹釣るかねえ」

魔都で今一番売れている「魔界マガジン」略して「魔ガジン」で定期的に開催されている「今一番憧れる魔王軍男子ランキング」で毎回上位にランクしている、若者の間では熱烈な人気を誇る、あの蒼の騎士が。そうでなくとも双刃剣を操り実力で今の地位を勝ち取った確かな強さを持つその姿に、老若男女誰しもが魔界を代表する騎士の一人だと認めている、あの蒼の騎士が。
背中を丸めて、ぽかぽかと魔太陽の陽射しが降り注ぐ昼下がりに、穏やかな顔で釣り糸を垂らしているのだった。

「この間は4匹も釣ってやったってのに、満足しやがらなかったからなあ。いくら成長期と言えど食いすぎだろ」

そうやって愚痴をこぼす姿からは殺気や威厳などは微塵も見当たらない。この場だけ時間が緩く流れているのではと錯覚しそうになるぐらいの穏やかな空間。くあ、と欠伸をしながらクロウは釣竿の先を見つめる。傍に置いてあるバケツにはすでに二匹のお魚がぴちぴちと狭い中を生きが良い動きで泳いでいた。これはさぞかし美味しい「バーガー」になるだろう。横目で眺めて、頷いたクロウはまたしても大きな欠伸。一応命令された任務の途中なので寝る事はしないが、それでもこんな温暖な気候の中じっとしていれば眠たくもなる。今のクロウを知らない人が見れば、服装を覗いて騎士だなどと言う者はいないだろう。呑気な釣り人としか思えない背中は、丸まったまましばらく動きそうになかった。
魔界でも随一の騎士たる彼をここまでほのぼのとした生き物に見せている原因は他にもある。よく見れば胡坐をかいて座り込む彼の膝の上に、何かがある。いや、誰かがいる。ちょこんと、子供よりも小さな、小動物のような大きさの人間がクロウの膝の上に鎮座していたのだった。うとうとと、和やかな気候に負けて大きな頭で舟をこぎながら。

「おーい皇子、居眠りしてまた川ん中に転げ落ちたりしないでくださいよ。拾い上げんのも風呂に入れんのも乾かしてベソかくあんた慰めんのも全部俺なんだからなー」

ぽんぽんと、クロウが胸の下にある頭に軽く触れると、皇子と呼ばれた小さい人間ははっと正気を取り戻した。しょぼしょぼする目をこしこし擦って、慌ててあたりを見回して、頭の上から見下ろすクロウの紅い瞳を見つけて大きく首を傾けた。身体がそれに伴って後ろに傾ぐが、すぐにクロウの腹にぽすんと収まって膝の上から落ちる事はない。

「クロウ!何匹釣れた?」
「あいにくまだ二匹ですよ、まだもうちょっと待っててくださいよ、っと」

言っている間に三匹目が掛かった。クロウが腕を振り上げて竿を持ち上げれば、川の中から魚が一匹容赦なく引きずり出される。クロウの釣りの腕前は、この川、この魚が相手に限って言えば右に出るものはいない。何故ならそれほどの数を連日釣りあげているからだ。

「おおー!クロウ、さすがだな!」
「はははー、どこかの誰かの御命令で腕を鍛えましたからねー」

素直に称賛してくる声にクロウは遠くを見る。そう、今膝の上にいる己のご主人様が、クロウの釣り上げた魚で作ったクロウの手作りフィッシュバーガーじゃなきゃ食べたくないと駄々をこねた結果である。クロウのご主人様、すなわち彼が側近として仕える魔界の皇子である、リィンの命令によって。
人間界へ偵察へと降りた際に食べた「フィッシュバーガー」とやらを、皇子にも食わせてやろうと記憶のまま自分オリジナルのバーガーを作って食べさせてやった日からこの日々が始まった。今日もまた、同じ命令が下ってここにいる。何故か命令した皇子本人もついてきてこうやって膝の上でうとうとしているのもいつもの事で、最早この状況に慣れきってしまった。いつも通りぽんぽんと頭を撫でてやれば、お気に入りのヘッドホンに挟まれた顔がむっと不満そうにむくれる。

「……だって、クロウが釣ってクロウが作ってくれたフィッシュバーガーが一番おいしいんだ」
「はいはい、分かってますって。誰も嫌とは言ってないでしょうよ」

そう、嫌ではない。命令されるままこうやって皇子だけに食べさせるフィッシュバーガーを作り続ける日々も。偉大なる騎士の役職だというのにこの皇子のほぼ世話係と化している今の現状も。他の側近には滅多に我儘を言う事無く気丈な態度で皇子としての日々をこなすリィンが、唯一クロウにだけはこうして我儘を言い甘えてくれる姿を見る事も。何もかも、嫌ではない。
むしろ、そう、好ましいのだ。

「今日はフィッシュバーガー5個作ってやっから、機嫌直してくださいって」
「……5個!」

見上げてくるリィンの瞳がきらりと輝く。不機嫌そうな表情はどこへやら、ぱっと花のようにクロウの腕の中で満開の笑顔が咲く。そう、花だ。クロウにとってリィンは、魔界に咲く一輪の気高くも美しい希望の花だ。何よりも愛しいたった一人のご主人様。クロウが忠誠を誓っているのは魔界で一番位の高い誰もが恐れるあの魔王なんかではなく、クロウの一挙一動でころころと表情を変える尊い魔界皇子その人だけなのだ。

「さすがクロウ、俺の騎士!早く、早くフィッシュバーガー!」
「はいよ。皇子の御命令とあらば喜んで」

リィンと話しつらつらと考え事をしている間に、魚は次々と釣れていた。今最後の一匹、五匹目が無事に釣り上げられる。バケツの中に魚を放り込んで、釣り道具を片づけて、クロウは立ち上がった小脇に小さな皇子を抱えながら。

「さー皇子帰りますよ。俺様特製の「皇子部屋」でおとなしくフィッシュバーガーが出来上がるまで待っておく事」
「ええー。クロウが料理してるのが見たい」
「危ないからダメですー」

ぱたぱたと両手両足をばたつかせるリィンの訴えをさらりと受け流し、クロウは城へと足を急がせる。早くこの腹ペコ皇子を満たしてやらなければ。それが、それこそが。魔界皇子をいつでも完璧に仕上げさせておく事こそが、彼の側近である蒼の騎士としての本分なのだから。
それと同時に、心から惚れた相手の可愛らしい我儘を聞いてやる事こそが、クロウの幸せでもあるのだから。








15/10/22


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