……何だか、全身が暖かい。包み込まれるようなその温度に意識が浮上する。瞼はまだまだ睡魔に囚われたままのようで開いてくれない。夢うつつのぼんやりとした頭のまま、リィンはこうして目を瞑る前の事をゆっくりと思い出した。
ああ、そうだ。昼寝をしたのだ。
今日は一日とても良い天気で、絶好の布団干し日和だった。お日様の匂いをいっぱい吸収したふかふかの布団を部屋の中に入れ、そのまま窓辺で暖かな陽射しを浴びていたら必然的にうとうとしてきて、そうして我慢できずに取り込んだばかりの布団の上で眠ってしまったのだった。何せ窓の外からも、足元の布団からも眠りを促すような温もりがビシバシと容赦なくリィンを誘って来たのだ。抗う事なんて出来なかった。今までずっと続いてきた厳しい寒さが、最近ようやく和らいできたのを感じて嬉しかったのもある。やはり寒いよりかは暖かいのが良い。このどこか安心する温度の訳を思い出して、ご機嫌になったリィンは黒くて長い尻尾をぱたりと動かしていた。
そこで、ようやく気付く。

(……ん?)

動かしたと思った尻尾が、動いていない。おかしいと身じろぎしようとした体も、これまた動かない。リィンは己の全身が温もりに包まれている代償に、羽交い絞めにされているようにどこもかしこも動かない状態である事に気が付いた。さすがに異常事態だ。ぱち、と慌てて薄紫の瞳を開いて、青い空が見える窓という目の前の景色に異常が無いことを確認して後ろを振り返ってみれば。理由はそこにあった。
振り返った肩越し、まさに目と鼻の先に、陽の光に透ける銀色の睫毛と薄く開かれた唇が現れて思わず固まる。閉じられたままの瞼や奥にとがった牙の見えるその口元自体は大変見慣れたもので、一瞬驚いたリィンもすぐにホッとして硬直を解いた。ホッとしてから、視線を下へ……具体的に言えば、己の腹辺りに向ける。がっしりと、背後から伸びてきた逞しい腕が巻き付いていた。さらに視線を下げる。布団の上で丸めていたはずの足は今伸びきって、何者かの長い脚に絡め取られて動けなくなっていた。ここまで四肢を拘束されていれば身動きも取れないのは当たり前だ。そして。
ぐいっと、下げていた視線を思い切って背後に向けたリィンはとうとう呆れた。そこにあるはずの自分の黒い尻尾まで、しっかりと捕らわれた状態だったのだ。毛並みの整った、リィンのものよりも長くて太い白銀の尻尾によって。ぐるぐると巻き付かれた己の尻尾は哀れ、最早先っぽだけしか動かせない。
リィンがそうやって呆れたポイントは二つある。寝ている相手をここまで拘束する必要はどこにあるのかという事。それと、ここまで密着し絡め取られた状態でも今まで一切目を覚まさなかった自分の事だ。それほど呑気にぐーすかと眠っていた訳で、リィンは気恥ずかしくなった。誤魔化し半分で尻尾をまたぱたりと動かそう、としてやっぱり動かない。
今思えばこの暖かさも異常だ。暖かすぎる。いやむしろ暑いレベルだ。背後からこれほどまでしっかりと抱き込まれていれば当たり前だった。すっぽりと包まれてしまっている現状に、体格差までも意識してしまって、リィンの中に鬱憤が溜まっていく。歳の差が多少あるとはいえ、何故ここまで体格が違うのだろうか。同じ男で、同じ猫のはずなのに。
腹いせのように耳をぴくりと動かせば、思った通りその辺りに顔があったらしい相手の「ふがっ」という情けない声が聞こえる。それで少しは溜飲が下がったリィンは、未だ起きない背後の拘束から逃れるためにもがき始めた。
しかし。

「くっ……このっ……!」

腕も足も、尻尾も外れない。リィンがいくら腕をつかんで離そうとしてもぴくりとも動かないし、足をばたつかせることすら出来ないし、頑張って尻尾をぶんぶん振ってみても巻き付いた銀色はしつこくくっついてきた。何だこの執念は。ただ昼寝をするのにここまでしがみつく必要はないはずだ。なるべく起こさないように静かに抜け出そうとしているのに、その努力をあざ笑うかのような力の入りように困り果てる。完全に眠気がどこかへ行ってしまった今、首筋の後ろからダイレクトに吹きかかる吐息が気になって気になって仕方がないのに。ひゅっと一際強く息を吹きかけられて、リィンの肩がびくりと跳ねた。
このままじゃやばい。何がやばいのか分からないけどとにかくやばい。こうなったら起こしてしまうのを覚悟で無理矢理抜け出すか、と身構えた、その時だった。

ペロッ
「ふぎゃっ?!」

突然左耳を濡れた感触に襲われて、思わずリィンは尻尾を踏んづけられたような声を上げてしまっていた。完全に油断していた所から予想外の衝撃だったために、過剰に反応してしまう。しかも少々へたっていた耳をぺろぺろと襲い続けるそれはなかなか終わらなくて、いくらぴくぴく逃げを打ってもひたすら追いかけてくる。しまいには逃げるなと言わんばかりにぱくりと咥えられ、もぐもぐと食まれてしまったらもう駄目だった。

「……っ!!」
「いって!」

それまでぷるぷる震えてただされるがままだったリィンが突如動き、腹を抱き締めていた腕を引きはがしてがぶりと噛み付けば、はっきりとした悲鳴が後頭部から上げられた。同時に左耳も解放されて、腕にかじりついたままほっと一息つく。ぺしぺしと、噛まれていない方の腕が腹を叩いてきた。

「リィンさーん、割と牙が痛いんで早目に離してもらえないっすかねー」
「知らない。寝たふりしてひとの事からかってくる奴の事なんか知らない」
「おま、そのまま喋んな食い込む。そもそも俺だって起きたのはついさっきで……アダダダ、分かった分かった、悪かったって」

がぶーっとさりげなく噛む力を加えればすぐに声は降参してきた。もちろん血が出るほど噛み付いていた訳では無かったが、皮膚を裂かない程度のギリギリの力でじわじわと攻め立ててやったので痛みはそれなりにあっただろう。ざまあみろ、と思いながら大人しく口を離し、残った噛み跡を一度だけぺろっと舐めてやってから、改めてリィンは後ろを振り返った。もちろん精一杯の不機嫌な表情を浮かべる事を忘れない。果たして再び目と鼻の先に現れた顔は……まったく反省をしている様子が無い、楽しそうな紅の瞳と笑みを浮かべた口元で。

「おはよう。随分と気持ち良さそうに昼寝してたな?」
「……おはよう。おかげさまで、その気持ち良い昼寝もたった今クロウに邪魔されたけどな」
「んだよ、こうやって抱き締めてさらに安眠へと誘ってやっただけじゃねーか」

懲りずにぎゅっと抱きついて、首の後ろにすり寄ってみせるクロウ。ごろごろと機嫌が良さそうな喉を鳴らす音が聞こえてきた。さすがにうっとおしく引っかかっていた足は外してもらえたが、絡まった尻尾はまだそのままだ。リィンは無言のまま、己の尻尾をクロウの尻尾ごとぶんぶん振って抗議してみる。いくらじいっとリィンが睨み付けても、尻尾を振り回しても、クロウのご機嫌顔が崩れる事は無かった。きっと、分かっているのだろう。リィンのこの無言の抗議が、どういう意味を持っているのかを。
さっきのクロウの言葉を否定する事が出来なくて、つまり実際にクロウの体温のおかげでさらに安眠出来ていた自覚があるせいで、あえて無言でいるしかないリィンの心境を。分かっているからこそ、ますます嬉しそうににやにやと笑っているのだ、この銀色猫は。

「離せ」
「やだね」
「何で!」
「俺が離したくないから」

どれだけ昼寝をしていたかは分からないがそろそろ起きなきゃ、と腕を叩いてくるリィンにあっさりと首を横に振るクロウは。それに、と続けて、振り返るリィンの頬に今まで首筋にやっていたようにすり寄ってから微笑んだ。
にやりと牙を覗かすその微笑みは、仕草の無邪気さとは程遠いとても意地悪そうな笑顔だった。

「むしろ喜んでるくせに口先だけで嫌々言ってる奴の言う事なんて聞く義理はねえし?」

リィンの目が見開かれる。何か反論しようと開きかけた口の下、喉元を、その前にクロウが指先でとんとんとつつく。声を出さずに指摘された。さっきから、寝ている時から嬉しそうに鳴らしてんぞ、と。これだけ密着していれば、相手の音なんてすべて聞こえて当然だと、先ほどクロウの喉の音を聞いたリィンはよく知っていた。
知っていたからこそ。猫がどんな時に喉を鳴らすのかもよく知っているからこそ。丸く目を見開いたままじっくりとクロウの言葉について考えたリィンは。見る見るうちにその頬を赤く染め上げた。今までびしばしと動いていた尻尾がとたんにギクリと動きを止める。開いたままの口からは、とうとう反論の言葉が出てくる事は無かった。
肩越しに変わりゆく顔色を呑気に眺めていたクロウが、はてさてこの恥ずかしがり屋の黒猫は次にどんな行動を取ってくるのかと見守っていれば。しばらく固まっていたリィンは、はくはくと開け閉めしてからぎゅっと口を引き結び、急に動き出した。クロウが拘束する腕の中で無理矢理ぐるりと体勢を変えて改めて向き直ってくる。その際力任せに尻尾を振りほどかれてしまい、あーあと残念そうな声がクロウの口から洩れたのだが。残念がっている暇などなかった。
正面からじっと睨み付けたと思ったら、そのまま素直じゃないはずの黒猫が懐に飛び込んで、ぎゅっと抱き締めてきたのだ。強すぎる力で。

「ぐえっ、ぐっ苦しっ、おいリィンっ?」

思わず離してしまった腕を肩に置いてクロウが顔を覗き込めば、胸元に埋められた頬は赤いままだ。さらにくっついた状態なので、嬉しい証のごろごろ音もばっちりダイレクトに伝わってくる。ぎゅうぎゅう締め付けたまま、羞恥のためか耳をぺたりと伏せたままリィンは、くぐもった小声でぼそりと呟いた。

「……こっちの方が、いい」

この距離で、聞き漏らす訳がない。さらにぐりぐりと額を押し付けてそれきり黙り込んでしまった黒猫は、言葉の代わりに今度は自分からするりとクロウの尻尾に自分の尻尾を絡める。きゅっと、控えめに巻き付いてくるその力が何だか無性に愛しくなって、クロウは改めて縋り付いてくる体を抱き締めた。

「そうかー、顔が見たかったか、自分も抱きつきたかったか、そうかそうか、それなら仕方ねえなー」
「う、うるさいっデレデレ笑うなよ」
「それこそ仕方ねえなー可愛い恋猫に素直に縋り付かれちゃなー」
「……別に可愛くないし……」
「可愛い可愛い」

唇を尖らせながらもじっと離れようとしないリィンを腕の中に収めながら、クロウもまた巻き付いてくる黒い尻尾にぎゅっと、力を込めて自分の銀色尻尾を絡める。二重に聞こえる嬉しげな喉の音を響かせながら、変わらず降り注ぎ続けるぽかぽか陽気に再び緩やかに落ちていく意識。
二匹の大きな猫の暑苦しい昼寝は、まだまだ続きそうである。




猫先輩と猫後輩





15/06/07


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