今日は吹雪の日だった。大人たちはこの突然の荒れた天気への対応で大忙しで、少しでも手伝えることがあればと申し出たリィンはすぐに部屋から追い返されてしまった。お前は何も心配しなくてもいいのだよとテオの大きな手に頭を撫でられ、ルシアに下で休んでいなさいと優しく背を押されれば何も言えずに、とぼとぼと一人階段を下りる。
そんなリィンに、階段の下で寝そべっていたバドがわふっと鳴き声を上げた。こんな吹雪の日はこの玄関先がいつもバドの定位置だった。こちらを見つめる優しい瞳に、己の無力感に苛まれていたリィンは思わずふかふかの首元へ抱き着く。

「バド、おれは何が出来るのかな。たくさんお手伝いをして、少しでもとうさまの役に立ちたいのに」
「くうん」

鼻先でリィンの頬を撫でたバドは、おもむろに首を振ってどこかを指し示す。バドが何か伝えたい事があると察して顔を上げれば、ちょうど良いタイミングでガチャリと、左側のドアが開けられた。

「にいさま?そこでなにをされているのですか?」

中からちょこんと顔をのぞかせたのはエリゼだった。声が聞こえたので覗きに来たのだろう。リィンがバドに視線を戻せば、まるで元気づけるようにわふっと再び鳴かれる。きょとんと瞬いたリィンは、何故だか今バドの言葉が聞き取れたような気がして、しっかりと頷いた。

「……うん、そうだな。今のおれの役目は、エリゼを守ることだ」

ありがとう、バド。兄としての大事な使命を思い出させてくれた頭を撫でれば、目を細めて受け入れてくれた。訳が分からないままこちらを見つめたままのエリゼに微笑み、リィンは守るべき大切な妹の傍へと歩み寄った。

「ごめんなエリゼ。とうさまたちは今忙しいから、二人で待っていよう」
「はいっ。それではにいさま、ふたりであれに入りましょう!」
「そうだな、あれに入っていれば、こんな吹雪でも凍える事はないもんな」

手を繋いで仲良く部屋の中へ戻る直前、はたと気づいたリィンが後ろを振り返った。そこにはお利口に座り込んだバドがいて、わふん?と首を傾げる。きょろきょろとあたりを見回し、そんな家族の一員にリィンは、ちょいちょいと手招きした。

「バドもおいで。こっちの部屋の方があったかいよ」

小声だった。普段外で番犬をしてくれているバドが屋敷の中の部屋に入る事はめったにない。だから勝手に入れてしまったら怒られるかも、という思いがありながらも、バドを迎え入れる決断をした小さな飼い主に。少しだけ間をあけたバドは結局、すっくと立ち上がった。そのつぶらな瞳には温かな場所に行ける事への単純な喜びというよりも、何かとてつもない使命を帯びた強い光が灯っていた。





「あったかいですね、にいさま」
「そうだね」

リィンとエリゼは二人でぴったりと隣同士でくっつきながら、にこにこと笑っていた。部屋自体、暖炉の炎のおかげで十分暖かい。しかしそれ以上に今二人を暖めているものは、別の熱源だった。普段は綺麗に並べられている椅子は隅にどけられ、部屋の中央に置かれているテーブルは普段使っているものとは少し違う。テーブルの足と台の間に毛布が挟まれていて、下部全体をすっぽりと覆い隠している。その中に、リィンもエリゼも足と手を入れて座っていた。靴を脱いで直接座っているが、いつもより分厚いカーペットが敷かれているので冷たくない。何よりこの手足を突っ込んでいるテーブルの中がとても暖かかった。
この摩訶不思議なテーブルセットをユミルへ持ち込んだ老師曰く、こたつ、というものらしい。主に東方で使われている暖房器具で、暖炉で十分ですからと断りかけたテオが老師に「騙されたと思って使ってみろ」と押し付けられたものだった。導力で動くそれは試しに使ってみた所、なるほど確かに癖になる暖かさで。何より皆で囲んで暖を取れる所に全員で気に入り、普段は導力の無駄遣いをしないように片づけられているが、今日のようなとても冷える日には一家団欒するために引っ張り出されるようになったのである。

「なんだかいつものこたつよりあったかい気がします」

嬉しそうに笑うエリゼが、そっと後ろを見た。リィンも頷いて、同じように背後を振り返る。そこには大きなもふっとした毛の長い物体が、二人の背中に寄り添うように鎮座していた。まるで二人の背もたれ代わりのように寝そべるバドだった。部屋に招き入れた後、暖炉の傍で寝るのかなと見守っていたのだが、バドはこたつに入るリィンとエリゼの元へのそのそとやってきて、べたりと腹ばいになって落ち着いてしまったのだった。最初はびっくりしたが、恐る恐る体重を少しだけ預けてみれば、バドの体は極上のソファのような心地よさだった。

「バド、ありがとう」

ぽんぽんと撫でれば、わふんと返事が返ってくる。二人で顔を突き合わせてくすくす笑っていると、目の端に何かが見えた。テーブルの上にルシアが置いていってくれた、いわゆるおやつである。

「エリゼ、みかん食べるか?」
「!たべたいですっ」

綺麗なオレンジ色のそれを手に取ると、エリゼが目を輝かせる。こたつにはみかんが必須だ、と力説していたユン老師の言い分を何故か守って、ルシアはこたつを出すとき必ずみかんを一緒に出してくれる。そしてそのみかんをまだ上手く剥けないエリゼの分まで剥いてあげるのが、リィンの役目だった。
一つみかんを手に取って、慣れた手つきでむきむきとみかんの皮を剥く。子供でもそんなに力を入れる事無く素手で剥けるのがとてもありがたい。あっという間に丸裸になったみかんの身を一つつまみ、わくわくと隣で待つエリゼの口元へ運ぶ。

「はいエリゼ」
「はむっ……んー!おいしいですにいさま!」
「そっか、よかった」

もぐもぐと幸せそうにみかんを頬張るエリゼに笑顔になりながら、リィンも自分の口にみかんを入れる。程よい酸っぱさと甘さが実に美味しい。ぷちぷちとしたみかんの身を噛み締め、汁がじわっと口いっぱいに広がる瞬間が、リィンは好きだった。
エリゼが食べ終わったのを見計らって、また一粒与える。みかんを差し出された瞬間ぱっと笑顔になる様は、兄の欲目を抜きにしても大変可愛らしい。そんな嬉しそうな妹の笑顔がもっと見たくて、リィンはいつも自分が食べる事を忘れてエリゼに与える事に夢中になってしまう。結局半分以上をエリゼに譲ってしまう形になるのだが、リィンは毎回これ以上ないほどの満足感を覚えるのだった。

「にいさま?にいさまはみかん、たべていますか?」
「うん、食べてる食べてる」

たまに意外と目ざといエリゼに気付かれそうになるが、上手く誤魔化す。そうしてリィンは今日は二つのみかんを剥いた。あまり食べるとご飯が入らなくなってしまう。お腹もほどほどに満たすことが出来て、リィンとエリゼは四方八方をぬくもりに包まれる中ほうと幸せな空気に浸った。パチパチとはぜる暖炉の音、じりじりと微かに聞こえるこたつの導力の音、互いの呼吸の音、バドがたまにぱたりと動かす尻尾の音。日常に溶け込むすべての音が、吹雪の恐怖から二人を遠ざけてくれる。
そんな暖かさと安心に包まれた空間で……微睡まないはずが無かった。

「……エリゼ?」

はっとリィンが気付いた時には、隣のエリゼが完全に体をバドに預けてすうすうと寝息を立てていた。リィンは少し慌てた、前にルシアから、いくら暖かくてもこたつで眠ってしまっては風邪を引いてしまいますよと注意を受けた事があるのだ。

「駄目だぞエリゼ、ここで眠っちゃったら……」

慌てて起こそうとするリィンだったが、とても幸せそうに眠るエリゼの寝顔を見て動きを止める。気持ちよさそうに眠っている所を起こすのは、なんだか忍びない。部屋自体もこんなに暖かいし、こたつとバドの体温に挟まれてどうしても風邪を引きそうには思えない。色々考えた結果、リィンはそっとエリゼにこたつの毛布を肩まで掛けてあげた。起こす事は潔く諦めたのだった。
大人たちの話し合いが終わったらテオもルシアもこの部屋へやってくるだろうから、それまでは寝かしておいてやろう。そうやって誓ったリィンだったが、彼自身にも睡魔の魔力はすぐに襲い掛かってきた。瞼が重い。思考が鈍る。必死に持ち上げていた頭はいつの間にかバドの長い毛の中に沈んでいて、うとうとと天井を見上げていた。

「……ね、寝ちゃダメ、だ……」

エリゼがすやすやと無防備に眠る中、兄としては何が起こってもいいように見張っててやらなければならない。ならない、のに。ゆるく持ち上げられた右手は、すぐにぽふんとバドの上に落ちる。何としても起きていなければ、と先に睡魔に負けてしまって動かない体の中、頭だけを必死に回転させていたリィンだったが。
落ちてくる瞼と格闘していたリィンの腹にその時、ぽふんと、何か柔らかいものが乗っかったのを感じた。

「……ばど?」

夢うつつの中見下ろせば、バドのふさふさな尻尾がリィンの腹の上にあった。利口なバドは今までこうしていたずらめいた事をした事は無い。自分の腹に乗っかり続けるふさふさをじいっと見つめたリィンは、やがて気が付いた。バドはいたずらにこんな事をしている訳じゃない。睡魔に抗っている間に少しこたつから出てしまっていたリィンの身体を、代わりに包んで守ってくれているのだ。
ぽん、ぽん、ぽん。リィンを守る尻尾の先が、まるで眠りに誘うかのように一定の感覚で動く。その優しいリズムに、最後まで抵抗していたリィンの意識もすうっと遠のいていく。
それはきっと、この上なく安心したからだ。頭の後ろで息づく命が包み込んでくれるこのぬくもりが、こたつと同じぐらい、いいやそれ以上に暖かく感じたからだ。このまま眠ってもいいんだと、心が夢の世界へ安らかに歩いていく。リィンの瞳が閉じられる。投げ出された指がきゅっと、バドの毛の端っこを握りしめる。
そうしてリィンはエリゼと並んで、健やかな眠りへと落ちていった。くあっと欠伸をしたバドが、しかし眠る気配は無いままに尻尾を軽く動かし続ける。ふさふさの身体に幼い二人をもたれ掛らせながら、眠りにつく小さな体を尻尾であやしながら、バドは目覚め続けた。その瞳にはこの部屋に入る前から灯る光が、失われる事無く存在し続ける。
それは即ち自分が、この幼子たちを守ってやらなければならないという、シュバルツァー家の守り手としての誇りであった。
今日もバドは、小さなご主人様たちを暖かな部屋の中で守り続けていた。




「……あら、あなた?どうしたんですか、そんな部屋の入り口に立ち尽くして……」
「ルシア……今すぐ、私の部屋から導力カメラを取ってきてくれ。今すぐだ」
「??」

その日、シュバルツァー家の屋敷から感光クオーツの予備までごっそりと消えた。




こたつとみかんとバド





14/12/06


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