売れっ子作家×家政夫なクロリンください




ここ数週間で通いなれた道を自転車で滑走して、リィンは目的地へ辿り着いた。高めの塀に囲まれる二階建ての大きい家。何度見ても一人暮らしにはもったいないと思えるこの家こそがリィンのアルバイト先だ。いつもの庭に自転車を停め、慣れた手つきで合鍵を取り出し玄関の鍵を開ける。いつもなら一応玄関のチャイムを鳴らして家の主に来訪を知らせてから中に入るのだが、今日はいくらチャイムを鳴らしても誰も出てこないだろうと予想を立てての行動だった。

「こんにちは!先生、起きてますか?」

玄関の扉を開けて大声を上げるが、思った通り返事はない。溜息をついてからリィンは家の中へ上がり込んだ。連日ほぼ徹夜続きの中、昨日の締め切りに何とか間に合った後の今日だから絶対にまだ寝ているだろうなと思ったのだ。昨日ここを出た時とほぼ同じ状態のリビングを眺めながら階段を上って、目の前の寝室の扉を勢いよく開けた。

「先生!クロウ先生!おはようございます!」
「んー……」

とっくの昔におはようの時間を越えているにもかかわらず、まだまだおはようには程遠い人物がベッドに横たわっている。寝室に足を踏み入れる前にちらと仕事部屋を覗いてみればあちこちに本が散乱していて、やっとこの惨状を片付けられると気合を新たにした。足を踏み鳴らして室内に入り、ベッドに沈む銀髪の肩を勢いよく、かつ柔らかく揺さぶる。

「クロウ先生、眠いのは分かりますけどご飯食べて下さい!どうせ昨日用意しておいた朝ご飯も食べてないんでしょう!」
「……おー……」
「ほら、何が食べたいですか!何でも作ってあげますから起きて下さい!」
「あー……パスタ……」

むずがるように枕に顔面を押し付け頑なに起きようとしない頭は、それでもボソボソと昼食の希望を呟いてくる。リィンは再び溜息をついた。まるで大きな子供だ。このだらしのない男が自分よりもずっと年上で、いくつも賞を取っている売れっ子作家で、家政夫のアルバイトをしている自分の雇い主である事を忘れてしまいそうだ。腰に手を当てたリィンはじとりと起きない主を見下ろすが、すぐに視線を和らげた。
だらしがないのはいつもの事だが、今日のは仕事を頑張った後の疲労からくるものだとは分かっている。真剣な表情で原稿に向かっていた横顔を思い出して、リィンは労わりも込めて優しく銀の髪に触れていた。

「……分かりました、作っておきますから、早く起きて下さいね」

さて今ある材料で何が作れたかな、確かミートソースがまだ残っていたな、と考えながらベッドから離れようとしたリィンだったが。その動きを阻害するようにガッシと、突然手首を掴まれた。

「え?……うわっ!」

強い力で下に引っ張られてしまえば、中途半端な姿勢だったリィンはたまらず倒れ込むしかない。倒れ込んだ先にあったのはベッドで、さらに言えば二本の腕だった。何とか頭から倒れ込む事は阻止して尻餅をついたリィンの胴に、背後で寝転がったままの人物から伸びた腕がぎゅっと巻き付いてくる。リィンは慌てて振り返った。

「ちょ、先生、何なんですか!」
「あーもーうるっせえなあ、今徹夜明けの癒し補充の時間なんだから邪魔すんじゃねえよ……」
「この姿勢のどこが癒し補充の時間ですかっ……!」

今日の家政夫としての仕事はまだ始まったばかりで何も出来ていない。不満いっぱいでばしばしと腕を叩けば、背中にぐりぐりと額を押し付けられた感触がした。

「これが究極の癒しの時間に決まってんだろ、俺にとって癒し補充イコールリィン補充の時間なんだからよー」
「また訳の分からない事を……」

この独身作家は何故か家政夫としてはほとんど経験が無かったリィンを殊の外気に入っていて、よくこうしたスキンシップを図ってくる。今はまだ何とか全ての仕事をこなせるようになったが、最初は惨憺たる有様だった。それでも契約を打ち切られることは一度も無かったのだからリィンは不思議に思っている。曰く一生懸命な姿が良かっただの味付けが好みだのそもそもタイプだっただの訳の分からないもの含めて色んな理由を挙げられたが、それでも。

「なー、リィン」

甘えるような声に引き寄せられるように見下ろせば、紅の瞳が甘く笑って見上げてくる。こんなにくっついている状態なのだから、今リィンの心臓が体内で跳ねた音を聞かれてしまっただろうか。ずるい、と思う。作家でなくともその容姿を利用した職業にいつでもなれるんじゃないかと思わざるを得ない整った容姿でこんな風に微笑まれれば、しがない一般大学生の自分はこんな簡単に心を乱されてしまうのだ。たとえ同性同士だとしても、である。それほどの威力をこの作家先生はお持ちであるのだ。
そんな事を現実逃避気味に考えていれば。

「俺にもっとリィン充させてくれよ」
「ひえっ?!」

するりと当然のように服の下に入ってきた大きな手の平に、思わず悲鳴を上げていた。固まる事十数秒。思う存分腹や腰を撫でさすった調子に乗った手の平が、上へ下へと移動を開始しようとした瞬間、背筋に変な衝撃を感じて我に返った。途端、リィンの肘鉄が背後の腹に埋め込まれる。

「この、変態作家!」
「ぐえっ!」

拘束が緩まったのを見計らって慌てて立ち上がる。ベッドの上で身悶える体躯をギッと睨み付けてから、リィンはどすどすと寝室を後にした。抗議の意も込めてバタンと大きな音を立ててドアを閉める事も忘れない。階段も勢いよく駆け下りながら、頭の中は赤らんだ頬や鳴り止まない鼓動をどうやって鎮めたらいいのか考えるので精一杯だった。少し油断すれば、さっきの暖かな手の感触を思い出してしまうのだ。

「ああ、もう……毎回毎回あの人は本当に……!書くものはあんなにストイックなのに本人はどうしてこう……!」

己より人間的に遥か高みにいるあの人が、たまにこうしてスキンシップを越えかけた何かを仕掛けてくるその真意は分からない。反応が面白いからとただ単にからかわれているだけならばムカつくがまだ良い。たまに見る、見てしまうおふざけとは程遠い真剣な表情と瞳は、そうでは無い事をリィンに無言で伝えてくる。じゃあ一体、何だと言うのか。どっちにしてもあの男の手の平の上で踊らされている事に変わりは無いのだが、それでもリィンはほくそ笑む銀髪に全力で振り回されるしかないのである。

「……くそ……どうして俺は、ここの家政夫をやめられないんだ……」

すでに心が捕らわれてしまっている事を、自覚していた。








15/06/07


戻る