それは前触れもなく、突然やってきた。

「……あれ?」
「お、雨か?」

ぽつ、と空から落ちてきた水滴に気付いたすぐ後には、ぱらぱらと降り出した雨がバケツをひっくり返したような大雨に変わっていた。外に出ていた人々が慌てて近くの軒下に隠れても、ものの数秒で肩がぐっしょりと濡れてしまうほどの雨だった。たまたま放課後に少しばかり街道に出ていて、目的を果たしてさあ帰ろうかとしていたリィンとクロウも、辺りに雨宿り出来そうにない道のど真ん中でその豪雨に直撃してしまった。

「んだよ、夕立が来るとか聞いてねーぞ!」
「文句言ってないで走るぞクロウ!」

傘なんて持ち歩いているはずもなく、慌てて二人並んで駆け出す。幸いトリスタのほど近い場所にいたので、すぐにキルシェのテラス下に辿り着く事が出来た。ちょうどお茶でもしていたか帰り道に雨宿りしているのか、他にもちらほらと学生たちが途方に暮れたような顔で空を眺めている。川に飛び込んだかのように全身まんべんなく濡れているのは、さすがにリィンとクロウ以外に見当たらなかった。

「っはー、災難だったな。もうちょっと遅く降り出してくれりゃトリスタに戻れていただろうによ」

制服の上着を脱いだクロウが大きな手でぎゅっと絞る。全力で走ったおかげで上がってしまった息を整えてから、リィンは隣をじろりと見上げた。

「本当だな。クロウが魔物相手にワイルドカードを投げまくって遊んでなければもっと早く片付いていただろうにな」
「ぐっ!」

痛い所を突かれた、とクロウが言葉に詰まる。しかしすぐに口元をにやりと歪めてリィンをチラと見下ろした。

「……はは、そうかもな。まあそもそも、誰かさんが「ボールが街道に転がってって失くしちゃったー」なんつー泣き言を馬鹿正直に聞いて飛び出してなけりゃ雨に降られることも無かった訳だけどなー」
「うぐっ」

意地悪そうに細められた赤目にやり返されて今度はリィンが口ごもる。トリスタの町中で泣いていた子供たちに気付いたリィンが、訳を聞いて単身街道に出ようとした所をクロウに捕まり、結局二人でボールを探している途中魔物に襲われて思ったより時間が掛かってしまった、というのが今までの成り行きであった。
やれやれと肩をすくめるクロウに、じゃあ何でついてきたんだよ、とはさすがのリィンも言えなかった。お前はチビッ子にまで良いように使われてんのかよとブツブツ呆れながらも何だかんだ後ろをついてきてくれたこの年上のクラスメートに、口には出さないがとても感謝していたからだ。リィンに断る隙を与えずふざけた事を言いながらひょいとボールを探し当ててみせたのはクロウだ。おかげで今目的のボールはリィンが片手に抱えている。故に反論することもできず、敵わないなとため息をつく事しか出来ない。

「……この雨、なかなか止みそうにないな」
「おお。雨足が弱まったらこのまま寮に駆け込むかねえ」

礼を言ってもきっととぼけられるだけなので、あえて世間話を振りながらリィンは、己の髪を掻き上げた。いつもは跳ね気味な髪が雨に濡れたおかげでしっとりと湿り、額や首筋に張り付いてしまっていた。雫が滴ってより艶やかに映える濡れ羽色の髪を片手でまとめて掻き上げ、止まない雨を見つめながら憂鬱げな溜息をほう、と一つ。ぱら、と解ける髪先から垂れる雫が頬を滑り、首を辿って鎖骨に落ちていく。普段はあまり見せる事のない米神あたりの生え際を惜しげもなく晒しながらリィンはその瞬間、限りなく無防備であった。
ざあざあと音を立てて降り注ぐ雨の音をぼんやりと聞いていたその時。ごくり、と何かを飲み込む音が隣から聞こえた気がして、リィンはそのまま振り返ろうとした。

「?……うわっ?!」

しかし隣に立っているはずの相手の顔を見る事もなく頭から何かを被せられ、視界いっぱいに赤色が広がる事となる。見慣れたZ組の制服の色である事にはすぐに気付き、リィンは慌てて自分より大きめの制服の隙間から薄紫の瞳を覗かせた。

「クロウ?!いきなり何するんだよ」

被せられたのはもちろん先ほど本人が絞っていたクロウの上着だ。まだまだ湿り気が残るそれはしかし、包まれていると何となくほっとし濡れそぼった状態でも温かく思える。
クロウは何も答えない。視線をどこか気まずそうにあさっての方向へ逸らせたままだった。

「?別に寒くないから、気を遣わなくってもいいのに」
「……そうじゃねえよ」

そんなに寒そうに見えたかなと首を傾げてもすぐに否定される。ちらりと視線を寄越してきたクロウは呻き声をあげてすぐにまた顔を逸らしてしまった。その角度は卑怯だ、とか何とかブツブツ言っている。よく聞き取れなくて、リィンは頭にかぶったままの制服を剥ぎ取ろうとしながら一歩近づいた。

「クロウ、何言って……って?!」
「うるせえ!いいから黙って隠しとけ!今の絶対他の奴には見せるなよ、いいか、絶対にだ!」
「い、意味不明すぎるんだが?!」

脱ぎかけた制服の上から頭を押し付けられてリィンはじたばたともがいた。その後また深く被せられたので、脱ぐなと言いたいらしい。その行為や言葉にどういう意味があるのかリィンにはさっぱり分からなかった。少しだけふてくされてクロウを見上げる。

「ったく、無防備にも程があんだろこいつは……」

ぶつくさ言いながらクロウもまた、いつもつけている濡れたバンダナを外して己の髪を掻き上げている。水に濡れた銀髪というのはこうも輝いて見えるのかとリィンは思わず息を飲んだ。宙に踊る銀糸から滴が豪快に散る様は男らしくもあり美しくもあった。制服を脱いだおかげで薄着となった身体は、濡れてぺたりと張り付いたストライプのシャツに透けて線が良く見える。水泳の授業で一緒に泳いだことは無いのであまりクロウの身体を見る機会はないが、こうして確認すると後衛の癖に自分よりも確実に鍛え上げられているのが分かる。体だけではない、こだわりなのか普段はめったに外さないバンダナのせいで何気に希少価値の高い額とか、丸い小さな水滴がついた長めの睫毛とか、意識して見ると思ったより白かった肌とか腕とか、その全てに雨粒が垂れてどことなく艶めいた印象を与えらえる。それらを見ながらリィンは羨望を覚える前に、別な感情をその頭に浮かべていた。
ここは公共の場。今リィンが息を止めてじっと見つめていたその全身が、自分だけではない人目に晒されている訳で。

「……ん、どうした?」

一心に注がれる視線に気付いた紅色の瞳が横目でリィンを見て、優しく細められる。いつの間にか両手で握りしめるように持っていたボールに思わず力を込めて、クロウの制服の隙間から最早睨むように見上げていたリィンは、とっさに叫んでいた。

「……む、ムカつくっ……!」
「はっ?!」

お人よし優等生が普段滅多に言わないような台詞を耳にしたクロウが目を丸くする。その時ちょうど良いタイミングで開かれたキルシェの扉から、数枚のタオルを持ったドリーが顔をのぞかせた。

「はあいリィン君、クロウ君、お疲れ様!そんなにびっしょり濡れちゃって大変でしょ、足りるかどうか分からないけどこのタオル、使」
「すみませんありがとうございますちょっと借ります!」

転がっていかないように慎重かつ素早く足元にボールを置き、差し出されたタオルを奪い取るように手にして、リィンは腕を広げた。目指すはぽかんと立ち尽くすクロウの、その頭部だ。一気に広げたタオルをその頭に容赦なく正面から被せる。その際少しだけ背伸びをしてやらなければならなかったのが、気持ちがもやもやしているリィンの心的にはなおさら癪だった。

「ぶわっ?!な、ちょっと、リィンさん?!いきなり何を?!」
「……うるさい」
「何でかいきなり不機嫌になってるし?!」

そのまま手加減もせずにがしがし頭を拭いてやれば、いてていててと大層痛そうにつぶやくクロウも幸い逃げようとはしなかった。おかげでリィンは何故か心にたまるもやもやしたものを吐き出すように思う存分クロウを拭いてやれた。
どれぐらいそうしてひたすら手を動かしていただろうか。ようやく満足して大分湿り気も飛んだ銀色頭を解放すれば、首の後ろあたりを抑えながらクロウがのろのろと顔を上げる。

「ってー、一体何なんだよお前は」

その問いを己に投げかけたいのはリィン自身であった。自分でも処理しきれない感情を持て余したまま、視界の両側に垂れるクロウの制服をぎゅっと摘まみ、拗ねるように足元を見つめる。
自分の心が分からないままでも、一つだけ確実に分かっている事実を、リィンはぼそりと呟いた。

「クロウがかっこよすぎるのが悪いんだ」

水も滴る何とやら、とは、きっとクロウの事を言うのだ。
そうやって割と本気の表情で口にした年下のクラスメイトを、クロウが無言で見つめる事十数秒。

「……で、いきなり惚気られた俺は一体、いつまで理性保っときゃいいんだ?」

その途方に暮れたように切実に響く独り言は、少しだけ弱まってきた雨の中へ溶けて消えた。

ちなみにその一部始終をまわりにいた学生やドリーたちに目撃され、後日ある事ない事噂が広がりまくる事になるのだが、それはまた別の話。




無自覚嫉妬と雨と君





15/01/09


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