「おっす、何してんだ後輩」
「あ、クロウ先輩」

作業の手を止めて、リィンは向こうからぶらぶら歩いてきた銀髪の先輩へ顔を向けた。何となく、この先輩が厳かな教会の中に足を踏み入れる事を物珍しく感じて、思わずまじまじと見つめてしまう。リィンの思考が正確に伝わったのだろう、目の前まで歩いてきたクロウは肩をすくめて理由を話した。

「いやな、表でガキどもがわーわー騒いでたから何かしてんのかと思ってよ」
「ああなるほど、そういう事でしたか……あの、すみません、先輩が教会に来るのが珍しいような気がして、つい見てしまいました」
「ククッいいっての、実際あんまり来る事ねえし。それで?お前は何してんだよ」

改めて尋ねられて、リィンは頭上を見上げた。リィンの背丈の倍以上あるであろう大きさの、笹。何の変哲もないはずのそれは今、リィンやシスター、それに町の子供たちによって次々と飾り付けられている所だった。つられて上を見上げたクロウは、リィンが答える前に納得の声を上げる。

「あー、そういや今日だっけか?七夕」
「そうなんです。毎年教会では町の子供たちを呼んで七夕パーティを行うみたいで」
「言われてみれば去年も騒いでたな。それでお前に生徒会から手伝いの依頼が回ってきたって所か」
「あ……いや、そういう訳では」

少しだけ目を泳がせるリィン。その態度で全てを察したクロウは、呆れたように目を細めた。

「まーた頼まれてもねえのに首突っ込んでんのか。トワほどのお人よしがまさか他にも存在しているたあ数か月前までは思いもしなかったもんだぜ」
「た、たまたま通りかかって、他に用事も無かったので手伝いをしていただけです!ほら、これを飾るだけですから」

リィンが両手に持っていたのは、様々な願い事の書かれた色とりどりの短冊だった。子供たちのものだけでなく、学院の生徒や大人たちの願いが書かれたものも沢山用意されている。教会に訪れる人々に声を掛けて書いてもらったものなのだろう。これらを笹に吊るしていくのがリィンに任された仕事だった。
まったくこいつは仕方がない奴だなどと呆れた声を上げながら、クロウはおもむろに脇に置いてあった飾られる前の短冊たちを手に取る。

「えーとなになに、大金持ちになりたい?最近のガキは現実的だな。こっちは、テストで赤点取りませんように、と。へえ、トールズの奴らも結構書いてんだな」
「せ、先輩!何勝手に読んでるんですか!駄目ですから!」
「良いだろ別に、減るもんじゃねーし。おら、こうやって引っかければいいんだろ?」

慌てて手を伸ばすリィンをさらりとかわし、読み上げたそれを長い腕を伸ばして笹に掛けるクロウ。そこはリィンがいくら背伸びして手を伸ばしても届かない高い位置で、何とも言えない敗北感が胸に去来してくる。絶対わざとだ。

「ん、どうした後輩?何故か随分悔しそうな顔をしているが」
「先輩、分かってやってますよね……」
「さーて、何のことだか。おっこれ見ろよ、大好きなあの人と両想いになれますようにだってよ!んなのさっさと告白しちまえって話だろー」

じっとりと見つめるリィンなどお構いなくクロウは次々と楽しげに短冊を読み上げ、ひょいひょい笹へと掛けていく。そんなお調子者の先輩の姿に、溜息を吐きつつリィンは頭を掻いた。呆れると同時に、気づいてしまったのだ。こんな風にこちらを呆れさせおちゃらけながら、クロウがリィンの仕事を奪っている事に。リィンが飾るはずだった短冊はどんどん減っていく。この調子なら任せられた仕事もすぐに終わるだろう。
どっちがお人よしなんだ。心の中で文句を言う。実際に口にしてもとぼけられる事は分かっていたので、リィンは何も言わずに自分の分の仕事を続ける事にした。ただこれだけは言っておかねばと、クロウの方を見る。

「あの、ありがとうございます」
「はあ?一体何のお礼だそりゃ」
「いえ、何でも。……それより先輩、せめて声を上げて読み上げるのは止めてください、書いてくれた人に悪いですよ!」
「細かい事言うなって、どうせ聞いてるのは俺とお前だけだろー」
「俺が居た堪れなくなるんです!」

そうやって言葉の応酬をしている間に、短冊はあっという間に全て飾り付ける事が出来た。一人で作業をしている時より何倍も早く感じたのは、気分だけなのか実際クロウの仕事が早かったのか。残っていた他の飾りも手際よくぶら下げて、並んで七夕一色に飾り付けられた笹を見上げる。

「これでよーし。ったく、いつの間にかすっかり手伝っちまってたぜ。先輩をこき使う術に長けてんなあお前は」
「いや、先輩が勝手に手伝ってくれたんでしょう……はあ、もういいです。でも、助かりました」
「ふふん、感謝したまえ。礼なら今度賭けブレードでも」
「しません。俺をカモにしようとしないで下さい、というか賭け自体ダメですから」
「ちっ、相変わらず良い子ちゃんぶりやがって」
「そういう問題じゃないです!」

教会内で迷惑にも騒いでいれば、横からくすくすと小さな笑い声が聞こえる。慌てて振り向けば、今日も教会にシスター見習いとして来ていたロジーヌが微笑ましそうにこちらを見ていた。一体いつから見られていたのか、非常に恥ずかしい。リィンは居心地悪そうに身じろぎするが、クロウは気にもしていない様子で口笛なんか吹いている。少しは体裁も気にしてほしい。

「お二人は仲が良いんですね」
「い、いや、これはその」
「リィンさんと、クロウ先輩、お手伝いありがとうございました。せっかくですから、お二人も短冊を書きませんか?」
「えっ?」

手渡されたものを反射的に受け取って、まじまじと眺める。赤と青の短冊がそれぞれ一枚ずつと、ペンが二本。お好きに飾ってくださいと言い残して、ロジーヌは子供たちの元へ戻っていってしまった。受け取ってしまったものを無下には出来ない。そもそも断る理由も無い。リィンは青い短冊とペンをクロウへ手渡した。

「だ、そうです。どうぞ」
「おう。つっても、いきなり言われても特に願い事なんて思いつかねえな」
「そうなんですか?」

てっきりクロウはあれこれと願い事が多すぎて書ききれないタイプかと思っていた。リィンは目を瞬かせる。

「何か無いんですか、願い。将来叶えたい事とか」
「叶えたい事、ねえ」

そう呟いたクロウは、一瞬の間を作った。考え込むように黙った口元がリィンの位置からはっきりとは見えなかったが。まるで、何かを嘲るような笑みを作ったように見えて、リィンは己の目を疑った。しかし瞬きをしている内にクロウの表情はいつもの笑みに戻っていて、先ほどの名残りなど一切見つけることが出来ない。……気のせい、だったのだろうか。

「まーあるにはあるが、当面の願いはこれかねえ……ゼリカとのナンパ対決に、勝つ!」
「そ、それは……空の女神でも叶えられるかどうか……」
「何気にひどい事言うよね君?!そういうお前は何書くんだよ」
「えっ。俺は……」

自分から言い出しておいて、リィンは少し考えてからペンを握り、やっぱり書くのを止めた。ん?とクロウが首を傾げる。その視線から隠れるように、なるべく不自然に思われないようにそっと、自分の胸に手を置いた。
叶えたい事。一番に思いついたことが、これだった。正体の知れない、己の内に眠る獣じみた異常な力。この士官学院に入学してしばらく経つが、未だに誰にも打ち明けられないリィンのしがらみだった。この力を乗り越えようといくら足掻いても、どうしても恐れてしまう。克服できるのはまだまだ先の話のようだ。いや、そもそも、克服できる日が来るのかどうか……。
考え始めると弱気になってしまう。自然と俯いていたリィンの隣で、クロウが反対側に首を傾ける。

「いきなりどした?」
「あ……いや。俺が叶えたい事、願い事を少し考えていて……」

言い淀むリィンを、真紅の瞳は急かすことなくただ静かに待ってくれている。不思議な心地だった。両親にも、妹にも、Z組の皆にも抱いた事のない妙に安らいだ気持ち。踏み込みすぎず、まるで背中から支えてくれているように、適度な距離で見守っていてくれるからこそこの胸の内を少し明かしてもいいかもしれないと思わせる、初めての関係。
リィンの心がわずかに跳ねた。理由は、分からない。

「えっと、詳しくは言えないんですけど……この言えない秘密を、いつか堂々と胸を張って明かせるように、克服する事ですかね」
「何だそりゃ、んなはっきりとしないの短冊に書けねえだろ」
「はは、ですよね。それじゃあいつか剣の道を極められますように、とでも書いておこうかな。星になんて願ってないで修行あるのみ、とかラウラに怒られるかも」

そうやって笑ったリィンはクロウが黙っている事に気付いて、どうしたんだろうと振り返る……前に、わしっと頭に置かれた手によって首を固定された。驚いている間に手の平は遠慮なくリィンの髪を掻き混ぜる。撫でられている、と認識したのは、思う存分クロウが手を動かした後だった。

「ちょ、クロウ先輩?!いきなり何を……!」
「あんまり気張りすぎるなよ、後輩。あんまり意地張ってると、いつかボッキリ折れちまうぞ」
「……えっ?」

はっと顔を上げれば、こちらを見つめるクロウの瞳はどこか真剣だった。今のはおふざけではなく、いやいくらかおふざけは入っているだろうが、確かにリィンを心から労う気持ちが込められていた。リィンは目を見開く。

「先輩……」
「お前は傍から見ていても一人で何でも抱え込むのが丸わかりだからなー。このオレ様のように適度に息抜きしねえと、世の中上手に渡っていけないぜ?お兄さんとちょっくら帝都にでもナンパに繰り出すか?それともやっぱり賭けブレードして大人の世界に一歩足を踏み入れてみるか?ん?」
「……先輩は普段息抜きしすぎなのでは?」
「おっとー、後輩君からの冷たい視線頂きましたー」

大げさに肩をすくめてみせるクロウに、やっぱり敵わないなとリィンはため息をつく。こちらが気に留めないような言い方で、背負い込んだものを少しだけ軽くしようとしてくれる。少しぐらい休んだっていいのだと、優しく教えてくれる。こういう時、リィンはクロウとの歳の差を思い知らされる。二つ違うだけなのに、一学年違うだけなのに、どうしてこうもクロウは大人なのだろう。
少し肩を落としたリィンをどう見たのか、クロウがばしばしと元気づけるように叩いてくる。

「まーまー、とにかく思い詰めすぎるなって事よ。何なら俺も先輩として相談ぐらい乗ってやるから」
「それは……悪いです。これは俺自身が解決しなければならない事なんで……それに、ちょっとやっかいな事でして」
「どうって事ねえよ。お前だったら多少のやっかい事、面倒見てやるっての」
「え……」

思わずクロウを見つめる。お前だったら、とは。一体どういう意味だろうか。リィンにとってクロウは先輩の中で一番付き合いが長いし多い。そういう意味でクロウはリィンにとっての特別であると言えるだろう。ならばこの無駄に顔が広い先輩も、同じなのだろうか。やっかい事を引き受けてやってもいいと思ってくれる程度には、特別な存在であると。
たったそれだけの事なのに、またしてもリィンの心臓が跳ねる。これは何なのだろうといくら考えても、答えは出そうになかった。己の謎の現象に名前を付ける事を早々に諦めて、リィンはクロウに笑いかけた。

「ありがとうございます。もし打ち明けるようなことがあったらその時は……よろしくお願いします」
「おお、先輩に任せとけって」

腕を持ち上げて力こぶを作ってみせるクロウに笑いながら、自分も彼のように大人になりたいと密かに思う。この身に抱えるやっかいすぎる問題はさすがに任せられないが、また今日みたいに並んで仕事を手伝ってもらう事ぐらいなら、頼んでみてもいいだろうか。
リィンは教会の天井を見上げる。天井の向こう、夜になれば空いっぱいに広がる星たちへ願いたい事はまた一つ増えたが、やっぱりこの短冊には書けそうにない。


――この密かに憧れる先輩に、誰にも明かす事は無いだろうと思っていた己の力全てをさらけ出すことになるのは、今日から約11日後の旧校舎での事であった。





かつて星に願った事





14/07/19


戻る