鳥のさえずりが聞こえる。その軽やかな声に引き寄せられるようにゆっくりと瞼を開ければ、柔らかな朝の日差しが部屋の中を照らしているのが目に映った。ど
うやら目を覚まさなければならない時間のようだ。まだこの柔らかな空間の中でまどろんでいたいという欲求を何とか押さえつけながらゆっくりと身体を起こし
たアッシュは、まだ意識をぼんやりとさせながらも隣を見つめる。そこには狭いベッドの上で落ちないように身体をぎゅうぎゅうくっつけて安らかに眠る己のレ
プリカが、2人、いた。
「………」
音もなくひそやかに微笑んだアッシュは、しばらくそのまま2人の寝顔
を堪能していた。この幸せな光景は俺1人のものなんだと言わんばかりに。
ローレライを解放してから、死んだと
思っていたのにこの世界へと戻ってくる間にどうやら一年程経っていたらしい。タタル渓谷から抜け出し近くの村でその事を確認した後、3人はとりあえず今の
状況に慣れるために人里離れたこの場所でこっそりと暮らしていた。今いきなり戻っても周囲に大混乱を与えるだけだろうと判断したのだ。世間的にはどうやら
死んだという事になっているらしいので、その死んだはずの人物がいきなり揃って、しかも3人に増えて戻ってくれば、それはそれは驚くだろう。
近
くを流れる小川から引いてきた水で顔を洗ったアッシュは、朝食の準備をするために台所へ立った。2人のルークはまだ起きないだろう。いつもアッシュがベッ
ドを倒さん勢いで起こさなければ起きてこないのだ。仕方が無いので朝食の支度は自然とアッシュがやるようになっていた。今日は、昨日買出しに少し離れた村
へ行った際に貰ってきた卵で目玉焼きでも作ろうか。
第五音素を操って火をつけ、フライパンにタマゴを落とせば、美味しそうな匂いが家の中
を漂う。この家は森の中に放置されていた所を偶然発見し、手入れして勝手に使わせてもらっている所だった。今のところ持ち主らしき人物は現れないので遠慮
なく住まわせて頂いている。
なかなか住み心地の良い家なのだが、少々部屋が小さいので寝室にベッドが二つまでしか並べることが出来なくて、仕方な
くルークズが2人でひとつのベッドに寝るしかなかった事だけが唯一の欠点だ。アッシュとしては、同じ顔がくっついて眠るところを眺めていると妙に癒される
のであれはあれで結構気に入っていたりするのだが。
「……いい匂い……」
「?!」
その時、ぼん
やりと呟く声が聞こえて、驚いたアッシュは勢い良く振り返っていた。そこには今にも眠ってしまいそうにとろんと瞳をとろけさせながらも髪の短いルークが目
を擦りながら立っていたのだ。アッシュは己の目を疑った。ルークが、あのルークが自力で起きた、だと。
「その匂い……今日はタマ
ゴ……?」
「貴様……本当にレプリカか、幻覚を見せる魔物の類ではないだろうな?!後朝食は目玉焼きだ」
「アッシュひでーこと言う
なー……俺だって、たまには自分で……」
そこでルークは、パチパチと瞬きをして見せた。ゆっくりと窓の外を見て、またアッシュへ
と視線を戻す。まるで何かを確認するかのようなその動きに、アッシュはフライパン片手に怪訝そうに首をかしげた。
「おい、何をし
ている、まだ寝ぼけているのか」
「アッシュ……今何時?」
「知るか。とりあえず朝だ」
この家には時計が無い。正
確な時間が分からなくともこの森暮らしでは太陽の位置などで大体の時間さえ分かれば何不自由なく生活できる事に気付いたのだ。
アッシュの言葉を聞
いて、パッチリと目を見開いたルークは慌てて寝室へと駆け込んでいった。
「た、大変だ!おいルーク、ルーク!起きろ!寝過ごし
たー!」
「あー?うるせえな何だよルーク……俺はまだ眠いんだー……」
「昨日あれだけ約束しただろ!とにかく今すぐ起きろーっ!」
2
人のルークは互いに互いの事をルークと呼んでいる。当人達はそれで良いのだろうが、傍から見ているとややこしくて仕方が無い。が、アッシュは基本的に人の
名前をまともに呼ばないので今のところは上手くいっている。
寝過ごすのはいつものことだろうに、何をそんなに慌てているのだろうと考えながらアッ
シュが目玉焼きを人数分の皿に移している間に、髪の長いルークも何とか起きてきたらしい。眠気でふらふらになりながらも、髪の短いルークに連れられてアッ
シュの前に姿を現した。
姿を現した途端、何故かアッシュに指を突きつけてくる。
「アッシュ!てめえ何で起きてやがる!」
「あ
あ?朝だからに決まってんだろうが」
「そうじゃなくて……っああーもう!何で俺たちはこんなに朝早く起きれねえんだよ!」
「昨日はあんな
に早く寝たのになあ」
何故か己に憤慨している様子の髪の長いルークに、腕を組んで不思議そうに首を傾げる髪の短いルーク。どうや
ら2人とも、今日は早く起きたかったようだ。しかもアッシュより先に。
先日購入した少しかたくなってもじわりと味が口の中に広がる病み付きになる
美味さと評判のパンを目玉焼きと共にテーブルに並び終え、アッシュは寝癖を立たせたままのルーク2人に声をかけた。
「とにかくま
ずは飯を食え、今準備が終わった所だ」
「それが駄目なんだよっ!」
「ああ?」
何故か変なところで怒り出す髪の長
いルークを寝ぼけた事言ってんじゃねえという思いを込めて睨みつけてやれば、頬を引きつらせて後ずさった。威勢は良いがやはり正面からアッシュには敵わな
いらしい。しかしそれでも引き下がらずに、じりじりとにじり寄ってくる。
「だから!お前が朝御飯の準備しちゃ意味がねえんだ
よ!」
「もうちょっと分かりやすく説明しやがれこのヘタレ屑」
「ヘタレって言うな!」
「あ、あのなアッシュ、実は俺達……アッ
シュに内緒で早起き計画を立ててたんだ。……この通り失敗しちまったけど」
髪の長いルークを押しのけて髪の短いルークが説明を始
める。なるほど、昨晩なにやらこそこそと話し合っていたのはそのためか。それ以前にもアッシュに聞こえないように並んで耳打ちしている姿を見た事があるの
で、結構前からその計画は立てていたようだ。内緒話をする姿も癒されるとか思っていないで問い詰めればよかったかと考えながらアッシュはルークの話に耳を
傾ける。
「本当はアッシュが起きてくる前に朝御飯の支度とかもして、アッシュをびっくりさせてやろうって思ってたんだ。だか
ら……」
「いきなり何故そんなくだらねえ事やろうとしたんだ」
「く、くだらなくねえよ!」
「くだらねえな、どう考えても失敗する
のは目に見えてる」
「うっ」
実際失敗した身では文句が言えず、髪の短いルークは図星をつかれた顔で口を紡ぐしかなかっ
た。そのまま無言でアッシュが待っていれば、しぶしぶといった感じで髪の長いルークが口を開いた。
「か、か……か……」
「か?」
「か、
感謝のしるしだっ!」
「はあ?」
何の感謝なのかサッパリ検討もつかないアッシュに、髪の短いルークが慌ててフォローをい
れた。
「ほ、ほら、ここまで俺達を導いてくれたのはアッシュだろ?すぐにバチカルに帰るよりまずはゆっくり落ち着いて心の整理を
した方が良いって。あんまり家事が出来ない俺達の変わりに毎日色々やってくれるしさ。何か俺達、アッシュに頼りっきりになってるなあって思って」
「借り作りっぱなしなのが嫌なだけだからな!」
「それで俺達にも出来る簡単な恩返しみたいな事、何か無いかって考えて……」
「無謀な早起き作戦を決行した、と」
「む、無謀って言うなよ、無謀だけど!」
話を聞いて、アッシュは深々とため息をついた。呆れているらしいアッシュの様子に、2人のルークは心配そうに顔を見合わせている。余計な事をしてしまっただろうかとか、失敗した事をやっぱり怒っているのだろうかとか、そんな不安でいっぱいになっているのだろう。肩を寄せ合う2人に、ひとまずアッシュはテーブルを指でコンコンと叩いてみせた。
「と
りあえず、そんないらねえ事考えないで飯を食え。せっかく作ったのに冷えるだろう」
「い、いらなくねえよ!」
「俺達これでも一生懸命考え
たんだぞ!」
「それがいらねえってんだよ」
ピーピー騒ぎ始めた二匹に、アッシュは席に着きながら堂々と言ってやる。
「お
前らが揃ってここにいるだけで俺は満足なんだよ!分かったら席に着け」
「「?!」」
アッシュの言葉を聞いた途端、揃ってボンと顔を赤らめる。面白いとか考えながらパンをつまみつつアッシュが様子を見ていると、2人はいきなり何言い出すんだとかそんな台詞を真顔で言える神経が分かんねえとかブツクサ言いながらも言われた通りに席に着き、もそもそと朝食を食べ始めた。
「なあアッシュ、それじゃあ俺達に
して欲しい事あったら何でも言ってくれよ」
「どーしてもっつーならしてやってもいいぞ」
「ふん。……考えておく」
アッ シュは本当に自身がさっき言った通り、目の前で美味そうに朝食を食べる己のレプリカ2人がいればそれでいいのだが、了承しなければずっとしつこく言ってきそうだったので一応そう答えておいた。
途端によっしゃ何やろうかと顔を突き合わせてあーだこーだ言い始める騒がしい2人のルーク。こうやってルークが楽しそうに話し、こちらに笑いかけてくるのを見るたびに、アッシュは思うのだ。
「……やはりあの時、ローレライの野郎を脅してでも言う事を聞かせた甲斐はあったな」
「は?何か言ったかアッシュ」
「いや、何も」
上手い事言い包めて3人で暮らすように仕向けた策士のオリジナル様は、満足そうに微笑んだ。2人とも、自分のレプリカだ、自分のものなのだ。独り占めをして何が悪い。
まだ
しばらくは、この幸福な日々が続きそうである。
僕らは居る
09/08/01
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