ヴァン師匠を倒し、ローレライを解放した後、ルークの意識は闇に溶けた、はずであった。だが二度と戻らないと覚悟していた意識は気付かぬうちにルークの瞳
を開けて、小さな星が視界いっぱいに瞬く夜空を見上げさせていた。しばらくポカンと転がっていたルークは、自分が息をしている事に気がつき慌てて起き上
がった。
「え、俺なんで生きて……ていうかアッシュ、アッシュは?!」
最後まで大事に腕の中に抱きとめ
ていたはずの片割れを探して首をめぐらせれば、すぐそばに鮮やかな赤色を発見した。辺りを埋め尽くさんばかりの白いセレニアの花に埋もれるように静かに横
たわる赤色が、ふたつ。ひとつは凛とした美しい真紅、ひとつは柔らかな夕焼け色。ふたつはルークの左右を取り囲むようにぎゅうっとくっついて、安らかに
眠っているようだった。そう、眠っている。生きているのだ。その事に気がつきルークはこみ上げてくるものをぐっと我慢しなければならなかった。
一
呼吸入れて心を落ち着かせたルークは、会うたびに言い合っていたのが嘘のように今は大人しく並んで眠っている様子を見て、今度は小さな笑いがこみ上げてき
た。こうして見ると、何とも微笑ましいものではないか。
「へへ、こうして眠ってるとまるで兄弟みたいだな、アッシュも俺も。出
会ったときからもっと素直に話せていれば、もっと早くこんな風に並んでいられたのかな……」
少し前を思い出しかけたルークだった
が、引っかかるものがあってもう一度左右を見た。
「……ん?アッシュと、俺?」
右を見れば眉間に皺が
寄っていない珍しいアッシュの寝顔。左を見れば口を開けて平和そうに寝入っている自分の寝顔。しかも若干懐かしく感じるのは、その髪の長さからか。グラ
デーションのかかる長い髪を見て反射的に自分のピヨッと跳ねた後ろ髪を触ったルークは、一瞬放心した後、呑気に寝こける二人を瞬時に飛び起こすぐらいの大
声で思わず叫んでいた。
「ええええええーっ!おっ俺が二人いるーっ?!」
「う
ぜーったりーっ訳わかんぬぇーっどこだよここ何なんだよこの状況おいお前ら説明しろっつーの!」
「うぜーのはお前だーっ!訳わかんねーのはお前だ
けじゃないんだからちょっと静かにしてろよ!」
「てめえらまとめて黙っとけ屑レプリカ共!」
天然のセレニア畑をせかせか
と目的地も無く歩いているのはアッシュとルーク、それにルークだった。一番前を行くアッシュに怒鳴られてビクリと同時に口を押さえた二人のルークは、目が
合って微妙な表情になる。
死んだと思ったのに何故か髪の短いルークと髪の長いルークと二人に増えてしまっていたルークなのであった。髪の短いルー
クの叫びで起きた髪の長いルークがボーっと辺りを見回しもう1人の自分に気付いて同じように叫び声を上げ、二人でぎゃーぎゃー叫んでいる所をうるさい黙れ
とアッシュに拳骨を落とされ、心を落ち着かせるためにこうして当て所も無く歩いている所だ。
「……なあお前、とりあえずどの辺ま
での記憶があるんだ?」
「……俺だけど俺じゃねえ誰かさんが師匠倒してローレライ解放するところまで」
とりあえず髪の長
いルークも髪の短いルークと同じ所までの記憶があるようだ。が、俺だけど俺じゃないとはどういう意味であろうか。首を傾げる髪の短いルークに、髪の長い
ルークがぷいっと顔を背けながら説明した。
「俺だって訳わっかんねえよ、これは確かに俺の中にある記憶だけど、まるで他人の記憶
を覗き見たような気分なんだ」
「他人の記憶を……?」
「つーか、お前の記憶なんじゃねーの、お前も俺なんだろ」
「あー、そう
か。……いややっぱ訳わかんねえ。確かにお前は俺なんだろうけどやっぱおかしい」
いくら考えても自分が二人いるだなんて、とてつ
もなくおかしな事だ。しかも歩きながらポツポツと話してみれば、どうやら髪の長いルークは所謂髪の短いルークが髪を切る前のルークという事で間違いなさそ
うだった。但し髪の長いルークの中には髪の短いルークから分け与えられたように今までの記憶も存在している。話せば話すほど頭の中が混乱していくようで
あった。
「っだーもう何なんだよこれ!俺はどーすりゃいーんだっつーの!」
髪の短いルークが切れる前に
髪の長いルークが頭をわしゃわしゃ掻き乱しながら切れてくれたので、思いとどまる事が出来た。聞きたいのは髪の短いルークだって同じだが、髪の長いルーク
の方がより訳が分からないのだろう。とりあえずはるか頭上にいるはずのローレライでも呪っておこうかとか考え始めた時、前を行くアッシュがおもむろに立ち
止まった。
「てめえらは一時も黙っていられねえのか」
「だ、だって……」
「こんな時に落ち着いてられるお前のほ
うが異常なんだよっ!」
睨まれて怯む髪の短いルーク、突っかかる髪の長いルーク。二人を交互に眺めたアッシュは、仕方がないと言
わんばかりに大きなため息をついて、言った。
「飯」
「「は?」」
「思えばずっと何も食ってねえ。腹が減っては何
とやらだ、飯にするぞ」
一方的に宣言したアッシュはさっそく落ち着けそうな近場の岩陰へとスタスタ歩いていってしまった。こんな
時に、と二人のルークは同時に思ったが、また同時に腹の虫が合唱してくれたので、結局欲望に忠実になるしかなかったのだった。
促されるまま並んで
座り込むルークたちの前にはあっという間に簡単な食事の準備が整っていた。最初に目を覚ましたあの場所には少々の旅道具も使えといわんばかりに転がってい
たので、その中から取り出したものだ。こんな事をしてくれたのはどう考えてもローレライしかいないのだが、そこまで気を回してくれるのならもっと別の所に
も回して欲しかった。主に状況説明の類で。
「食え」
「い、いただきまーす」
「……ます」
手
を合わせる髪の短いルークに習って髪の長いルークも1回お辞儀をしてから、パンを食べる。混乱していたせいで空腹は感じていなかったが、一口食べると己が
こんなにも腹が減っていた事に驚いた。質素な食事をがつがつ食べる二つの頭を、自身もパンを齧りながらアッシュがどこか満足そうに眺めていた。もちろん二
人に見えないように、だが。
「美味い!めちゃくちゃ質素なのに何故か美味い!何でだ!」
「ああ、腹が減ってるときは何で
も美味く感じるらしいからなー」
「っ食べ物はもっと大事に敬いやがれ屑が!」
褒めてるのか貶しているのか分からない坊
ちゃま二人に苦労してきたアッシュが一喝する。その後も怒鳴り怒鳴られ何やかんやと話しながら食べ進めば、食事の時間はあっという間に過ぎ去っていた。昔
の俺?は時々ムカつくけど話してると何か楽しいとかアッシュが前より何か優しくて嬉しいとかそんな事を膨れたお腹をさすりながら髪の短いルークがまったり
考えていると、隣に座る髪の長いルークがポツリと口を開いた。
よく見れば、髪の長いルークは髪の短いルークとは対照的に、どこか浮かない顔をして
いた。
「……なあ、何で俺は、ここにいるんだ?」
それは今まで散々叫んできた事だった。しかし今のは満
腹になったからか休憩して一呼吸置いたからか、随分と落ち着いた声だった。しかし落ち着いた声だからこそ、その中に隠れる不安や恐怖が滲み出てきているよ
うに聞こえた。
「だって俺の中にある今までのルークの記憶は、お前のものなんだろ?それなら俺は、俺が俺の記憶だって自信持って
言えるあの……アクゼリュスのところまでの俺って事なんだろ?つまり俺は過去の俺って事になるじゃねえか」
「……まあ、確かに……」
「そ
れじゃあ何で過去の俺が今ここにいるんだ?あの後……頑張ったのは、お前だろ?今ここにいるべきなのはアッシュと、お前……ルークだけだろ。なのに何で俺
がここにいるんだよ。何で俺が生きているんだよ!」
抱え込む膝にぎゅっと額を押し付けながら、最後は半ば泣き叫ぶように髪の長い
ルークは言った。髪の短いルークはその憐れな子どものような蹲る昔の自分の姿に何か言葉をかけてやりたかったが、結局何も出てこなかった。伸ばしかけた腕
もそのまま空中で止まってしまう。
この手で自分は何をしたかったのだろう。落ち着かせるために背中でも撫でてやりたかったのだろうか。気にするな
と肩を叩いてやりたかったのだろうか。そんな事はないよと頭にでも触れたかったのだろうか。分からなかった。髪の短いルークは、髪の長いルークに対して何
一つしてやれる事などないような気がした。
だって、今ここに蹲る髪の長いルークを過去へ捨ててきたはずなのは、己だったのだから。
「何
でだよ……何で、いるはずのない俺が……」
消え入りそうな声で呟く姿に、胸の奥がキリリと痛む。髪を切り今までの己を変える事は
あの時の自分にとって必要なものだったはずだ。なのに何故、今更胸が痛むのだろうか。目の前で震えるその姿を見ていると、つられてこちらも何故か涙がこぼ
れそうな気がして、ぐっと拳を握り締める。そんなルークたちの姿を黙って見つめていたアッシュが、やがて静かに口を開いた。
「ん
な事はどうでも良いだろうが屑が、揃って俺のレプリカのくせにメソメソするんじゃねえ」
「……はあっ?!」
その声は心底
ウザそうな声だった。あんまりにもあんまりな言葉に、一瞬にして頭に血が上ったのか髪の長いルークが勢いよく顔を上げた。赤く染まる目元を気にしながら
も、憤慨した様子で立ち上がる。
「どうでも良い訳ねえだろ!俺はここにいないはずなのに!」
「それを言うなら俺も一回確
実に死んでいる。そっちの髪の短い方のレプリカも似たようなもんだったんだろうが、全員本来ならばここに生きていないはずの俺達の立場は大して変わらねえ
だろ」
「え……そ、そう言われれば、そう、か……?」
「いっいやいや丸め込まれるなよ!やっぱおかしいって!」
納
得しかけた髪の長いルークにかわって今度は髪の短いルークが立ち上がった。
「だって俺とこいつは明らかに同一人物だった訳だし!
それが俺が2人になってるなんて、おかしいだろ!」
「1人からもう1人を生み出すレプリカもそんな感じだろうが、今更だ。屑の癖に細かい事を気に
するんじゃねえよ」
「いっ今更?細かい、かな、そうなのかな……」
「ってお前も丸め込まれてんじゃねえか!」
で
も、とか何とかアタフタしながら反論の言葉を捜す2人のルークに、ゆっくり立ち上がったアッシュが言い聞かせるように指を突きつけた。
「い
いか、過程なんざどうでも良い、今お前らが2人としてここに存在している事だけが事実なんだ。今考えなければならない事はどうしてこうなったのかじゃね
え、これからどうするかだ。分かったらその情けない面を今すぐ下げろ」
「で、でもアッシュ」
「俺は、俺たちは、2人で生きていてもいいの
か?」
世界を救うために努力したし、その結果世界は救われた。それでもその手は多くの人の血で汚れてしまっている。本来ならば生
きていないはずの自分が、さらに2人として生きていてもいいのだろうか。ルークはアッシュに助けを求めるかのように見つめた。自分で自分を許すことは出来
ない。誰かに、許されたかった。
回線はどちらも繋がっていないはずなのに、まるでその思考を読み取ったかのようにアッシュが笑った。それ
はいつもの皮肉めいた嫌味ったらしい笑みではなく、アッシュが元から持っていたはずの、慈しむ様な笑顔だった。
「俺が許す。……
お前たちは2人揃ってどうしようもない俺のレプリカだ。2人で生きればいい」
「「……アッシュ!」」
「劣化レプリカ風情が勝手に2人に増
えやがったんだ、これ以上グダグダと泣き言を続けるようだったら俺が直々に斬り捨ててやる、覚悟しろ」
話は終わったとばかりにく
るりと背を向けるアッシュ。感極まった顔を見合わせた2人のルークは、同時に駆け出して同時にアッシュへ飛びついた。
「ぐっ
は!」
「アッシュ!ありがとう!俺達は俺達でいいんだな!」
「いけ好かないムカつくオリジナル様だけどありがとうって言ってやらあ!俺
は、俺達はここにいていいんだな!」
「っ良いと言ってるだろうが屑が!何度も言わせるな!」
「「アッシュー!」」
三
人分の笑い声がこだまする、夜が明け始めたセレニアの花畑。他人によって初めて過去を許されたルークたちは知らない。自分達が目覚める前、音譜帯でローレ
ライと対峙したアッシュが、変わることを強いられたルーク、そのために置いていかれたルーク、そのどちらも平等に生を受けさせられないだろうかと頼み込ん
だ事を。ふたつに別れざるを得なかったふたりのルークどちらも己にとって大事な半身なのだと、生かせてくれと頼んだ事を。生きてくれと願った事を。
こ
の世界に再び生まれた三つの命は今、三人分の光の中で輝いていた。
ぼくらはいる
09/06/09
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