今日も体育の時間がやってきた。この時間がルカはあまり好きではない。別に運動が嫌いなわけではない、むしろ教室に閉じこもって勉強するより体を動かす方が好きなぐらいだ。それでも体育の授業が好きではないのには理由があった。ルカの世界の中心と言っても差し支えないほどの大切な双子の片割れ、ルークのせいだった。
ほら、いつもの通り、体育教師の髭がやってきた。
「あっヴァンせんせーっ!」
するとルークは熱狂的ファンよろしく輝いた瞳でヴァンへ手を振った。それに悠然と手を降り返すヴァンがルカは憎くて憎くて仕方が無い。一体どこにツボったのか、ルークはこの体育を担当するヴァン先生が大好きなのだ。
「せんせー今日は何をするんですか?」
「ルーク、少し落ち着きなさい。それでは小さな子どもと同じだぞ」
「すいません……」
駆け寄るルーク。たしなめられてしょげるルーク。慰められるよう頭を撫でてもらってすぐに笑顔になるルーク。そのころころ変わるルークの表情は全てあのヴァンによってもたらされている。その事がひどく気に障った。体育の時間の度にこの様子を見せ付けられていては、体育が嫌いにならないわけが無い、とルカは殺気の篭った目でヴァンを睨みつけながら思った。いつ暗殺しようか、ぼんやりと危険な事を考えていたルカの隣に、ふいに誰かがやってきた。ルカは隣を見て、少し後悔した。自分とルークの赤い髪よりさらに深く長い赤の髪を持ったルカの天敵、アッシュだ。
「おい」
「んだよ……」
色々あって一つ屋根の下で暮らすようになってから、常に険悪なこの2人は会話をするだけで掴みかかったりする事は無くなった(前はあった)。多分それはしょっちゅう取っ組み合いになるアッシュとルカを見て「2人とも仲がいいんだなー」と言ったルークのお陰であろう。まあそれはおいといて。
「何であいつはヴァンの野郎にあんなに懐いてやがるんだ」
その言葉にルカはとっさにアッシュを見た。こっちを見ているかと思った顔は正面を、ヴァンとルークの方へ向けられていた。意外だ、と思った後、すぐに仕方が無いかと思い直した。その厳格な雰囲気と眉間の皺のお陰で人とあまりつるむ事無く常に孤高の生徒であったアッシュも、とうとうルークに絆されたらしい。誰とでも仲良くなれる天才であるルーク相手では当たり前だろうとルカは納得した。納得すると同時に非常に腹立たしい思いが沸き起こってきたのだが、今はとりあえずルークの視線を独り占めしているヴァンだ。
「知らねえよいつの間にかああなってたんだから。髭がかっこいいとか言ってたな」
「あの髭が……?冗談だろ」
「俺だって何度も問い質したんだぞ」
輝く髭と眉毛とちょんまげ?を眺めてルカとアッシュはげんなりした。ルークの趣味は少々特殊なもののようだ。ふとルカは自分の顎に手を当てて、何やら考え込んでしまった。それをアッシュが嫌な予感を感じながら眺める。
「……まさか貴様、くだらねえ事考えてるんじゃねえだろうな」
「なっばっ別に自分の髭想像してた訳じゃぬぇー!」
聞いてもいないのにルカはパッと顔を上げて怒鳴りつけてきた。その頬が少し赤い。自覚無しに考え込んで今更恥ずかしくなったらしい。それから途端に真顔になって、
「……それでもルークが望むなら……」
「おい待て早まるな、後悔すんのはお前だぞ!」
危険な事を呟くルカにアッシュは焦った。こいつなら本気で生やし始めてしまうかもしれない、それだけは阻止しなければならないのだ。だって、絶対に似合わない!
「何だよ止めんな!てめえはルークが髭生やしたほうが好みとか言ってたらどーすんだよ!」
「な?!……おお俺はそこまで落ちぶれちゃいねえんだよ!」
「その間は何だってんだ!」
周りが準備運動を始める中、2人は大声で怒鳴り合い始めた。ルカとアッシュがぶつかるのはこれに限った事でもないので慣れっこのクラスメイトはきちんと2人を無視している。戻ってきたルークが首をかしげて2人を見ているだけだ。とそこへ、第三者の声が割り込んできた。
「何だ、2人とも髭を生やすのか?」
「「?!」」
ハッと揃って振り返ったそこには、微笑を湛えたヴァンが立っていた。大人の余裕の表情を浮かべているその表情と髭が憎たらしい。しばらくルカとアッシュの顔を交互に眺めていたヴァンは、少し困ったように笑いながらこう言った。
「まだ、止めておいた方がいいのではないか?2人に髭は似合わんだろう」
=お前らお子様に髭は十年早い=ルークは私のものだふはははは。
ヴァンは決してそんな事微塵にも思っていないのだが、短気な2つの頭はそう解釈してしまった。翡翠の瞳に危険な光が宿る。何故だか背筋に冷たいものが伝ったような気がしたヴァンは、後でこの時何故逃げなかったのだと死ぬほど後悔する事になる。
「「月夜ばかりと思うなよ……」」
その夜、ヴァンが夜道に何者かに襲われたニュースは、しばらく学校中で話題となった。
「ヴァンせんせい、2人組に襲われて髭むしられてったんだって、こえーよなー大丈夫かなー」
「そりゃキノドクダナー。それよりルーク待ってろよ、俺なるべく早くダンディな大人になってやるからな!」
「へ?あ、うん?」
双子の弟に肩を掴まれ何やら宣言されていたルークは、背後でアッシュが何かを燃やしていた事に気付かないままだった。
双子アンサンブル 髭の話
06/11/27
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