燃料の補給や買出し等でたまたま立ち寄ったとある町、から少し外れた緑の多いのどかな林の中、アッシュは行き倒れるように転がっていた自分のレプリカを偶然発見してそれはもう心底驚いたのだった。


「……って、こいつ寝てるのか」


一瞬言葉も無く飛び上がったアッシュだったが、すぐさまうつ伏せの顔を覗き込めばかすかな寝息が聞こえてきたのでほっと息をついた。息をついてから何で己は安心しているのだと自問する。こんな所で倒れられてちゃ相手が誰であろうと生きている事に安心するだろうと自己解決をしたアッシュは、とりあえず地面にくっついた赤毛の頭を足で小突いてみた。ピクリともしない。少々強めに蹴ってみる。起きない。
不覚にも少し心配になったアッシュだったが、そういえばこいつは寝起きが悪いのだったと思い出して思わず舌打ちしていた。何故こんな所で寝ているのかは知らないが、こっちはそのせいで気ままな散歩を邪魔された挙句余計な心配までしてしまったのだ。気にかける必要のないはずの、この、屑レプリカに!
呑気に寝こける頭を踏んづけてやろうとアッシュは足を上げたが、唐突に何かに気がついてそのまま足を下ろした。地面にかがんで、手袋を外して、かすかに露わになっている首筋に素手を当ててみる。アッシュは今度こそ眉をひそめて、心の底から呆れたため息を吐き出していた。行き倒れかと思ったらただ眠っていて、ただ眠っているだけだと思ったら、


「熱、ありやがる」


やっぱり行き倒れていたらしい。





もちろんアッシュはルークとその仲間達がどこの宿を取っているのか知らないし、大体この町に泊まるのかすら分からない。かといってそのまま転がしておく訳にも行かなかったので、引き摺るように今夜自分が泊まる宿の部屋へとルークを引っ張ったアッシュは、そのままベッドへと放り投げた。もちろん1人部屋なので(漆黒の翼共は別の部屋だし、ギンジはアルビオールに泊まるのだ)ベッドは1つしかないが致し方ない。少々乱暴に運んでも一度も目を覚まさなかったルークにアッシュは眉間に(普段より数倍多い)皺を寄せて、おもむろに部屋から出て行った。すぐに戻ってきたその手には、水とおしぼりが入っている。


「勘違いするな!てめえが早く目覚まさなきゃ俺はベッドにも寝れねえし邪魔で仕方が無いからだ!そこんとこよーく頭に叩き込んどけ!」


誰も聞くものがいない言い訳をなにやら呟きながら実にてきぱきとアッシュは動いた。元来面倒見のいい方なのかもしれない。よく絞った布を額に乗せてやると、熱の苦しさに僅かに強張っていたルークの表情がすっと楽になったような気がした。アッシュはその様子を無言で見ていた。どこかほっとした自分に気付かないままだった。

ひとまず一段楽して、アッシュはベッドの横に持ってきた椅子に腰掛けた。そして窓の外と眠るルークとをぼんやりと眺めながら、ルークが何故あそこに倒れていたのかを推測してみる。ルークには仲間がいるが、あの場には1人もいなかった。もちろん誰か1人でもルークと一緒にいたのなら、ルークがあの場所に倒れたままな訳は無いのだが。おそらく、とアッシュは目を細めた。自分の体調不良に感づいたルークがそれをひた隠し、無理をして、そして1人になった時とうとうぶっ倒れたのだろう。心配を掛けたくないのだろうその気持ちは察する事ができるが、それでこんな風に倒れていては本末転倒だ、やはりこのレプリカは馬鹿だと何故かアッシュはイライラした。アッシュはそれを迷惑を掛けられた事への怒りだと思った。
では何故ルークは倒れたのだろうか。これもアッシュは見当をつけていた。というか知っていた。度重なる戦闘と野宿、それに、眠っていない事が原因だろう。アッシュはルークが近頃満足に寝ていない事を知っていた。知りざるを得なかった。ああ同位体とは何と厄介で迷惑で邪魔なものなのだろうとアッシュはため息をついた。たとえ本人達にその意思は無くとも、どこか奥深くで繋がっている片割れから、夜な夜な電波がアッシュへと届くのだ。それは呻き声であったりすすり泣く声であったり許しを請う声であったりした。全てルークが無意識に流している声だ。悪夢の中で叫んでいるであろう声だ。悪夢はほとんど連日やってくるらしく、ルークは真夜中に何度も飛び起きる。これで寝れる訳が無い。人間眠らなければ疲れは取れないもので、それが蓄積してこの様だ。かくいうアッシュもそれが原因で慢性的な寝不足だったりするのだが、少なくともルークよりは眠れているし何よりこれまでの経験が違う。短時間で十分な睡眠を取れるような眠り方を知っている。不器用な己のレプリカはそれも満足に出来ないようだが。


「……ぁ」


その時小さな声が聞こえてはっとアッシュはベッドを見た。熱で潤んだ翡翠の瞳と目が合う。


「ようやく目を覚ましたか」


アッシュはなるべく吐き捨てるようにそう言ってやったが、ルークはぼんやりとアッシュを見るだけだった。おそらく、上手く頭が働かなくて今の状況を把握できていないのだろう。アッシュが辛抱強く待ってやると、ルークはふいに、へにゃりと笑った。まさかここで笑いかけてくるとは思いもしていなかったアッシュは完全に不意打ちを食らった。


「あっしゅだー」


舌の回らないその言葉はひどく嬉しそうなものだった。何故こいつは俺の名をこんなに嬉しそうに言うのだ。アッシュは固まっていた。そうか、熱のせいで頭のネジが何十本か取れてしまったのか、そうか。無理矢理納得しようとするが、にこにこと笑うルークの言葉は止まらない。


「あっしゅ何してるんだー?」
「貴様が行き倒れていたせいですこぶる迷惑している所だ」


アッシュが言うと、ルークはキョトンとする。もしかしてこいつは自分が熱を出している事自体気付いていないのではないかとアッシュは内心青くなった。いやおそらくその通りだ。ルークが何かを言う前にアッシュは自ら指摘してやる事にした。


「お前は勝手に熱出して1人で倒れてやがったんだよ、屑が!」


腹立たしい事この上ない。アッシュは精一杯睨みつけながら指を突きつけてやったのだが、突きつけられたルークはしばらく呆けた後やっぱり笑って、とんでもない事を口走った。


「あっしゅはやさしいなー」
「ぶっ」


思わず吹き出すアッシュ。今の言葉をどこをどうやって聞いたらそんな言葉が出てくるんだ。


「おれのこと、助けてくれたんだな、うわーあっしゅやさしー」
「な、ななっ」


純粋に笑いかけられて、アッシュは自分の顔に熱が集まっていくのを自覚した。思えば、ルークにこんなに素直に笑いかけられるのは初めてではないか。アッシュに会ったルークはいつも負い目とか怯えとかそういったものが混じった不愉快な固い笑みを浮かべているのだ。触れれば解けてしまうようなこんな柔らかい笑み、知らない。


「あっしゅ」


ルークがアッシュを呼ぶ。毛布の中から手が伸びて、アッシュの手を握った。その手がひどく熱かったものだから、アッシュは一瞬火傷をしたかと思った。それぐらいダメージを食らったのだ。


「うー、冷たい」
「………」
「あっしゅがいる」


ルークがアッシュの手にそっと頬ずりすると、アッシュはぶわわっと鳥肌が立ったような心地がした。しかし、これは驚くべき事だが、それは不快ではなかったのだ。


「なんか、夢みてー、おれすっごくしあわせ……」


むにゃむにゃと何事かを呟いたルークは、そのまますーっと夢の世界に入り込んでしまったようだった。1人困惑に固まるアッシュを残して。ルークは何故、夢みたいだと、幸せだと言ったのだ。何故アッシュがここにいる事にあんなに幸せそうな笑顔を浮かべたのだ。アッシュには分からない。答えを持つものは熱に浮かされながらそれでも静かに眠っている。夢も見ないほどの深い眠りなのかもしれない。それならいいと、無意識のうちにアッシュは思っていた。もうあんな、聞いているほうがしんどいような、悲しい暗い言葉など聞きたくない。こいつにはそう、さっきのような馬鹿みたいな笑顔がとてもよく似合っているのだ。

こいつの熱が下がり、完全に目を覚ましたとき、俺はどうすればいいのだと悶々と考えているアッシュは、未だに握りこまれたその手を離す事は微塵にも考えてはいなかったのだった。





   熱に浮かされた夢

06/09/26