「アッシュ!久しぶり!」


顔を合わせた途端満面の笑みでそうやって言った導師に隣に並んでいた導師守護役の少女はさっと顔色を変えた。すぐに慌てて隣の緑の頭を小突く。


「フローリアン!この人はルークでしょ!アッシュって呼んじゃ駄目なの!」
「えっ何で?だってアッシュはルークじゃないよ。アッシュだよ」
「いいから!」


アニスのすごい剣幕に、フローリアンは渋りながらも分かった、と頷いて見せた。納得していない事がよく分かる様子だったが、アニスは何も言わなかった。その一連のやり取りを、赤い髪の青年は黙って見つめていた。




世界は帰って来た英雄「聖なる焔の光」を祝福した。だから帰って来た赤髪の彼は「ルーク」でなければならなかった。本人がそうとは認めなくとも、誰もが彼のことを「ルーク」と呼んだし、誰もそれ以外の名前で呼ぼうとはしなかった。どうしても彼のことを「ルーク」とは呼べない旅の仲間たちも、公衆の面前の場では仕方なく「ルーク」と呼ぶ。心の中で別の名前を呼んでいたとしても。それを彼は承知していたし、不快だとも思わなかった。世界は「ルーク」を望んでいた、それだけだ。帰って来たのが2人の「ルーク」のその片方だったとしても。
ただ彼は1つだけ気がかりな事があった。自分が「ルーク」となる事で、かつての「ルーク」が上書きされて消されてしまうのではないかという事だ。少なくとも世界的にはそうなっているだろう。帰ってこなかった「ルーク」の事を、ほとんど誰も知らない。知っているのは一部の人間達だけで、最早今はいない「ルーク」の事は胸の中にそっとしまっておくしかなかった。「ルーク」は世界に消されてしまったのだ。自分はただ「ルーク」の抜け殻を被っているだけなのだ。


「ねえねえ、何でアッシュの事をみんな「ルーク」って呼ぶの?」


だがしかし、目の前にいるこの緑の子どもは純粋な瞳で彼のことを「アッシュ
」と呼んだ。子どもといってももうすぐ青年の域に達するであろう導師様なのだが、精神年齢は5歳にも満たないのだから仕方が無い。彼は少し眉に皺を寄せてフローリアンを見たが、フローリアンは怯まなかった。彼のこの表情はいつもの癖のようなもので、怒ってる訳ではなくどちらかといえば困惑しているような顔だったからだ。


「それは……」
「アッシュはルークじゃないのに何で?アッシュが「ルーク」だったらルークはどうやって呼べばいいの?」


似た顔なのに同じ名前だったら余計に混乱しちゃうよ、とフローリアンは唇を尖らせる。アニスは今用事が出来てこの場にいないので、フローリアンを咎める者はいなかった。彼はフローリアンを咎める事が出来ない。真っ直ぐ放たれた言葉は、そのまま真っ直ぐ彼に突き刺さったからだ。
一体どうやって説明したら納得してくれるだろうか。もうルークは帰ってこないから、名前を貰ったんだと言えばいいのだろうか。だがそれでも「ルーク」という名前はルークのものだとフローリアンは言うだろう。彼がかつて「ルーク」であったことを知らない子どもにとって、「ルーク」はたった一人しか存在しないのだ。その事実が彼はひどくありがたいと思った。フローリアンだけは何のわだかまりも無くルークを持っていられるのだ。


「あっ分かった!ルークは「ルーク」じゃなくなったんでしょ!」
「……何?」


あまりにも不可解なその言葉に彼は怪訝な声を上げた。フローリアンは得意げな顔で笑ってみせた。その笑顔のどこにも影は差していなかった。


「僕は「イオン」から「フローリアン」になったでしょ?だからルークも「ルーク」から変わったんだ」
「っ!」


違った。フローリアンはきちんと、ルークが「ルーク」のレプリカである事を認識していたのだ。その上で「ルーク」であるルークとアッシュをそれぞれ別に呼んでくれている。レプリカが愚かだと言ったのは誰だったか(自分もだったな)。見ろ、レプリカであるこの子どもは世界の誰よりも正しい目でオリジナルとレプリカを見ている。


「ねえねえ、ルークは何になったの?誰になにを貰ったの?」
「誰に……だと?」
「僕はアニスに「フローリアン」を貰ったよ。ルークは誰に貰ったの?」


彼はそれ以上フローリアンの顔を見ていられなかった。絶望に頭が真っ白になる。誰に?何を貰った?あの赤髪の子どもに、誰が、何を?
何も持たずに生まれ生きてきたあの子どもの手には、最後何が掴まれていた?
空っぽだった!

あの哀れで可哀想な子どもに、一体誰が何を与えただろう!


「アッシュ、どうしたの?どこか痛いの?」


フローリアンがひどく心配そうな顔でこちらをのぞきこんできて初めて、彼は自分が泣いている事に気づいた。馬鹿な、何も与えてやれなかった、与えようともしなかった自分が泣く資格などあるはずがない。それでも彼の瞳からこぼれる雫は途絶える事がなかった。いい歳をして情けない、とは思わなかった。ただひたすら届かない謝罪を繰り返していた。

自分の胸に手を当ててみると、そこにはぽっかりと穴が開いているような気持ちがした。


ああ、ここには満たされた半身が入るはずだった隙間なのだろう。
そしてこの隙間は、きっと一生満たされる事が無い。



「あれ、でもおかしいな」


フローリアンの言葉は彼が懺悔している時でも続いていた。


「ルークは確かに貰ったって言ってたのに」


彼はばっと顔を上げた。誰に、何を、と彼が尋ねれば、フローリアンは屈託の無い顔で笑った。


「アッシュが「アッシュ」だから、ルークは「ルーク」を貰えたんだって」


   アッシュ  ありがと


聞こえるはずの無い自分の声が聞こえた気がして、彼は目を見張った。違う、「ルーク」は自分が捨てたものだ。ルークはそれを拾ったにすぎない。あれは与えたものではない。そうでなければ、あれが与えたものだというのなら、それではあまりにも、悲しいではないか。
ルークは、満たされていたというのか。


彼は自分の中にあいた穴の事を唐突に理解した。

ああきっとルークが、「ルーク」を持っていってしまったのだ。
だってここには、「ルーク」と呼ばれて満たされる「ルーク」がいないのだから。


「アッシュ」は空を睨みつけた。きっとどこかで笑っている自分のレプリカを涙で濡れた瞳で睨みつけた。

勝手に持って行きやがって。
「ルーク」をお前にあげた覚えは無い、だから戻って来い。
そんなに「ルーク」が欲しいのなら俺の手から直々にくれてやるから、だから。


早く帰って来い。





   いつだって呼んでるから

06/09/11