「あーいたいた!はいアッシュ、ルークの事、しばらく頼んだからね☆」
「は?」

突然出会ったレプリカ一行のチビに何の説明も無く押し付けられたものは、小さな小さな、夕焼け色の生き物だった。





   俺とレプリカハムスター





「あっしゅのハムスター菌がうつった……これはあっしゅのせいだ……」
「うるせえ屑、ジメジメするなうっとおしい」

情けなく丸まっている背中に呆れた声をかける俺だったが、内心はいつになく上機嫌だった。何故か、だと。決まっている、そこのテーブルの上でいじける小さな生き物が心底いい気味だと思っているからだ。しかしかつての俺もあんな頼りない姿を晒していたのだろうかと思うと少しだけ気分も沈み落ち着いてくる。くそ……今思い出しても忌々しい。結局俺の時も原因が分からず仕舞いだったので、今のレプリカの小さな姿の原因ももちろん分からない。背中の下にちょんと出ている丸くて可愛らしい尻尾も、暖かな朱色の頭からぴょっこり覗いている小さな耳も。
……って俺は何を考えている。あんな小さな耳や尻尾に見惚れている場合ではない!

「だれが何と言おうとこれはあっしゅのせいだっ!せきにんとれーっ!」
「はん。生意気言うな屑、んな小せえ体しやがって」
「あでっ」

向かってきた小さな頭を指で弾いてやれば、あっけなく後ろにコテンと倒れやがる。さすがに力は入れてはいないからただ驚いたのだろう、仰向けのまま慌てたように手足をバタつかせる。バランスの悪い体だな、普通に歩いていてもこれではいきなり転がっていきそうだ。

「ちっくしょー……!あっしゅのばかーっ!」

何とか起き上がったレプリカが近くにあった俺の腕にしがみついてくる。そして短い腕で必死にペチペチと叩いてくるが、正直痛くも痒くも無い。それより何故だか余計にこのド頭を突きたくなるような変な衝動が沸き起こってくる。不思議だ。不思議ついでに欲望のまま頭をぐりぐりと指で押さえつけてやる。

「いだだだっやめろってばあっしゅー!うわーんもうハムスターは嫌だーっ!」

とうとう泣き言を言い始めたハムスター姿のレプリカに、さすがに可哀想かと思わないでも無かったが、俺の手は小さな頭を押さえつける事をやめようとはしなかった。
こうして見ていると、掌サイズのハムスターのレプリカというのも……悪くは無いものだ。





いくら今日はこの町で過ごす事になっていたとしても、昼間から宿で一日中じっとしているわけにもいかない。外に出る事に渋るレプリカを(言葉通り)ぶら提げて俺は町の外へと出た。一方的に押し付けられたハムスター姿のレプリカはこの上なく邪魔だったが、置いていくわけにもいくまい。部屋に残せば何をしでかしてくれるか分からないから出来ない。かといって外にこのまま放り出せば誰に踏まれるか分かったものではないし、最悪その辺のハムスターと間違われて連れて行かれてしまうかもしれなかったからだ。まったく、大きくても小さくても面倒くせえ奴だ。

「あっしゅー、おれ腹へった……」

肩に乗せたレプリカがさっそく我がままを言い始めた。とはいえ、確かに今はちょうど飯時だ。剣の修行でもしようと思ったが、先に腹ごしらえでもしておくか。
その辺のちょうど良い木陰に身を寄せ、町を出る前に出店で買ったサンドイッチを膝の上に広げる。さっそく瞳を輝かせて肩から降りてきたレプリカにしばらく考えた後、サンドイッチの一部をちぎってやった。

「おらよ」
「ありがと……って何だよこれ、あっしゅ!」

一度は素直に受け取ったレプリカだったが生意気にも渡したものを足元に叩きつけやがった。俺のくれてやった物を拒否するとは良い度胸だ。

「てめえ、何しやがる」
「だってこれ、レタスじゃんか!レタスだけってひどいだろ!」

ピーピーわめくレプリカは俺が渡したレタスが気に入らなかったようだ。この野郎、俺の飯を分けてやっているというのに好き嫌いを言いやがるか。……いや待てよ。

「ハムスターは、草食じゃないのか」
「は?!ちっげーよ!ていうかあっしゅだってハムスターの時チキン食べてただろ!」

レプリカの言葉に、そういえばと思い出す。あの時は色々と必死で思いつかなかったが、確かにチキンを食べた。あれは美味かった……じゃない。仕方がない、プリプリ怒るレプリカがうるさいので、パンと卵とレタスがきちんと入っている部分を適当にちぎって渡した。

「これなら文句ないだろう、屑が」
「うう、くじゅってゆーな……。でも、ありがとうあっしゅ」

ボソボソとお礼を言ったレプリカはさっそくサンドイッチのかけらに齧り付く。俺も一つ手にとって食べ始めた。静かで穏やかな風が吹く森の中、姿は違えど膝の上にレプリカを乗せてこうやって二人で飯を食うというのも何だか奇妙な気分だった。だが……嫌な気分では、無い。





さすがに剣を振り回している間はレプリカを肩に乗せてはおけない。地面に下ろし、少しは動き回ってもいいが決して遠く離れた所へは行くなと念を押してから俺はしばらく一人で剣の素振りをしていた。一見地味だがこの日頃の丹念を怠ると途端に駄目になるものだ。その辺に魔物がいればちょうど良い訓練にもなったのだろうが、この辺にはどうやら存在しないようだ。平和な事は良い事だが、張り合いは無い。
しばらく剣を振るってから、ふと目の届く範囲にあの目立つ朱色の塊がいないことに気がついた。あの屑、遠く離れるなとあれほど言ったのに!俺は剣を収めてから仕方なく世話を焼かせるレプリカを探しに向かった。いくらハムスターになろうとも同位体は同位体だ、何となくどちらの方角にいるのかは分かる。

足早にそちらへ向かうと、目の前に川が現れた。といってもそんなに深くも無く広くも無い、流れも緩い小さな川だ。その目の前にレプリカがいた。熱心に何を見ているのか、体を伸ばして川の底を覗き込んでいる。魚でもいるのか?さっき飯を食ったばかりだと言うのに、食い意地を張った奴だ。

「おい、レプリカ」

何気なく声をかけたつもりだったが、俺に気付いていなかったレプリカは大げさなぐらいビクリと驚いてみせた。宙に浮いたのではないかと思うぐらい飛び上がる。川へ向かって身を乗り出した状態で飛び上がれば……どんな結果になるか、考えなくとも分かるだろう。

「あ……うわあああ!」

悲鳴を上げながら、バランスを崩したレプリカは川へ音を立てて落ちやがった。俺の脳内に、ハムスターは泳げるのだろうかといった疑問が思わず体が固まっていた一瞬のうちに通り過ぎていく。いや、それ以前にレプリカ自身は泳げるのか?いくらなんでも屋敷にはプールなんぞ無かったぞ。
いいや、そういう問題ではない。いくら川が浅くても流れが緩やかでも小さなハムスターの体には十分大きなものになる。俺は思わず駆け出していた。

「ルーク!」

何も考えずに川の中へと突っ込む。足元を濡らしながら視線を巡らせれば、浮き沈みしている夕焼け色がすぐに目の中に飛び込んできた。足がつくはずも無く水面にぷはっと顔を出しながら浮かぶレプリカへと、慌てて手を伸ばす。

「おい、大丈……うおわっ!?」

俺とした事が、不覚を取った。レプリカを拾い上げた拍子に足を滑らせ、水の中へとダイブしてしまったのだ。凄まじい音を立てて水しぶきが上がる。この俺が、こんなに浅く緩い水の流れに足を取られて、しかも声を上げて転んでしまっただと……くそっ、それもこれも全部レプリカのせいだ、俺は悪くねえ。
今は恨み言を言っている場合ではなかった。顔を上げれば川の中に尻餅をつきながらも、しかしレプリカを拾い上げた手は水に漬ける事無く済んでいたようだ。それだけは自分を褒めてやらねばなるまい。

「げほっげほ……あ、あっしゅ、だいじょうぶかっ?」

全身ずぶぬれになりながら(俺もだが)レプリカが手の中から俺の顔を覗き込んでくる。一番最初に落ちたのはてめえの方だろうが、何人の心配をしてやがる。レプリカは少し水を飲んだようでむせてはいたが、比較的大丈夫そうだ。そっと空いている方の手で触れれば、水に濡れた寒さのせいか川に落ちたショックのせいか、かすかに震えていた。

「あ、おれはだいじょうぶ!あっしゅが助けてくれたからな!」

俺が心配しているとでも思ったのか、レプリカが触れてきた俺の手に抱きつきながらいかに大丈夫かをアピールしてきた。馬鹿が、誰が心配していると言ったんだ。今こいつに死なれちゃ困るから助けたのだ。ハムスター姿のまま川で溺れて死ぬなんて情けなさ過ぎる死に方なぞ俺は許可した覚えは無い。だから、助けてやっただけだ。
大体どこが大丈夫だ、安心したらドッと恐怖が襲ってきたのか、体の震えは収まるどころか激しくなっていやがるじゃねえか。目に見えるほどプルプル震えながらも、滑稽な小さい耳を奮い立たせて俺を見ている。
まったく。本当にこの劣化レプリカ野郎は。

「あっしゅ」
「この……どうしようもなく屑のレプリカが……っ!」
「あっしゅ……ごめん、助かったよ、ありがとう。ほんとうにごめんな」

必死に謝ってくる、この小さな震える赤い塊を、俺は思わず(潰れぬ程度に)抱き締めていた。





「この屑。屑レプリカ。屑レプリカハムスター。屑ハムスター。劣化レプリカ屑が」
「た、確かに勝手にそばを離れてわるかったと思ってるけど、おれちゃんと謝っただろ!そんなにくじゅくじゅ言わなくてもいいじゃんかー!」

日はまだ昇ったままだというのに火をおこさなければならなくなった元凶を思いっきり罵っていれば、抗議の声が上がった。そんな抗議を言う資格はてめえには無い。そんな思いを込めて睨み付ければ、膝の上のレプリカはとたんに大人しくなる。自分が悪いという事はよく分かっているようだ。まだ雫の垂れる体を時々震いながらしょぼくれた顔でじっと見てくる。

「んな情けねえ顔を見せるな」
「だってあっしゅがしつこくいじめるんだもん……」

誰がいじめていると言うんだ。だが確かに大人気ないかとも思ったので、罵る事は止めてやる。ああ、全身余すところ無く濡れてしまったのでいくら薄着になろうとも服が肌に張り付いてくる。正直脱いでしまいたいがこんな真昼間にこんな開けた森の中で全裸になるわけにもいかない。少し乾かしたらすぐに宿に戻るとする。それまでの辛抱だ。

「あーでもほんとびっくりした……耳にまで水はいってきたし……」

ぶつぶつ呟きながら、膝の上で火に当たるルークが耳をごしごし弄っている。触れたら手が濡れてしまいそうなぐらいまだずぶぬれ状態のレプリカに、仕方なく上からタオルをかぶせた。

「ぶわっ!?ななっ何だ何だ?!」
「じっとしてろ屑。ったく、世話の焼けるレプリカだ……」

全身タオルで隠れてしまったレプリカを上からごしごし拭いてやる。タオルの中から悲鳴が聞こえてくるが無視だ。だが、握りつぶしてしまわないように、傷つけないように力を入れてやる。下手に怪我させて後でワーワー言われてもうっとおしいからな。しばらくするとレプリカも大人しくなって、成すがままとなる。案外気持ちが良いものなのかもしれない。

火はいつの間にか消えていたが、代わりに日の光がまるで水分を優しく乾かそうとするかのように柔らかくこちらを照らしていた。風は先程と変わらず穏やかな様子だった。恐ろしいぐらい穏やかな気候だ。しかしたまには、こんな日の中でこうやって子どものように日向ぼっこをしながら座っているというのも、良いものかもしれない。

「あっしゅー」

いかにも昼寝をして下さいといわんばかりの天気に眠くなってきたのだろう、少しだけ寝ぼけ眼の声が俺を呼んだ。下を見れば、眠そうにとろんと蕩けた丸い新緑の瞳が俺を見上げていた。俺と目が合えば、嬉しそうに笑ってみせる。

「さっきはありがとな」
「またそれか……もう良い、気にするんじゃねえ屑が」
「いや、ちがうんだ……さっき、さ、いっかいだけ、だったけど……」

ふわ、と大口であくびをしてから、眠る寸前の顔でレプリカは言った。

「おれのこと、なまえでよんでくれた、から……」

コテン、と。そこで力尽きたらしく、レプリカは俺の膝の上で丸くなって眠りやがった。俺はといえば、固まっていた。まさかこいつが聞いていたとは思わなかったのだ。とっさに出てきてしまった、めったに呼ばないかつての俺の名を。今現在のこいつの名を。ちくしょう、迂闊だった。何とかしてこいつの記憶からその部分だけの記憶を抜き取る事は出来ないだろうか。
しばらくそんな事を考えていたが、柔らかい太陽の光の下、次第にどうでもよくなっていった。それよりも今は、めったに無いこの暖かな時間を、もっと味わっていたかった。
今だけだ。今だけ。そう自分に言い聞かせ、くうくう眠るレプリカを見ながら、俺もゆっくりと目を閉じていた。

おやすみ、ルーク。



夕方、一向に戻ってこないアッシュの元に仲間たちが駆けつけた所、互いに寄りかかるように木陰で仲良く眠る人間姿のアッシュと、人間姿のルークを発見したという。

こうして、ルークのハムスター騒動もひとまず終結した。
……「ひとまず」は。

14/06/14