「あーいたいた。はいルークの坊や、旦那のこと、しばらく頼んだよ」
「は?」

突然出会った漆黒の翼に何の説明も無く押し付けられたものは、小さな小さな、真紅の生き物だった。





   俺とオリジナルハムスター





「くそ、くそ……何でおれがこんな目に……!」
「なあアッシュ、気持ちは分かるけど、いい加減少しぐらい機嫌を治せよー」

休養と旅の必需品補充のためにしばらく借りる事になった宿の一室で、俺はテーブルに肘を付き小さな背中を眺めていた。俺の掌に軽く乗せられるぐらい小さな丸い背中だ。丸いのは背中を丸めて塞ぎ込んでいるせいだ。小さい理由は、分からない。背中の下にちょんと出ている丸くて可愛らしい尻尾も、綺麗な真紅の頭からぴょっこり覗いている小さな耳も。
落ち込んでいる本人が分からないって言ってるんだから、俺に分かるはずがない。

「なーなーアッシュー」
「っっ!えーいつつくなくじゅがっ!」

丸まった背中を人差し指でつんと突いてみれば、前にコテンと転がった後にものすごい勢いで睨んできた。そんな小さな姿で睨まれても全然怖くないんだけどなあ。そんな事を言えばさらに怒ってヘソを曲げてしまいそうだったので、言わないでおく。
でも俺の顔に出ていたのかそれとも言わなくても分かってしまったのか、ぎゅっと不機嫌そうに眉が寄せられた。

「てめえ……今おれのことバカにしやがったな」
「バカになんかしてねーって。ただ可愛いなーって思っただけだよ」
「バカにしてんじゃねーかっ!かくごできてんのかれぷりかっ!」

正直な感想を述べたら烈火のごとく怒り出してしまった。そのまま腰の剣に手を伸ばす……けどそこに剣があるはずがない。しばらく固まった後、悔しそうに地団駄してみせた。

「ちくしょう……!なんで、なんでおれがいきなりハムスターになってるんだ!」

そうやって叫んでから頭を抱えてみせたハムスター姿のアッシュを、気の毒に思いながらも俺は顔のニヤケがしばらくおさまりそうも無かった。
掌サイズのハムスターアッシュ……可愛いなあ。





寝て起きたらいきなりハムスターになっていたショックでしばらく自暴自棄に陥っていたアッシュも、腹は減るみたいだ。俺が腹を空かせてそろそろ飯の時間だなあと考えていると、ちょうどアッシュが座っているテーブルの上から小さなグウという腹の音が聞こえてきた。やっぱりハムスターでも腹は減るものだもんな。

「アッシュ、飯にしよう」
「お、おれはいらねえ、食堂にもいかねえ!」

しかし声をかけても頑として動こうとしなかった。今日俺は一人部屋だからいいけど、他の仲間たちに姿を見られたくないようだ。まあひょいと持ち上げれば簡単につれて行く事は出来るんだけど、それじゃさすがにアッシュが可哀想なので(ナタリアに今の姿が見られるのは嫌だろうし、ティアなんかが見つけたら攫っていきそうだ)俺は食堂から飯を持ってきてやる事にした。この部屋に持ってきたら、さすがにアッシュも腹が減っているんだし食べるだろう。

今日の宿の飯はチキンだった。二人分、だと絶対にアッシュは食べ切れないだろうから、俺の分だけ持ってきた。俺のを分ければいい話だからな。

「はい、アッシュの分。ここ置いとくからな」

チキンをちぎって、あとパンも添えて、そっぽを向いているアッシュの隣に置いてやる。俺も腹が減ってたから、アッシュを待たずに食べ始めた。大体ジッと見てたらアッシュの事だから絶対に食べ出さないだろうし。
俺が一人で食いながら横目でちらりと見てみれば、アッシュがじっと隣の飯を見つめている所だった。そうしてたっぷりためらった後、チキンに手を伸ばす。そんでまたしばらくためらってから、チキンに齧り付いた。

「……!」

それが美味かったんだろう、アッシュは俺を気にする事無くチキンを齧り出した。うわあ、食べ方がハムスターだ。小さくちぎってもアッシュには大きかったようで、まるで抱えるように齧りついている。その光景が、はっきり言ってとても可愛かったんで俺は思わず自分の手を止めてアッシュに見入ってしまった。
だって可愛いアッシュなんて、人間の時だったらめったに見れないじゃないか。人間の時のアッシュは可愛いというよりやっぱりかっこい……って何言ってんだ俺!

俺が自分の思考に身悶えていると、アッシュがハッとこちらに気付いてしまった。やばい、俺がじっと見つめていたのがばれた。

「こっこのくじゅがーっ!何見てやがったんだくじゅくじゅ!」

アッシュは怒り顔で俺に殴りかかってきた。でもくじゅって言われても傷つかないし、ペチペチ叩かれても痛くも痒くもないもんねーだ。これならしばらくハムスターのまんまでも、いいかもなあ。





「アッシュ、アッシュー、風呂の時間だぞー」

俺が呼ぶと、満腹でテーブルの上にころりと横になっていたアッシュが顔を上げた。その目はどこか据わっている。

「……この姿でいったいどうやって入ればいい」
「あ、そっか。そのままじゃ溺れちゃうな……。ハムスターって泳げるのか?」
「知るかっ!」

しかし例え泳げたとしてもこんな小さいハムスターだったらシャワーにあっという間に流されてしまいそうだな。かといって風呂に入らないってのも……一日ぐらい、いいかな?
と、そこで俺は名案を思いついた。さっそく小さなアッシュを拾い上げて部屋に備え付けられた風呂場へと向かう。

「な、何しやがる!おろせ!」
「いいからいいから。俺良い事思いついたんだ!」

内心アッシュに齧られないか冷や冷やしながら(小さくても、いや小さいからこそ齧られたらそりゃもう痛いからだ)風呂場へと入る。そして洗面器を取り出し温かな湯を一杯溜めてから、そこにアッシュを放り込んだ。

「ぶはっ!?て、てめえれぷりか……!」
「ほら、それならアッシュにちょうどいい大きさの風呂だろ?」

俺の言葉にアッシュが改めて洗面器を見回した。うん、アッシュが沈んだりしない、ちょうどいい大きさだ。よく閃いた、偉いぞ俺。アッシュもどうやら気に入ったみたいで、文句も言わずにちゃぷちゃぷ浸かっている。あ、目細めてる、気持ち良いのかな。
アッシュと一緒に入るために、俺も服を脱ぐ。しかしアッシュと一緒に風呂か。ハムスターじゃなければ絶対に出来ない事だな。今のうちに堪能しとかなければ……って再び何考えてんだよ俺!

「?何してやがる」
「へ?!あ、いや、何でもない」

一人で身悶える俺に洗面器の中からアッシュの怪訝そうな声が掛けられる。己の奇行を恥ずかしく思いながら、俺は風呂場のドアを閉めた。とりあえず今は何も考えずに、風呂に入ろう……。





今日は天気が良い。昼は暑いくらいだったけど、さすがに夜になると涼しい風が吹いている。開け放たれた窓から空を見れば、一面星の海だった。それを見ていたら何だか散歩がしたくなって、俺はベッドの上に転がっていたアッシュに声を掛けていた。

「アッシュ!寝る前にちょっと散歩しよう!」
「は?何ねぼけたこと言ってやがるこのくじゅ……って勝手に持つなあああ!」

何か文句を言っていたアッシュを問答無用で拾い上げる。部屋のドアから外に誰もいないことを確かめると、誰にも見られないように手で覆い隠しながら、外へと飛び出した。アッシュもハムスターだからって引きこもらずに、少しぐらい外へ出たってバチは当たらないだろう。

人通りは無いけれど星と月の明かりでそれなりに見通せる夜の街を歩いていれば、やっぱり思ったとおり気持ちが良かった。俺が上機嫌なのは、しかしそれだけではない。最初は嫌がりじたばたもがいて逃げ出そうとしたアッシュが、今はしぶしぶと俺の肩の上に収まっているのが、嬉しいんだ。

「へへ、アッシュ、夜の散歩は気持ち良いな!」
「ふん」

アッシュはそっぽを向くだけだったけど、赤毛に埋もれるようについている小さな耳が気持ちよさげにぴるぴると動いていた。アッシュの場合は否定をしないのは肯定しているも同然だ。俺はますます嬉しくなって、思わず足取りが軽くなっていた。

「よ、っと、ジャーンプ!」
「のっ?!れ、れぷりかっ!あんまりぽんぽん跳ねるんじゃねえ!」

そこにあった階段をジャンプで降りたら(ガイ辺りが見てたら危ないと言って怒られていただろう)肩からアッシュの悲鳴が上がった。俺が弾んだ瞬間に小さくて軽いアッシュも一緒に跳ねてしまったのだ。小さく震える体を慌てて手の中に包み込む。

「ご、ごめんアッシュ!怖かったか?」
「だれが怖いかっ!バカにするんじゃないくじゅが!」

そんな事を言いつつもアッシュの体は震えていた。そりゃそうだ、こんなに小さいハムスターの姿じゃ、俺の肩の上だってかなりの高さなんだから。俺は申し訳なくって、アッシュをなるべく安心させるように頬を寄せた。

「俺、すぐに調子乗っちゃうから……本当にごめんな」
「……!き、気にしてないから、そんなにしつこくあやまるんじゃねえよ」

あれ、頬にくっついたアッシュの体の震えは止まったけど、今度は何だか熱くなったような気がする。そっと離して見てみれば、ただでさえ真っ赤なハムスターがもっと真っ赤になっているような気がした。熱があるのか尋ねみても、アッシュはくじゅがとか照れてなどいないとか言うだけだった。

?アッシュは照れてるのか?何でだ?





そろそろ寝る時間だ。今日の一日の出来事を(主にハムスターになったアッシュの事を本人には内緒で)日記に書き留めてから、腹ばいになっていたベッドからいったん起き上がる。テーブルの上で何やら考え込んでいたアッシュを見れば、ちょうどウトウトしていた所だった。あんな小さな体じゃ、今日一日疲れただろう。

「アッシュ、そろそろ寝ようか」
「……む」

アッシュが頷く。多分、頷いた。カックンと頭が垂れただけに見えない事もないけど、頷いたんだと思っておく。俺はそっとウトウトするアッシュを起こさないように持ち上げて、枕の横に作ったアッシュ専用空間(タオルで囲って作った簡単なものだ)にゆっくり置いた。しばらくもぞもぞしてから、アッシュはそのまま眠ってしまったようだ。
よく考えたらアッシュの眠る姿をこんなにマジマジと見つめるのは初めてかもしれない。一緒に寝る、なんて事があんまり無いもんな。この機会に沢山見つめておこう。

たまに頭を無意識にごしごしするさまを見つめていたら俺も眠くなってきた。何だかもったいない気がしたけど、寝坊したらまた怒られるので俺も寝るか。ベッドに横になる前に、どうしても名残惜しくて俺はゆっくりとアッシュへ顔を近づけた。そうして小さなおでこに、なるだけ軽くキスをする。
アニスが以前、アッシュのおでこはキスをするためにあけてあるんだと馬鹿な事を言ってたけど、あながち間違いではないかもしれない……あのデコを見てたら突然こんな衝動が湧き上がってきたんだから。
俺は途端に恥ずかしくなって、未だ眠り続けるアッシュの睡魔に感謝しながらベッドに潜り込んだ。恥ずかしい、恥ずかしいけど、朝起きた時また目の前にあのおでこがあったら、俺はどうするだろうとか考えながら。
ゆっくりと、ハムスターのアッシュを見つめながら眠りに落ちた。

おやすみ、アッシュ。



翌朝、一向に起きてこないルークの部屋に仲間たちが駆けつけた所、ひとつのベッドで仲良く眠る人間姿のルークと、人間姿のアッシュを発見したという。

こうして、アッシュのハムスター騒動はひとまず終結した。
……「アッシュの」ハムスター騒動、は。

14/06/14