この世界に二人揃って戻って来てから、ずいぶんとバタバタした毎日だった。訪れる人々への対応、舞い込んでくる数々の問題、それら全てを懸命に、時に適当にこなして早数ヶ月。ようやく一息ついて落ち着ける時間が増えてきた頃であった。
グランコクマから、招待状が届いたのは。




水の都グランコクマは、夏の間でも他の地方に比べればそれなりに涼しい。夜ともなればその水の冷気を含んだ風によって、音機関による冷房要らずである。そんな全世界憧れの的の一つであるこの美しい街は今夜、さらに華々しい装飾で彩られ、光り輝いていた。祭りである。
何でも、今は亡きホドで代々行われてきた祭りを復活させようと、イベント事が大好きな皇帝陛下が元ホド住民達の協力の元、一年ほど前から始めたものらしい。普段各地で行われている祭りと内容はそんなに変わらないものであったが、ホド流祭りの最大の特徴が一つあった。それは、祭りに参加する全ての人間が「浴衣」という服を着用しなければならない、というものだった。


「まあ、実際のホドでの祭りでは必ず着なくちゃならないってものじゃなかったんだけどな。そこはピオニー陛下の独断で決められてしまったんだ」
「ああ……そうだろうと思ったあの皇帝め……」


どこか苦笑交じりのガイの説明に、アッシュは半眼で空を睨みつけた。目の前にピオニー本人がいれば思いっきり睨みつけてやったのだが、彼は今部下たち、具体的にはジェイドによって宮殿へと連れ戻されてしまっているので、空でも睨みつけておくしかない。どこかイライラと腕を組みアッシュも、まあまあと落ち着かせてくるガイも、目の前で祭りに色めき立つルーク含めた仲間達も皆、陛下直々の命により浴衣姿なのだった。
それぞれが忙しい毎日の中今夜こうして一堂に会する事が出来たのは、無論先日届いた招待状のお陰であった。贈り主はピオニー、の許可を得たガイ。夏祭りだ!とはしゃいだルークに無理矢理引っ張ってこられたアッシュだったが、今まで忙しかった分まあ息抜きにはなるだろうと思っていた。自分の分の浴衣が手渡される前までは。


「くそ、無理矢理着せやがって……」
「そんなに怒るなよアッシュ。浴衣って夏でも涼しく過ごせるような構造になってるんだ、今の季節にピッタリだろ?」
「それはいい。それはいいがこの柄だ!ふざけてるのか!」
「柄は……まあ確かに、なあ」


ガイもフォロー出来ずに頭に手を置いたアッシュの浴衣は、全体的に黒を基調とした落ち着いた男物の浴衣であった。しかし所々に小さく、赤く何かが描かれている。よくよく見ればそれは、どこか鳥の形を象っていた。知る人が見ればアッシュと見比べて吹き出す柄(実際にルークが吹き出してアッシュに頭を叩かれた)、それはニワトリだった。肩を怒らせて歩くアッシュに雛鳥のように後をついて行くルークを見て、まるで親ニワトリと子ヒヨコみたいだと初めに揶揄したのは一体誰だったか。どこからそんな情報を仕入れたのか、今度ピオニーに会ったら出会い頭アイシクルレインをぶっ放そうとアッシュは決意していた。相手が一国の王であろうとこの怒りの前には関係ないのである。


「おーいアッシュー!お前も早く来いよ!いっぱい色んな屋台が並んでるぜ!」


前方でルークがこちらに手を振る。その瞳がここからでもワクワクと輝いているのが見てとれた。ガキか、と心の中で突っ込んで、紛れもなくガキだったとすぐに考え直す。肉体的には成人を果たしたルークも、中身的にはまだ10歳にも満たない子どもなのだ。そうやって見ると、あの祭りの華やかさを前にしてそわそわと落ち着かない様子も何だか可愛げがある気がする。本人には絶対に言わないが。
それよりも。アッシュは浴衣に身を包むルークを一瞥してから、隣のガイをじろりと睨みつけた。


「おい、ガイ」
「ん?どうしたアッシュ」
「あいつの浴衣の事だが」
「何の事かな?俺には全然わからないな」


まだ何も言ってないうちから不自然に目を逸らすガイの胸倉を、アッシュは思いきり掴んでやった。


「嘘つけお前も主犯の一人だろうが!あいつの浴衣、絶対に女物だろう!」
「だ、大丈夫だ、安心しろアッシュ、ちゃんとルークに似合って可愛いから!」
「何が大丈夫だ何がー!」


淡い赤を基調として可愛らしい黄色のヒヨコ柄、そして鮮やかな緑の帯。あの華やかさ明らかに男物では決して無かった。それを違和感なく着こなしているルークもルークだが。
その時、いつまで経ってもアッシュが来ない事に痺れを切らしたルークが、カランコロンと軽やかな下駄の音を響かせながら近寄ってきた。


「もう何してんだよアッシュ、早く来いってば。俺早く屋台見て回りたいのにー」
「お前もだ屑が!何疑問を持つ事無くんなもん着てるんだ!男として恥ずかしくないのか!」
「は?え?何が?」
「男のくせにそんな恰好が似合う事が恥ずかしくないのかと言っているんだ!」
「おーいアッシュ、微妙に本音が漏れてるぞー」


アッシュに怒鳴られてキョトンと首を傾げるルークの様子からして、本当に何も意識していないらしい。はあと重いため息を吐くアッシュの腕を勢い良く掴むと、そのまま履きなれない下駄を履いているとは思わせないしっかりとした足取りでずるずると引っ張って行く。


「ほらアッシュ早く!まずは焼きトウモロコシだ!後は綿菓子にリンゴ飴に焼きそばたこ焼きお団子!一杯買って食べなきゃいけないんだからな!」
「てめえ、食べてばっかりじゃねえか!いい加減にしろ!腹壊したらどうする!」


そのままギャーギャー言い合いながら仲良く並んで屋台の並ぶ祭り会場の中を歩き始める二つの赤い頭。その後ろ姿を、ガイは微笑ましそうに見送った。そうしていると傍に、適度な距離を取ってティアが近づいてくる。


「ガイ、今日の皆の浴衣ってあなたが決めたの?」
「ん?ああ、俺とピオニー陛下とジェイドでな。不満だったかい?」
「いいえ、むしろ褒めたいぐらいだったの。特にルークのあの浴衣……可愛らしいわ……」
「ははは、ティアならそう言ってくれると思ってたよ」


恍惚とした表情でしばらくヒヨコ頭を眺めていたティアは、ふとその瞳を細めさせた。悦に入っていた表情はすぐに、愛しい者を見守る母のような温かなものになる。


「でも、本当に良かったわ」
「何がだい?」
「アッシュよ。ずっと会っていなかったから、ルークと上手くやっていけているか心配していたの。でもあの様子なら、大丈夫だったみたいね」
「ああ、それか。うんそうだな、仲が良くて結構結構」


一人でしきりに頷くガイを、ティアは不思議そうな瞳で見上げる。


「そういえばあなたは二人の様子を何度か見にバチカルへ行っていたそうね」
「まあな、今の君みたいに、ルークとアッシュが喧嘩ばかりしていないか気になったんでね」
「それで、どうだったの?」
「まあ大方の予想通り、喧嘩ばかりしていたよ。ただ……」


そこでガイは頭を掻きながら言葉を濁した。その時の光景を思い出しているようだ。その表情は、微笑ましさ1割、うっとおしさ9割と何とも微妙なものである。一体ガイは何を見たというのか。


「その喧嘩がな、本人たちはいたって真剣なんだろうが、傍から見ているとな……」
「何?一体どんな喧嘩をしているの?」
「いや、今日二人の様子をちょっと見ていればすぐに分かると思うよ。まったく、あれに頻繁に付き合ってるナタリアはすごいと思うよ本当」


そう言ってガイは歩き出してしまったので、仕方なくティアも後を追う。しかし今は疑問に首を傾げるティアも、ガイが言っていた事をほんの数十分ですぐに理解してしまう事になる。


「アッシュアッシュ!次はこれ!これ食おう!」
「だから食い過ぎだって言ってんだろうが屑が!次の日腹壊した馬鹿を面倒見る羽目になるこっちの身にもなりやがれ!」
「はいアッシュも、あーん」
「ん……美味いな。じゃねえ!いちいち俺に食わせて共犯にするんじゃねえよ!」


「あーっその金魚!俺が取ろうと思ってたのに!」
「ふん、どんくさい方が悪いんだよ」
「俺が狙ってたの知ってて取っただろ、この意地悪でこっぱち!この真っ赤なのがアッシュにすごくよく似てたから絶対に取ろうと思ったのにー!」
「こんな可愛らしいひらひらした生き物が俺だと?ふざけるな!この真っ赤加減はお前に似合いなんだよ!」
「いいや、アッシュだ!んでもって俺が育てる!」
「屑が、どう見てもお前だ!そして俺が育てる!」


「このリンゴ飴美味いなー。特にこの真っ赤なのがアッシュに似てる気がして」
「はっ、そんな朱色に近い明るい赤、それこそお前だろうが。こんな甘ったるいもののどこが美味いんだか」
「あーっ横から齧るなよ!」
「呑気にトロトロ舐めてばかりいるからだ。さっさと食わねえと無くなるぞ」
「だから齧るなってばー!ちくしょう、負けねえからな!」


「この水風船の赤いのがアッシュに(略)!」
「屑が!この赤はお前の(略)!」


「うえー、腹いっぱい……」
「だから言っただろうが屑が。際限なく食いまくるからだ」
「だって、アッシュと一緒に食うとなんかすげえ美味いんだもん……」
「甘えんな、だからいつまで経ってもガキなんだよ」
「何だとー!」


「な?」
「ええ、あなたの言う通りだったわ……」


一通り夏祭り会場を回って堪能した後、同意を求めてきたガイにぐったりしながらティアは頷いた。ルークとアッシュは何かと喧嘩めいた言い合いを繰り返していたが、内容を聞いていればそそくさと他人のふりしてしまいたい衝動に駆られるようなじゃれ合いだった。敢えてその内容に一番当てはまるであろう言葉を選ぶなら、痴話喧嘩になるだろうか。おかしい。頭を押さえながらティアはため息をついた。前々から喧嘩を繰り返してきた二人だったが、こんなに以前から仲が良かっただろうか。この世界に揃って帰ってくる間に何かがあったのか無かったのか。


「いてっ!」


その時、一番前をアッシュと並んで歩いていたルークが急に座り込んでしまった。一番に反応したのはアッシュで、さっきまで怒鳴り合っていた声を若干慌てさせながらルークを覗き込む。


「おい、いきなりどうした。まさか今から腹が痛いとでも言うんじゃないだろうな」
「違うって。今何か躓いたような気がして……あっ。あーあ」


なんだなんだと全員が近寄って覗き込めば、原因は判明した。ルークの履いていた下駄の緒が片方、見事に切れてしまっていたのだ。一体どれだけ無茶な履き方をしていたのか。さっきまではしゃいでいた顔をどこかに放って、ルークはしょんぼりと俯いている。


「せっかく貸してもらったものなのに壊しちゃったな……」
「ふん、そんなの一日で壊れる柔な下駄の方が悪いんだよ屑が」
「ルーク、大丈夫?困ったわね、代わりに履くものが近くに無いかしら……」
「面倒くせえ、このまま戻った方が早いだろう。おい屑、それを脱いで早く来い」
「へ?」


大きなため息をついたアッシュは、首を傾げるルークの目の前に背中を向けてしゃがみ込んだ。しばらく一同の思考が止まる。ぱちぱちと瞬きをした後、ようやくアッシュがしようとしている事に気付いたルークが一気に顔を赤らめて首を横に振った。


「い、嫌だ!はっ恥ずかしいだろ!」
「ああ?何が恥ずかしいんだ」
「だってこの歳にもなって、おんぶとか……!」
「この歳だあ?脳内立派なガキが何言ってやがる。さっさと来ないと裸足のまま引きずって帰るぞ」
「う、ううっ……」


しばらく赤い顔のまま躊躇していたルークだったが、やがて観念したのか下駄を両足脱いで手に持ち、アッシュの背中に身体を預けた。アッシュはいとも簡単にそのままルークを支えて立ち上がって、さっさと歩き始めてしまう。


「あ、アッシュー、こうなったら早く!早く歩いて!さっさと帰ろう!」
「うるせえ背負われてる奴が文句言うな!尻から落とされてえのか!」
「痛いからやだ!でもこのままなのももっとやだー!」
「駄々をこねるな屑が!」


再びぎゃーぎゃー言いながらも仲良く背負い背負われて歩いて行くその後ろ姿を、取り残された仲間達はポカンと見送った。ここにジェイドがいれば嫌味のひとつぐらいすぐに飛ばしてくれたのだろうが、今彼は皇帝陛下のお守に行っている。代わりにアニスがうんざりした様子で肩をすくめた。


「あーもう何なのあの兄弟。アッシュとかキャラ変わりすぎじゃないの?前のアッシュだったら、私なんかが「アッシュー背負ってあげなよー」とか言わなきゃ絶対に自分から背負おうとしないようなツンデレだったじゃん!」
「アニス、今更ですわ。わたくしはあのような二人の戯れを幾度となく見て来ましたもの。あれが帰って来てからのアッシュの平常運転ですわ」


ナタリアはどこか遠い目をしている。本当に数え切れないほどのおバカいちゃいちゃっぷりを見せつけられてきたのだろう。もう全員で顔を見合わせるしかなかった。


「本当、ルークはともかく、アッシュの態度が変わりすぎよね……。一体何があったのかしら」
「うーん。俺達が知らない間に、アッシュの心境に変化があったとしか思えないなあ」
「まるで本当に兄弟のようですわ、それにしても仲が良すぎる気もしますけど」
「あれってさあ、もう兄弟というより恋……ううん何でもない」


背後で色々と好き勝手な事を言いながら、仲間達は離れて見守りつつ二人の後をついていく。
その気配を、歩きながらアッシュは感じとっていた。きっとある事無い事邪推しながら色々と言いやがっているんだろうと。自分のルークへの態度が帰ってくる前と、後では、結構違っている事にアッシュはちゃんと気付いていた。そして、その理由も。


「あー、恥ずかしいけどさ、何かこの体勢、妙に落ち着くなー……」
「寝やがったりしたら、このまま振り落とすからな」
「だ、大丈夫だって!でも、こうやってアッシュの背中にくっついてると、あったかいし、何か安心するんだよー……」


ルークの声がどんどんふわふわと頼りないものになっていく。舌打ちしながらアッシュは、このままルークが本当に眠ってしまっても、自分は振り落としたりはしないだろうと確信していた。祭りに盛大にはしゃいだ子どもが帰り道に眠気を訴える事はそう珍しい事では無い。そう、子どもだ。
ルークは最初に言った通り、見た目と精神年齢が合わないまだまだ子どもだ。共に帰って来てから、アッシュはそうやって考える事が出来るようになった。それこそが、アッシュの態度を軟化させる心変わりであった。ルークの言動を子どもに当てはめると、大分微笑ましい事になる。子どもに本気で怒る事は無いと自分を戒める事も出来る。そうやって付き合い始めれば、元々アッシュに構われたがっていたルークがどんどん懐いていくのもごく自然な事であった。
ただ、最近それだけではない何かを自分の心に感じる事がある。例えば今。ぎゅっとアッシュに縋りついてくる腕、全てをアッシュに委ねている体温、たまに首筋に掛かってくる息、それらを意識すると、生意気な弟分以上の何かが膨れ上がってくるのを感じる。ただ今は、それら全てから目を逸らして、兄弟ごっこを演じるのみであった。
まだ、それだけでも満たされているから。まだ。


「なー、アッシュー」
「何だ」
「来年も夏祭り、一緒に来ような。絶対」
「……ああ、それもいい」


来年の今日。その時自分の心は、ルークの切れてしまった下駄の緒のように、何かに吹っ切れていたりするのだろうか。そんな予感を感じながら、今はずれ落ちる自分と同じ体温を、大事に抱え直すだけだ。





   夏祭りの夜、緒はまだ切れず





12/08/19