「アッシュー!よかった、今日会えて……」
「襲爪雷斬!」
「ぎゃあっ!何するんだよ出会い頭にFOF技なんて!」
アッシュが己のレプリカを目にした途端攻撃を仕掛けた理由は、嫌な予感がしたからであった。今日が何の日か知っていたからこそであった。もし今日町に降りる前、アルビオール内でノワールに「一応あげとくよ」とチョコの欠片を一つ貰っていなかったら、今日がバレンタインであると思い出せもしなかったであろう。その事実と、超笑顔で駆け寄ってくるその顔と、手に持っている何かを見たら、嫌な予感が一気に膨れ上がるのも仕方のない事ではないだろうか。
「その手に持っているものは何だ」
「あ、これ?何だよアッシュ今日が何の日か知らないのかよ!」
「……知っている」
「なら分かるだろ?はい!バレンタ」
「絞牙鳴衝斬!」
「わーっ予備動作無しに秘奥義もやめろー!」
意外と広範囲の秘奥義も間一髪で避けてみせたルークに、アッシュは間髪入れずに剣の切っ先を突きつけた。ルークは先ほど差し出しかけた包みを斬られぬようにと背中に隠している。
「まさかその中身はチョコとでも言うんじゃねえだろうな!ふざけんじゃねえぞこの屑レプリカ!」
「なっ何でだよ!何で俺はアッシュにチョコをあげちゃいけないんだよ!」
「どこの次元に己のオリジナルにチョコを贈るレプリカがいるんだ!」
「ここにいるぞっ!だ、だって、俺今までバレンタインの事を良く知らなかったけど、ティアやガイや皆に説明して貰ったんだ!」
必死な様子のルークは、とても真剣な表情でアッシュに言った。
「バレンタインって、好きな人にチョコを贈る日だろ!」
「説明が不足しているっ!」
アッシュはルークから視線を逸らして、その後ろをキッと睨みつけた。そこにはルークの仲間たちが、どこかにやにやしながらゆっくりと歩み寄ってくる所であった。アッシュはまず、ルークの保護者と自他共に認めているガイに噛みついた。
「ガイ!こいつにどんな教育をしていやがる!」
「何をそんなに怒る事があるんだよアッシュ、まあ確かに説明を若干端折っているかもしれないけど、大体合っているだろ?」
「大事な所を端折りすぎだろうが屑が!」
「まあまあ。ルークにチョコを貰う事は嬉しい事じゃないか、だから良いんだよ」
ガイのデレデレした笑顔を見るに、おそらく分かっていてわざとルークに説明していないようだ。バレンタインにチョコを渡すのは、主に女からだという事を。大きく舌打ちをして見せたアッシュに、今度は向こうから声を掛けられた。ティアだった。
「アッシュ、あなたルークのチョコを受け取らないつもり?」
「受け取らなければならない理由があるのか」
「あるわ。これはルークがあなたのために作ったチョコだもの」
「しかも手作りか!余計にいらねえ!」
ルークの料理の腕を知っているアッシュが二重の意味で拒否をする。しかしそこに待ったの声が上がった。ガーンとショックを受けているルークではなく、ナタリアだった。
「ひどいですわアッシュ!ルークはわたくしと一緒に頑張ってチョコを作りましたのよ!」
「?!な、ナタリアと、だと?」
「わたくしもあなたに渡したかったのですが、その……まだ少し修行中ですので、わたくしの分もルークのチョコを食べて頂きたいのですわ」
「そうそう、うっかり味見したミュウが倒れて動かなくなっちゃったんだよね、ナタリアのチョコ。いやもうチョコと呼べるものじゃ無かったかもしれないけど……」
何かを思い出したのか、アニスが肩を抱いてブルブル震えている。そこまで凄まじいものが出来上がったのかと、アッシュは心の中で戦慄した。悉くナタリアから目を逸らすメンバーを見る限り、想像すら出来ないものが出来上がったようだ。そう考えると、ルークの一応綺麗にラッピングされている中のチョコはまだマシなものなのかもしれない。少しだけ心を許したアッシュに、一番後ろでにこにこ笑っていたジェイドが追い打ちを掛ける。
「おやおや、今の話で怖気づいたのではありませんよね。天下の元神託の盾騎士団特務師団長様が、たかが手作りチョコを一つも食べられないなんて、そんなまさかね」
「くっ、そんな訳があるか!よこせ!」
ルークから包みを奪い取ったアッシュは包みを乱暴に開き、箱の中身を手早く取ってそれを口の中に押し込んだ。そして、すぐに吐き出した。
「ぐはあっ!」
「アッシュー!?大丈夫か!」
「大丈夫な訳……あるかーっ!表面は黒こげ、中は完全なる生、食感はザラザラで何とも表現しがたいこの味、一体何なんだこれは!」
「何って、チョコだけど」
「認めるかー!恥を知れ!」
ルークの胸倉を掴んでがくがくと揺さぶるアッシュだったが、ひとしきり叫んだ後もまったく気が治まらなかった。下手だ下手だとは思っていたが、まさかルークがこんなに料理が下手だとは思わなかった。これ以上のものを作ったナタリアの腕前も恐ろしいものがあるが、とにかく今は目の前の己のレプリカである。アッシュは胸倉を掴んでいた手を離し、代わりに腕を強く掴んで、無理矢理歩き出し始めた。
「ちょ、ちょっとアッシュ、どこ行くんだよ!」
「俺のレプリカが、こんな下手くそな腕前で生き恥晒しているのが我慢ならねえんだよ、来い!俺が骨の髄まで叩きのめしてやる!」
「何だよそれ、どういう事だよー?!」
ずるずると引っ張られていくルークを、一行は生温かい目で見送った。やがて二人の赤毛の姿が見えなくなる頃、ようやくそれぞれが動き出す。
「さて、買い出しなんかを済ませてからギンジか漆黒の翼達を見つけて今日泊まる予定の宿を聞きだすか」
「そだねー、料理の特訓のために調理場借りれそうな所って、宿ぐらいしか無いし」
「ああっアッシュの特訓によってわたくしより先にルークが料理上手になってしまったらどうしましょう!悔しいですわ!」
「せめて普通に食べられるレベルにまで成長して帰ってきてくれればいいんですがねえ」
「ルーク……花嫁修業、頑張ってね」
かくしてアッシュがルークを引きずって辿り着いた所は、仲間たちの読み通り今夜泊まる予定の宿であった。かなり強引に女将から厨房を借りて、材料を買い込み、借りたエプロンをまいて二人は立っていた。あまりの急展開に目を回していたルークも、やっと今の事態を飲み込めるようになっていた。
「つまりアッシュが俺にチョコの作り方を教えてくれるって訳だな!」
「言っておくが俺は甘くねえぞ。今日中に人間が食べられるものを作れなければ斬り捨ててやるから、覚悟しておけ」
「はい師匠!」
「師匠呼ぶな!」
アッシュはあくまでも厳しい態度を崩さなかったが、対するルークはアッシュの機嫌などお構いなく張り切っている。単純に教えて貰う事が嬉しいようだ。そんなうきうきした様子を見て、学ぶ姿勢が出来ているのは良い事だと少し油断したアッシュだったが、そんな気持ちもすぐ崩れる事になる。
「で、何を作るんだ?アッシュも作った事があるものなのか?」
「菓子なんて作った事ないに決まっているだろう屑が。だがここにレシピがある、料理なんてレシピ通りに作れば何も問題なく出来上がるはずなんだよ」
「ああ、さっき宿のおばちゃんに貰ってたやつか」
「内容は……ふん、トリュフか。ざっと見た所楽勝だな。まずはこの板チョコを砕け」
「砕くんだな、任せろ!」
手渡された板チョコを目の前に置いて、ルークは意気揚々と自らの剣を手に取った。アッシュはすかさず頭を叩いた。
「痛い!何で?!」
「何ではこっちだ屑が!何でここで剣を取り出しやがるんだ!」
「このチョコを砕くんだろ?」
「何のために包丁という刃物が存在すると思っている!料理をする時は基本的にこっちを使え馬鹿が!」
「ああーそうか、剣じゃ刃が長すぎて切りにくいもんな」
納得したルークはアッシュから包丁を受け取る。始めからつまづいてしまったのでアッシュはがっくりと肩を落とした。まさか普段から料理をする時に剣を使っている訳じゃないだろう、それならば自分の説明がおかしかったのだろうか。いやレシピ通りの事をしかも一言しかまだ言っていないのにこれだ、やっぱりこの劣化レプリカの頭がおかしいと心の中でブツブツ呟いていたアッシュは、自分の頬に次々とチョコの欠片が飛び散ってきている事にしばらく気付けなかった。
「って何してやがる!」
「え?言われた通りチョコを砕いてるだろ?」
「押さえもしないでそんなに力強く振り下ろしたら飛び散るに決まっているだろうが!見ろ、周りの惨状を!」
「あははは、アッシュ何チョコまみれになってんだよ」
「てめえのせいだ屑がー!」
アッシュの戦いは、ここから始まった。
「どれどれ、味見を……」
「砕いただけのチョコを味見する必要はねえよ!」
「おい余所見をするな、鍋を見ろ!早くかき混ぜないと生クリームが焦げるだろうが!」
「マジで?!どっどうしよう!とととにかく急いでかき混ぜて……」
「ぶはっ?!だから鍋を押さえろ屑がー!部屋を生クリームまみれにさせる気か!」
「あははは、アッシュ何生クリームまみれに」
「それはもういい!」
「チョコと生クリームはよく混ざっているか?それを少し固まるまで冷やすんだ」
「なるほど冷やすんだな?それなら、はい!」
「……何故、俺にボウルを差し出す」
「え?だって俺、譜術使えねえし」
「誰がアイシクルレインで冷やすと言ったー!」
「さて、味見を……」
「まだ早え!」
「お前は均等の大きさにチョコを分ける事も出来ねえのか」
「ええーっだって全部同じ大きさに分けるなんて、地味に難しいだろ……ってアッシュすげえ!同じ大きさになってる!」
「はっ、これが俺とお前の差だ」
「そうか……俺、左利きだからな……」
「利き手は関係ねえよ!」
「これが完全に冷えるまで待て」
「どれぐらいかかるんだ?」
「さあな……少なくとも数十分はかかるだろう」
「ふーん」
「………」
「まだかなー」
「………」
「まだかなー」
「………」
「まだか」
「アイシクルレインッ!」
「ぎゃーっアッシュの短気ー!」
「後は形を丸めてココアパウダーをまぶせば完成だ」
「おおっもう少しだな!よーし頑張るぞー!」
「俺はチョコを丸めると言ったはずだな?」
「はい……」
「それが何故、ことごとく全力で叩きつぶされているんだレプリカ」
「えーっと……は、張り切り過ぎた?」
「知るか!聞くな!やり直せ!」
「うわーん俺って何でこんなに不器用なんだよー!」
「不器用以前の問題だ屑が!ちっ、仕方ねえ、俺がこっちをやるからお前はそっちの半分だ」
「ありがとうございます師匠ー!」
「師匠呼ぶな!後チョコまみれの手でくっつくな屑がー!」
戦いが始まって数時間後、辺りに濃厚なチョコのにおいが立ち込める中、アッシュとルークは立ちつくしていた。最初に口を開いたのは、ほぼ呆然と目の前を見つめるルークであった。
「で……出来た」
ルークの言葉通り、二人の目の前には完成したトリュフが並んでいた。大きさはまちまちでしかも形もかなりいびつなものばかりであったが、間違いなくそれはトリュフであった。顔を見合わせた二人は、おそるおそる手を伸ばし、トリュフを一つずつ手に持ち、それをゆっくりと同時に口の中に入れた。
数秒の沈黙の後、今度はまずアッシュが口火を切った。しかめていた眉間の皺の数を、心なしか少し減らしながら。
「だから言っただろうが、レシピ通りに作れば問題なく出来上がるとな」
「う、美味い!チョコだ!アッシュこれちゃんとチョコだぞ!」
「チョコで作ったんだからチョコにならなきゃおかしいんだよそもそも」
「やったー完成だー!」
ルークが両手を上げて飛び上がった。その不格好な見た目とは裏腹に、そのトリュフは普通に美味しかった。これなら成功作と言っても差し支えないだろう。全身で喜ぶルークを見て、アッシュがふんと息を吐き出す。
「まあ半分以上は俺の手柄だがな」
「うっ……今回ばかりは否定出来ねえ……。ありがとうアッシュ、まさかこんなにつきっきりで教えてくれるなんて思って無かったよ」
「……俺のレプリカが、人様の食えない物しか作れないなんて、お前だけじゃなく俺まで恥をかくだろう。これで最低レベルまで引き上げられたか微妙な所だがな」
「くうっ反論できないのを良い事に言いたい放題……まあ助かったけどさ」
後で皆にも食わしてやろうと、上機嫌な顔でもう一つトリュフを食べてみせるルーク。その横顔が少し、ほんの少し陰ったのを、アッシュは見逃さなかった。
「あーあ、俺でもこんなに美味く作れるんなら、もっと早く作れるようになれればよかったな」
アッシュの中で、ルークのその言葉が爪痕を残すかのように引っ掛かる。口の中に残るチョコの欠片が、苦味だけを残して消えてしまったような思いがした。ルークはまるで、もうチョコを作る機会が無いかのような口ぶりで話した。それが、心当たりが大いにあるアッシュの心も締めつけたのだ。
「……おいレプリカ、まさかお前はこれだけ人に習っておいて、もう二度と作らねえつもりじゃないだろうな」
「へっ?」
気付けばアッシュはルークを睨みつけていた。ぽかんとこちらを見つめるルークの口の中に、トリュフを2、3個放り込んでやる。
「むぐっ?!」
「次のバレンタイン、それ以上に美味いものを作れなければ容赦はしねえ。分かったな」
「ふぁ?!」
しばらく口をもごもごさせていたルークは、ギロリと睨みつけられればチョコで一杯で喋れないままこくこくと必死に頷く。それを見てアッシュはよし、と満足した。きっと来年の今頃には、自分はこの世にいないだろうと思いながら。
自身もチョコをもう一つ口に含んだアッシュは、少しだけ笑ったようなルークの声だけを聞いた。
「……仕方ねえなー、それじゃあ来年は、俺の特製チョコをアッシュにお見舞いしてやるからな、覚悟しとけよ!」
互いにわざと視線を合わせないまま交わされた約束は、手作りのトリュフチョコレートの甘さに溶けて、消えた。
愛の手作りチョコレート指南
ちょっぴり苦味
12/02/23
□