ルークは外から聞こえてきた子どもたちの歓声に、ベッドに寝転がりながら思わず微笑んでいた。何という無邪気な笑い声だろうか。両手いっぱいのお菓子を受け取り、この世は天国だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるのだ。お菓子をもらうという至極単純な事で笑えるなんて子どもは羨ましいなあと、成長してしまったルークは思うのだった。自分が幼い頃も、あんな風に喜んでいただろうに。
今夜はハロウィン。近所の子どもたちがお菓子をもらうために簡単な仮装をして、この辺を練り歩いているらしい。勉強を早々に諦めてベッドに転がったルークにはどこか遠い世界の出来事のように思える。この二階の部屋にお菓子をもらいに来る子どもはいないし、逆にお菓子を与えてくれるような人物が来る事もない。来る者がいるとすれば、早く寝なさいと小言を言いに来る親ぐらいなものだろう。まだ寝るには早い時間であったが、ベッドの上のルークは早速うとうとし出してきた。寝つきが良いのが取り柄のルークは(その代わり寝起きが悪い)寝転がればどこで何時だって寝れてしまうのだ。
宿題やってないとまた明日怒られるなあと思いながらもルークが夢の世界へ片足を突っ込んだ直後、ドンドンというけたたましい音がいきなり耳に飛び込んできて、思わず飛び起きていた。


「うわっ?!なっ何だ?!」


慌てて首を巡らせるルーク。一人部屋の室内で、あんなに大きな音が鳴り響く者が目覚まし以外で想像できなかった。眠る直前のボーっとした頭がだんだんと回り出してから、あの音は何かが壁を叩くような音であった事に気付く。壁、つまりこの部屋の外から何かがぶつかったか、叩かれたのだ。
考えている間に、再び音が部屋の中に鳴り響いた。今度こそ音がどこから聞こえてきたか把握したルークは、そちらへパッと視線を向ける。場所は、窓だった。ここは二階だから誰かが窓からこちらを覗ける訳が無いのに、ルークは誰かと目が合った。その翡翠色の瞳はまるでルークが気付くのが遅れた事を責めるように、怒っていた。


「……はっ?えっ?!」


混乱して何も考える事が出来ないルークは、その瞳に導かれるまま、窓へと歩き鍵を開けてしまっていた。途端にがらりと窓を開けて、部屋の中に入ってきたのは夜に眩しい真紅の長い髪。思わず見とれたルークは、再び自分とほとんど同じ緑の瞳に睨まれていた。


「おせえ」
「……へ?」
「おせえっつってんだよ、屑。俺が壁を叩いているのにもたもた気付きもしやがらねえ。まだ夜も更け切ってないこんな時間にうたた寝しやがるなんて、お前はお子様か。まあいい、邪魔するぞ」


ずかずかと部屋の中を移動した誰かは、そのまま今までルークが転がっていたベッドにどっかりと腰を下ろした。まるでそれが当然だと言わんばかりの堂々とした、悪く言えば偉そうな態度である。いきなりの展開について行けないルークはしかし、理不尽に暴言を吐かれた事でハッと我に返る事が出来た。


「い、いや、お前誰だよ!ここは二階なのに、どっどうやって窓の外にっ?!」
「アッシュ」
「は?」
「ジャックランタンのアッシュ、俺の名だ。てめえが名乗れと言ったんだろうが屑が。……それで?」
「それで、って?」
「人に名乗らせておいて自分は名乗らねえつもりか、一体どんな教育受けてきたんだ、阿呆か」
「おっ俺はルーク!屑でも阿呆でもないっ!……って」


呆れたようにアッシュと名乗る誰かにため息を吐かれ、とっさに名乗ったルーク。そこでアッシュの台詞に気になる言葉がある事に気付く。


「じゃっく、らんたん?」
「その歳にもなって知らねえなんてことはないな?」
「ば、馬鹿にすんなよ。あれだろ、ハロウィンの時期にうろつくお化けみたいなもんだろ」
「ふん、屑にしてはまだまともな認識だな」


散々な言われようにムカつく、前にルークはまじまじとアッシュを見つめていた。ルークはそれほどハロウィンについて詳しい訳ではないが、ジャックランタンの名ぐらいは知っていた。確か、ハロウィンに関係するかぼちゃのお化けか何かだったはずだ。そう、かぼちゃである。その名の通りランタンを手に持った、かぼちゃのお化けだとルークは記憶していたのだが。
まるでこの部屋の主のように偉そうに座る目の前の端正な顔の男は、どこをどう見てもかぼちゃではない。ルークの赤髪よりもさらに真っ赤な長い髪も宝石のような緑の目もかぼちゃとは程遠い。辛うじて、その身に纏う真っ黒な服だけがハロウィンの雰囲気を醸し出している。アッシュの上から下までを見下ろして、ルークは言った。


「全然かぼちゃじゃねーじゃん」
「屑が」
「あいたっ!」


途端に何かがルークの頭上から振り下ろされた。頭を押さえながら慌ててアッシュから距離を取る。どこに持っていたのか、いつの間にかアッシュの手にはかぼちゃが現れていた。中身をくりぬかれ、目と口を象った穴からオレンジ色の火の光を零す、本物のかぼちゃのランタンである。アッシュはそのランタンを見せつけるように掲げてみせた。


「これで文句はねえだろ」
「た、確かにランタンだけど……俺、ジャックランタンってかぼちゃの顔してた記憶があるんだけど」
「あんな暑苦しいもん四六時中被っていられる訳ないだろうが」
「あれ被ってたのかよ?!」


驚きの事実にルークが目を丸くしている間に、アッシュは足を組みかえてじっとこちらを見つめてきた。まるで品定めをしているかのようなその視線に、ルークは居心地が悪くなる。ここは自分の部屋なのに、何故居心地が悪く思わなければならないのだろうか。少しだけ理不尽を感じていると、やがてアッシュが口を開いた。


「悪くねえな」
「は?」
「いやむしろこれは……当たりか」
「何が?」
「ここ最近、いやずっとまったく当たりが無かったが、これは来たかもしれねえな」
「おいお前、えーっとアッシュだったっけ、一人でブツブツ言ってないで説明しろ!つーか何しにここに来たんだよ!」


ルークが必死に話しかけても、アッシュのマイペースさは変わらなかった。何故だか不穏な空気を感じとって、ルークは開け放ったままだった窓をビシリと指差す。


「ハロウィンのお化けだったら、仮装してる子どもたちの所にでも行けばいいだろ!ここにはお菓子も何も無いんだから、さっさと出ていけ!」
「ほう、菓子が無いのか、好都合だな」
「はあ?!訳わかんないって……」


言いかけた言葉をルークは飲み込むしかなかった。ベッドに腰かけていたアッシュがいきなり立ち上がり、ルークの方へとズカズカ歩み寄ってきたからだ。結果、至近距離で顔を覗きこまれる事となる。ルークが思わず一歩下がれば、アッシュはその分一歩詰め寄ってくる。かなりのプレッシャーを感じる距離であった。おまけにあんまり見ない綺麗な顔なものだから、自然と顔が赤らんでしまう。


「なななっ何っ?!」
「トリックオアトリート」
「……えっ?」


アッシュの口から飛び出した言葉は、良く聞くものであった。今日に限って言えばさっき外から聞こえた子どもたちの分も含めて5回以上は聞いているだろう。そんな聞きあきたハロウィン定番の言葉を、今のシチュエーションのせいで上手く飲み込めなかった。


「……いや、さっき言っただろ、お菓子なんてここには無いって」
「ああ、そうだな。じゃあトリートは無しという事でいいな?」
「えっと、まあそうなるよな。トリートは無しで……ん?って事は」


いくらハロウィンの事を詳しく知らないと言っても、その言葉の意味ぐらいは知っている。お菓子をくれなきゃいたずらするぞという、何とも子どもらしい台詞である。今ルークの手元にトリートはない。つまり、もう一つの選択肢を選ぶしかない訳で。


「……トリック?」


尋ねるルークに、アッシュはニヤリと悪い笑みで返した。とっさに逃げようとするルークだったが、すでに距離を詰め寄られている状態でさらに逃げるには限度がある。何歩か後ずさりしないうちに、ルークの背中は部屋の壁にぶつかった。


「いっいやいや!遠慮します!俺そういうの別にいいから!」
「ああ?てめえに拒否権があるとでも思っているのか?俺を誰だと思ってやがる」
「は、ハロウィンのお化け……」
「そういう事だ」
「ぎゃーっ助けてー!呪い殺されるーっ!」


思わず悲鳴を上げたルークを、アッシュは難なく捕まえる事が出来た。そのまま簡単に逃げられないように、ぽいとベッドの方へ放り投げる。抵抗する間もなくごろりと転がったルークは、同じように転がっていたかぼちゃのランタンと顔を合わせてしまう。くりぬかれた内側から炎を放つこのランタンが、今は恐ろしく感じる。


「呪い殺す訳ねえだろ、そんな事しても俺は何一つ得しねえ」
「そ、それじゃあ食べられちまうんだ……頭からバリバリ食べられて、俺もこのかぼちゃみたいに空っぽになるんだな……ううっこんな事なら台所から何かお菓子をかっぱらっとくんだった……」


後悔しながら枕へ突っ伏すルークの頭を抑えつけながら、アッシュは舌舐めずりをした。その姿はまさに、今から哀れな獲物を貪ろうとする、残酷なハロウィンのモンスターそのものであった。


「……そうだな、半分正解だ」
「は、半分?」
「答えを教えてやろう。ハロウィンの夜は、まだまだ長いからな」


ルークがアッシュの言葉を真の意味で理解するには……。





   人食いジャックランタン襲来





「ん……んー?ああ、朝、か……。昨日はハロウィンだからって変な夢を見たなあ。ジャックランタンのアッシュとか名乗る変な奴が来て部屋に居座った挙句お菓子が無いからって変ないたずらしてきやがって……そもそも何でうちにあんなのが来たんだよ」
「知らねえのか、ハロウィンは死者や精霊や魔女や、そういった厄介なもんが現世に帰ってくる日なんだよ。何の準備もなく10月31日を迎えりゃ、お化けの一つや二つとりつかれたって文句は言えねえんだよ屑が」
「へえ、ハロウィンってそんな日だったのか……って、何でアッシュがまだここにいるんだよっ?!」
「さっき言っただろうが。ハロウィンの日にあんな無防備に美味そうな面晒してやがれば、とりつかれたって文句言えねえとな」
「と、とりつく……?!」

「どうやらてめえと俺は随分と波長が合うらしい。久しぶりの獲物だ、簡単には逃がしはしねえぞ……分かったな、ルーク」


ジャックランタンと過ごす夜は、まだまだ続きそうである。



11/11/01