それは、昔々から続く忌まわしき伝統でした。
村に赤い髪の男の子が生まれると、海の中にそびえ立つ誰もいないお城へ生贄へと出さなければいけないのです。そうしなければ、城の主である女王に呪われて、村が滅びてしまうというのです。その代わり生贄を差し出せば、次の生贄、つまり赤い髪の男の子が生まれるまで、村は平和に守られるという事でした。事実、赤い髪の男の子が生まれるたびに生贄に出しているこの村は、毎年を平和に暮らす事ができていました。
ある周期でかならず生まれる赤い髪の男の子は、とても偉い神様で、城の主の正体ではないかと言われている「聖なる焔の光」、の灰(燃えカス)という意味の「アッシュ」という名前をつけられました。そして時が来るまで村で大事に大事に育てられ、10歳を迎えるとお城に生贄として連れて行かれるのです。「アッシュ」はみんな、将来生贄になるように生まれたのだと言い聞かせられながら育てられるので、今まで誰も逃げ出そうとせず、体が丈夫で優しい子に育ちました。そしてみんな、お城から帰ってきませんでした。




聞こえるのは時折隙間から吹き荒む風の音だけでした。アッシュは城の中にあったカプセルに入れられたまま、それをじっと聞いていました。アッシュを城へと連れてきた村の神官たちはみんなすでに立ち去っていたので、今ここにいるのはアッシュただ1人です。今までの「アッシュ」たちも、この大きな部屋の壁にずらりと並んだカプセルの中に入れられていったのでしょう。しかしそのカプセルのどれにも、誰も入っていなかったのをアッシュは見ていました。一体今までの「アッシュ」たちはどこにいったのでしょう。そして今年のアッシュは、これからどうなってしまうのでしょうか。

短い間だったのか、長い間だったのか。「その時」が来るのをじっと待っていたアッシュは、自分の入っているカプセルが揺れているのに気がつきました。それはとても小さな揺れでしたが、アッシュはすかさず体をじたばたと動かしました。すると、石でできた頑丈なカプセルはぐらぐらと揺れて、ついにバタンと倒れてしまいました。その表紙に外に放り出されたアッシュは、地面に激突して気を失ってしまいました。


アッシュははっと目を覚ましました。額に嫌な汗が滲んでいます。とても怖くて恐ろしい夢を見たのです。
夢の中のアッシュは長い長い階段を登っていました。外はどうやら嵐のようでした。円を描くように上へと伸びている階段は、やがて宙にぶら下がる鳥篭のような檻へとたどり着きます。アッシュがおそるおそる中を覗いてみると、そこにあったのは溢れかえる闇でした。しとしとと闇が地面へと落ちていきます。あまりにも恐ろしい光景にアッシュが壁まで後ずさると、背中をぴったりとつけた壁から闇が現れ、アッシュを取り込んでしまいました。いくらもがいても逃げ切れないその闇からアッシュが救いを求める手を伸ばし、それさえも飲み込まれ見えなくなってしまったその時に、アッシュは飛び起きたのでした。

とりあえず自由になったアッシュは、このお城を脱出する事にしました。広くて静かなお城の中を仕掛けをときながら進んでいくと、やがてさっきの夢で見たような階段を見つけました。一瞬足がすくんでしまったアッシュでしたが、この先の扉は変な像が塞いでしまって通れなくなっていたので、仕方なく階段を上る事にしました。

アッシュが身軽に階段を登っていくと、予想通りに、宙に吊り下げられた鳥篭のような檻が見えてきました。夢の中のものとまったく同じです。アッシュがおっかなびっくり登っていくと、檻の中が見えてきます。そこには闇はありませんでしたが、アッシュはとてもびっくりしました。そこには、人がいるではありませんか。

アッシュがまず目を奪われたのは、その燃えるような赤い髪でした。アッシュの髪も赤い髪でしたが、その人の髪はもっとずっと明るい色でした。まるで神聖な炎が燃え盛っているような、胸がドキドキするような赤い色だったのです。真っ白な服を着た真っ赤な髪のその人は、うつむいていて顔が見えませんでしたが、きっと綺麗な人なんだろうと思いました。


「そ、そこにいるのは誰だ、どうしてその中に入ってるんだ」


勇気を振り絞ってアッシュが声をかけましたが、その人は答えませんでした。それでもこのまま放っては置けませんでしたので、アッシュは近くの仕掛けを動かして、檻を下の地面まで降ろしてあげました。
途中までしか下がらなかった檻の上に飛び乗ったアッシュの重みで、鎖がちぎれて檻が落下してしまいました。アッシュはもちろん地面に放り出され、地面に叩きつけられたショックで硬く閉じられていた檻の入り口は開け放たれました。アッシュがしりもちをついている間に、白くて細い足が檻の中から出てきました。

アッシュは息を呑みました。目の前に立つのは、檻の中にいた赤い髪の人でした。予想通り、いや予想以上に美しい人でした。さっきは見ることが出来なかった瞳は、まるで春に芽吹く真新しい蕾の芽のような新緑の色でした。純粋な光を放つその瞳が、アッシュをじっと見つめてきます。それだけでアッシュは顔に熱が集まるのを感じていました。


「おっお前は誰なんだ、お前も生贄としてつれてこられたのか?」


アッシュがしりもちをついたままそう尋ねると、その人は小首をかしげながら口を開きました。


「――――」


しかしその口から出てきた言葉は(その声もアッシュが今までに聞いたどんな鳥の歌声よりも遥かに澄んだ美しい声でした)アッシュのまったく知らない言葉でした。その人が何と言っているのか分かりません。しかしアッシュには、少し眉を下げる目の前の人が自分を心配してくれているのだと分かりました。きっとその人がとても表情豊かなおかげでしょう。まだ幼いくせに表情をあまり顔に出す事のないアッシュにとってはとても羨ましい事でした。

その人はほっそりとした白い手をおもむろにアッシュへと伸ばしました。思わず固まってしまったアッシュの頬に、静かに手が伸ばされます。しかしその手は、アッシュに触れる事無く遠ざかっていきました。いつの間にかわいて出てきた人型の黒い影に、その人が囚われてしまったのです。アッシュがポカンとしている前で、弱弱しくもがくその人は影に担がれ、どこかへ連れて行かれそうになりました。

そこでアッシュはようやく我に帰りました。慌てて辺りを見回すと、ちょうど手ごろな木の棒が目に入ります。転がるようにそばへ寄ったアッシュは棒を手に起き上がりました。影へと連れて行かれたその人は、何と地面に横たわる闇の穴に引きずり込まれそうになっていました。
飛ぶように駆け寄ったアッシュはその人の手を掴み一気に引き上げました。無事に救出する事ができましたが、影達は再び襲い掛かってきます。アッシュはその人の手を引っ張りながら、無我夢中で木の棒を振り回しました。やがて木の棒に打ちのめされた影達は、姿を消していました。闇の穴もいつの間にか消えていました。アッシュは肩で息をしながら、傍に立つその人を見上げました。


「だ、大丈夫か?」
「―――」


その人が口を開きますが、やはり何を言っているのかさっぱり分かりません。困ったアッシュは、とりあえず先へと進む事にしました。このままここでぐずぐずしていたら、またあの影達が襲い掛かってくるかもしれません。そしてその影達は、皆この人を狙っているようでした。もちろん、その人を1人には出来ませんでした。

少しだけ考え込んだアッシュは、そっぽを向きながら手を差し出しました。言葉は通じませんが、手を繋ぐ事はできます。どこへ行くとか知らせなくても手を引っ張っていけばいいのです。しかし大好きな母上とも恥ずかしくて手をつなげないアッシュにとっては、とても勇気のいった決断でした。

しばらくした後、アッシュの手にそっと柔らかな手が乗せられました。びっくりして思わず振り返ったアッシュは、心臓が止まるかと思いました。手を繋いだその人は、今まで見た事の無いような美しい表情で笑っていたのです。
耳まで真っ赤になってしまったアッシュは、その顔を見られないように少々乱暴にその人の手を引っ張って歩き出しました。しかしばっちり顔を見られていたようで、後ろからクスクスという笑い声が聞こえます。振り返って怒鳴りたい衝動に駆られるアッシュでしたが、そうすればこの人の笑顔を間近で見てしまうことに気付いてぐっと抑えました。これ以上見てしまえば、本当に心臓が止まってしまうかもしれません。


繋がれた手は、静かで寂しいお城の中での確かなぬくもりとして、アッシュの心を包み込みました。
もうこの手を離すことは出来ないと思いました。


この人の手を離さない。俺の魂ごと離してしまう気がするから。





   ASCH

06/08/06