「アッシュー!今度俺の練習に付き合ってくれ!」


そう言ってルークが差し出してきたのは、二枚のチケットのようだった。目の前に突き出されたそれを無言で眺めたアッシュは、受け取らないまま尋ねる。


「練習とは何の事だ」
「練習は練習だよ、なっ頼むよ!一人で行っても意味が無いんだ、寂しいし!どうせ今度の日曜暇だろー?!」
「うるせえどうしててめえが俺のスケジュールを把握してやがるんだよ!そもそも、そのチケットを見せて何の練習だって言うんだ屑が!」


ひらひらと眼の先で揺れるチケットをアッシュは払いのける。それは、数ヶ月前近くに新しく出来た遊園地のチケットだった。刺激的な乗り物が多くあるので、今この辺の若者達の間では大人気なんだとか。そんな遊園地とルークの言う練習という言葉がまったく結びつかず、アッシュはイラッとしてしまったのである。
しかし、払いのけられてもめげることなく胸を張ってみせたルークの言葉に、アッシュはさらにイラつきそのひよこ頭を叩いてしまうことになる。


「デートだよ、遊園地デート!俺のデートの練習に、付き合ってくれよー!」




「そして何故俺はここにいるんだ……」


アッシュは呆れていた。もちろん己自身にだ。あの時あんなにルークの事を怒鳴り散らしたのに、何故自分は遊園地の入り口に立っているのか。ルークとは結構長い付き合いになるが、こうやって何となく押し切られてしまう事は幾度と無くあった。しかし二人そろって我が強い所があるので、もちろん逆の場合もある。今回はアッシュが押し切られてしまう番だった、それだけの事だ。


「お待たせアッシュ!さあ入ろうぜ!」


チケットを交換しに行っていたルークが戻ってきた。満面の笑みですごくご機嫌そうである。アッシュは自分の眉間に皺が寄っていることを自覚しながら、じろりと目の前の笑顔を睨みつけた。


「ずいぶんと機嫌がいいな、まさかてめえ、単純に遊園地に来たかっただけなんじゃねえだろうな」
「あははは何言ってるんだよそんなことあるわけないだろ」
「目をそらすな!」
「いや確かに来たかったのもあるけどさ。だって俺初めてこの遊園地に来たんだ、もちろんアッシュもだろ?」
「まあ、な」


話しながらも二人は歩き出していた。せっかくここまで来たのだから、入り口で話し込むだけではもったいないと揃って思っているからだ。


「いやあ、それにしても色んな乗り物があるなー!まずはどれに乗ろうかな、アッシュどれが良い?」
「俺に決めさせていたら、練習にならないだろうが」
「あれ、俺のデートの練習に本当に付き合ってくれんの?」
「何しにここまで誘ったんだ、てめえは」


アッシュが呆れた眼差しを向ければ、ルークの笑顔がさらに広がっていく。そのまま、嬉しくてたまらないといった様子でアッシュの肩にしがみついてきた。


「アッシュっていつもそうだよなー!心の底から馬鹿にしたような目で散々屑屑言っておきながら、ちゃんと俺に付き合ってくれるんだよな!だから俺アッシュの事好きなんだよー」
「ああ、俺も考えなしですこぶる馬鹿で一度決めたら意地でも曲げないどうしようもない屑なお前が嫌いじゃねえよ」


こっ恥ずかしい事を言ってくるルークに、同じような感じで返してみる。アッシュとしては、それ褒めてないだろーとか憤慨してくるルークを想像していたのだが、いつまで経っても反応が来ない。怪訝に思って振り返って見てみれば、そこには予想外に顔を赤くしたルークがアッシュを凝視して突っ立っていた。


「何をしている」
「え?!あ、いや、そっそうやって返されるとは思ってなかったもんで、ちょっとその……ど、動揺しちゃって」
「これぐらいで動揺だ?だから軟弱なんだよてめえは」


にやりと笑ってみせれば、アッシュが反則だなどと呟きながらも何とか気を取り直して歩き出す。そうしてやっとアッシュに並んできたルークは、ふと口を開いた。


「アッシュ、実は俺、お前に二つ嘘をついてるんだ」
「はあ?」
「一つは、チケットの事。あれ、偶然二つ貰ったから練習行こうぜって言っただろ?」
「……まさか、このためだけにわざわざ自分で買ったと?」
「そうやって、くだらねえ事に金使うんじゃねえ!って怒られそうだったから言わなかったんだー。な?当たってたろ?」


無邪気に笑うルークに、最早怒る気も無くすアッシュ。そのまま早足で追い越していくルークの背中に、アッシュは尋ねた。


「それで、もう一つの嘘とは何なんだ?」


振り返ったルークは、人差し指を唇に当てて、笑いながら言った。


「まだ、秘密!」




言え、言わないの押し問答を繰り広げる二人がまずたどり着いたのは、入り口付近にあるコーヒーカップだった。コーヒーカップ型の乗り物がくるくる回るだけの、あれである。それにルークは目をつけた。


「アッシュ、デートと言えばコーヒーカップだと思わないか?」
「俺が知るか」
「よし、さっそく乗ろう!」
「って本当に乗る気か?!男二人で乗って何が楽しいんだ屑が!」
「実際に乗らないと練習にならないだろ?それに、結構楽しそうだぞ」


ほら、と指差す先には高速で回るコーヒーカップ。男複数で乗り、がむしゃらに回しているようだ。本人達は楽しそうだが、見ているこっちは調子に乗った馬鹿にしか見えない。しかし、


「うわー、あのお兄ちゃん達すごいね!」
「やっぱり男の人はああいう風に力強くなくちゃねー!」


他のカップと明らかにスピードが違うそれを見て、キャッキャとはしゃぐ前に並ぶ女の子達。常人よりもかなり負けず嫌いな二人はそれを見て、無言で視線を交わし。
数分後。


「うえーっ目が回るうー気持ち悪いー……アッシュ、回しすぎー……!」
「回してたのはてめえもだろうが……!くそ、まっすぐ歩けねえ……」


調子に乗ったお馬鹿二人が、コーヒーカップの横でしばらくへたり込む事となった。自業自得である。

近くの屋台から買ったアイスクリームで喉と頭を冷やした後、ルークは意気揚々と次のアトラクションにアッシュを引っ張った。立ち止まったのは、この遊園地の名物でもあるジェットコースターの前であった。入り口で貰ったパンフレットを眺めながら、ルークが空を指差す。


「このあくぜりゅす☆パニックっていうジェットコースターはすごいらしいぞアッシュ。あそこからこの地面すれすれまで勢い良く落下してくるらしいんだ。まるで地面が崩落して落ちていくようなスリルを味わえますってさ。何か俺このジェットコースターの前にいるだけで色んな恐怖が込み上がってくるんだけど」
「ジェットコースターは苦手なのか」
「いや、苦手って訳じゃないんだけど、何故かあくぜりゅすとか崩落とかいう文字を見るだけで悪寒が……。アッシュは?得意なのか?」


尋ねられたアッシュは、たっぷり数十秒黙り込んでから、震える声を抑えるように言った。


「苦手な訳無いだろうが屑が」
「苦手なんだな?」
「ちっ違うと言っている!」
「なら乗ろうぜ!俺だって怖いけど、これを克服したら何かが待っているような気がするんだ!」
「おっ俺はいい!何も待ってないに決まってるだろうが!やめろー!」


アッシュの抗議をものともせず引きずるように乗り込んだあくぜりゅす☆パニック。心が弱い者が乗れば失神するとまで言われているこのジェットコースターに挑んだ結果、二人は。


「………」
「………」


最早何も言葉を発する元気も無くなり、傍にあったベンチに力無く腰掛ける事しか出来なかった。まるで崩落するかのような衝撃、恐るべし。
抜けかけた魂を押し留めるように、アッシュは声を絞り出した。


「だからやめろと、言っただろうが……これに懲りたら、もう二度と乗らない事だな……」
「……アッシュ」
「何だ」
「俺……ちょっと、楽しかった、かも……」
「何っ?!」


ルークの体は変わらず脱力したままだったが、その瞳には活力が戻り始めていた。視線の先には、さっきまで力いっぱい叫びながら乗っていたジェットコースターが空の上を駆け回っている。


「死ぬほど怖かったけど、でもそれが何か楽しいというか……またあの恐怖を味わってみたくなるというか……」
「それは、自ら死にに行くようなもんだろうが!マゾかてめえは!」
「そう、なのかな?そうなのかも……へへへ」
「も、戻って来いルークー!」


いくらアッシュが肩を揺さぶってもルークは戻ってこなかった。それどころか、アッシュまで引きずり込もうと他のジェットコースターに案内しようとするのだ。


「アッシュ!今度はあっちのギンジ・ザ・アルビオールに乗ってみようぜ!女子供向けのノエル・ザ・アルビオールよりずっと怖くて、空中回転までするらしいんだ!怖そうだなー楽しそうだなー!」
「やめろ!俺まで巻き込むなー!」


そうしてすっかり絶叫系にはまってしまったルークに無理矢理つき合わされていたアッシュだったが、さらに3つ4つ程乗らされたぐらいに、ようやく悟りを開けるぐらいになってきた。即ち、恐怖が気持ち良く感じ始めてきたのだ。


「心は疲弊しきっているというのに、身体は次のアトラクションに行こうと身構えている……ふっ、俺もマゾに染まってしまったという事か……」
「人聞きの悪い事言うなよー。あっ見ろよアッシュ!この遊園地のマスコット、ちーぐる星人ミュウの着ぐるみだぞ!相変わらず蹴りたくなる顔してんなー!」
「ちーぐる星人?あれはどう見てもブタザル星人だろうが。おい、蹴りに行くぞ」


途中水色のマスコットにちょっかいをかけて(良い子は真似をしてはいけない)癒されながら、二人はさらに遊園地を駆け巡った。気がつけば、空は夕焼けを通り越して星が輝き始めた時間帯、遊園地が閉まる時間も目の前に迫っている頃になった。初めて来たこの遊園地の乗り物をすでにほとんど制覇したかもしれない、それぐらいの勢いで駆け回ってきたので、アッシュはへとへとだった。しかし同時に、不思議な充足感に包まれていた。いや、むしろ物足りなかった。


「ふん、この遊園地のアトラクションも終わりか、他愛もないな……もっと俺を満足させる絶叫マシーンを持って来やがれ!」
「アッシュー戻ってこーい!それに、アトラクションはもう一つ残ってるぞ」


何だかやけになっているアッシュを引っ張りルークは歩いた。辺りの建物の明かりが園内を幻想的に彩り始めている。その中をひたすら歩いたルークとアッシュは、やがて人気の少ない高台にやってきていた。


「このあたりには何もないようだが?」
「時間的にそろそろなんだけど……あっ、ほら!」


時計を確認したルークが、ぱっと指差したのは空だった。空に一体何があるんだ、と釣られて視線を移動させながらも文句を言おうとしたアッシュだったが、言葉はそのまま出てくる事は無かった。まず目の前に咲いたのは大きな大きな光の花、そして腹に響く程の気持ち良いドンという音。花火だった。それも最初の一発以降、次々と暗くなった夜空に打ち上げられる。空にふりまかれる光の洪水は、何も遮るものが無いこの場所から余すことなく見渡す事が出来た。アッシュは思わず感嘆の息を零す。


「なるほど、これが最後のアトラクションか」
「閉園間近に打ち上げられる、この遊園地名物の花火だってさ。この場所だけは予習してきたんだぜ?まだ知っている人があんまりいない格好の穴場だって」
「予習してきてるんなら、練習の必要は無いんじゃねえか?」
「実際にこの目で確かめないと駄目だろ?でもよかった……本当に綺麗に見れるな」


花火が咲き乱れる空を見つめるルークの瞳は、咲いては散っていく花火と同じ色に次々と染まっていく。その表情があまりにも満足げなので、アッシュの心もいつの間にか、何だか満たされていた。
思えば遊園地自体には来た事はあるが、こんなにはしゃぎ回れる相手など目の前のこの友人相手ぐらいだ。他の誰と来たって、こんな風に心の底から遊ぶ事は出来ないだろう。相手がルークだからこそ、こんなに遊園地を楽しむ事が出来た。それを自分で分かっているから、誘われた時断らなかったのかもしれない。普段は憎たらしい言葉の応酬を繰り広げたりするが、間違いなく、口下手なアッシュにとってルークは心を許せる特別な相手だった。今それをしみじみと実感する。
何だか不思議な気持ちに陥っているアッシュの隣。花火を見つめながら、ルークがふいにぽつりと呟いた。


「二つ目の嘘」


花火は変わらず音を立てて打ち上げられているが、不思議とルークの言葉が遮られる事は無かった。そのまま途切れることなく、アッシュの耳に届いてくる。だからアッシュも、そのまま聞いた。


「答えようか」
「何だ」
「練習っていうの、嘘だったんだ。俺、今日がデートの本番のつもりで、ここに来たんだ」


アッシュが視線を向けると、ルークの顔色は青い花火が上がっても緑の花火が上がっても、その髪色みたいに真っ赤なままだった。緊張に身体を固めながら、まるで泣き出しそうな瞳をひたすら空に向けている。そんなルークの横顔を眺めていたアッシュの中に、一つの感情が芽生えた。そしてそれはきっと、ルークが今抱いているであろう気持ちときっと、そう変わらないもので。
それを自覚したアッシュは、自然と手を伸ばしていた。肩を掴み、ルークをこちらに振り向かせた後、瞳と瞳を合わせながらアッシュの口は、ある言葉を発するために開き、


「……ルーク、俺は、」





   そうして響いた花火の音





花火の音にかき消された言葉が、相手に届いたのか。
アッシュは知っていた。ルークの顔が、まるで泣き出す寸前のように、くしゃりと笑ったから。




11/09/25