「なあアッシュ、ホワイトデーは何が欲しいんだ?」
普通の世間話をしている中で突然こんな事を言われたアッシュは、口から心臓が飛び出すかと思うぐらい驚いた。もちろんそれを顔には出さない。出ていない、はずだ。本当にいきなりの言葉だったものだから、さすがのアッシュの鋼鉄の仮面もはがれかけるというものだ。
「何だよ、この前俺が言ってた事もう忘れたのかよ」
やっぱり多少顔に出ていたのか、ルークが頬を膨らませる。アッシュは心の中だけで、覚えていない訳がないだろうと叫んだ。もちろん口には出さない。
「何の事だ」
「バレンタイン、の前の日にチョコくれた時言っただろ?ホワイトデーのお返しは何がいいかって!」
「待て……色んな意味で少し落ち着いて、とりあえず黙れ」
身を乗り出してくるルークの肩を抑えて、アッシュはやっとの思いで押し留めた。
言いたい事は沢山ある。あの時は確かにそういうつもりでチョコレートパフェを頼ませたが、それは自分の心の中だけの事で、傍から見ればただパフェをおごってやっただけで決してバレンタインにチョコをあげたと見れるようなものではない。確かにホワイトデーのお返しについて聞かれたがさりげなくはぐらかしたし、あの時のルークはそれ以上つっこんで聞いても来なかった。あれから一ヶ月は経つがその間ホワイトデーなんて話題にもならなかったのだ。それなのにどうしていきなりこんな事を言いだすのだろうか。
それに何より。クラスメートがこんなにいる中で大声を上げるなと。
「何?アッシュってルークにチョコあげてたの?ふーんへーそうなんだーなるほどねー」
「もらったのなら、お返ししなきゃいけないですものね。ルーク頑張って下さいね」
「ラブラブだーラブラブー!」
「黙れそこの緑三兄弟!」
真っ先に聞きつけたシンクとイオンとフローリアンがこちらをにやにやと眺めている。少し離れた所にいたアニスとナタリアとティアも驚きの目を向けていた。
「確かに今友チョコ流行ってるけどーまさかバレンタイン嫌いのあのアッシュがチョコあげるなんてっ!完全にリサーチ不足だったよー!」
「まあアッシュったら!わたくしのチョコは今チョコを食べると死んでしまう病気だからと言って断ったのに自分はチョコをあげていたなんて!話が違いますわ!」
「それ以前に男の子から男の子へのチョコって、珍しくないかしら……?」
それだけでない他の周りにいた生徒もひそひそにやにやとこちらを見ている。当然だ、だってここは僅かな休み時間の間の教室なのだから。アッシュが何か弁解の言葉を発する間もなく、無情なチャイムが頭の上に鳴り響く。それぞれ何か言いたそうな顔をしながらも全員自分の席へと戻っていった。最後にアッシュのもとを離れたルークは、呑気な笑顔で片手を挙げ、
「じゃっ放課後までに何が良いか考えといてくれよな!」
と言い残し戻って行った。最早何も言う事が出来ずにその背中を見送るしかなかったアッシュが、その後の授業が何一つ身に入らなかったのは言うまでも無い。
ルークはどこか人の好意に疎い所がある。いや、人のどころか自分の気持ちにさえ疎いのだろうと思わずにはいられない。それぐらい、鈍い奴だった。ルークはバレンタインの時にもアッシュの事だけを羨ましがったりしていたが、傍から見ればルークだって十分にモテているのだ、ただ本人がそれに気づいていないだけの話なのである。だからこそアッシュも気づくまいと分かっていて微妙なアプローチを続けていられるのだ。
それなのに、今日はどうした事だろうか。アッシュは悩んだ。いつものルークならああいう場面でくすくす笑われれば、別にそういう意味で言ったんじゃねーと顔を真っ赤にして周りに怒鳴る所だと思うのだが。それとも本気で友チョコとしてのやりとりとして割り切っているからあんなに平然としていられたのだろうか。何にせよ、これでアッシュがしばらくクラスメートにからかわれる事は決定したも同然だ。
ルークの考えはともかく、今はこの場から逃げようとアッシュは決意した。今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが教室に響き渡った瞬間だった。音を立てて席から立ち上がったアッシュは、終わったーと伸びをするルークの元へすかさず近づき、その腕と鞄を引っ掴んで教室を後にしたのである。
「わわっアッシュ何だよそんなに急かすなよー!」
「うるせえ!一体誰のせいだと思ってる!いいからさっさと来い!」
こんなに慌てて逃げ出せば余計に後でからかわれる事となる事は重々承知していた。それでもアッシュは、少なくともまだ衝撃から立ち直れていない今だけは誤魔化しきれる自信がなかったので、逃げ出すしかなかった。
だって、嬉しかったのだ。ルークがあのバレンタインにした約束(と言ってもルークから言ってきた一方的なものだったが)を覚えていた事が。ホワイトデーにお返しをしようと思ってくれた事が。そのせいで顔が緩んだり赤く染まったりするのを抑えるのに必死で、他の事に気を回している場合ではないのだ。
学校を飛び出し、しばらく早足で駆けた所でようやくアッシュは足を止める事が出来た。これだけ急いで離れれば、しばらく他の生徒は近くにやってこないだろう。
「もー、アッシュ、急ぎ過ぎ……!」
ぐいぐい引っ張ってきたせいで肩で息をしているルークの手を、アッシュはようやく解放した。そうして改めて睨みつけてやれば、うぐっと言葉を詰まらせたルークが一歩後ずさる。
「ルークてめえ……教室でよくもあんな事のたまいやがったな……」
「だ、だってチョコくれたのは事実じゃんか」
「それは!……」
ただたまたまパフェをおごってやっただけだ、とはどうしても言えなかった。だって本当はルークの言う通りの意味で遊びに誘ったのだから。ぱくぱくと口を開け閉めしたアッシュは、首を傾げるルークにやっと声を絞り出す。
「……あんな大声で喋れば、注目されるに決まってるだろうが」
「悪かったよーどうしてもアッシュにホワイトデーのお返しをしたくってさ」
「ふん……」
お金はあんまり無いけど、と笑うルークにこれ以上何も言えなくなって、アッシュは視線を逸らした。ルークがこうして無意識にアッシュへと向けてくるこの笑顔に、本当に弱かった。ルークは元々人懐っこい性格なので回りに自然と人が集まってくるタイプだが、そんな友人たちに向ける笑顔と、ルークが本当に大事に思っている人に向ける笑顔に違いがある事を、ずっとルークを見てきたアッシュは知っていた。自分に向けられる笑顔が、後者の笑顔だという事も知っていた。だからルークの笑顔には、アッシュは絶対に勝てないのだ。
「なあなあ、お返し何が良いんだ?何でもいいからとりあえず言ってみろって」
「まだ決まってねえよ」
「なーんだ。それなら決まるまで待つか」
どこへ行くかも決まらないまま、とりあえず二人は歩き出していた。今日はアッシュが引っ張ってここまで来たが、無計画なルークがアッシュを引きずって目的地も無く町へ繰り出すのはいつもの事であった。
後頭部に手を回して前を歩くルークが、ふとアッシュを振り返ってきた。問いかける様に視線を向ければ、戸惑うように目を逸らす。
「何だ」
「いや……そういえばアッシュ、アッシュも誰かにホワイトデーのお返しするのか?」
「ホワイトデーのお返しだと?」
「つまり、バレンタインの日にチョコ貰ったのかって事!あの日アッシュ休んじまって、結局聞けてなかったし」
ルークに問われて、アッシュはバレンタインデー当日を思い出していた。チョコと言う名の何か凶悪なものを渡されるだろうナタリアには事前に断っていたし、匿名のチョコを貰いたくないがためにずる休みをしていたのでチョコは一つも貰ってはいなかった。別の日に渡されそうになっても、全力で断ったり逃げたりしたのでホワイトデーにお返ししなければならないような人はいない。アッシュはルークに首を振ってみせた。
「一つも貰ってないから、しないな」
「ほ、本当か?いつもバレンタインには女の子に追いかけられたりしてるけど」
「だから休んだんじゃねえか。俺は元々あまりチョコを食わないからな、貰ったって迷惑なだけだ」
「あー、そっか、それじゃあ、俺以外にアッシュにホワイトデーのお返しする奴は?」
「……俺が誰彼構わずチョコを配り歩く訳ないだろうが」
アッシュが呆れたため息を吐けば、そっかそうだよなーとルークはしきりに頷いていた。どうやら納得した様子だが、どうしていきなりそんな事を聞いてきたのだろうか。アッシュは少し気になり始めていた。
「どうして唐突にそんな事を聞く」
「え?いや、何か気になってさ」
「何故だ」
「何故って……」
アッシュに尋ねられてルークは考え込んだ。様子を見るに、ルークも自分の心を図りかねているようだった。悩みに悩んだルークは、ようやく顔を上げてアッシュを見る。
「本当にただ気になっただけなんだ。アッシュはバレンタインにチョコ貰ったのかなーとか、俺以外の奴にチョコやったりしたのかなーって、猛烈に気になってさ。今思うと何か不思議だな」
「ああ?」
「実はと言うと、今日教室で声をかけたのも、そういうのが気になったからなんだ。今日はホワイトデーだから、アッシュも俺以外の誰かに何かあげたりもらったりすんのかなーって考えてたら、自然と声が大きくなってたというか」
何でだろう、と自分で自分に首を傾げるルーク。アッシュは気づかれないように絶句していた。ルークには分からないらしいルークの気持ちが、アッシュには分かったような気がしたからだ。その気持ちに、とても心当たりがあったからだ。
バレンタインデーの日、ルークは他の誰かにチョコを貰ったのだろうか。チョコをあげたりしたのだろうか。ホワイトデーの日、ルークは他の誰かにお返しをするのだろうか。お返しをされるのだろうか。全部、アッシュが思っていた事だ。ルークに恋をするアッシュが考えていた事だ。
そして、もしそういう相手がいるのだとしたら。自分の存在を知らしめたいと思った。自分だってルークに(遠まわしだけど)チョコをあげて、ホワイトデーを貰う約束しているんだぞと、牽制したいと思った。まあそれは実際には死んでも無理な事だが。
そう、例えば今日ルークが教室でしてみせたように。わざと大声で、自分はチョコを貰ったんだぞと宣言するかのように。
「……それは」
まさかと思った。そんな訳がないと思った。しかしそれ以上に、アッシュの心臓が音を立てて鼓動する。ルークはさっき言った通り、鈍い奴だ。他人の好意にも、そして、自分の好意にも。もしルークが、現在進行形で自分の気持ちに気づいていないとしたら?それでも無意識に、独占欲みたいなものが行動に現れていたとしたら?
まさかとは思うが、絶対にないとは思うが。アッシュは思い切って、ルークに言った。
「それは、まるで」
「ん?」
「恋をしているような言動だな」
ルークは目をぱちくりさせてアッシュを見つめている。頭の中でアッシュの言葉を考えているようだ。
「恋?」
「ああ」
「何で?」
「……俺にも、心当たりが、あるからな」
アッシュはじっとルークの目を見つめた。ルークもじっとアッシュの目を見つめてくる。ほとんど同じ色の翡翠の瞳が、真正面からぶつかり合った。
いつもいつもアッシュを引っ張り回すルーク。アッシュが呼べば他の用事もほっぽいて駆けつけてくるルーク。アッシュとの約束だけは絶対に破らないルーク。アッシュに、とびきりの笑顔を見せてくれるルーク。思い出していく度、今まで見てきたルークの全てが、アッシュの自信に変わっていく。
そうだ、アッシュは誰よりも近い場所で、誰よりも長く、誰よりも強くルークを見てきた。
だからこそ分かる。ルークが今、何を思い浮かべているのかを。誰を思い浮かべているのかを。
「恋って……誰が、誰に……」
ルークはゆっくりと瞬きをする。アッシュは瞬きもせずにその瞳を見つめ続けた。ルークは一生懸命その意味について考えているようで、瞳がゆらゆらと迷うように揺れている。しかしどうやら、徐々に答えが見つかり始めたようで。
「……えっ?」
一つの結論に辿り着いたルークの顔が、アッシュが見つめる目の前でまるで音を立てたかのように一気に、ぼんっと赤くなった。あわあわと手を振り回して、しかしアッシュからは視線を外せないまま導き出された答えに戸惑っている。それを見て、アッシュは確信した。
この勝負、勝てると。
「ルーク」
「なっ?!なななな何っ?!」
「ホワイトデーのお返し、決まったぞ」
「ええっ?!」
アッシュは一歩ルークに近づいた。その顔には今までにない絶対の自信が溢れていた。ずっとルークを見続けてきたからこその、揺るぎない確信だった。
ルークがいつから気づいていなかったのか、それは分からない。しかし一つだけ確実な事がある。ルークが気づかなかった月日の分だけ、アッシュが無駄に恋焦がれてきたという事実だ。
この落とし前、どうつけてくれようか。
「何でもいいって、てめえは言ったよな?」
「え、あの、その、えっ?」
「……先に言っておくが、俺の溜めに溜めまくったこの想いは、重いってもんじゃねえからな」
覚悟、しておけよ。
あれ、片思い?
11/03/22
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