ルークが到着したとき、そこはすでに修羅場だった。
酒のにおいがあちこちに漂う一軒の居酒屋だった。店員に奥の座敷に通されたルークはそれを見た。


「世の男どもは女を年齢でしか見ていない。私のことを年増などと……あの新入社員覚えていろ一人では手に負えないような仕事を押し付けてやる……」


焼酎瓶を抱きながら何やら恨み事を呟いているリグレット。


「あーっはっはっはっはっは!ははははあっははははははっはっはっはっは!あははごほっごほごほごほっ!あーはははは!」


咳き込みながらも一人で高笑いを繰り返しているディスト。


「くだらない事でみんな経費経費経費飲み屋まで経費で落としてそれを残業してまで処理する僕って一体何なのねえ何なのもうやだ残業やだ残業なんてこの世から消えうせてしまえばいいんだ」


空のコップを握りしめながらブツブツと泣き言を言っているシンク。


「ううっやめてくれティア……いくら可愛くなくともそれは私のアイデンティティなのだ……切るわけにはいかない……」


床に大の字に倒れ髭を引っ張られながらも目を覚ますことなくうなされ酔いつぶれるヴァン。


「うふふ……これを、思いっきり引っこ抜いたら……面白そう、です……」


怪しい笑みを浮かべながらヴァンの髭を引っ張るアリエッタ。


「………」


テーブルの上に突っ伏して撃沈しているアッシュ。


「おお、来たか」


そして一人平気そうな顔で、マイペースに酒を煽るザルなラルゴ。彼がルークをここへ呼び出した張本人だった。
見事とも言えるような惨状に、ルークはとりあえず乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「えーっと……とりあえず、これは何があったんですか」
「いつもの飲み会だ」
「いつもこの惨状?!」


死屍累々と言い表すのがしっくりとくるほどのこの光景がいつもの事らしい。こんなことになっているなんて、アッシュから一言も聞いたことがないルークは言葉を失う。

こ れは、アッシュの職場の飲み会、のはずだ。年末は仕事が忙しくて忘年会をすることが出来なかったから新年会として年始にまとめてやるのだとアッシュが話し ていた。このアッシュの同僚たち自体には、ルークも以前にアッシュを通して会った事はある。確かあの髭を引っ張られているヴァンがこの中で一番偉かったは ずなのだが、一番情けない姿で転がっていた。


「だが確かに今回は一番ひどい有様かもしれないな。アッシュもここまで酔いつぶれる事はいままで無かったのだが」
「ああーですよね、いつもきちんと一人で歩いて帰ってきてたのに」


とりあえず入れと手招きするラルゴに礼を行って部屋の中へ踏み込む。アッシュの元へと近寄るが、アッシュはピクリとも動かなかった。


「おーいアッシュー迎えにきたぞー帰るぞー」
「………」
「ずっとその調子だ。手があいていれば送り届けてやる所だったのだが……すまないな」


まだこいつらがいるから、とラルゴは部屋を指し示した。つまりは、酔いつぶれている面々も含めてこの惨状の後始末をしなければならないのだろう。毎回やっているのだと思うと頭が下がる思いがする。


「アッシュー、おいこら聞こえてんのかー」
「………」
「聞こえてねえなこれ……仕方ないな、引きずって帰るか……」
「アッシュ、今日はたくさん、飲んでたです」


両手で肩を持ってアッシュをぐらぐら揺らしていたルークに、そのとき声がかけられた。さっきからヴァンの髭を引っ張っていたアリエッタだった。ものすごく幼く見えるが、これでも二十歳は超えているらしい。今度はヴァンの頭のちょんまげを引っ張り始めている。


「なんでも、昨年やり残したことがあるって、言ってたです」
「やり残したこと?」
「それが悔しくて、たくさん飲んでた、です」


どうやら今回は羽目をはずしたためこの有様となったようだ。それにしてもアリエッタはどうしてこんな事を知っているのだろうか。そうやって考えていたら顔に出ていたのだろうか、やっぱりちょんまげをひっぱりながら教えてくれた。


「アッシュ、飲みながらブツブツうるさかったです」
「……なるほど」


アッシュは酔うと愚痴を言いやすくなるらしい、意外だった。ちょっとその愚痴の内容を聞いてみたかったところだ。今度は2人で飲みにでも誘ってみようかとひそかに計画しながら、ルークはラルゴを振り返った。


「それじゃ、こいつ連れて帰ります」
「ああ気をつけてな」


ラルゴはというと、笑いすぎて声が枯れてぴくぴくしているディストとまだ何かを呟いてるシンクを軽々と担ぎ上げた所だった。こんな男らしい大人になりたかったとルークは思ったが、誰かが聞いていればおそらく全力で止めた所だろう。
アッシュの片手を首にかけて、ルークは引きずるように居酒屋を出た。説明してくれたアリエッタがとても酔った様子に見えなかったので、まさか素面で髭やちょんまげを引っ張っていたのだろうかとか考えながら。




「ただいま!あー重っ!同じ身長だとさすがにきついな……」


玄関のドアを蹴破る勢いで開けたルークはそのまま靴を脱ぎ捨てて居間に直行した。そしてそこに置いてある大きめのソファにアッシュを放り投げる。居酒屋から我が家まで結局ひとつも動くことは無かった。
こ の家には現在アッシュとルークが2人で住んでいる。いわゆるルームシェアという奴である。元々幼馴染で昔からずっと一緒に過ごしてきた相手だったので、社 会人へとなる際アッシュから話を持ちかけられたときルークは二つ返事でOKした。一人で生活するのは何かと不安もあったし、一緒に住むのが気心知れたアッ シュであれば何も心配は無かったからだ。
こうして互いに互いの面倒を見なければならない事もあるが、面倒を見てもらう比率を言えば圧倒的にルークの方が多いので、今日はかなり珍しい事だった。


「アッシュいい加減起きろよ、せめて着替えてから寝た方がいいぞー」
「……ん」


部屋の電気をつけながら声をかければ、やっとアッシュが少し身じろぎした。我が家に帰って来た事が分かったのだろうか。このまま二度寝されたら困るので、ルークはアッシュの耳元まで顔を寄せて大声を上げてみた。


「アーッシュー!起きろーっ!」
「……うるせえ……」


そうするとかなり低い声が絞り出されてきた。寝起きのアッシュはすこぶる機嫌が悪いので少しビビるルークだったが、しばらく様子を伺っているとうっすらと目を開けてこっちを見てきた。とりあえず愛想笑いをしてみれば、アッシュは半眼のままさらに眉間に皺を寄せた。
何か気に障る事でもしただろうか。


「アッシュ?」
「……近い」
「は?」


アッシュが呟いた言葉が聞こえなくて、近づいていた顔をさらに近づけようとしたルークは顔面に襲い掛かってきた何かにとっさに反応が出来なかった。後でその何かがアッシュの手であったのだと気づいたのは、起き上がったアッシュにソファへと引きずり倒された後であった。
目を回しながらもルークが見上げれば、そこには酔いがまだ醒めない瞳がこちらを見ていた。


「ってえーな、何すんだこの酔っ払い!」
「酔っ払って何が悪い、酔っ払いは駄目だと誰が決めたんだ、ああ?」
「あー駄目だこいつ本格的に酔っ払ってるし!いいからとりあえずどけっつーの」


肩を押して抜け出そうとするが、酔っ払っているくせに妙に力が強かった。いや酔っ払っているがこそなのか。じたばたともがくルークをじっと見つめながら、アッシュは苦々しそうに呟く。


「いつもいつも人の気を知りもしないで飄々としやがって……いつまでたってもいつまでたっても……」
「えっ何?居酒屋で愚痴ってた続きか?」


ルークが首をかしげる間にも、アッシュは一人で色々呟いている。だがしかし視線は相変わらずルークに注がれたままであった。ちょっと居心地が悪いなあと考えているルークは、そのアッシュの愚痴が一体誰を指しているのか、さっぱり気付きもしない。


「ずっと昔からそれこそ物心つく頃から何度も何度も遠まわしにやってきたというのにひとつも気付きやがらねえ……何なんだ、俺はそこまで眼中に無いというのか、そうなのか?」
「俺に聞かれても……つーか何のことだかわかんないし」
「最初に間違えたのか?それとももっと直接的にいっておけばよかったのか。長年経ってここまで来たら最早何と言えばいいのか……」


一応受け答えしてみるルークだったが、アッシュはどちらかといえば返事を期待しているわけではなさそうだった。ただひたすら愚痴っているだけだ。やっぱり酔っ払っているのだ。ルークは仕方がないなあとばかりにアッシュの頬をぺちぺちと叩いた。
今のこの状態も酔った勢いで自分が何をしているのか分かっていないのかもしれない。ルークはそう思った。アッシュは何かとストレスや不満を内に溜め込むタイプだから、酔いと共にそれが無意識のうちに表に出てきているのではないか、と。
それならば、同居人の自分が少しでも晴らしてやらねば。


「お前が何に悩んでいるのか分かんねえけど、悩んでるよりは実際に行動した方がいいぞ?誰かに不満があるんならそれを本人にズバっと言ってみるとか。すっきりするぜ?あ、解決は出来るか分かんねえけど悩みがあれば俺も聞くしさ、な?だからあんまり溜め込むなよ」
「………」


ルークは出来る限りアッシュを思いやって言ったのだが、アッシュはさらに微妙な表情になった。何を間違えたのだろうか。ハラハラしながら見守っていれば、アッシュはしばらく悩むように黙り込んだ後、うっすらと口を開いた。


「……っ」


が、 そこから何も出てこない。何かを言おうとするが、言葉が何も出てこないようだった。そこまで深刻な悩みでもあるのだろうかとルークは心配する。それが顔に 出ていたのだろう、さらに何かを言おうしようとしてうろうろと手をさ迷わせたアッシュは、結局すべてを諦めたように倒れこんできた。


「わっ!」
「……今ここでそれが出来るなら、とうにしている……!」


去 年こそは言おうと思ったのに出来なかったとか、今年こそは言ってやるとか、でも今はちょっと心の準備がとか、色んなことを呟きながらアッシュはルークを羽 交い絞めにした。アッシュが何に思い悩んでいるのかさっぱり分からないルークだったが、とりあえず今のアッシュが何かに勇気を振り絞りきれなかった事は分 かった。酒の力を借りても踏み込む事が出来ない重大な悩みがアッシュの中にはあるのだ。
そんなアッシュが可哀想になってきたルークは、お酒の匂いが香る腕の中から目の前の真紅の頭をよしよしと撫でてやった。


「何つーかお前も大変だな、色々と。まあこれからも頑張れよ」
「……覚悟しとけよてめえ……」
「え、何で俺?」


その強靭な理性のせいで酔っ払っても虎にもなりきれないアッシュは色んなものに打ちのめされながら、今は頭を撫でる感触と腕の中のぬくもりで満足するしかなかったのだった。





   虎になりたい

10/01/07