若干息を切らせてその場に駆けつけたアッシュが見たものは、ある意味修羅場みたいなものであった。


「おらぁっおれのレモンが食えねえってのかよガイぃぃぃ!」
「ぐはあっやめてくれルーク!いくら何でも丸齧りは無理だーっ!」
「うふふ……レモンを持ったルークも可愛いわ……」
「おーっほほほほほ!!」
「むにゃむにゃ……この世の全ての財産は私のもの……」
「おや、意外と早かったですね」


ど こから持ってきたのか生レモンを押し付けるルーク、それから逃げるガイ、うつろな瞳で微笑むティア、ひたすら笑い声を上げるナタリア、物騒な寝言を呟いて いるアニス、そしてこんなカオスな空間の中で1人平然とした表情で振り返って来るジェイド。思わず回れ右して引き返したくなったアッシュだったが、そうい う訳にもいかなかった。
仕方なく、この中で唯一会話が出来そうなジェイドに話しかける。


「てめえが早く来いと言付けしやがったんだろうが」
「確かに言付けましたが、視察から帰ったばかりでしょう。疲れや後始末もあると思いもう少し掛かると踏んでいましたが、いやあ予想外でした」
「……黙れ」


よほど心配だったんですかと嫌な笑顔で問いかけてくるジェイドを殴りたい衝動をぐっと堪えるアッシュが屋敷に帰ってメイドから言付けを預かったのは先程の事であった。その内容は、

『あなたの大切な子は預かっています 返して欲しければすぐに城へ取りに来なさい』

と いうもの。嫌味ったらしい丁寧な文字で誰が送ってきたかは分かったし、例え名前が無くとも「大切な子」と言われれば(少々不本意だが)誰の事か一発で分か る。だからこそ帰ってきたばかりだというのにバチカル城へと駆けつけた訳だが、通された部屋ではこの有様だ。あちこちに転がる酒瓶を横目に、アッシュは重 い重いため息を吐いた。


「確かに今日は同窓会だとか言ってずっと前からはしゃいでいやがったが……」
「まあこの顔ぶれが一堂に会する事は今となっては難しいですから、少々羽目を外すのも仕方がありませんよ」
「外しすぎだっ!おいこの屑酔っ払いが!」
「んあ?」


酔いつぶれる面々に舌打ちして、アッシュはレモンを投げつけるルークの襟首を掴み上げた。ポカンと口を開けてこちらを見つめる赤ら顔にアホ面晒してんじゃねえと怒鳴りかけたアッシュだったが、ルークの方が先に声を上げていた。


「あーっあっしゅだーっあっしゅおかえりー!!」
「ぐふっ!」


唐突に腹へと突進してきたルークの頭突きをまともに食らったアッシュは一瞬息に詰まった。足を踏ん張って何とか持ちこたえると、ルークはそのまま腰に抱きついたままぎゅうぎゅうと締め付けてくる。酔っ払いの力は手加減無しだった。


「遅いぞーおれあっしゅのことずーっと待ってたんだからなあ」
「今回の視察は帰りが遅くなるとずっと前から言っていただろうが」
「うるせえおれのこと置いていきやがってあっしゅのばかあー!おれすっげえつまんなかったんだぞー!」


駄々をこねるようにろれつの回らない声でさらに締め付けてくるルークに、息が詰まりそうなアッシュはひとまず落ち着かせるために軽くその頭に触れてやる。撫でてもいないのにそれだけでルークはにへらと笑って落ち着いたようだった。


「えへへ、あーやっぱアッシュは抱きつきごこちがさいこーだなあ」
「馬鹿言ってねえで帰るぞ。……いいな?」


最後の問いは他のメンバーへのものだったが、ようやくレモン地獄を抜け出す事が出来たガイがヘロヘロになりながらも頷いてくれた。


「ああ、連れて帰ってやってくれ。ルークの奴、確かに俺達と会えて楽しそうにしていたが、アッシュがいなくて寂しいだの何だのうるさかったからな」
「ええまったく、このままだと延々と惚気を聞かされそうになったもので酔わせてみたのですが、逆効果でしたね。後片付けはこちらでやりますので、さっさとその駄々っ子を持って帰って下さい」


シッ シッと手で払ってみせるジェイドにムカつくが、ここはお言葉に甘える事にした。女性陣は何か完全に潰れているようなので返事は期待していない。ただ皆明日 それぞれ仕事があるはずだが大丈夫だろうかなどと心の中で少し心配しつつ、まだ何かむにゃむにゃ呟いているルークを抱えてアッシュは酒臭い部屋から脱出し た。


「んーあっしゅーどこいくんだー?」
「帰ると言っただろうが屑。こんなに酔いどれやがって、明日になったら覚えていやがれ……」


静かな城の廊下をキビキビと歩くアッシュ。しかし不意にその足取りが重くなった。歩みを妨げるものが存在したからだ。抱えられたまま急にじたばたともがきだしたルークだった。


「やーっ帰らないーっ!」
「てめ……!いい加減にしろ!何が不満だ!」


こっ ちは帰宅早々急いで迎えに来たというのに、とルークの拒否反応にちょっぴり傷つくアッシュであったが、ルークの酔っ払いの力での駄々っ子に負ける訳もない のでそのまま突き進む。明日のお仕置きをどうしてやろうかとやや物騒な事を考えていたアッシュの頭に、べそをかくルークの情けない声が届いた。


「だって、だってあっしゅは帰ったらまたすぐ出てくんだろ?」
「ああ?」
「あっしゅはいっつも忙しいから、おれのことなんてどーだっていいんだ!おれ帰りたくねえーっ!」


う わーんと声を上げてもがくルークは完全な酔っ払いだ。だがしかし、酔っ払いだからこそ見えてくる本音も、あるのだろう。確かにここ最近アッシュは忙しくて 留守しがちであった。そしてアッシュに比べてまだまだ勉強が必要なルークは、毎回留守番をしているのだった。その不満が今出て来ているのだろう。
城の廊下で、巡回する兵士が何事かとこちらを見つめてくるのが恥ずかしかったが、アッシュは足早に通り過ぎていく。


「……仕方がねえだろうが、仕事なんだ」
「うるさいうるさいあっしゅのばかー!しごとのばかー!」


今 はこうして駄々をこねるルークだが、頭の中では仕方の無い事だと分かっているだろうという事をアッシュは知っている。普段はこういう文句は一言も言わな かったし、少しでも追いついてアッシュの負担を減らせるようにと毎日勉学に励んでいるのだから。ただ理性の奥にある欲望が、酔いのせいで抑えきれずに表に 出てきてしまっているだけだ。


「あっしゅうー……おれさびしいんだぞ、すっごくすっごくさびしいんだからな……」
「分かったから、少し黙れ」


背中をあやすようにぽんぽんと叩いてやれば、それだけで大人しくなり嬉しそうに微笑むルーク。屋敷を離れがちな今の現状を、ルークと同じようにアッシュも恨めしく思っている事を知ったら、この酔っ払いは何と言うだろうか。


「うへへへー、あっしゅ大好きー!」


素面じゃどもりながら何とか搾り出す事が出来るほどの言葉を容易く放ってしまうルークの火照った笑顔に、おそらく明日には今の事を覚えていないだろうと踏んだアッシュは、自分も酔っ払った気分になって、ほんの少しだけ素直になってみる事にした。


「……ああ。俺もだ……」


そのままそっと顔を寄せれば、ほろりとお酒の味がした。

翌朝、二日酔いの激しい頭痛に見舞われたルークがベッドの中で昨夜の出来事を覚えているかは、当人のみぞ知る。





   酔いが見せた夢

09/05/21