氷のように冷たいガラスの向こう側は、一面真っ黒だった。いつもの景色だ。いくつもの木が所狭しと生えまくるこの森の中はいつだって暗闇に支配されているのだ。まあこの上なく魔法使いっぽい雰囲気が醸し出されてていいんじゃねーの?ちょっとジメジメしすぎていると思うけど。暗いのが嫌いって訳じゃないけど、たまには明るくてもいいんじゃないかな、特に今日なんかは。
外を眺めていて知らず止まっていた足を再び動かし始める。腕の中にある数冊の本がめちゃくちゃ重くて、早く運ばないと腕が痺れてしまいそうだ。ったくあのロクデナシご主人め、俺の事散々こき使いやがって……。
何だか歩いているうちにイライラしてきて俺はその腹いせに目の前の扉を足で思いっきり開けてやった。ひんやりとした廊下から暖炉の火が暖める室内へ入ると、いくらイラついていても多少はホッとした。
「遅い、一体どこで油を売ってやがったんだ」
勢い良く開いた扉の音にもピクリとも反応せずに、こちらに背中を向けて熱心に机へと向かうのは俺のご主人様だ。一応、な。いくら半分騙されたような形で契約を結ばされたといっても、事実は事実だ。実際実力はあるしなこいつ……。
俺の名前はルーク、使い魔だ。んでこのご主人様の名前がアッシュ。死んでも「ご主人様」なんて呼んでやんねーけどな!俺はアッシュの命令で書庫から持ってきた本を叩きつけるように机の上に乗せた。叩きつけるといっても身長がちょっと足りなかったからそんなに勢いはつけられなかったけど。仕方ないだろ、使い魔っつーのは基本的に人間の子どもサイズがデフォルトなんだから。俺だって少し気にしてるんだからな!
今日は色んなことがイライラしてしまう。少しでもこの苛立ちを紛らわせようと、自然と尻尾が床を叩いた。そう、尻尾。いくら使い魔といっても動物の尻尾は通常はえていない。それでも俺には黒い尻尾と、おまけに黒い猫耳がついているのだった。理由は……そこの変態ご主人に聞いてくれ。
「せっかく俺が苦労して持ってきてやったんだから、他に何か言いようがあるだろ!」
「ああ、ちっせえくせによく頑張ったな」
「一言多いんだよてめー!」
俺の怒りに尻尾もバシバシ動きまくった。勝手に動くんだから仕方ねえだろこればっかりは。アッシュはそんな俺に一瞥くれただけで、鼻で笑ってからまた机に向かうだけだった。こ、こいつ……!
「大体、この間から何をそんなに熱心にべんきょーしてるんだよ」
そばにあったソファに勢いつけてダイブしながら、俺はふて腐れた顔でアッシュを見た。アッシュはこっち見てないからこんな顔したって意味ないんだけどな。でも俺の言葉に、忙しそうに動いていた右手が反応するようにピクリと、一瞬と待ったように見えた。
「……教える義理はねえ」
「あーそうかよ。聞いて悪かったな!」
予想通りの返答に俺はまた尻尾でソファを叩いた。アッシュがそっけなかったり口が悪かったりするのはいつもの事だ。それなのにどうして今日に限って、俺はこんなに機嫌が悪いのか。それは、やはり今日という日に関係する。
きっとこんな暗い森の中に引きこもっているアッシュは覚えていないんだろう。もしかしたら知りもしないかもしれない。人間の世界では今日、クリスマスイブだという事を。明日はクリスマスだという事を。俺はずっと魔界で暮らしていたけど、人間界の行事には面白いから色々と便乗して騒いだもんだった。行事の由来とかまったく知らないんだけどな。どんな事をして騒ぐのか、それだけ知ってりゃ十分だ。
でも今年はこのクリスマスなんて華やかな行事とは無縁そうなムッツリご主人しかいない。周りの景色もまったくクリスマスっぽくないし。
「なあアッシュ。この辺には雪は降らないもんなのか?」
「……。まあな」
少しの間を空けてアッシュは俺の問いに答えた。やっぱり降らないのか。クリスマスで騒げないなら、せめて真っ白な明るい雪景色を見たかったんだけどな。天気ばっかりは仕方がないか。
それからしばらく俺はソファの上でゴロゴロしていたけど、ここでグータラしていても仕方がないので勉強道具を持ってくることにした。俺、師匠んとこでは怠けてばっかりだったから、アッシュに怒られちまってさ……今は少しずつ、仕方なーく勉強しているところなんだ。
ソファから飛び降りて部屋から出ようとしたところで、アッシュが声をかけてきた。
「待て。どこへ行く」
「へ?どこって……」
「外に出るつもりか?」
「いや、ただ勉強道具取りにいこうと思っただけだよ。誰かさんが早く覚えろってうるせーからな」
なるべく嫌味ったらしく言ってやったけど、アッシュは特に気にした様子もなく俺をじっと見てから、再び背中を向けただけだった。
「それならいい。……今日はどこにも出かけるんじゃないぞ」
「何でだ?」
「何でもだ」
意味の分からない事を言う背中に舌を出してみせてから、俺は部屋を飛び出した。ちぇっ、夜になったらこっそり抜け出して綺麗な光に包まれる町でも見に行ってやろうと思ってたのに。それすら許されねーのかよ。俺ってば本当にろくでもないご主人様についてしまったもんだぜ。
……それでも心の底から嫌う事が出来ないのは、どうしてなんだろうな。
それから暗い森がさらに暗くなり、俺の作ったへっぽこ料理(俺が料理下手なのは知ってるはずだから、作らせた方が悪い!)を食べた後も、アッシュはずっと机の上に本を広げて何か調べものをしているばかりだった。
しばらく俺も付き合って自分の勉強をしていたけど、元々夜更かしをするタイプではない。日付が変わるまで起きていて、いつも夜更かしするあいつの耳元でメリークリスマスとでも叫んでやろうと思っていたんだけど。俺の意識はいつの間にか夢の世界へと旅立っていた。
そんな俺の眠りを不意に邪魔したのは、ずっと机に向かっていたはずのご主人の声だった。
「おい起きろこのねぼすけ屑使い魔。こんな所で寝やがって……」
「んー……んあ?あっしゅ?」
「寝ぼけてないで、こっちに来い」
突然の目覚めに瞬きと共に耳もパタパタ動いてしまう。何か、今日初めてアッシュが机から離れた姿を見た気がするな。俺は眠い目をこすって歩き出すアッシュへ尻尾を引き摺りながらついていった。いつもなら、俺が寝こけている時はいつの間にか自分のベッドに戻っている事が多いんだけど、今日はわざわざ起こしてどうしたんだ?
部屋を出る前に時計を見れば、もうすぐイブの日が終わる時間だった。こんな真夜中に起こすなんて、ますますどうしたんだろう。問いかけようにもアッシュはさっさと先に歩いていってしまっていたので、尋ねる間もなく追いかけるしか出来なかった。
「アッシュー!一体どうしたんだよこんな夜遅くに!」
「いいから黙ってついてこい」
ようやく追いついて声をかけてもアッシュは答えてくれなかった。ケチ!頬を膨らませる俺を引き連れてアッシュが辿り着いた場所は、屋根の上だった。アッシュが暮らす屋敷は俺とアッシュしか住んでないくせに無駄に広いもんだから、俺はすっかりくたびれてしまった。大体が使ってないいらない部屋なんだからもっと小さい家に引っ越せばいいのに、切実に。
「さ、寒っ……!」
屋根の上に出ると当たり前のように寒かった。辺りを見渡しても黒々とした森しか目には映らない。見晴らし自体は良いけど正直、景色が良いとは言えない。アッシュは屋根の上に危なげなく立ちながら、空を睨みつけていた。星も見えない黒い雲が覆う空だった。本当、せっかくのクリスマスなのに最悪の天気だなここは。しかしアッシュはそんな空を見上げながら満足そうに頷いている。
「ふん、都合の良い天気だ」
「こんな分厚い雲が覆う空のどこが良い天気なんだよ」
「だからこそだ。いいか、黙って見ていろ」
おもむろにアッシュは一冊の本を取り出した。アッシュが今日一日中睨めっこしていたものだった。ちらっと覗いてみたらそれは呪文書のようだったけど、俺のレベルじゃ読む事すら出来なかった。アッシュはこれから、その呪文書を使って魔法を使うようだ。一体、何をするつもりなんだ。
本を掲げて、アッシュが力を込めた呪文を唱える。アッシュの魔力が呪文に乗って空へ駆け上がっていくのを俺は感じた。それだけしか感じる事が出来なかった。ポカンと空を見上げた俺は、強い光に目がくらんでしまった。
「うわっ!」
ギュッと目を瞑れば、光は一瞬のうちに過ぎ去ったようだ。それでもいきなり光に刺された目を開ける事が出来なくて、しばらくそのままじっとうずくまる。そんな俺の頭に、そっと暖かなぬくもりが触れてきた。
「大丈夫か」
「だ、大丈夫……てか、いきなり何なんだよさっきのはっ」
「目を開けてみれば、分かる」
アッシュの言葉に俺はそろそろと目を開けた。目を瞑る前と同じ、真っ暗な景色が広がるばかりだ。しかしそんな景色をひらりと、真っ白な物体が横切ったのが見えて俺は瞬きをした。今のは、何だ。
急いで顔を上げれば、そこには信じられないものが舞い踊っていた。
「ゆ……雪だ」
驚きのせいで、それだけしか言葉が出てこなかった。先程からせわしなく動いていた耳も尻尾もピタリと動きを止めて、空から舞い降りてくる小さな雪たちを見つめる。隣のアッシュがホッと安心したような息を吐いた。
「成功か。天候を操る魔法はクソ難しくてやっかいだったな」
「アッシュ……これ」
「……。お前は、これが好きなんだろう」
こちらを見てきたアッシュの言葉に俺はびっくりした。そりゃ確かに俺は雪が好きだけど、アッシュの前で面と向かって言ったことは一度も無かったはずだ。
「んな間抜けな面を晒すな。お前の表情は呆れるほど分かりやすいからな」
「でも、どうしていきなり?」
「人間の世界では……今クリスマスだろう」
「!!」
思わず飛び跳ねて驚いた俺の頭を押さえつけて(俺の気のせいじゃなければ、それはまるで撫でてくれたような優しさに満ちていた)アッシュはぶっきらぼうに言った。
「ノロマで役に立たない屑使い魔だが、ご主人様からのせめてものクリスマスプレゼントだ。受け取れ、ルーク」
「……!っっアッシュー!」
「ぐふっ」
若干目を逸らしつつのアッシュに、俺は飛び掛っていた。あまりの嬉しさに言葉が出てこない。この雪はアッシュが俺のためだけに用意してくれた、最高のプレゼントだ。俺のためにずっとずっと勉強してくれていたんだ。これで嬉しくないわけが、ないだろう?
次々とゆっくり降りてくるこの雪たちは、きっとこの暗い森たちを少しでも白く染め上げてくれるだろう。そうしたら、ずっと家に篭っていたアッシュを外に引っ張り出して、雪で沢山遊ぶんだ。今年のクリスマスは、それで決まりだ。
「おい、礼をまだ聞いていないぞ屑」
「あっそうだな、そうだったな……」
「ん?」
何故か言葉に詰まる俺に、アッシュは怪訝そうな表情になる。その顔に俺は決意を固めて、飛び込んでいった。
「?!」
「ありがとう、最高のクリスマスだぜ、ご主人様!」
「!ルーク……!」
すぐに離れた俺は、後ろのアッシュの顔も見れずに慌てて屋根の上から飛び降りた(俺は使い魔だからいいけど良い子は真似すんなよ)。いいな、今日だけなんだからな。今回だけ、呼んでやったんだからな!
ああもう、大好きだよご主人様!
使い魔ルークのクリスマス
08/12/24
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