今日はポッキーの日らしい。ナタリアが満面の笑みで言っていた。話を聞くに、何ともロマンチックな事が行われる(行わなければならない)日らしいが、俺には関係のない事だ。関係ないが、家で待っているあいつの顔を思い浮かべたら、自然と足がコンビニへと入っていた。犬の癖にチョコとか甘いものが大好きな、あいつの満面の笑みを。



ただいまと呟きながら家の扉を開ければ、転がるようにあいつが駆け寄ってきた。夕焼け色の髪と同じ色の少し垂れ気味の耳と、同じく赤く丸まった尻尾を持つ俺の飼い犬ルークだ。


「アッシュー!お帰りーっ!」


そのまま全力で腰の辺りにぶつかって、しがみついてくる。いつもの事だ。息を吐き出してしまうぐらい痛くて苦しかったりするが、止めろと言えないままだ。俺はもう色々駄目な所までおちていると思う。


「あれ?アッシュ、何か買ってきたのか?」


いつもの鞄の他に見慣れないビニールの袋を見つけて、途端にルークの瞳が輝きだす。お土産に期待した目だ。これはいつも何かしら買い物をしたらついルークへの土産を毎回買ってきてしまうが故の反応だ。俺が悪い。
とりあえず何だ何だとうるさいルークを腰にしがみつかせたまま玄関から居間へと移動し、テーブルの上へと袋を下ろした。途端にテーブルの上へとのし上がり、ルークが袋の中を覗き込む。いつもならテーブルの上に乗るなと怒鳴る所だが……まあ、今だけは。


「これは……ポッキーだ!」


ルークが喜び勇んで袋の中からポッキーの箱を取り出す。飛び跳ねて喜ぶその姿を見ながら、鞄を置いて窓を開けた。ああやって全身から喜びを振りまく姿を見れば土産冥利に尽きるというものだ。だからこそ毎回何だかんだ言いながら買ってしまうのだろう。甘やかしすぎだと分かっているが、こればかりはやめられなかった。


「アッシュアッシュ!今日はポッキーの日だから、ポッキーなんだな!」
「お前、ポッキーの日なんてどこから覚えてきたんだ」
「テレビで言ってたんだ!」


俺がテレビをつけっぱなしで本に熱中している間にルークは色んな知識をつけているらしい。知識を身につける事は悪い事ではないが……少し心配になる。余計なものまで覚えなきゃいいが。


「アッシュ、これ食べても良いのか?」
「駄目だと言っても食べるんだろうが」
「へへへ、アッシュありがとう!」


にぱっと笑顔を浮かべて、さっそくルークは箱を開けて細長いお菓子を取り出し始めた。俺はそれを眺めながらテーブルの前へと座り、息をつく。外から帰ってきて、こうやって落ち着く瞬間が俺は好きだ。本当に我が家へと帰ってきたという安心感がある。目の前には視覚的に癒してくれる物体もある。その物体は、一生懸命に箱の中からようやく一本のポッキーを取り出した所だった。


「いっただっきまーす!」


元気良く、お行儀良く(俺のしつけの賜物だ)そう言ったルークは、パクリとポッキーの先を口にくわえ、そのまま俺のほうを向いてきた。……何故一思いに食わない。いつもなら俺が静止したとしてもそのままバリバリと躊躇いも無く食べているだろう。まさか、こいつ。


「アッシュー!はい!」
「………。何の真似だ」


何かを期待するようにピコピコと小さな尻尾を振りながら俺を見てくるルーク。口には一本のポッキー。心当たりがある、ありすぎる。今日の昼、ナタリアから聞いた話が脳内によみがえる。そんな、まさか。


「だってポッキーの日にはこうやってポッキーを食べるんだろ?」
「てめえ、誰から聞いた!」
「テレビで言ってた!」


決めた。今度からテレビをつけっぱなしにはしない。電気の節約として今からコンセントをぶっこ抜いていても良い。頭を抱える俺とは対照的に、ルークはご機嫌の様子で俺があのポッキーに食らい付くのを今か今かと待っている。勘弁してくれ。


「いいかルーク、そんなものは嘘っぱちだ。ポッキーの日だって業者が物を売り込むために勝手に名づけた陰謀の日なんだ。だからんな食べ方しなくても、普通に食べりゃいいんだよ」
「嫌だ!こーやって食べる!俺がこっち食ってアッシュがそっち食ってポッキー一緒に食べるんだーっ!」


言い聞かせようとしても、ルークは駄々をこねるように首を横に振るだけだった。普段は俺が睨み付ければすぐにプルプル震えてきちんと言う事を聞くような臆病者だが、こうやって意地になったルークは何を言っても聞き入れようとはしなくなる。この様子のルークを見たどこかのバカガイが犬は飼い主に似るものなんだなあとのたまってくれた事があった。もちろんすぐにぶっ飛ばしてやったが。


「一緒に食べるなら、俺とお前で一本ずつ食えばいいだろうが」
「嫌だ、はんぶんこ!アッシュとはんぶんこするんだ!」
「半分にするなら真ん中で折れ」
「アッシュの意地悪!くず!くずくずくずー!」


俺が普段つい屑だの屑犬だの言ってしまうせいでルークも覚えて使い始めるようになってしまった。これだからしばらく言わないように自重していたというのに……ちっ、屑が。
ルークはポッキーをくわえたまま、じっと俺を睨みつけている。その翡翠色の瞳が少し涙目になりかけているのを見て、俺は白旗をあげた。いつから俺はこんな甘い男になってしまったのだろうか。


「っ分かった、食えばいいんだろう食えば!」
「!うん!」


俺がそう言い放った途端にコロッと表情を変え、笑い出す。何という現金な奴だ。ルークは再び尻尾を振って俺を見上げ、ポッキーをくわえながらまだかまだかと待ち始めた。
そうだ、俺はポッキーを食うだけだ。ルークもただポッキーを今まで食べた事の無い変わった形で食べたいだけで、特別な意味など何も無い。そうだ。そうなのだ。
俺は一体誰に言い訳をしているのだろう。何かに戸惑う自分を納得させるためか。とにかく腹を決めた俺は、一思いにルークのくわえるポッキーの先へとかじりついた。それを見たルークが、待ってましたとばかりにはみ出たポッキー部分をボリボリ食べ始める。
ルークは基本的に食いしん坊だ。はんぶんこと言っておきながら、俺が食べていない部分を勢い良く全部食べようとする。つまり、俺が食っていない部分と言えば唇の手前までの部分で、そこまで勢いをつけて食べようとすれば、もちろん。

……!!


「ん!美味い!美味いな、アッシュ!」
「………」
「アッシュー?」
「……そうだな、美味い」


覗き込んでくるルークの顔を、俺はまともに見る事が出来なかった。何を考えている、何を恥ずかしがっていやがるんだ、俺!キスが初めての生娘ではあるまいし!こんなスキンシップ過剰なだけの、のほほんと笑ってやがるちびっこい犬っころと事実上キスしちまっただけで!
相手は犬だ、犬だ、犬なんだ!


「ほらアッシュ、次々ー!」
「………」


どうやら箱の中のポッキー全部を、ポッキーゲーム風に食べようというつもりらしいルークの笑顔を見つめて、俺は途方にくれるしかなかった。まさか、飼い犬にときめかせられる日がくるとは、誰も思わないだろう。そうだろう?

再び頑固な駄々をこね始めたこの駄犬にベタ惚れの俺が抵抗できるはずもなく。しばらく俺の唇から、あの柔らかなチョコ味の感触が消えることは、なかったのだった。

この……屑犬がっ!





   夕焼け色のぬくもりとチョコ味

08/11/12