今日もアッシュ君(17)は悶々とした日を過ごしておりました。
その、いつも冷静なはずの思考を狂わせるのは、今も大切な幼馴染兼婚約者の少女……ではなく、彼の完全同位体であるレプリカなのでした。
何かに没頭しているときでさえ頭によぎるものに手を止めてみてみれば、思い浮かぶのは決まって生涯憎んでいるはずの、表情豊かな自分と同じ顔だったのです。これには、幾多の戦いを乗り越えてきた特務師団長である彼も大いに戸惑い、毎日毎日変に考え込んでいるのでした。
もちろん、それが逆効果になっていることになど、まったく気付いていません。


「くそっ何故レプリカ野郎の事ばかり頭に浮かぶんだ……!」


普段から眉間に寄りっぱなしの皺は、近頃ではもう一生取れないのではないかと思われるほど深く刻まれていました。今日も今日とて頭を抱えてうんうん唸っている彼の背後から、そっと声が掛けられます。


「……アッシュ」
「ああ?」


いきなり思考を止められて勢いよくアッシュが後ろを振り返ると、そこにいたのは桃色の髪をした少女でした。腕に人形を大事そうに抱きしめながら、アッシュの顔を見てビクリと反応します。明らかに怯えた様子の少女にアッシュは罰の悪そうな顔をしました。


「……な、何だ、何か用かアリエッタ」
「ちょっと……気になった、です」


たどたどしく喋る少女アリエッタは、アッシュの顔を上目遣いにちらりと覗き込みます。
さて、己は何かアリエッタが気になるようなことでもしただろうか、と、アッシュは自分を振り返ってみたのですが、引っかかるものはありません。一生懸命に考えていると、アリエッタが勇気を振り絞った様子で口を開きました。


「アッシュ、いつも何考えてるですか?」
「何だと?」


どうやらアリエッタは、アッシュが悩む姿を見ていたようでした。
そんなに顔に出ていただろうかとアッシュは不機嫌そうに眉をひそめました。考えていた事が顔に出ていてはこの世の中渡っていけません。そう考えると、自分のレプリカはまったくなっていないとアッシュは心の中で憤慨しました。
思えば、会うたび会うたび考えている事丸出しの表情しかしないのです。目が合った瞬間の嬉しそうな顔、一瞬後に拒絶されるかもしれないという怯えの目、それにイライラして怒鳴りつければ悲しそうにうつむく頭、それでも何とか会話をしようとする必死な視線。今すぐにでも自分達の奥底で繋がっている回線を使って「少しは表情を隠せ!」と怒鳴りつけるべきかと考えたところで、ようやくアッシュは今目の前にアリエッタが立っている事を思い出しました。


「また、考えてるです」
「……それがどうしたんだ」


忘れ去っていた事をすまないとは思いながらもアッシュは偉そうにそう言う事しか出来ませんでした。年頃の彼は、素直に自分の気持ちを表に出せないのです。そこもまた何もかも同じはずのレプリカとは大いに違うところでした。決意の証に髪を切ったアッシュのレプリカは、周りが驚くほど素直になってみせたのです。もちろんアッシュも驚いたくちでした。
これ以上考え込むとまたアリエッタのことを忘れてしまいます。飛びそうになる思考を慌てて押さえ込んで、アッシュはアリエッタを見下ろしました。


「アッシュ……好きな人、いるですか?」


ぶっ。
アリエッタは、盛大に吹き出してみせたアッシュにびくりと飛び上がりました。いつもポーカーフェイスを保っているアッシュが目の前で吹き出したことにとても驚いてしまったのです。慌てて口元を拭ったアッシュは、地を這うような声を出しました。


「……どうしてそんな事を聞く」
「アッシュが悩んでいるの、まるで、恋をしているように見えた、です」


恋。その単語にアッシュはくらりと自分がふらつくのを感じました。鮮血の二文字に何と似合わない言葉でしょうか。アリエッタはそんなアッシュに構わずに言いました。



「アッシュはいつも、誰の事考えているですか?」



誰の事?一瞬頭が真っ白になったアッシュは、次の瞬間、自慢の真紅の髪も目立たなくなりそうなぐらい顔を真っ赤にさせていました。体をぷるぷる震わせているアッシュに、アリエッタは目を丸くしています。

誰の事?誰の事だと?!俺はいつも何を考えている!いやそれはおかしいだってあれはただの俺のいやでも何故いつも思い浮かぶんだあの顔あの声あの仕草笑う顔などあまり見たことは無いがだって俺の目の前ではあんまり笑わない俺のせいだって分かってはいるがとにかくあの胸の中が暖かくなるような笑顔が笑顔が笑顔が……。


「くっ屑がああああ!」


ぶっちんと音が鳴り響いたかと思うほど頭の中の何かが切れたアッシュは、なりふり構わずだっと駆け出していました。逃げ出したのです。
ぽかんとその場に突っ立っていたアリエッタは、やがて人形に顔をうずめ、かすかに頬を赤らめていました。


「……恋、です」


あまりにも初々しいアッシュの反応にこっちまで恥ずかしくなったアリエッタは、未だ知らぬアッシュの頭の中の想い人を想像しながら、その恋がいつか実りますようにとそっとお祈りをするのでした。





   恋よ実れ

06/07/16