学校の校庭横に並ぶ桜の木が全部満開になった日の真夜中、そのどれか一本にとても美しい桜だらけの桜の国に通じる道が出来るのだ。
そんな話を4月1日にクラスメイトから聞かされ一人目を輝かせるルークを、アッシュはとても苦い気持ちで眺めていた。今日の夜の運命が決定した瞬間だったからだ。



「なあアッシュ!桜の国ってどんなところなんだろうな!」
「さあな」


放課後おうちに帰ってご飯を食べてお風呂に入って自分たちの部屋に入ってその窓からこっそり抜け出してきた双子の兄弟ルークとアッシュは、ただ今閉ざされた校門をよじ登り人気の無い校庭に降り立った所であった。弟ルークはいくら春先で暖かくなってきたと言っても夜は冷え込むのだから厚着をしなければ駄目だと無理矢理着せられた上着を羽織って静かな校庭を元気よく駆ける。兄のアッシュは対照的に、その後ろをどこかダルそうについていくだけだった。


「何だよ、アッシュは興味ないのか?桜の国」


そっけないアッシュの態度にルークは唇を尖らせてみせた。自分はこんなにわくわくしているのに、相方が冷めているのが不満のようだった。


「桜って綺麗だろ?そんな綺麗な国はどんなところだろう、見てみたいなーって、普通は思うだろ!」
「普通はそう思うのだったら、ここにはもっと他に人がいるはずだがな」
「うっ」


ちらりと誰もいない校庭を横目に見たアッシュの言葉にルークは悔しそうに口をつぐんだ。ルークが聞かされた桜の国の話は、話に加わっていなかったアッシュでさえ聞いていたほどの大音量で語られたのだ。クラス中の者が聞いていたに違いない。それなのにこの夜更けの学校には、ルークとアッシュ意外誰もいなかった。


「うーっ、おかしいな」


心から不思議そうに辺りを見回したルークは、最後に空を見上げた。それを見てアッシュも視線を上に向ける。そこに見えたのは良く晴れた夜空、ではなく、一面の鮮やかな桜色であった。


「今日はちょうど、桜の木が全部満開の日なのに」


皆は桜の国に興味は無いのだろうか。真顔で首をかしげるルークに、アッシュは重いため息をついてみせるだけであった。皆は、今日はどんな日であるのかキチンと分かっていたのだろう。一年に一度やってくる、面白おかしい今日のこの日の事を。嘘をついてはいけませんと目くじら立てて怒るお母さんや先生もめったに怒る事が出来ない4月1日だという事を。
分かっていたから、わざわざ夜中に家を抜け出して学校に侵入するなんて、そんなバレたら恐ろしい勢いで怒られそうな事をやらないのだ。それなのに嬉々としてこんな所にやってきたルークは馬鹿者だと思う。
分かっているのに、のこのこルークについてきたアッシュ自身もまた、大馬鹿者なのだろう。

ポケットに入れてきた時計を取り出して見てみると、もうすぐで今日が終わりそうな時間だった。こんな夜まで起きていると大抵ルークはすぐに船を漕ぎ出してしまうのだが、今は瞳をらんらんと輝かせて眠気なんて微塵も感じさせない明るい表情でひたすら桜を見つめていた。現金なものだとアッシュは思いながらも、そんな真っ直ぐな視線の弟が嫌いではなかったりする。好奇心が旺盛ですぐに人にだまされるルークに今までアッシュも散々振り回されてきたが、面倒くさいとは思っても嫌だとは思ったこともなかった。だから今日も眠い目こすって桜の木の下に立っている。

校庭の脇にずらりと並ぶ桜の木は、見る者が小さな子ども二人だけであってもその花びらの美しさを衰えさせることは決して無かった。むしろポツポツと佇む街頭の明かりに照らされ闇夜に光り輝く桜色は、昼間眺めるよりも幻想的で、非常に美しかった。これを見るためだけに、ここに来てよかったとすら思えるぐらいだった。
しかし目的は目の前の桜の木ではなく、あくまでも桜の国への入り口だ。ルークはちらほら散り始めている桜に目を奪われながらも、入念に桜の木の根元をチェックしていった。入り口が現れるのはどうやら桜の木の根元らしいからだ。しかしいくら待ってもいくら見つめても、桜の国の入り口とやらは現れてこなかった。


「やっぱり出ないなー、桜の国への入り口」


桜の木が全部見渡せる位置に立ちながら至極残念そうにそう呟くルークの横に並び、アッシュは再び時計を見た。あとものの何分かで4月1日が終わる。こんな真夜中まで外に出ていたのなんて初めてだった。軽くため息をつきながら、吹き始めた夜風に身をすくませるルークに、アッシュは静かに問うた。


「何で今日はここに来たんだ」
「へ?」
「今日がエイプリルフールだって、お前は知ってるはずだろう」


そう、4月1日という日に桜の国のお話を瞳を輝かせながら聞いていたルークもまた、エイプリルフールに出来る限りの嘘をつこうとするいたずらっ子だった。今日だって何度もアッシュを下手糞な嘘で騙そうと食って掛かってきたのだ(もちろんアッシュはひとつとして騙されてやらなかったが)。嘘をついても良い日に嘘をつきながら嘘をつかれて信じきるなんて、さすがにルークだってそこまで馬鹿では無いはずだ。
アッシュが見つめる中、一瞬きょとんと目を瞬かせたルークは嬉しそうに笑った。騙されていながら、その笑顔は少しも悔しそうではなかった。


「だって、桜の国が本当にあったらいいなって、思ったんだ」


春の訪れと共に空を桜色に彩り、あっという間に散ってしまう刹那の美しさ、そんな桜がたくさん咲き乱れる桜の国に行けたのなら、どんなに幸せだろうかと。ルークはそう思ったらしい。だから嘘んこの話だと分かっていながら、桜の国を探しにここまで来たのだ。
今更な質問だなーとルークが笑うので、確かにそうだとアッシュも頷いた。本来ならばルークが桜の国を探しにいこうと家の中で提案した所で投げかけるべき問いだったのだろう。だがそれも今更な事だったので、最早どうでもよかった。
さて何時に帰ろうかと時計を手にしたアッシュに、今度はルークが不思議そうに尋ねた。


「で、何でアッシュは俺についてきてくれたんだ?」


アッシュが桜の国の話を嘘だと分かっていて、それ故に信じていなくて、今だってかなり面倒くさがりながらここまで来てくれた事をルークも分かっていた。それなのに止める事も拒む事もせずに、こうして隣にいてくれる。アッシュは何もかも今更な事だなと息を吐き出して、言った。


「お前が桜の国を探しに行くと言ったからだ」


それしか理由は無かった。ルークが行くと言ったから、アッシュも来た。それだけだった。
アッシュの言葉に目を丸くしたルークは、ゆっくりと優しく、花が綻ぶ様に笑った。心の底から嬉しいと伝えてくる笑顔だった。まるで桜のようだ、と瞬間的に思ったアッシュの手の中で時計がカチリと真上を指す。今日が終わって明日が始まった瞬間だった。その一瞬。
強い風が舞った。冷たくて暖かな風は突然やってきてルークとアッシュを巻き込み通り過ぎ、桜の花びらを沢山孕んだ。そうして桜色になった風は、たった二人ぽっちしかいない校庭を縦横無尽に駆け巡る。視界は桜色で埋め尽くされた。四方八方が桜でいっぱいだった。最早視覚出来るのは無数の桜の花びらと、互いの決して見えなくなる事は無い鮮やかな焔色の髪の色だけであった。


「桜の国だ!」


ルークが叫んだ。口を開けたために花びらが飛び込んできたのか次の瞬間むせてしまったが、それでもルークはアッシュを見て、叫んだ。


「ほら、アッシュ、桜の国だ!」


手を振り上げたルークの頭上から次々と舞い散る桜の雨は一向にやむ気配が無い。まるで片っ端から散っては生え、散っては生えて無限に桜が生み出されているかのようだった。それはまさしく、桜の国だった。


「どうして」


思わず呟いたアッシュに、ルークは笑った。


「きっと嘘の日が終わったから、本当になったんだ」


なるほど、とアッシュは納得した。エイプリルフールでつかれた嘘は4月1日が終わったとたんに嘘ではなくなってしまったのだ。嘘であったはずの桜の国を見ることが出来たのは、嘘が本当になるまでルークが追いかけたからだ。簡単な事だった。
ルークとアッシュは今、桜の国の中に立っている。


「あいつに言うのか。桜の国は、嘘じゃなかったって」


二人は自然と手を繋いでいた。きっと生まれる前から繋がっていた、半身の腕。アッシュの右腕を嬉しそうにぶんぶんと振り回しながら、ルークは首を横に振った。


「言わない。内緒にする」
「内緒?」
「この桜の国はアッシュと俺だけの秘密!」


言わないだけなら、嘘はついてないから怒られないだろ?そうやって笑うルークの左腕に振り回されながら、アッシュも笑った。名案だと思ったのだ。
他の誰が桜の国の話をしても、それは嘘の話だ。今ここにいるルークとアッシュだけが、桜の国の話を真実として口にする事が出来る。実際にこの目で見たから。この場所に立っているから。

桜色の中で顔を見合わせ、焔色の二人が笑った。





   二人だけの嘘の国

08/04/01