太陽の光がぽかぽかと降り注ぐ、とても気持ちのいいお天気の日でした。暖かな日差しを体いっぱいに浴びながら、のどかな山の小道をのんびりと歩いている燃えるような赤いキツネの名を、アッシュといいました。彼のツンと尖がった耳も、流れるような美しい毛並みを持った尻尾も、触れば燃え上がってしまいそうなほどの美しい真紅だったので、他の生き物たちからは聖なる焔のキツネと呼ばれていました。本人はあまり気に入ってはいないようでした。

さて、そんなアッシュがぶらぶらと散歩をしていると、前方にお地蔵様が見えてきました。しかし、変なお地蔵様です。お地蔵様は普通とても硬い石で出来ているはずですが、そのお地蔵様には、とても柔らかそうな縞々の尻尾が生えているのです。おまけに頭にはまあるい耳がぴょんと生えているではありませんか。そして何より、そのお地蔵様は、見ているだけで優しい気持ちになるような夕焼け色をしていたのです。こんなお地蔵様は見たことがありません。
いいえ、実はアッシュはこのお地蔵様を以前にも見たことがありました。アッシュにとっては全然珍しくない、むしろ見飽きた光景でした。なので、平然とした顔でお地蔵様に近づき、ぴょっこり出ているもこもこの尻尾を踏んづけてやりました。


「ってえー!なっ何しやがんだアッシュー!」


途端にあがった叫び声と、ボンッと沸き起こる煙。それが晴れないうちにアッシュの目の前に飛び出してきたのは、先ほどお地蔵様から生えていた耳と尻尾のついた、明るい朱色のタヌキでした。ちょっぴり涙目なのは握り締めている尻尾がまだジンジンと痛むのでしょう。お地蔵様は彼が化けたものだったようです。拳を振り上げてアッシュをにらみつける彼の名を、ルークといいました。


「それで化けているつもりか、相変わらずの屑だな」
「う、うるせえ!今日こそは勝ってやるんだからな、勝負しろ!」
「はってめえが勝てると思っているのか」


ルークとアッシュは正面から睨み合いました。これもまた、日常的な光景でした。二匹はこうして顔を合わせるたびに、化かし合い対決をしているのです。
勝負のきっかけは何だったか最早どちらも覚えていませんでしたが、今のところ、なかなか上手く化けることの出来ないルークの全戦全敗でした。それが悔しくて、いつもルークはアッシュを待ち伏せして勝負を挑んでくるのでした。
それをコテンパンに負かすのが最近のアッシュの密かな楽しみです。


「で、今日は何で勝負するんだ?」


張り切ってブンブン腕を振り回しながら首をかしげるルーク。喧嘩を売ってくるのはほとんどルークからでしたが、勝負の内容を決めるのはいつもアッシュでした。何故なら、ルークは勝負をするのは好きでしたが、勝負の内容を考えるのは苦手だったからです。そのことを逆手にとって、アッシュが幾分か自分にとって有利な勝負を仕掛けて来ることもありましたが、幸いルークはまだそれに気づいたことはありません。


「そうだな……ちょうどいい、こっちへ来い」


手招きするアッシュの後ろを、ルークはぽこぽこ尻尾を揺らしながらついていきます。やがて背の高い茂みに身を潜めると、何かを探すように尖がり耳をぴくぴく動かしていたアッシュがこっそり前を指差しました。目の前には何の変哲の無い道が左右に伸びているだけでした。


「?この道が何だ?」
「見ていろ、もうすぐターゲットがやってくる」
「たーげっと?」


ルークもアッシュの真似をしてころころの丸い耳をチョコチョコ動かしてみましたが、何も感じ取ることが出来ません。一体何なんだとキツネのように口を尖らせて抗議しようとしましたが、すぐに口を押さえられてしまいました。


「黙れ、気づかれるだろうが」
「ふがもがーっ!」
「あれを見ろ」


す、とアッシュが指し示したのは道のはるか向こう側。と、よく見てみれば誰かがこちらへと歩いてくる姿が見えるではありませんか。ルークは目を丸くしてアッシュを見ました。あれが、アッシュの言うターゲットなのでしょうか。


「今日はあいつを化かすぞ」
「ぷは!あいつって……ああ、よく見りゃガイじゃん」


何やら鼻歌を歌いながらまっすぐ伸びる道を歩いてくる人物の正体を知ったルークはあっけなく驚きを引っ込めました。遠目からもはっきりと見える金髪の男は、ルークの知る限りガイしか思い当たりません。彼はこの辺りのキツネやタヌキたちの間で「大変驚かしがいのある人間」として噂になっている有名人なのでした。バアッと飛び出すだけで一通り驚いてくれるし、それに何より、彼には他の人間には無い珍しい弱点があったのです。
それは、「女性恐怖症」でした。ガイは女性に触れることも、近づくことさえ出来ないぐらいの重症患者なのでした。


「女に化けて、あいつをより怖がらせたほうの勝ちだ、どうだ」


ガイ本人にとってはひどい勝負内容でしたが、そこはいたずら好きのキツネとタヌキです。にやりと笑うアッシュにルークもにやりと笑い返しました。


「いいじゃねーか、乗った!」
「ふっ、それじゃあ俺から先に行くぞ」
「おう!」


さて、そんな悪魔のような計画を立てられている事なんて知る由も無いターゲットガイは、大好きな「オンキカン」(人間が生み出した、人間にしか分からない複雑な道具の事です)の事を考えながらのんびりと道を歩いておりました。あれとあれがこうなってこういう仕組みになっていて、と訳の分からないことを考えながら悦に入っていると、行く手に誰かが立ちふさがっているのに気づきました。このちょっと森の中に入った道はあまり人は通りません。誰かとすれ違うなんてとても珍しいことです。軽く驚きながら前を見たガイは、ギョッとして足を止めてしまいました。
何とガイの行く手をふさぐように道の真ん中に仁王立ちしていたのは、ガイの苦手な女性だったのです。

恐ろしいほど美しい女性でした。聖なる炎をそのまま写し取ったような輝く真紅の長い髪に、本物の宝石よりも深く透明感のあるエメラルドの瞳を持つ、奇跡のような美女、でしたが。
ガイにとってはたとえどんなに美しくても、毒でしかありません。思わず一歩後ずさると、女性はガイをじっと見つめながら、何と近づいてくるではありませんか。


「な?!なな何だ君はっおお俺に何か用かな?!」


思いっきり裏返った声で尋ねても女性は何も答えません。ただゆっくりと、しかし確実に、長い髪を揺らしながらガイへと近づいてくるだけです。その背中でさらりさらりと揺れる一房の真っ赤な髪が、何かを連想させます。そう、例えば……艶やかな尻尾を持つ、キツネに。
一瞬見とれたガイの目の前に、次の瞬間女性の顔が現れました。いつの間にか、距離を詰められたようです。ガイは悲鳴を上げて飛び上がり、とうとう背を向けて駆け出してしまいました。
その情けない後姿をふんと華で笑い飛ばしながら見送った女性は、ポンと音を立てて煙の中に消えました。そうして次に煙の中から出てきたのは、ちゃんとキツネの耳と尻尾を持つアッシュでした。先ほどの美女はアッシュが化けたものだったのです。


「他愛も無いな。芝居をする事なく逃げやがった」


脅かすには格好の相手ですが、少し張り合いがないなとアッシュは思いました。ひとまずこれでアッシュの勝負は終わりです。かなりの好成績と言っていいでしょう。得意げに振り返ったアッシュは、そこに瞳を輝かせるルークを見ました。思わずびくりと耳と尻尾を逆立てます。


「な、何だその目は」
「アッシュすげえ……!すっごい美人だったな!俺あんな綺麗な女の人初めて見た!」


どうやらアッシュの化けた姿に感動しているようです。本当ならここは褒められたのですから胸を張るべき場面なのですが、何故だかアッシュは恥ずかしくなりました。それは、いつも張り合うようににらみつけてくるルークが、ただ純粋に尊敬の眼差しを送ってきているからかもしれません。少し赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いたアッシュは、ハタハタとせわしなく尻尾を動かしながらガイが走り去った方向を指差しました。


「つ、次はお前の番だろうが屑、さっさと行って来い!」
「屑って言うな!言われなくても行ってくるっつーの」


ぶつくさ言いながらいつもの表情に戻ったルークに、アッシュはホッとしたようなちょっぴり残念のような不可思議な気持ちに陥りました。何故こんな複雑な気持ちになるのか、いくら首をひねっても答えは出てきませんでした。



いきなり見知らぬ美女に詰め寄られ何もかも振り切って逃げ出したガイは、道の端に座り込んでゼーゼーと肩で息をしている所でした。とんでもない目に合ったものです。女性は怖いけど嫌いなわけじゃなくむしろ大好きなんだと矛盾した事を豪語するガイですが、近づかれれば一発でアウトです。
あんなに綺麗な女性はめったに見れたもんじゃないのに少し惜しいことをしてしまったな、と考えられるぐらいにガイの心が落ち着いてきた頃、背後でガサリと不吉な音がしました。ギクリと肩を怒らせたガイは、おそるおそる振り返ります。さっきの突然現れた女性が脳内をよぎりました。まさか、ガイの後をつけてきた、のでは。

しかしガイの予想は外れました。茂みの中からひょっこり飛び出してきたのは、先ほどの真紅の女性ではありませんでした。しかし、またしても女性でした。さっきの人より少し幼い印象を受ける女性です。しかし、その触れればふわりと暖かく包み込んでくれそうな太陽の色をした髪も、凍るような冬を乗り越えた力強さのある瑞々しい新緑のような瞳も、まるでキツネのようだった妖艶な女性とは違った美しさで輝いていました。何という生命力にあふれた女性でしょう、今にも弾けんばかりにキラキラと目を輝かせながらガイを見つめていました。
いきなり現れた、少女と言っても差し支えない女性にガイは大層驚きましたが、さっきの動揺はなりを潜めていました。何故ならガイはどちらかといえば、女の子よりも大人の女性の方が苦手だったのです。さっきの真紅の女性に比べれば、目の前の夕焼け色の女性の方がましってものです。

どうしたんだい、と声をかけようとガイは、そこで気づいてしまいました。女性の頭に、あってはならないものがちょこんとくっついているのを。それはどう見たって、丸くて可愛らしい、動物の耳でした。さらによくよく見てみれば、女性のお尻の部分にも何かふさふさでしましまなものが見えます。あれは、ガイの勘違いとかでなければ、おそらく尻尾です。
まあるい耳と、しましまの尻尾。これだけ見れば、思い当たるのはタヌキです。そういえば先ほどの女性もどこかキツネを思い起こされました。タヌキとキツネは人を化かすことがある、とは、誰もが知っている有名な話です。それが、今現実に起こっているという事でしょうか。

いいえ、そんな事は今のガイにとっては些細な事でした。問題は、小さな丸い耳ともこもこの尻尾を生やした愛らしい女性が目の前に立っている事でした。ただでさえ麗しい容姿をしているというのに、動物の耳と尻尾がついているのです。しかも女性は何も分かっていない顔で、純粋な丸い瞳でガイをじっと見つめているのです。耳と尻尾がじっと、女性が、ガイを耳と尻尾がじっと女性がガイが耳尻尾耳女性耳尻尾女性ガイ耳女性尻尾女性じょs


「うわあああああ!」


それは、刺激が強すぎました。いわゆる、可愛らしすぎたのです。いくら大人の女性の方が苦手なガイでも女性恐怖症に変わりありません。しかも殺人的な可愛さを誇る女性にじっと真正面から見つめられれば、ガイでなくとも逃げ出したでしょう。ガイの姿はあっという間に、道の向こうへと消えてしまいました。
その場に取り残されたタヌキ耳とタヌキ尻尾の女性、に化けたルークは、ぽかんとそれを見送りました。


「……なんだったんだ?あでっ」


唐突にパカンと叩かれたルークは、その拍子にドロンと変身が解けてしまいました。変わらず生えたままの耳や尻尾を怒りにぴくぴく動かしながら、ルークは後ろを振り返ります。そこにはもちろん、今しがたルークを殴りつけたアッシュが立っていました。


「何でいきなり叩くんだよ!」
「気づいてなかったのかこの劣化屑!耳と尻尾が出たままだったぞ」
「え、マジで?!」


ハッと顔色を変えて頭に尻に手をやりますが、最早手遅れです。自分の化け方が不完全だった事を知ったルークはズシンとしょぼくれてしまいました。それでは、あの完璧に美女に化けてみせたアッシュに敵う訳がありません。
しかしふと、そこでルークは気づきました。ガイが耳と尻尾を生やしたままのルークを見て、アッシュのときと同じように惨めに逃げて行ったことを。


「なあアッシュ、それなのになんでガイはあんなに急いで逃げたんだ?」
「………。人間にあるはずのない動物の耳と尻尾を見たら、誰だって逃げるだろう」


たっぷり悩んだアッシュは、結局そういう事にすることにしました。ルークは納得してそうだよなと頷いています。真実は少し違ったりするのですが、アッシュは黙っていることにしました。なんとなく癪だったからです。それは、完璧に化けた訳ではないのに自分と同じぐらい魅了したもとい脅かしてしまったルークに対してなのか、それとも真正面からあの愛らしい姿を見ることが出来たガイに対してなのか。
しかしそんな思いも、また負けたーと悔しそうに地団駄を踏む夕焼け色のタヌキを見ていたら、どうでもよくなっていました。


「おい屑、また俺の勝ちだろうが、ちゃんと今日一日俺の言うこと聞けよ」
「むう、分かってるっつーの。今日は何だ?家の掃除?背中流しか、それともこの間みたいに膝枕するか?」


二匹だけが知っている秘密の憩いの場所へと足を向けるアッシュの隣へ小走りで並んでくるこの愛しいライバル兼相方は、他の誰でもない、自分だけのものである事に代わりはなかったのですから。


「……それに、別に化けなくたってこいつは十分……」
「あ?何だって?」
「何でもねえよ」


二つの異なる尻尾を並んで揺らしながら、丸い耳と三角の耳は隣同士でゆっくりと歩いていきました。
毎日ぶつかって喧嘩して化かし合いながら、二匹が離れることはこれからも決して無いのです。





   まるさんかくみみ!

08/03/04