ある日偶然ある街で己のレプリカとばったり遭遇して、驚いた勢いでいつもより激しい口論となった。沢山の酷い言葉を叩きつけて、まるで何かを誤魔化すように突き放した結果、相手を泣かせてしまった(声を上げて泣く事はなかったけど、こちらを睨みつけるその瞳には確かに涙が溜まっていた)。逃げるように別れた後、最後に見たあの表情が頭から離れず、むしゃくしゃしてついその辺の魔物相手に喧嘩を売ってしまう。一人でも簡単に倒せてしまうような雑魚モンスターたちであったが、うっかりして肩を僅かに切り裂かれてしまった。この程度の怪我、放っておけば治ると放置して、その日はやり場の無い気持ちを抱えながら眠った。
そうして次の朝目覚めたアッシュの目の前に現れたのは、小さな小さなレプリカルークだった。


「……そうか、これは夢か」


アッシュは確信した。昨日(不覚にも)言い争いになったレプリカの事を考えながら眠ったものだから、起きる直前の寝ぼけた頭がこんな夢を見せているのだろう。そうと分かれば寝ぼけている場合ではない。一刻も早くシャッキリ目覚めて、本来の目的のために動き出さなければ。アッシュはぼんやりする頭を叱咤してほっぺたをつねった。しかしアッシュの目の前でジッとこちらを見上げてくる人形サイズのルークは、一向に消えようとはしなかった。


「おい屑、夢の分際で往生際が悪いぞ。さっさと消えやがれ」
「消えないよ、だって俺夢じゃねーもん」


指を突きつけると生意気にもそんな事を言う。アッシュは眉間にグッと皺を寄せた。ただでさえ穏やかでは無い朝の目覚めで良い機嫌では無いというのに、余計に不機嫌にさせられてしまう。さて、目の前のこのムカつくチビレプリカをどうしてやろうかとアッシュが考えている間に、ルークはアッシュへとテコテコ歩み寄ってきて、あろう事かよじ登り始めた。アッシュがしこたま驚いた事は言うまでも無い。


「屑が、何してやがる!」
「だってここが俺の居場所だからなっ」
「居場所だと?」


ルークは最終的にアッシュの肩の上まで登って、そこに腰掛けて落ち着いた。どうやらアッシュの肩が居場所だと言いたいらしい。冗談ではなかった。どうして小さいんだとか、自分の肩の上が居場所とはどういう事だとか、そういう事はとりあえず置いておいても、とにかく動き辛いではないか。


「俺の動きを制限して殺す気か、つべこべ言ってないでどけ!」
「何だよ、邪魔なんてしねーって!どうせ俺がいなくたって、まともに肩動かせないだろ?」


にっこり笑うルークに殺意が芽生えるが、確かにその通りであった。昨日肩に受けた傷はまだ治ってはいない。本当に大事には至らないような傷ではあるが、しばらくは動かすだけで痛むだろう。それは肩の上にルークが乗っていようが乗っていなかろうが、同じ事だ。


「大丈夫、俺アッシュの邪魔をしにきたんじゃないんだぜ。アッシュを守りに来たんだ」


アッシュの肩に、傷の上にしがみつきながら、ルークは胸を張って誇らしげにこう言った。


「だって、俺はかさぶただからな!」




かさぶた。傷口からしみ出た分泌物が乾いてできる皮膜の事。主に止血や、傷口の保護、細菌などの異物の侵入を防ぐ働きがある。その色は大体暗赤色である。


「かさーぶたぶたーぶ、かっさぶったー」
「……うるせえ歌うな」
「えーっいいじゃねーか、ケチー」


だから今アッシュの肩に腰掛け機嫌良さそうに鼻歌を歌っている朱色の生き物がいくら自分で言い張ろうとも、こいつが本物のかさぶたな訳がないのだ。
あの後、何とか肩の上からかさぶただと名乗ったミニルークを引き剥がそうと試みた。しかしいくら遠くへ放り投げても、いつの間にかルークはアッシュの肩の上に戻ってきて、にこにこと笑っているのだ。


「だってかさぶた剥がすと痛いんだぞ、アッシュ」
「知っている」
「だから親切なかさぶたの俺はちゃんと戻ってくる訳。アッシュも剥がすなよ、自分が痛いだけなんだからな」


説教を垂れてくる自称かさぶたに悔し紛れのデコピンをしてやると、肩から転げ落ちた後文句を言いながらよじ登ってくる。チャンスとばかりにそれを振り落としてダッシュをしたら、今度はまた瞬間移動をしたかのようにいつの間にかアッシュの肩に収まっているのだった。しばらく逃れる方法を模索して奮闘していたアッシュであったが、彼はとうとう諦めた。そうして今、泊まった宿屋の食堂で朝飯を食べている。
不思議なのは、周りだった。さっきから肩の上で足をぶらぶらさせながらヘタクソな歌を歌ったり何かと話しかけてきたりうるさい事この上ないのに、誰一人アッシュの肩を気にかける者がいなかったのだ。少し遅れて食堂に下りて来た同行者のギンジや漆黒の翼の連中も、寝過ごしただの今日はどこに向かうだのよく喋りかけてくるくせに、アッシュの肩につっこみを入れる者など一人もいなかった。


「あ、このパン美味いっすねー……あれ、アッシュさんどうしたんですか?そんな険しい顔して」
「おいギンジ……俺の肩に何か見えるか?」
「へっ?肩?何かあるんですか?」
「……いや、いい」


首をかしげるギンジから視線を逸らして、アッシュは深い深いため息を吐いた。耳元でうるさくて仕方が無いこの生きた?かさぶたは、どうやらアッシュにしか見えないようだった。非常に厄介だ。


「当たり前だろー、だって俺アッシュのかさぶただもん」


心を読んだようにケタケタ笑うルークにスプーンの一撃をお見舞いしてひとまず黙らせてから、アッシュは心を落ち着けるようにカップの中の飲み物を一気に流し込んだ。熱くてちょっとむせた。



しかしなかなかどうして、かさぶたを名乗るだけあってルークは思ったより邪魔ではなかった。アッシュがどんなに激しく動いても、守っているのか振り落とされないようにしているのか、肩にがっしりしがみつくルークは落ちる事無くくっついている。最初は肩のルークを気にしていたアッシュも、次第に気を払わなくなった。最早慣れである。


「その方が、かさぶたとしての使命を全うしてるって事だから、いい事なんだぜ。さっすが俺!」


再び誇らしげにふんぞり返ったルークは、肩の上でバランスを崩してあわあわ手を振り回している。こんなに不安定なかさぶたはいらねえ、と心の中でアッシュはつっこんだ。何故か言葉には出さなかった。
それにしても、このかさぶたルークは常に笑っていた。アッシュがどんなに振り落とそうとしても、罵倒しても、本当に楽しそうにニコニコと笑っている。その事に最初違和感を覚えたアッシュは、すぐに納得した。かさぶたではない本物のレプリカルークも、確かによく笑っている、ようだ。しかしアッシュを目の前にすると顔を曇らせたり怒りを露わにするだけで、笑顔なんてひとつも見せないのだ。それは大体がアッシュが原因だったりするので、仕方の無いことなのだが。


「……お前は何故笑っているんだ」


気付けばアッシュは口を開いていた。純粋に不思議に思ったのだ。どうしてこの小さなルークは、元の大きなルークと違っていつも笑っているのだろう。一瞬きょとんと瞳を瞬かせたかさぶたルークは、朗らかに笑ってみせた。


「アッシュのかさぶただからだよ」


意味が分からない。そんな気持ちを込めて視線を送れば、本当に分からないのかと変な顔をされた。


「俺はアッシュのかさぶたになれて嬉しいんだ。嬉しかったら、笑うだろ?だからだよ」


当たり前の事だろ、と、かさぶたルークは簡単に笑ってしまう。その当たり前の事が、どうしてあいつにも、俺にも出来ないのだろうと、アッシュは考えた。答えは簡単に浮かび上がってはこなかった。



その日からしばらく、かさぶたルークはアッシュの肩の上から消えることはなかった。戦闘中も移動中も寝る時も、風呂にまで着いてきた。「かさぶたがなきゃお湯が傷に染みるだろ!」と押し切られて結局一緒に風呂へと入ってしまった。さっくり切り裂かれた傷は、ルークがしがみついているからか確かに染みる事はなかった。ちょっとだけありがたく思ってやってもいい、とアッシュは言った。素直じゃないとルークは笑った。そんな日々だった。

かさぶたルークが出現して数日経ったある日、アッシュは以前よりルークが小さくなっている事に気がついた。その辺に売ってある人形サイズだったかさぶたルークは、片手に余裕で乗せられるほど小さくなっていた。
その事を指摘すると、ルークは当たり前のように頷く。


「かさぶたは、どんどん小さくなるもんじゃないか」


何を今更、とまた笑われた。怒りのこみ上げてきたアッシュはルークを投げ捨てた。やっぱり肩に戻ってきてクスクス笑うかさぶたルークに、アッシュはまだ怒りが収まらない。いや、これは怒りではないのかもしれない。では何だろう。この、胸がざわざわする、嫌な気持ちは。
焦り?一体何に。

その時、アッシュの脳裏をあの赤が横切った。アッシュが持つ真紅とは違う、柔らかな太陽の焔色。己の肩に座るかさぶたも持っている暖かなこの色は、間違いなく片割れのレプリカの色だ。どうやら、再び同じ町にきているらしい。あっちはおそらく、まだ気付いていない。


「アッシュ」


最初の頃より大分小さくなってしまったかさぶたルークがアッシュを見て笑う。今のアッシュにとって、この笑顔はもう当たり前のものとなっていた。しかしそれも、もうすぐ終わる。傷が治ると共に。かさぶたが消えると共に。


「終わらないよアッシュ。分かってるだろ?ちゃんと、もとどおりになる」


嗜めるようにルークが頬に触れてくる。かさぶたのくせに、温かかった。


「心の中では、もう決めてるんだろ?勇気出せよ。大丈夫だって、治らない傷なんて無いんだから」


ちょっと怒った顔をしたかさぶたはすぐに笑顔を浮かべる。アッシュの肩にいながら、アッシュの背中を全力で押すように。尚も躊躇う様子のアッシュに、かさぶたルークは前方を指差した。


「ほら、こっち来た」


顔を上げれば、先ほど頭に閃いた色が遠くに見える。ゆっくりとこちらへ向かってきているようだった。アッシュは思わず固まった。
もしあの色がこちらを見て、いつもの通り曇った顔を見せてきたら、自分はどうなるだろう。温かな笑顔に慣れてしまった今、ちゃんと受け止められるのだろうか。そんな臆病な事を考える自分の頭にアッシュは驚いて首を振った。その拍子に長い髪が宙を舞ったのだろう。目ざとく見つけてきた焔色が、こちらを向いた。

そうしてアッシュは見た。アッシュを見た瞬間の、ルークの表情を。アッシュを見つけたと、アッシュに会えたと、喜び笑顔になる一瞬を。
見ていなかったのは、自分だった。ただ見えていないだけであった。勝手に逃げていたのは、己の方だった。

自然と歩き出したアッシュの後姿を、小さなルークは笑顔で見送った。駆け寄ってきた相手といくつか言葉を交わして、怒ったり泣きそうになったりむくれたり、しかし最後に笑顔になったルークと向き合うアッシュを、微笑みながら見送った。


「だから言っただろ、傷は治るよって。もとどおりになるって」


ここからは見えないその表情は、きっと。


「……幸せだったよ。生まれた場所が、アッシュの肩でよかった」


だって、初めて君の笑顔が見れた。



その日、何だかんだと言葉を交わしそれぞれの仲間たちまで巻き込んで結局同じ宿屋にワイワイ泊まる事となったアッシュが寝る前に己の肩を見れば、そこにあったはずの傷はもうどこにもなかった。





   か さ ぶ た





俺はかさぶた。また会える日が待ち遠しいけれど、本当は二度と会わずに済むのが一番。怪我には気をつけてほしいな。

でも、たまには、転んでもほしいな。




08/02/12