「見ろ、"ルーク"……いや、アッシュ。これがお前の変わりに預言によって死ぬために生まれた、レプリカだ」


そんな聞き慣れた声で目を覚ました。さっきまで心地よい音素の海を漂っていたはずなのに、いつの間に体はこんなに重くなってしまったのだろうとルークはぼんやりした頭で思った。椅子のような何かに座らせられているらしい体には、まるで力が入らなかった。これはさすがに可笑しい。大体自分は乖離して音素へと消えたはずだ。もしくはアッシュの中へと還って溶けたはずだ(ああ、アッシュの中だったというのなら、あのとても心地の良い音素のベッドも納得できる)。それなのに今どうしてひんやりとした空気の中固い椅子の上に座ってぐったりしていなければならないのか。落ちていた視線だけを頑張って前方に向けてみれば、そこには目を見開いてこちらを見つめる幼い自分のオリジナルがいた。(隣のヴァンはすでに眼中に無い)
そうして今の信じがたい状況を理解する。ルークはどうやら、自分が生まれた過去の時間にいるらしい。そんな馬鹿な。


「これが……レプリカ……」


驚愕に震えた声が聞こえて、ルークは胸が締め付けられるような思いがした。今、目の前で体を震わせているこの子どもはどれだけの絶望を感じているだろう。駆けつけて抱き締めて大丈夫お前の居場所は奪ったりしないよと安心させてやりたいが、作られたばかりの体はまったく動いてくれなかった。それがもどかしくて仕方が無い。
唯一動く瞳で精一杯見つめていたら、アッシュはヴァンの手から離れ、一歩一歩こちらへ近寄ってきた。震える両手がこっちへ真っ直ぐに伸ばされる。ああ、首でも絞められるのかなと呑気に思っていれば、小さな掌は首よりちょっと上へと伸びてきて、そっと頬へ触れてきた。とても温かくて柔らかい。顔を覗き込んで、アッシュは些か呆然としながらも口を開いた。
そりゃそうだ、自分と同じ顔が目の前にあれば、呆然ともするだろう……。


「可愛い……」


……ん?


「おい、ヴァン」
「どうした、ルーク」
「こいつは、本当に俺のレプリカなのか?」
「そうだ、どこからどう見てもお前にそっくりだろう」
「そっくりだと?」


さっきのは何かの聞き間違いかな?とルークが思っている間に、はっと鼻先で笑って見せたアッシュは頬にあてた手を頭に持っていってどこか愛しそうに撫ぜながら振り返ってヴァンを睨みつけた。


「どこがだ!この愛らしい瞳!ぷくぷくの頬!柔らかい髪!俺とは似ても似つかないだろうが!」
(アッシュー?!)


叫ぶ事も出来ないので心の中でルークが叫ぶと、ヴァンもびっくりしたように目を見開いた。憎ませるために引き合わせたのにいきなりこんな事言い出したらそりゃあびっくりするだろう。


「あ、アッシュよ……それは冗談で言っているのか?」
「俺がこんな時にこんな冗談言う訳が無いだろうが髭が」


随分とひどい口調で罵ると、アッシュはいともたやすくひょいっとルークを横抱きにして持ち上げた。飛び上がるほど驚いたが、体が僅かにびくりと動いただけであった。しかし驚いた事は視線で伝わったらしい、見下ろしてきたアッシュが安心させるように微笑んできた。どう見ても10歳児が浮かべていい微笑みではない。


「アッシュ、そのレプリカをどうするつもりだ」
「気安く俺のレプリカを呼ぶんじゃねえ!」
「ぐふっ!」


ヴァンが慌てて近寄ろうとしたがアッシュに椅子をぶん投げられて顔に直撃し倒れ付してしまう。仮にも神託の盾騎士団主席総長ともあろうものが10歳の子どもに椅子を投げられて倒れるとは、よほど驚いたのか、アッシュがすごいのか。とりあえず椅子を片手で投げる10歳児はそうそういないだろう。
おかしい。何かがおかしい。状況的にこのアッシュはとてもおかしい気がする。ルークは混乱しながらもヴァンを足蹴にしているアッシュを見ている事しか出来なかった。


「ふん、こんな事してる場合じゃねえ。余計な奴らが来ないうちに早くずらかるとするか」


お宝を奪った盗賊みたいな台詞を吐きながらアッシュはずかずかと歩き始めた。もちろん腕にはルークが抱えられたままだ。


(え?!どこ?どこにいくんだ?!)


声の出ない口をぱくぱくさせて何とか視線で訴えると、アッシュは気付いて微笑みかけてくれた。何故か背筋が凍る思いがするのはきっと慣れていないからだ。それか穏やかな微笑みが絶望的に似合っていないか。


「安心しろ、お前を殺させやしねえ……。俺が守ってやる」
(いや、すごくありがたいけど俺が聞きたいのはそういう事じゃなくて!)
「今度こそ……2人で生きる事の出来る世界にしてみせる」
(?!)


驚愕の言葉にさっきから驚きっぱなしのルークの心にさらに波紋が広がる。今、アッシュは何と言った。「今度こそ」?!


(あ、アッシュ?!アッシュなのか?!)
「そのためには髭をもう少し泳がせておく必要があるな……世界などどうなっても構わないが俺たちが生きれなくなったらさすがに困る」
(すごく飛び抜けたこと言ってるけどアッシュなんだよな?!)
「当面はどこかに身を隠しておくか。力は引き継いでいるとはいえ、この体ではまともに戦えねえ」
(さっきは気付いてくれたくせに何で今は気付かないんだよちくしょー!)


アッシュは必死に念を送るルークにまったく気づく様子も無くすたすたと先を急ぐ。やがてそこら辺にたむろする神託の盾兵を剛速球でその辺に転がってた石を投げつけたり奪い取った剣で小突いたりしてぷち倒し、無事に外へと抜け出す。そこはやはりコーラル城で、遠くにカイツール軍港が見えた。少し行けば国境も見えるだろう。


「やはりケセドニアが一番隠れやすいか。このままこっそり船に乗って……」
(アッシュ〜……!ああでも確かに国境関係ないケセドニアが一番かも……)


アッシュが気付いてくれないのは悲しいが、このまま逃げるというのならばルーク的にも万々歳である。今の状況に戸惑っているとはいえ、自分と同じ時間からやってきたらしいアッシュとはなるべく離れたくは無い。カイツール軍港へ足を向けたアッシュだったが、ふとその動きが止まった。


「……いや、チーグルの森あたりに身を潜めて静かに暮らすのもありだな……食い物の調達ならエンゲーブで事足りる」
(え?!)
「髪色さえ隠せば田舎者の目隠しには十分だろう。……2人きりの生活か……ふふ……」
(あ、アッシュー?!)


目の据わったアッシュに何とか声をかけようとするが、便利連絡網はまだ繋がってはいないし元々自分から送ることは出来ない。どこか不穏な空気を纏いながらアッシュは国境へと歩き始めた。決まったらしい。


「新居は俺の手で作ってやるからな、ルーク」
(いやちょっと待てー!ちょっと冷静になって考え直せアッシュぅー!!)


精一杯の叫びはやっぱり届かない。届いててもこのアッシュなら普通に無視しそうだ。

かくして、オリジナルとレプリカの2人きりの平和な日常が幕を開けようとしていたのであった。
……一体アッシュに音譜帯にいた間何があったのか、ルークがこれから知る事があるのかは当人のみぞ知る。


ちなみにルークが同じ時間で生きたルークだと知ったアッシュに死ぬほど抱き締められたのは、ルークが何とか喋れるようになった数日後の事であった。





   僕らは再び出会う

08/01/26