どうしてこんな事になった。
さっきから怒涛の勢いでこの言葉が頭の中を渦巻いているのだが、あえてもう一度自問させてもらおう。
どうしてこんな事になった。


「あーうーっううー」


後ろから舌足らずな言葉にもなっていない声が聞こえてくるが、アッシュは無視する事にした。未だ状況の整理が出来ていないのだ、まだそれと向き合う心の準備というものが完了していない。まずは今までに至る経緯を振り返ってみようとベッドに腰掛け項垂れたままアッシュは考えた。



最初は、そう、普通に町の中を歩いていただけだ。他の仲間たちと合流して少し話すことがあるという漆黒の翼と、アルビオールの整備のために残ったギンジと別れて、食料備品の買出しと宿の確保のためだった。後は近頃野宿が続いていたので、早めに休もうと思っていたぐらいだ。その計画が狂い始めたのは、町中でどこかで見たことのある連中と鉢合わせしてしまった所からだったろうか。


「あ、アッシュだー☆」
「これはこれは、いい所にお会いしましたねえ」


馴れ馴れしく話しかけてくるアニスとジェイドにアッシュが思わず逃げ出したくなったのは言うまでも無い。それでも逃げなかったのは、こちらに近づいてくる面々の中にいつもなら誰よりも早くこちらに飛びついてくるはずの赤毛が見当たらなかったからだ。アッシュのレプリカことルークはどこに行ったのか。そういえば少し後ろを歩いているティアが何かを大事そうに持ってそれをナタリアが笑顔で覗き込んでいる。女性に近づけないガイは悔しそうにそれを眺めていた。一体何なのだ。


「ちょうどいい、アッシュに預かってもらいましょう」
「何っアッシュに?!いいやっ俺は反対だz」
「まあ、それはいいですわ!アッシュならば安心できますもの」
「そうね、私たちも安心だし、ルークも安心できるんじゃないかしら」
「さんせーい!そうしよそうしよ!」


思わぬ所で出てきたルークの名前にアッシュの眉が怪訝そうに潜められた。若干一名ウザッたい金髪が反対の名乗りを上げたが女性ガードによってあえなく撃沈され、彼女らの意見はまとまったようだ、勝手に。そうして前に進みだしてきたティアは、思わず呆けるアッシュへと腕の中の物体を押し付けてきた。条件反射で受け取ると、大変柔らかくて温かいものがアッシュの手に委ねられた。それを見下ろしたアッシュは大声を上げて驚くところだった。辛うじて声は出なかったが、顔なんかは驚愕の形で固まってしまっている。


「アッシュ、驚くのはいいけれど、くれぐれも落とさないでちょうだい」


ティアが嗜めるように注意してくるがアッシュには聞こえていない。ただ手元を見下ろすだけで今は精一杯だった。


「私たちこれからちょっとダンジョンに潜ってこなきゃいけなかったんだー」
「そんな危険な所に連れてはいけないでしょう?だからアッシュ、少しの間預かってくれないかしら」
「バチカルまで戻ろうかと思っていたのですが、アッシュがいて下さって助かりましたわ」
「さて皆さん、アッシュに預かって貰った事ですし、そろそろ行きましょう」
「うっうっルーク……!すぐに迎えに行くから元気で待っているんだぞ……!」
「……っちょっとまて貴様らっ!」


さっさと踵を返そうとするメンバーにようやくアッシュが声を上げた。怒り心頭の表情で、しかしその腕にだけは力を込めないように注意して、アッシュは地を這うような声でこちらを見つめる5人に一つだけ尋ねかけた。


「どうして、こいつが、こんな事に、なっている!」


アッシュの腕の中で呑気にすやすや眠っているのは朱色の髪の赤ん坊だった。明るい夕焼け色の髪を持った人間はそうそういないだろう、アッシュが知っている中では一人だけだ。そして、己と己のレプリカを繋ぐチャネリング(と書いて便利連絡網と読む)がこの赤ん坊と繋がっている事が全てを物語っていた。
アッシュに託されたこの赤ん坊は(信じたくも無いが)間違いなくルークだった。


「アッシュ、体を縮めてしまう毒を持つ新種の魔物はご存知ですか?」
「んな都合の良い魔物いてたまるか!」
「いるんですよねえこれが。その結果がその子です」


ジェイドが指差すのはもちろんアッシュの手元。どうやら新種の魔物に出会った際調子に乗ってほいほい前へと飛び出したルークはものの見事にその毒を食らってしまったのだという。今から行く場所は闘技場制覇を果たし賞金目当てで何回も挑戦し続けたら闘技場オーナーにもう来ないでくれと泣いて頼まれたメンバーでも少してこずる様な難しいダンジョンだったので、赤ん坊なんて連れて行けないと困っていた所に都合よくアッシュが通りかかったという訳だ。自分のあまりにもタイミングの悪さに泣きたくなったアッシュだった。


「という訳で、ルークをよろしくね」
「なっ何故俺が自業自得の屑レプリカの世話なんぞしなければならないんだ!」
「出来れば俺が残って世話をしたいぐらいなんだからな文句を言うなアッシュ!」
「うるせえ変態使用人は黙ってろ!」
「またまたそんな事言ってー、ルークのお世話が出来て実はアッシュ嬉しいんじゃないのー?」
「そうですねえ、赤ん坊から自分好みのレプリカに育て上げる事も出来ますからね♪」
「いわゆる光源氏計画ってやつですかー?きゃわーん☆」
「ひっ?!かかか勝手な事言ってんじゃねーっ!」


好き勝手言うメンバーに顔を赤くして怒鳴ったアッシュは、腕の中の存在が身じろぎしたのを感じてはっと見下ろした。するとこちらを見上げてくる大きなまあるい翡翠の瞳と視線がぶつかる。あらゆる衝撃に固まるアッシュを見つめながら、目を覚ましたルーク(赤ん坊)は、とてもとても嬉しそうににっこりと笑った。怒鳴り声で目を覚ましたというのに恐ろしいぐらいの上機嫌だった。


「まあ、やはりルークはアッシュの傍が安心しますのね!」


その様子にナタリアが歓声を上げる。今まで愚図ったり泣いたりで寝るまでに大変だったというのに、アッシュを見ただけでこれだ。さすがアッシュ!と褒め称える幼馴染に反論する事がアッシュに出来るはずも無くて。

結局アッシュは、こちらを見てキャッキャと笑う小さな赤ん坊を宿に持ち帰ってしまったのだった。



「くそっ、赤ん坊の世話なんかした事がないっつーのに、どうしろってんだ……」


項垂れたままアッシュは一人ぶつぶつ呟いている。背後にはベッドに転がしておいたルークがアッシュの赤くて長い髪に仰向けのままじゃれている。時々引っ張られて痛いがそんな事が気にならないぐらいアッシュは悩んでいた。この小さくなったレプリカにどう接すればいいのか分からないのだ。答えはいくら考えても浮かんでこない、考えすぎて頭痛まで起こってきた気がしてアッシュは大きなため息をついた。
するとそのため息に反応するように、髪が大きく引っ張られた。


「あーうーっ!」
「ぐはっ!……っさま何しやがる!」


赤ん坊の力とて髪を思いっきり引っ張られれば痛いものは痛い。少し涙目でアッシュが振り返れば、そこには短い腕をこちらへ突き出すルークの姿。心なしかその瞳がキラキラと何かを期待するように輝いているようにも見える。しばらくフリーズしたアッシュは、ルークがだんだんと不機嫌にうーうー唸っていくのを見て慌てて腕を伸ばした。そっと小さくて軽い体を抱き起こせば、すかさずもみじのような掌がぎゅっとアッシュの服を掴んだ。


「あうーうー!」
「……これで満足か」


ぎこちない動きで背中をぽんぽんと叩いてやれば、弾むような声が上がる。これだけでこんなにも喜ぶなんて赤ん坊とは幸せな生き物だ、とアッシュは思ったが、普段のルークも頭を一撫でするだけで天にも舞い上がるほど喜んでいた事を思い出した。性格的なものもあるのだろうか。
そういえば。頬をぺちぺちと叩いてくるルークの笑顔を見下ろしたまま、アッシュは思い出していた。
ルークは、この10歳の頃のアッシュの情報から作られたレプリカルークには、赤ん坊の時代が無かったのだと。


「………」
「うー?」


難しい顔をして急に黙り込んだアッシュにルークは首をかしげた。きゅっと寄った眉間の皺が面白かったのか触ろうと腕を伸ばしてくる。拒むように掴んだその手は、少しでも力を加えれば瞬く間に壊れてしまいそうだった。

無条件に愛を得られる姿、時間さえも手に入れられる事無くこの世に産み落とされたレプリカ。
精神的には0歳、肉体的には10歳の生まれたての子どもを、一体どれほどの者が赤ん坊として愛を注ぐ事が出来ただろうか。


こちらをキョトンとして見上げてくる赤ん坊を、アッシュは出来うる限り優しく強く抱き締めた。
今はそうする事しか出来なかった。


「……愛の注ぎ方なんて、知るか」


それでも小さなルークは、アッシュに抱き締められて声を上げて笑った。その笑い声が幸せそうに聞こえたのが気のせいではない事を、アッシュはただ祈った。





   赤ちゃんと俺

     ファーストコンタクト

08/01/26