1人でポツンと立っていた。どこかも分からぬ場所でいつかも分からぬ時代に1人きりでただ立っていた。目を瞑っても開いても何も見えない、1人の世界だ。
1人はどこまでも1人きりだった。それだけだった。
それしかなかった。


そんな夢を見たような気がした。





「なーアッシュ、手貸して」
「断る」


即答したアッシュだったが、すぐに使っていなかった左手を取られた。さっきのルークの言葉は尋ねるというより宣言だったのだろう。さらに人の話をまったく聞いていない。しかしルークの話を右から左へ受け流す能力は今に始まったことでは無いのでアッシュは無視する事に決めた。元々使っていなかった手である。膝の上に本を乗せて右手でページを捲る分にはまったく支障は無い。寝る前だったのでいつもつけている手袋も無い、生身の手だ。
アッシュはベッドの端に座り読書中、ルークはベッドの上でゴロゴロと暇を持て余していた所だった。偶然一晩泊まる町が同じで偶然鉢合わせて一緒に泊まるぞと強引に引っ張られる事は不思議な事に割りとよくあった。そして大抵ルークとアッシュは一緒の部屋に泊まる事となる。というより、宿代節約のために(後ルークがうるさいので)一緒に押し込められてしまうのだ。そういう時の夜寝る前のいつもの光景であった。大抵はお子様ルークがすぐにうとうとし始めて寝入ってしまうか、構えと纏わりついて切れたアッシュに怒鳴られたり構ってもらったりする事が多い。ただ、今日は大人しく窓から外を見ていたはずだったのだが。

両手で掴まれてじっと見つめられている左手の方へ視線を向ける事無く、アッシュは変わらず本へと視線を落とし続けていた。温かな手がまるで形を確かめるようにアッシュの指1本1本へと触れていく。しばらくそうして弄繰り回されていた左手に、ぺたりと掌をくっつけられた。


「なあアッシュ、見ろよ」
「何だ」
「俺とお前の手、ぴったり合わさるぞ」
「知っている」


話しかけられてもアッシュは振り返らなかった。とても当たり前の言葉だったからだ。ルークの右手とアッシュの左手が寸分の狂いも無く鏡合わせの様に合わさる事はすでに周知の事実であった。ルークの左手とアッシュの右手を合わせてもきっと同じ光景が見られるだろう。育ちは違うはずなのに同位体の宿命なのか。その事についてアッシュが内心悔しく思っている事をルークは知っているだろうか。


「見た目だけじゃないぞ、もっともーっと合わさってるだろ」


語彙の少ないルークが何と言えば一番適切だろうかと考え込みながらそんな事を言う。とりあえず今の言葉じゃまったくの説明不足だ。一体何が言いたいんだと内心思いながらもアッシュはやっぱり視線を上げる事は無い。しかし思っている事が伝わってしまったのか、うんうん唸りながらも再びルークが口を開く。


「奥のほうでこう……繋がってるような感じ?」
「分からん」


一言の元に切り伏せたアッシュだったが、ルークの言いたいことが何となく判る気がした。とても不本意な事だが。おそらく、同調フォンスロットでの繋がりの様なものなのだろう。こうやって肌をくっつけると、言いようの無い繋がりを感じてしまう。同位体というものはやっかいなものだ。
アッシュはほとんど反応を返していないのに、ルークは飽きもせずに奪い取った左手で遊んでいる。パシパシと軽く掌同士で叩き合ってみたり、力の限り押し付けてみたり、つねってみたり。さすがにつねられた時はすぐさま手を払いのけてみせたが、それでも懲りる事無くすぐに手を伸ばしてきた。そんなに暇なのだろうかと思わず考えてしまう。

やがて再びぴったりと引っ付いてきたルークの右手は、そのままぎゅっと指を絡めて柔らかく握り締めてきた。内心ギョッとしたアッシュは、すでに本を読んでいたはずの視線が先ほどから1ミリも動いていない事に気付いてしまう。いつの間にか意識の大半が隣でゴロゴロしながら絡んでくる半身へと向いてしまっているようだった。舌打ちしたい気持ちを必死で抑えていると、ほう、と心から安心したようなため息が聞こえた。


「何か、こうしてると、すごく落ち着く……」


触れれば溶けて消えてしまいそうな声に思わずアッシュはとうとう振り向いていた。すぐ下に柔らかな朱色の頭が見える。ぴったりとアッシュに体を寄せて、繋いだ手を抱え込むように丸くなっていた。とても大事なものを守っているような、縋りついているような体勢に、とっさに開いたアッシュの口からは言葉が出てこない。
繋いだ掌からは、いっそ熱いほど相手の体温が伝わってくる。


「……そのまま寝るつもりか」


やっと出てきた言葉は自分でもとても間抜けなものだと思った。しかし事実ルークはうっとりと目を閉じていて、放っておけばそのままストンと眠ってしまいそうであった。軽く頭をはたいてやると、ちらりと器用に片目だけ開けてアッシュを見上げてくる。


「だって気持ち良いんだもん……」
「寝るのなら手を離せ。俺が眠れないだろうが」


確かに夜も更けてきたので眠たそうな奴を無理矢理起こしておくべきではないだろう。が、奪われたままの左手はがっちりと掴まれていて、簡単には抜け出せそうに無い。しかしルークは離す気配のないまま、さらに体重をかけて下へと引っ張ってきたのだ。この不意打ちにはさすがのアッシュも逆らえずに、勢い良く背後へと倒れてしまう。そこにはもちろん柔らかなベッドがあったので、痛みも何も感じる事は無かったが。


「っおい!」
「いいじゃん、このまま寝ちゃおうぜー……」
「ふざけるな!もう眠り被りやがって、離せと言ってる……!」


これ幸いとばかりにくっついてくる頭を押し遣りながらアッシュは手を引き抜こうと試みるが、上手くいかない。本気でルークはこのまま一緒に寝ようとしているようだ。冗談じゃない、第一狭すぎる。同じ図体が並んで楽に寝られるほどこの安宿のベッドは広くも無いのだ。今の状態だと足も下に落ちたままだし、下手をすれば朝にはベッドの下に落ちている事になるかもしれない。そんなのは絶対にごめんなので、アッシュは力を込めて拳骨を振り上げた。そのまま調子に乗っている能天気な頭に振り下ろそうとしたのだが、ポツリと、聞き零してしまいそうなほどの小さな声で呟かれる。


「このまま眠れば……夢、見ないような気がする……」


そのままルークはじっと目を瞑って、動かなくなってしまった。振り下ろすはずだった拳は力を無くし、やがてパタリと落ちてきてアッシュの目元に掛かった。
まいった。降参だった。
反則だろう、とアッシュは内心憤る。時々見ているのも辛いような暗い夢を無理矢理(しかも無意識に)見せられている身では、今の言葉を無視することが出来ないではないか。悪夢に苛まれ、最近満足に眠れていない奴が夢を見る事無く眠れそうだと言う、それを邪魔する事が出来るだろうか。少なくともアッシュは出来なかった。


「くそ……俺の負けか……」


すごくすごく悔しそうに呻いたアッシュは、手の届く範囲にあった毛布を掴んで自分に被せた。悔しかったので、ルークには半分被せた。これで風邪を引いてしまっても自業自得だ、多分。

そうしてアッシュはとうとう目を閉じた。繋がれたままの手は、どこまでも温かかった。





   そうして夢は繋がる。





2人で並んで立っていた。どこかも分からぬ場所でいつかも分からぬ時代に2人きりで並んで立っていた。目を瞑っても開いても何も見えない、しかし隣を見れば相手が見えた。
2人はどこまでも2人きりだった。それだけだった。
それだけでよかった。

その手は二度と離れないかのように繋がれていた。


そんな夢を見たような気がした。




07/09/28