あいつを探して歩いていると、歌が聞こえた。歌い手が観客のために歌うような美しいものではなく、音律士が戦う兵士たちのために紡ぐような勇ましいものでもない。子どもが戯れに聞いた事のある歌をでたらめに歌っているような非常に拙いものだ。それでもその歌は俺の中へじんと染みていく。その歌は紛れも無くあいつの歌だったからだ。たった一人の俺の半身の歌だからだ。

歌が聞こえた方へ足を伸ばしてみれば、探していた姿はすぐに見つかった。俺とあいつの周りにはいつの間にか真っ白な花が咲き乱れ、その中に埋もれるように、あのアホみたいに跳ねている朱色の後ろ髪が風も無いのに揺れているのが見えた。この花は、確か夜にしか咲くことの無い珍しい花だったな。いつだったか、一番好きな花なのだとあいつが楽しそうに話していた事を思い出す。人生の節目の場面に、必ずと言っていいほどあの花が咲いていたんだそうだ。楽しいことばかりでは無かったけどと話す奴の顔が言葉と反対に笑っていたことが何故だか印象に残る。
おそらくあいつは今、その場面を思い出しているのだろう。暗闇に包まれる地上に美しい光り輝く白い花が咲き誇り、その上を撫でるように風が吹き通るその光景を。だから今のこの光景がここに存在している。
ここは本来第七音素以外何も無いはずの、空の上だからだ。


「ルーク」


背後から呼んでやると、あいつは、ルークはパッと振り返ってきた。心なしかその表情がどこか嬉しそうに輝いてやがったんで、俺は何故だかムッとしていた。


「……何だその顔は」
「え?」
「妙に嬉しそうな間抜けな顔しやがって」


俺が指を差してやると、「人に指を差しちゃいけないんだからなー」とか何とか言いながらルークは自分の頬に手を当てて締まらないその顔をふにふにやっている。にやにやと笑う表情は一向に治る気配がしなかった。


「だってさ、いくら経っても慣れても、アッシュに名前呼んでもらうのはどうしても嬉しいんだ」
「………」
「あー俺が悪かったよ、だからそんな照れんなって!」
「っ照れてなどいない!」
「嘘つけ、アッシュがここにこんな風に皺寄せるのは照れてる証拠だって俺知ってるんだぜー」


立ち上がって俺の前に立ったルークは俺の眉の間に指を当てぐりぐりと押し付けてきた。こいつ……舐めた態度を。即座にその指を持って少し捻ってやると、ぎゃーっとか情けない悲鳴を上げてルークは身を捩る。


「痛い痛い!痛いっつーの!離せよ!」
「……ふん、次は折ってやるから覚悟しやがれ」
「おー怖っ照れ隠しにそこまでムキにならなくても……いや何でもない!まったく何でもないっ!」


まだ舐めた事を言い出し始めたので俺がひとつ睨んでやれば、慌てて両手を大きく振って話を逸らしてくる。いちいち動きがオーバーな奴だ。別にこいつの指を折りにここへ来たわけではなかったので、それに乗ってやる事にする。俺がため息を一つ吐いて黙ると、ルークもほっと息をついて再び花の中へと腰を下ろした。


「……思い出していたのか」


正面を向いたまま俺が問いかければ、隣に座り込んだルークが頷く気配がした。見なくても分かる。俺とこいつは見えない強固な糸か何かで繋がっているからだ。


「まあ、バレバレだよな。周りこんな花だらけにしてちゃ」


一つ鼻を摘みながらルークが苦笑する。第七音素と音素振動数が同じな俺たちはこの濃厚な第七音素の世界に包まれていれば己の心境がダイレクトに辺りに伝わり、影響を及ぼしてしまう。特に強い想いや思い出なんかが景色となり目の前に現れてくる。一度こいつが悪夢に見舞われ周りが崩れる大地と瘴気に包まれてしまったこともあったが(あの時はあるはずのない二度目の死を一瞬覚悟してしまった)ここには俺とルークしかいないので他に迷惑をかけることもない。それだけが救いだ。


「帰りたいか」


問えば、ルークはすぐに首を横に振った。躊躇いも無いその答えに一瞬俺が安堵してしまったのは秘密だ。だが俺とこいつの間に秘密などめったに作れるものではないので、おそらく伝わってしまっただろう。不覚を取った。案の定おかしそうに肩を震わせながらルークが声を上げる。


「別に。ただ思い出してただけだよ。あの頃が懐かしいなあーって」


ルークの手が俺の手を掴んでぐいぐい下へと引っ張ってきた。座れという事か。大人しく俺が引かれるままに横へ座ってやると、柔らかな夕日色の髪がことんと肩に乗ってくる。昔の俺は、今の状態が心地よいと感じる俺のことを嫌悪するのだろうな。


「でも、いいんだ」
「いいのか」
「昔の俺の隣には、アッシュがいない。だからいらねえ」
「そうか……それなら俺もいらないな」


俺が本心のままそう言うと、一瞬動きを止めたルークは馬鹿もー信じらんねーとか訳の分からない事をいいながらさらに引っ付いてきた。暑苦しい。


「ローレライ、頑張ってるのかな」


ふとルークが俺たちの変わりに嬉々として地上へ降りていった奴のことを口にした。そういえばそんな奴もいたな。今まで特に思い出す事もなかったが、泣いて帰ってこないところを見るとそれなりに楽しんでいるのだろう。

二年の時を経て地上へ戻れる体を作り上げたローレライは、俺たちのうち一人しか戻る事が出来ない事を告げた。俺たちは顔を見合わせ、即座に首を横へ振った。一人しか戻る事のできない地上に何の価値があるというのだろう。時間をもう少しかければ二人分の体を作る事ができるらしかったが、俺たちはそれも蹴った。ここで、あの忌々しい地上のしがらみがまったく届く事の無い音譜帯の上で、こうして2人で暮らすほうが何倍も良い。残してきてしまったごく僅かな後悔も無いわけではないが、傍らに存在するこの半身に比べれば全てがどうでもいいものだった。
俺たちは、俺たちだけで存在する事を選んだのだ。

ちなみにその後ローレライの奴がせっかく体を作ったんだからもったいないと、勝手に地上へ降りていってしまった。奴も人間や世界に興味があったようだし、ずっと地核に閉じ込められていたせいで鬱憤が溜まっていたのだろう。好きにしろと言うと喜び勇んで降りていった。あれからどれほどの時が経っただろうか、覚えていない。
ローレライが不在の間、俺たちが代わりを勤めているわけだが、特に何もすることは無い。ただ2人でこうして暮らしているだけだ。この穏やかな時間が、俺たちにとって何よりも喜ばしいものだった。

ふわり、と白い花が揺れる。ぎゅうぎゅうと引っ付き離れそうにないルークの手触りの良い頭をそっと撫でてやりながら、俺はゆっくりと流れる時に身をゆだねていた。こんなに心が安らぐ日がこようとは思いもしなかった。

何にも替え難い、俺の半身。
おそらくこいつを手に入れるために、俺は生まれてきたのだろう。




   セレニアの花の中で

07/09/03