仕事も何も無い珍しい日だった。穏やかな空気が流れる中、大きな横長のソファに座ってアッシュはゆっくりと読書を楽しんでいた。何で休日に堅苦しい本なんか読むんだよとどこかの誰かさんは舌を出してみせるが、こうやって頭の中に知識を溜め込むことがアッシュにとって一種の癒しとなるのだから仕方が無い。
パラリ、とページをめくる音だけがこだまする室内に、やがて別の音が混ざってきた。ごそごそと隣で動く物体があったわけだが、アッシュは気にせずに本に視線を落とし続ける。少し前に暇だーと押しかけてきて無視するなと引っ付いてきて相手しろよと拗ねて動かなくなっていた相手がふいに動き出しただけだ。先ほどアッシュの頭の中で舌を出してみせたどこかの誰かさんことルークだった。


「出来た!」


満足そうなルークの声を聞いて、初めてアッシュが顔を上げた。出来た、とは、一体何のことだろうか。先ほどからアッシュの隣に陣取ってじっと動いていなかったはずだ。何だか嫌な予感がしてそっと隣を振り返れば、こちらを転がりながら見つめる満面の笑みとぶつかる。


「っへへー、なかなか上手く出来てねえ?これ」
「一体何だ……」


ルークの手元を見つめたアッシュは、そこに自分の長い髪がある事に気がついた。間違いない、アッシュの髪である。こんなに鮮やかな赤い髪を持つ者はアッシュ以外にいないし、一見同じ赤い髪のルークもアッシュの赤とは違うお日様色の明るい赤だ。何より髪が短い。
その間違いなくアッシュの髪には現在、白い物体が巻きついていた。


「……何だそれは」


心なしか痛んでくる頭を抑えながらとりあえず尋ねると、ルークは胸を張って答えた。


「メイドから貰ったんだ!これアッシュ様とお揃いでつけて下さいって」
「一体何考えてやがるメイドたち……!」


アッシュが悪態をつきたくなるのも無理は無い。ルークの手によってアッシュの髪に巻きつけられている細長い白い布は、どこをどう見てもリボンだったのだから。男にお揃いでという言葉を添えてプレゼントするものでは断じて無い。それを受け取る方も受け取る方であるが。


「せっかく貰ったんだからつけないと損だろ」
「そこで何故真っ先に俺だ。自分でつけやがれ」
「俺の髪短いだろー」


でももったいないからつける、と今度は自分の髪をいじくりだしたルーク。短めの髪を握って持っていた黒いリボンを頑張って巻きつけようとする。ただでさえ不器用なのに鏡もなしにルークが自分で自分にリボンをつけられるはずが無い。それをよく知っていたアッシュはしばらくルークが唸りながら頑張るのを眺めていたが、軽くため息を吐いた後握り締めすぎて少しヨレヨレになってしまった黒いリボンを手に取った。


「貸せ」
「あ?あれ?何?」
「黙れ。じっとしていろ」


アッシュが凄むとルークはぴたりと大人しくなった。何かの習性なのか。その隙にルークの髪を取ったアッシュは、手馴れた様子でリボンを巻きつけてやった。綺麗な黒い蝶が明るい朱色の髪の上に出来上がると、ぽんとひとつ頭を叩いて完成したことを告げた。


「鏡でも見て来い」
「おっおうっ!」


非常にワクワクした様子でソファから転げ降りたルークは壁に下げられていた鏡を覗き込んで歓声を上げた。完璧な形で自分の頭の上にあるリボンを感激しながら触ろうとして、やっぱりやめて飛び跳ねる。リボン一つでどうしてそこまで喜べるのだろうとアッシュは肘をつきながら喜ぶルークを眺めていた。


「すげえっあんな短時間でどうしてこんなに綺麗にちょうちょ結び出来るんだよ!ずっりい!」
「ずるいも何もあるか、お前が不器用なだけだ。髪が長い時期があれば自然と慣れるだろうが」
「だって結ぶ時はほとんどガイにまかせっきりだったし」


誤魔化すようにあははっと笑ってみせるルークにアッシュの眉がきゅっと寄った。少し不機嫌になった証拠だった。何でもあの元使用人にやらせていたルークへの怒りなのか、それとも断る事無くむしろ率先としてルークの髪を結っていたのだろうガイへの怒りなのか。


「とすると、もしや俺に巻きつけてあるこの白いリボンは蝶結びのつもりか」
「つもりかっていうか、そのものじゃん」
「………」
「な、何だよ!悪かったな不器用で!」


呆れた目で自分の髪を見下ろすアッシュにルークが吼えた。不器用の自覚は一応あったらしい。ごちゃごちゃと絡まっている白いリボンは呆れを通り越してこんなにも自分と違うのかと感動してしまうほどの出来だった。しかし何故か不思議と結びなおしたり外したりしようとする気は起きないのだから、自分は終わっているとアッシュは思う。
それよりも、ひとつ気になる事があった。


「おい」
「んあ?」
「ひとつ聞いてもいいか」


改めてなんだろうといった不思議そうな顔でルークが頷いた。アッシュは自分の髪の白いリボンと、ルークの頭の黒いリボンを順番に指差してみせる。


「何故お前が黒いリボンで、俺が白いリボンなんだ」


普通逆じゃないのか、とアッシュは言った。メイドもおそらくそのつもりで手渡しただろう。ただ単に普段着るものがルークが白系、アッシュが黒系というのもあるのだろうが、知り合いの大半はおそらくルークを白、アッシュを黒のイメージで捉えているだろう。しかしルークは質問の意図が読めないとでも言うようにますます首を傾げてみせた。


「だって、アッシュ白も似合うだろ」
「ああ?」
「いっつも黒いのばっかり身につけてるけどさ、普通に白い服着てもいいと思うんだけどなあ、俺」


再び隣に腰を下ろしてきたルークをアッシュは若干困惑顔で見つめた。その視線に気付いたルークが、にへらと笑いかける。


「別にさ、俺が黒着たってアッシュが白着たって、いいじゃん」
「………」
「それとも俺黒似合わねえ?そうだとちょっとショックだな……別に嫌いな訳じゃないし」
「いや……」


とっさに言葉が出なかったアッシュはとりあえず首を横に振った。それならよかったと笑うルークの黒いリボンを、改めて眺める。似合わないことは無い。普段身につけないものだから違和感は拭えないが、それも慣れたら消えていくのだろう。そう思えば、むしろ似合っている方だ。

アッシュは考え込むと同時に自然と俯いていた。自分が黒を身につけ始めたのはいつ頃のことだったか。始めから黒を好んでいたとしても、きっかけはまず間違いなく神託の盾騎士団時代だろう。着ていた教団服が基本的に黒色ばかりだったし、役柄的に目立たない色を着る必要があった。しかし今はそれがない。未だに黒を着続ける意味は何か。ただ単に慣れだろうか、それとも。


「アーッシュ」


思考を断ち切るかのようにべったりと引っ付いてくる腕。邪魔をされて思わず睨み付ければ、まったくへこたれない笑顔がそこにあった。むしろ視線が自分に向いている事に喜んでいるぐらいである。
その笑顔を見ていると、全てが馬鹿らしくなってアッシュはまとめて放り投げた。ひとまず膝の上に放置してあった本を閉じて安全な場所に避難をさせてから、我ながら上手くいったと思える黒い蝶へ手を伸ばす。いつかこの片割れが綺麗な白い蝶も紡げるようになれば、お揃いで外を歩ける日も来るかもしれない。




   黒い蝶 白い蝶

07/08/11