ヴァンはこの計画が狂い始めている事を感じていた。少し前から、いやもっと前からその兆候は現れていたように思う。例えば、大人しく自分に従っているはずのアッシュの目が、ふと射殺さんばかりに鋭く睨みつけてくる時。純情に愚かに育ててきたはずのレプリカルークが、何かを探るような深い瞳で見つめてきた時。憎しみに彩られた毎日を過ごしているはずの表情がふと、何かを思い起こすように安らぐ時。退屈だと喚きながらも、健気に何かを待つ様子のその背中を見た時。
極めつけは、ルークがバチカルの屋敷から擬似超振動で外に放り出された後だ。アッシュはますます不可解な行動を起こすし、ルークの態度にもちらほらと反抗的な態度が見えてきた。これはよくない兆候だった。完全に敵対するはずだった同位体の赤毛の2人が、今向き直ろうとしている。自分の知らぬ所で。ヴァンはそれに気づく事ができた。
だがその悩みも今終わろうとしている。レプリカルークの死という結末を持ってして。元々このアクゼリュスを落とす為だけに作られた命なのだ、これは定められた結末だった。パッセージリングを前に、ヴァンはほくそ笑んだ。手元には、暗示の力によって手を掲げるルークがいる。これで超振動を放てば、アクゼリュスは崩壊するのだ。
「さあ、力を解放するのだ、愚かな……」
「ルーク!」
その時聞こえた聞き覚えのある声にヴァンが振り返る。入口に、息を切らせながらもしかし殺気を隠そうともせずこちらを睨みつけるアッシュが立っていた。情報がどこかからか漏れたらしい。いや、それは予想していた事、その後ここまでこんなに早く駆けつけてくるとは思わなかった。心の中で舌打ちしたヴァンは、ルークがアッシュの声に僅かに反応した事を見逃さなかった。他の計画は今の所全て順調であったが、この超振動を扱う2人の同位体を敵対させる計画だけは失敗に終わったらしい。忌々しい、ヴァンは今度は実際に舌を打ってみせた。
「ヴァン!ルークに何をしやがった!」
「アッシュか、私は別な場所で待機するよう言っておいたはずだが」
「知るかっ!そいつを放しやがれ!」
剣を勢いよく振りかぶってこちらに突撃してくるアッシュをヴァンは正面から迎え撃った。刃と刃がぶつかり合う音があたりに響く。勢いは良かったアッシュだったが、ヴァンから繰り出される重い一撃に応対するのが精一杯で、攻める事が出来なかった。こちらに向き直ったヴァンの背後には未だにルークがパッセージリングを目の前にして立っている。暗示が掛かっているのだろう、回線を使っていくら呼びかけても、ルークからの返事は無かった。
「ふ、考え事をしている暇があるのか?アッシュよ」
「っ!!ぐはっ!」
突然後ろに引っ張られてアッシュは思わず剣を取り落としていた。その長くて美しい真紅の髪を無造作に捉えられてしまったのだ。一瞬隙の出来たアッシュの腹に、ヴァンの膝が埋め込まれる。目の奥がチカチカして、アッシュの意識は一瞬どこかへと飛んでしまった。
「大人しくしていろ。今このレプリカを使ってすぐにアクゼリュスは落ちることとなる」
痛みに呻くアッシュを片手に、ヴァンはルークへ向き直った。自分ではどうしようもない力に上げられたままだった両手を震わせながら、ルークが僅かに振り返ってくる。
「ヴァン、せんせ……」
「まだ意識があったか。劣化レプリカも少しは成長したか」
「っ……!」
「ヴァン、貴様……!」
傷ついた瞳で見つめてくるルーク。殺さんばかりに睨みつけてくるアッシュ。2人の赤毛を見下ろして嘲笑したヴァンは、再びルークの肩に手をかけた。そうして、悪魔の言葉を囁く。
「さあ、力を解放しろ……」
「い、嫌だ、やめて師匠……!」
「――愚かなレプリカルーク」
「っあああああああ!!」
ルークの超振動が放たれた。その手から迸る光の渦は瞬く間にパッセージリングを飲み込み、跡形も無く消し飛ばしてしまった。同時に支えられていた地面が振動を始める。崩落が始まったのだ。力を出し切ったルークは、がくりと膝を突いて力無く項垂れる。髪を掴まれたまま身動きが出来ない状況で、それでもアッシュがルークへと手を伸ばす。
「ルークっ!」
「これでアクゼリュスは崩壊する。さあアッシュ、私と共に脱出するぞ」
「ふざけるなっ俺はてめえと行く気なんかねえ!放しやがれ!」
アッシュがいくら叫びもがいても聞く耳を持たないヴァンは頭上へと何かを呼ぶ。その時ようやく異変に気がついた仲間達がたどり着いた。
「兄さん!ルーク!それにアッシュ……!」
「何これ!どうなってんのー?!」
「パッセージリングが……このままではここは崩落してしまいます!」
口々に驚愕の声を上げる仲間達を見上げ、ヴァンは目を細める。その目は唯一の身内である最愛の妹へ向けられていた。
「メシュティアリカ、お前には譜歌がある。それで……」
「兄さんっ!」
ティアの悲鳴のような声。そこへ巨大な鳥が舞い降りてきた。これに捕まってヴァンはここを脱出するつもりなのだろう。このままではここにルークを残して連れて行かれてしまう。アッシュは無我夢中であった。
懐に手を伸ばすと、常時いつでも忍ばせていた短剣があった。それを素早く取り出すと、己を戒めるヴァンの手元へと――自分の髪へと宛がう。ヴァンがハッと気がついた時には、そこには切り取られた長い髪の一部しか残ってはいなかった。
「ルーク!」
ヴァンの腕から逃れたアッシュは脇目も振らずにルークへと駆け寄った。ヴァンはとっさに手を伸ばすが、もうすでに間に合わない事を悟る。仕方なく1人でグリフォンへとぶら下がったヴァンは、未練の残る目をした後、空高く舞い上がっていった。それすらも構わずに、アッシュは地面へと倒れ付すルークを抱き起こした。
「しっかりしろ、目を覚ませ、ルーク!」
「……っ、あ、しゅ……?」
ルークは疲れた瞳でそれでもアッシュを見上げた。そこには今まで見たことも無いような焦ったアッシュの顔がある。ルークが目を開けたのを見て、その表情が僅かに安堵したように歪んだ。それをルークが認識できたのは一瞬だった。すぐに意識が黒く塗りつぶされて、周りのあらゆる音が遠い彼方へと遠ざかってしまう。
「アクゼリュスが崩壊するぞ!」
「皆私の傍へ!早く!」
焦った皆の声と、美しい譜歌、ルークが覚えていたのは、そこまでだった。
辺り一面、毒々しい瘴気の色で埋め尽くされていた。お世辞にも気持ち良いとは言えない生ぬるい風をその身に受けながら、タルタロス甲板にアッシュは立っていた。そこには誰もいない。仲間達は辺りの景色と、アッシュが語った真実にショックを隠しきれない顔で艦内に留まっている。陰湿な空気に嫌気が差したアッシュは、1人外へと出てきたのだ。慣れない超振動を無理矢理使わされ気を失ったルークはまだ目覚めない。
アッシュは忌々しそうに目を細めた。守ってやる事が出来なかった。初めて合間見えた時、小さな手で触れられた時、その時に体中を駆け巡った衝動を思い出す。必ずと己と目の前の分身に誓った事を思い出す。それが守られなかった。守る事ができなかった。強くなろう、半身のためにも強くなろうと今まで頑張ってきたと言うのに、いざという時に何も出来なかった。己の同位体が道具のように扱われるのをただ見ている事しか出来なかったのだ。あれは何のための約束だったのか。何のための誓いだったのか。
ガンッと手すりに拳を打ちつけたアッシュは、背後に見知った気配が立っていることに気がついた。気付かない訳が無い。この世で何よりも大事で大切な、己の半身だった。
「アッシュ……」
「目を覚ましたのか、ルーク。……具合はどうだ、どこか悪い所は無いか」
振り返ったアッシュの目の前には不安そうな瞳でこちらを見つめるルークがいた。見る限り、目立った異変は無い。ルークは首を横に振って、改めてアッシュを見つめた。その目が痛々しそうに細められたので、アッシュは内心首をかしげる。
「ルーク?」
「アッシュ、ごめん……。俺のせいで、アクゼリュスは……」
「あれはヴァンがお前に無理矢理やらせた事だ、全部がお前のせいじゃないだろうが」
「でもあれは俺の力だった!それに……!」
ルークは涙を湛えた目でアッシュへと手を伸ばした。戸惑うアッシュの頬の横をすり抜けて、後頭部へと指が触れる。そこに今まであったはずのものが、綺麗さっぱり無くなっていた。
「アッシュの髪が……」
「ああ、これか。髪なんてまた生えてくる、気にするな」
「でも、でも……!長い赤髪って、キムラスカ王家の主張なんだろ?」
泣きそうな声でルークが言う。赤い髪の色と緑の瞳の色は、キムラスカ王家の血そのものであった。だからこそその真紅の髪は、短く切ることを許されてはいない。手入れが面倒くさいのにルークがしぶしぶ髪を伸ばしていたのは、切る事を禁止されていたからだ。
しかし、ルークはレプリカに過ぎない。本物のオリジナルルークは、目の前で一段と軽くなった頭を僅かに傾げているアッシュだ。レプリカの自分が髪を伸ばし、オリジナルであるアッシュが髪が短い今の現状に、ルークは力なく項垂れた。取り返しのつかない事をしてしまったと、心の底から思った。
そんなルークの頭に触れる暖かな手。思わず顔を上げれば、そこには優しく微笑むアッシュがいた。
「ルーク、俺はお前の髪が好きだ」
「っは?!」
いきなり大胆な事を言われてルークは目を剥く。しかしアッシュはお構い無しであった。
「毛先に行くにつれて輝くように金色を帯びるその明るい緋色。俺の血に沈んだような赤よりよほど聖なる焔の光の名に合っていると思う」
「そ、んな!アッシュの綺麗な真紅の髪の方が絶対に合ってるよ!」
「だが俺はお前の優しい髪色が好きだ」
アッシュはゆっくりとルークの長い髪をその手に取ると、そっと口付けた。頬を赤らめるルークを見上げ、アッシュが微笑む。
「だからいいんだ。俺の好きなこの髪を、俺の代わりに伸ばしていてくれさえすればな」
「そ……そういう問題じゃ……!」
心底照れまくりながらもルークは必死に言葉を紡ぎ出そうとする。自分が言いたいのはそういう事ではないのだ。本来は今のルークが立っている場所にいるべきなのは、目の前にいる今まで影で生きてきた人物である。それなのにアッシュはあっさりと高貴な長い髪を捨てて、自分に代わりに伸ばせと言うのだ。代わりは自分の方なのに。ルークがそう声を上げようとした所へ、見計らったようにアッシュが肩を掴んできた。
「ルーク。俺たちは、2人でひとつだ」
「?!」
「そこには本物も偽者も、裏も表も、光も影もない。俺たちは平等に、ここに2人で立ってるんだ。2人で「ルーク」なんだ」
アッシュはそのままルークをその腕の中へと抱き込んでいた。驚いたルークが身動きしようとすれば、それは叶わなかった。まるでぴったりと合わさってしまったように居心地がよすぎて、離れられない。元来こうやって2人で身を寄せ合って生きてきたかのように、その抱擁は極自然なものであった。
「だから、そんな悲しい顔をするな。俺はお前と共にこうやって立つことができれば、それでいいんだ」
「アッシュ……」
力強く、しかし限りなく優しく抱き締めてくるその腕に、ルークはそっと手を添えた。ひどく温かかった。まるで溶け合って、そのままひとつになってしまいそうに。
「俺で、いいのか……?アッシュの隣に立つのが、俺でいいのか?」
「お前以外の誰がいるんだ。初めて触れ合った時から、俺はお前しか見ていないのに」
さらりさらりと爆弾発言をかましまくるアッシュにルークは紅潮しっぱなしであったが、心の底から溢れてくる暖かなそれに自分からアッシュへと縋りついていた。じわりと目尻に滲んでくる水分に、ルークはその暖かな気持ちの正体に気づく。
それは紛れも無く、「幸せ」であった。
「アッシュ……!」
「……ルーク」
互いに支えあうように抱き締める2人の頭上にその時、差し込むはずの無い太陽の光が降り注いだように見えた。まるで同じ場所に立つ2人を祝福するかのように。
ふたりの陽だまり
07/04/29
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