うっそうと生い茂る森の中でしつこいほど追いすがる魔物たちを蹴散らしながら必死の思いで駆け抜けていた最中、唐突に開けた目の前に広がった光景にルークもアッシュも一瞬目を奪われた。
辺り一面花畑が広がっていたのだ。





「こんな所にこんな場所があるなんて知らなかった」


ルークは嬉しそうにそう言うとすぐに駆けていってしまった。少し遠くのほうで花びらが盛大に舞ったので、きっと遠慮なく花の中へ倒れこんだのだろう。その姿が容易に想像できてしまったので、アッシュは深くため息をついた。それには疲労も混じっていた。今までジメジメとした森の中を延々と駆けて来たのだから仕方が無い。その後だというのに疲れた様子を微塵も見せない元気一杯のルークの姿に再びため息が漏れた。アッシュはさっき花の舞った場所へと近づいていった。
ルークは仰向けに転がってぽかんと空を見上げていた。さっきとギャップが激しい。それはいつもの事なので得に気にせず、アッシュはその間抜けた顔を覗き込んだ。


「どうした」
「いや、空は青いなーと思って」


至極当然の事をルークはしみじみと言った。何で空は青いのだろうとルークが尋ねてきたので、科学的に説明も出来たアッシュはしかし説明する気が起きなかったのでさあなとはぐらかせておいた。説明してもルークには理解できないだろうし、何より理解できたとしてもルークなら「ふーん」で済ませてしまいそうだったからだ。いくら仕組みを科学的に理解しても理解していなくても、空は青い。それだけは変わらないからだ。

アッシュはその場に腰を降ろした。いくつかの花を踏み潰してしまったが、ここは花畑で花の無い地面が無いのだから仕方が無い。そうしてルークと同じようにぼんやりと空を見上げた。体が疲れていた。一時の休息の時間だった。
空を見ていると数年前のことを思い出した。世界が劇的に変化した時の事だ。そしてその中心には自分と、隣の自分のレプリカがいたのだ。何事も無い穏やかな空を見上げているとそれが遠い昔の事のように思えるが、この世界に残された傷跡はまだ完全には癒えてない。旅をしていると嫌でもその傷跡を目にする。それらを見ていると、自分達は呑気にこんな旅を続けていてもいいのだろうかと時々不安に駆られるのだが、隣に立つ笑顔を見るとそれだけで心が落ち着いた。今まで世界から奪われるだけだったのだから、戦いが終わった後の今ぐらいのんびりとしたっていいじゃないか、と思えた。

結局、オリジナルとレプリカとは切っても切れない関係なのだろう、とアッシュは思った。刺されて死んだアッシュと音素乖離が手遅れなほど進んでいたらしいルークと2人でこの世界へと戻ってきてから、アッシュが思い知った事だった。あれほど憎んでいたはずの相手が、どういうわけか手放せなかったのだ。家も家族も友人も居場所も何もかも奪われ空っぽになった自分には己の身を使って生み出されたレプリカしか残されなかった、そして何も持たずに生まれ世界に殺されたレプリカには己の元となったオリジナルしか残っていない、そういう事なのだろう。アッシュはそう考えていた。だから2人でバチカルから抜け出しこうやって世界を彷徨っている。ルークは何も言わずにアッシュについてきた。だからこれでいいのだとアッシュは自分に言い聞かせている。

気がつけば隣で転がっていたはずのルークがいなくなっていたので、アッシュはハテと辺りを見回した。目に入るのは花ばかりだ。ここがあまりにも綺麗だから汚い自分を置いてどこかへ消えてしまったのだろうかとアッシュが不安に考えた時、頭の上から何かが降ってきた。目の前をひらひらと落ちていったのは花びらだった。顔を上げれば、満面の笑みのルークが手をかざして立っていた。


「アッシュ、花が似合うなー」


からかう様子でもなく普通にルークがそう言うのでアッシュは眉を寄せて睨みあげた。冗談じゃない。アッシュの表情にルークが今度こそケラケラと笑った。ルークの頭にも花がついていた。花輪というやつだ。昔ナタリアが中庭でよく作っていた。おそらく教わった事があるのだろう。少々不恰好なわっかだが、きっと自分の頭にも同じものが乗っかっているのだろうと考えるとアッシュはますます眉を寄せた。


「何のマネだ」
「あんまり綺麗なものだから、これで俺たちも綺麗になれるかなあって」


ルークはしゃがみ込んで花を摘み始めた。色とか形をそれなりに考えながら摘んでいるようで、花を摘む手がウロウロと彷徨う。アッシュは何も言わずにそれを見ていた。


「さっきの町でさあ、ケッコンシキ、やってたじゃんか」


ルークが言い慣れない言葉を使う。アッシュも思いだしていた。森に入る前のとある町。必要なものを買い揃えて一目につかぬよう通りを歩いている時だった。町の若い者同士だったのだろう結婚式が華やかに行われているのを目にしていた。白い服に身を包む若い男も若い女も、2人を取り巻く大勢の人間も皆幸せそうに笑っていた。あれがとても綺麗だったとルークは言う。


「ケッコンって、お互いに好きな者同士の2人が一生一緒にいる事を誓うギシキだってガイが言ってた」


花の束を作りながらのルークの言葉に、ガイは随分とロマンティストだなとアッシュは思った。言葉には出さなかった。


「ケッコンしたら一生一緒にいれるのか?」


ルークが花を摘みながら尋ねてきたので、アッシュはその様子を変わりなく眺めながら答えた。


「本人達次第だろう」
「そっか」


そうだよな、とルークは頷いた。小さな花束が完成したようだった。解けない様にどこからか取り出した紐で茎を縛ると、ルークは満足したように手の中で花束を弄んだ。アッシュはやっぱりそれを見ていた。ルークはアッシュに視線を合わせるとにやりと笑って、唐突に立ち上がり手を振りかざした。その手の中には花束がある。ルークはそのまま、振り返りもせずに背後へ花束を放り投げた。アッシュは花束が遠くの方で落ちるのを見ていた。花束を受け取ったのは花畑だった。


「じゃあさ」


目の前にルークの顔が現れたのでアッシュは少し身を引いた。するとさらにルークの顔が近づいてきたので今度は引かなかった。
重なって離れて、しばらくしてからルークが言った。


「これが俺たちの誓いのギシキな」


得意そうに笑ってそう言うので、アッシュはふんと鼻を鳴らして目の前の朱色の頭を掴んだ。


「どうでもいいが、順番が逆だ」
「えっ嘘、マジで?どうしよ」
「俺たちだけの誓いの儀式とやらなんだろうが。気にするな」
「そっかーそうだな」


嬉しそうに笑うルークには悪いが、アッシュはこの儀式がすごくくだらない事に思えた。だってアッシュのレプリカはルークで、ルークのオリジナルはアッシュで、それは何年時が経っても変わらない。それは互いに互いが一生必要だという事で、それは一生変わる事がない事実だというのにそんな当たり前な事をどうしてわざわざ儀式を行って誓わなければならないのだ。元来アッシュは約束というものをあまりしない性質でもある。

しかしアッシュがしないのは『守られるか分からない』約束だけで、たとえ当たり前な事でも改めて誓いを立てることは決して悪い事でもなくて、そして何より一生共にある事を誓い嬉しそうな顔のルークが花畑に負けず劣らず綺麗だと思ったので、アッシュは今度はこちらから翡翠の瞳で見つめてくる同じ顔を引き寄せた。そして一生離す事がないであろうその手を、ぎゅっと握り締めた。それがアッシュの、ルークの誓いへの答えであった。




   ケッコンのギシキ

07/01/11